Robert Plant/ Manic Nirvana (1990) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 まずはこの原題(Manic Nirvana)をカタカナで表記した邦題『マニック・ネヴァーナ』のことから。
 nirvanaの発音は英語圏でも複数あるみたいで、カタカナにすると「ニアヴァーナ」か「ニゥヴァーナ」か「ナヴァーナ」になるようです。本作でタイトル・トラックの役割を担う曲、Nirvanaでロバート・プラントが歌っているのを聴くと「ヌヴァーナ」が近いか。
 「そんなのニルヴァーナに決まってるじゃないか」と言うのは、本作がリリースされた1990年の時点で仏教用語をなんとなくでも囓っていた人か、グランジより前のロック・シーンを直に体験していない人です。
 1990年の一般的な日本の若者は、「涅槃」こそ芸能ニュースで頻繁に見聞きした時期があっても、「ニルヴァーナ」なる語には馴染みがなかったはず。ましてや翌年に大ブレイクすることになるシアトルのニルヴァーナのことなど、アメリカのインディー・バンドに詳しくないと視界に入ってなかったし、イギリスで1960年代後半から1970年代前半にかけて活動していた別のバンド、ニルヴァーナだって、サイケ・マニア道の入り口に立たなければ知りようがありませんでした。
 だから、「ネヴァーナ」というカタカタ表記を責めるつもりはないんです。私が注目するのは、ロバート・プラントのこのソロ・アルバムが1990年の3月にリリースされたことです。シアトルのニルヴァーナが『ネヴァーマインド』を発表した1991年9月の1年半前だったんですね。

 いま名前を出した、「じゃないほう」のイギリスのニルヴァーナ。彼らの日本盤のLPなんてレアなものを私は持っていないので、ネットでレコードの帯を確認したところ、「じゃないほう」は「ニルヴァーナ」あるいは「ニアヴァーナ」と表記されていたようです。
 でも世界的な知名度を誇るのは、言うまでもなくシアトルのニルヴァーナ。このことに異論のある人はいないと思います。もしロバート・プラントの『マニック・ネヴァーナ』がニルヴァーナの大ブレイクよりも後に出ていたら、タイトルは原題も邦題も変わっていたのでしょうか。『マニック・ニルヴァーナ』では少なからぬ見劣りを招いた気がしてなりません。歴史というのは予測のつかないものです。

 本題に入る前にヨタ話を書いてしまいましたが、意外とこの「ネヴァーナ」問題は本作の内容と無関係ではないのです。
 ロバート・プラントは元レッド・ツェッペリンのヴォーカリストとしてロック史に名を残すスターです。ツェッペリンが解散して10年後だった1990年にも、威光は弱まっていたとはいえ、彼のメタリックでダイナミックなシャウトはクラシック・ロックのひとつのシンボルでした。
 そんなプラントの5枚目のソロ・アルバム(ハニー・ドリッパーズもカウントに入れたいのですが)である『~・ネヴァーナ』と、1年半後に新しいロック・ヒーローの座についたニルヴァーナ。時代の変わり目がそこにありました。

 と言っても、『マニック・ネヴァーナ』は失敗作ではありません。じつにちゃんとした、オーセンティックなロック・アルバムです。1990年に初めて聴いたときは私も22歳と若かったので、前年に台頭してきたイギリスの新世代バンドと比べて、力作だけど物足りないと感じました。ZEPファンの年長者に「なにを言ってるんや。ありがたいと思って聴かなアカン!」と叱られたりもしました(その種の小言おやじが若者に遠慮しなかった頃です)。
 長年『マニック・ネヴァーナ』にはあまり良い印象を持っていなかったのですが、前作の『ナウ・アンド・ゼン』や本作を改めて聴いたところ、この時期のプラントも頑張っていたんだなと捉えなおしました。

 プラントは前作の2曲でジミー・ペイジのギター・ソロをフィーチャーし、Tall Cool Oneという曲ではツェッペリン・ナンバーをサンプリングに用いていました。そのアルバムが1988年2月にリリースされてから『マニック・ネヴァーナ』までの間には、同年5月の『アトランティック・レコード40周年コンサート』で『ライヴ・エイド』(1985年)以来となるツェッペリンの再結成を実現しています。
 Tall Cool Oneで往年の曲からサンプリングしたのは、1986年にビースティ・ボーイズが無許可でツェッペリンを使用したことへの当てつけだったらしいのですが、ビースティーズを含めて、1980年代後半にはツェッペリンの再評価とも言える動きがロック・シーンに起きました。
 そういった追い風を受けて『マニック・ネヴァーナ』が発表されたのかどうかはわかりません。が、このアルバムが前作以上にハードなギター・サウンドを打ち出していたのは確かです。また、本作の半年後にはツェッペリン初の公式コンピレーション2枚組とボックス・セットが同時に発売されて、あのバンドの偉大な足跡を若いロック・ファンにも知らしめました。
 あっ、そうだ。ジミー・ペイジのソロ・アルバム『アウトライダー』が1988年に出て、プラントも1曲に参加したんでした。

 それはともかく(「ともかく」ですませるのか!)、1990年のロバート・プラントは、前作の『ナウ・アンド・ゼン』がイギリスで10位、アメリカで6位と好成績をあげた2年後でした。
 『ナウ・アンド・ゼン』はエイティーズ印のリヴァーブとシンセを配しつつも、ブリティッシュ・ロックの骨格が安定した作りのアルバムです。その特徴はプラントのファースト・ソロ以降ずっと続いていたのですが、80年代の彼のソロ作は常にどこか煮えきらない部分があって、それなりに良いけど面白みに欠けていました。そこを改善し、ツェッペリン的な記号をプラントの周りに置いて、キャッチーな「煮え」の状態に持って行ったのが『ナウ・アンド・ゼン』だったと言えます。プラントもあのアルバムでツェッペリン時代を遠ざける気持ちが薄れたようです。

