雷州の雷祖廟の石狗
 ─雷神さまのたまごを見つけた九耳狗の伝説
(広東省雷州市雷祖廟)







   数ある石狗(雷州方言:チィウガウ)のなかでも、もっとも重要な石狗は、雷祖廟の石狗だと思います。今日、ホテルを見つけてから、バイクタクシーで、市内近郊の雷祖廟に行きました。





    しかし、すでに午後6時半で、門が閉まっていたので、守衛さん2人に頼んで開けてもらい、入ることができました。有り難いのでお礼に煙草2箱差し上げました。開けてもらったあとで、差し上げましたから、これは賄賂とは違いますよね。 

図1.雷祖廟石狗阿形、向かって左



    石狗は今はは門前にはいなくて、代わりに大きな石獅がいました。石狗が、新しい石獅に場所を代えられていたのでした。あれっと思うと、そのもっと手前の欄干の角に、左右かなり間を離して、一対の石狗さまがおられました。

 

図2.雷祖廟石狗阿形、向かって左



    この石狗は、図録などでは唐代のものとされています。しかしたしかなことはわかりません。高さ86㎝、幅37㎝、奥行き37㎝です。一対の石狗は、単体が多い石狗のなかでは珍しいです。幅と奥行きが同一寸法ですから、長方形の石材から、うまくまとめたようなカタチですね。


図3.雷祖廟石狗阿形、向かって左




    この石狗は、現在の石獅などではあまり重視されているとは言い難い、阿吽の区別があります(唐代の皇帝陵墓の石獅は、阿吽が決まりです)。右狗(向かって左)が阿形で、左狗(向かって右)が吽形になっています。

図4.雷祖廟石狗吽形、向かって右




    蹲踞(そんきょ・しゃがむ姿勢)していますが、背中はほぼ直線に落ちています。雷祖さまの狗であることを示すように、首から大きな鈴を提げて、目も広葉樹の葉っぱみたいで、大きいです。鼻は阿形の方が、壊れたあとを補修していますが、吽形よりも大きくなっています。鼻息は荒そうです。

図5.雷祖廟石狗吽形、向かって右






    鼻も足も補修してますが、かなり昔に補修したように見受けられます。足は阿吽両方ともに補修しています。阿形の方は、おせんべいみたいな、丸い舌も出していますね。


図6.雷祖廟石狗吽形、向かって右



    雷州市の雷祖廟は、唐朝貞観十六年(642)の創建で、後梁の乾化二年(912)、現在の場所で再建されました。雷祖は雷を司る神です。しかしその人物は現地出身の陳文玉(570-638)で、実在の人物です。唐代の雷州刺史ですが、雷州の名付け親でもあります。


図7.雷祖廟の雷祖さま



 

   雷祖廟は、明代の成化十八年(1482)に本殿を修築しており、明代の万暦三十三年(1605)に前殿と後殿が建造されています。それ以来の構成が現在まで続きます。


図8.雷祖廟前殿


    雷祖は雷を司る神様で、雷州は、雷がとくに多い天候からその名があります。




    明代の荘元貞『雷祖志』に、陳鉷(ちんこう)という猟師が九耳
の狗を飼っていて、ここ掘れワンワンというと、大きな卵が出てきて、翌日黒雲が立ちこめ、雷電あい混じる風雨中に雷が落ち、割れた卵から陳文玉が誕生したとあります。
  




   この時、誕生した陳文玉は、左手に「雷」、右手に「州」と書いてあり、雷祖と縁深い九耳の狗が登場します(明朝万暦年間の『雷州府志』卷十七「郷賢志」にも同様の記載あり)。




   この九耳の狗について、往年の雷祖廟では、「九耳呈祥」の匾額が掛かっていました。「九」の発音と、「狗」の発音は、ともに「ガウ」(雷州方言・広東方言ともに)です。雷神信仰と深く結びついた形で、犬の信仰が雷州半島にあるのだとはいえると思います。




   犬と雷との関係は、たぶん調べればもっといろいろ深い関係が見つかることでしょう。石狗にも、胴に大きな渦巻きの線刻があるものもあり、これは、巻き毛というより、雷紋の表現といわれています。





    地元では 雷祖さまに参拝するとき、石狗も参拝の対象となる大事な石狗です。ですから、雷州に来て、真っ先にお参りしました。明日から四日間雷州で、南隣の徐聞県で一日、海南島の海口市で一日、石狗を見て回ろうと思います。




  雷祖さまの降す雷で蓄電されてもうう数百年、犬力(いぬぢから)は充実している石狗さまでした。