 『マニック・ネヴァーナ』は、ヴォーカルと演奏の構成がBlack Dogを想起させるHurting Kindで幕を開けます。プラントのヴォーカルも、彼のアイドルであるエルヴィス・プレスリーっぽいノリで始まり、徐々に声を悩ましくクネらせていきます。悶えるような高音の呻きも前作以上に吹っきれていて、自分が求められるロバート・プラント像に応えようとしています。

 私はソロのファーストやセカンドでの余裕ある色気もいいと思いますが、彼のこういう悶絶する歌声には抗しがたい魅力を覚えます。アルバム・ジャケットでのシャウトする横顔もツェッペリンのパーシー(プラントのニック・ネーム)です。

 カヴァー曲のYour Ma Said You Cried In Your Sleep Last Nightでは、終盤にBlack Dogの"Hey Hey mamma said the way you move..."を歌詞に織り込む遊びを聞かせます。元の曲はアメリカのケニー・ディノが1961年にヒットさせ、翌年にイギリス人のダグ・シェルダンが、さらに1965年にはタートルズがカヴァーしています。
 プラントは彼の性格なのか音楽の姿勢に生真面目すぎるところがあって、この種の遊びが今ひとつ盛り上がらないというか、面白みが足りないんです。ここでも劇的な効果をあげてはいません。けれども、このカヴァーで注目したいのは、音像を当時のヒップホップ風に粗く仕上げていることです。ビースティ・ボーイズに無断でサンプリングされた件にはプラントもムッとしたのでしょうが、ツェッペリンの音楽をグルーヴ・ミュージックとして解釈するセンスには触発されたのではないでしょうか。

 では、これが傑作アルバムかとなると、そこまでの出来ではありません。プラントがツェッペリン的なヴォーカル・スタイルをソロ・アルバムで解禁した時に、どうしても欲しくなるのは彼の声を楽器のように音へと組み込ませるクールな視点を持ったプロデューサーの存在です。プロデューサー的な資質に富んだミュージシャンだと、もっといい。
 しかしプラントにしてみれば自分が主役であって、前作も売れたのに、歌を楽器みたいに組み込まれたくはなかったでしょう。それでこういう、ツェッペリン色を取り入れつつ、ヴォーカルがリードするアルバムが出来上がったのだと思います。だとしたら、その意図はある面で成功しているし、ある面ではハジけきれていません。
 ただし、ミディアム・テンポのハード・ロックのBig Loveはさすがの貫禄を示しており、ダグ・ボイルの鋭く尖ったギターとクリス・ブラックウェルの太いドラムが耳に迫るSSS&Qもプラントの悶絶が好調です。She Saidでのギター・リフと絡むプラントは私も聴きたかったスタイルで、Nirvanaでギターがかき立てる狂躁感(マニック)は本作の白眉。ブルージーなハード・ロックのTie Dye On The Highwayは豪快で楽しめます。

 ドラムはゲート・リヴァーブ化されていますが、いわゆるエイティーズの彩りとは趣が異なり、ゴージャスな広がりよりもタイトな音響が志されているようです。このあたりの志向をもう数段階ハジけさせて、曲作りを厳しくジャッジして煮込んでいたら、もっとエッジの立ったアルバムになっていた気もします。
 エイティーズといっても全般がゴージャスでヒャラヒャラしっぱなしだったわけではなく、10年間が終わるにつれて適度のタイトさも備わるようになりました。1990年の『マニック・ネヴァーナ』の音はその延長線上にあります。しかしそれすらも古くてヌルいものとして吹き飛ばしたのがニルヴァーナでした。
 そこで彼らと共闘する役割をロバート・プラントに求めるのはお門違いだし酷です。ニール・ヤングではないのだから。『マニック・ネヴァーナ』はこれで充分だったように思います。

 レッド・ツェッペリンの実質的なラスト・アルバムは『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』です。1979年の8月にリリースされたこのアルバムは、ツェッペリンのディスコグラフィーで一番評価が低く、私もあまり好んではいないのですが、このバンドが1980年代にも活動していたら、どんな音楽性に着手していたのかを想像させる面白さはあります。収録曲を聴いていると、シンセの積極的な使用、ドラム・パターンのシンプル化、それに曲のコンパクトなまとまりなど、エイティーズ・サウンドとの相性の良さに近づいています。
 ロバート・プラントのソロ初期作品を、それらの新機軸の後継として聴いてみると、私には納得できる点が多いです。まあ、彼のソロ初期作のようにラジオ・フレンドリーなロックは、バンド解散後のヴォーカリストのパターンでもあったのだけど、『イン・スルー・~』を発展させたとは言わないまでも、あのアルバムで目立った要素が1980年代のプラントにはフィットしていたと思います。

 その時期が『ナウ・アンド・ゼン』でツェッペリン色を呼び込むようにして終わり、それがヒットしたことで、いっそうハードなスタイルにプラントを立ち返らせたのが『マニック・ネヴァーナ』だった、と。

 ベテランが原点に回帰した力強さは、1980年代の後半にキース・リチャーズやスティーヴ・ウィンウッドなどからも感じ取れたことです。本作は彼らのアルバムと並ぶほど充実してはいませんが、ツェッペリンのハード・ロックの奥にあったルーツ・ミュージックやワールド・ミュージックのミクスチュアへの道を、プラントはここから独自に、そして生真面目に進んでいくことになります。そのターニング・ポイントの前のターンとして、『マニック・ネヴァーナ』は興味深いアルバムです。


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