吉川晃司/ Rain-Danceがきこえる(1985、single) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 その昔、80年代の『ロッキング・オン』誌では、プリンスが来日すると日本のレコード会社の担当者氏が投稿したツアーのエピソードが読めました。何度か掲載された中で、私には初来日(1986年9月)の時のぶんが特に印象に残っています。

 レセプション・パーティーが開かれて、そこで和太鼓のパフォーマンスが大いに場を盛り上げたそうです。すると演者の人が、「どなたかチャレンジしてみませんか?」。当然、会場中の視線がプリンスに注がれます。プリンスも心なし腰を浮かしかけていたところ、少しの間の後に司会者が継いだ言葉は、「ではジャパニーズ・フェイマス・シンガー、コージ・キッカワ〜!!」。招待客の一人だった吉川晃司が和太鼓に向かっていったそうです。
 彼が周囲に促されてチャレンジしたのか、自ら挙手したのかは知りません。でも後者だと思えてならないのです。あの頃の吉川ならやりかねない。私はそのエピソードを読んで笑いながら納得し、吉川晃司って面白いなと思いました。

 ではそれ以前の吉川についてはどうだったかというと。

 デビュー・シングルの「モニカ」は気に入ったものの、女子に人気の高いヤツが文化祭で佐野元春の「アンジェリーナ」を歌っているのを眺めているような気もして、好感を持つまでにはいたりませんでした。要するに、モテない男子高校生のヒガみ。スポーツやってればいいじゃないか、このうえ何を望むんだ?と問いただしたくなったのです。
 以降の彼のシングル曲は、「サヨナラは八月のララバイ」も「ラ・ヴィアンローズ」も「You Gotta Chance~ダンスで夏を抱きしめて~」も「にくまれそうなNEWフェイス」も嫌いではなかったけれど、自分は一生恋愛禁止なのだと思い込んでいた文化系男子は卑屈な気分に陥ったりしました。どれも本当にいい曲なんですが。

 そんな私でさえもグッと惹かれた吉川晃司のシングルが、1985年の「Rain-Danceがきこえる」でした。つまり和太鼓の件の約1年前に、吉川晃司を「なかなか良いのではないか」と、偉そうに言えば認めるようになった曲です。
 新聞のテレビ欄に吉川晃司の名があると歌番組にチャンネルを合わせ、あのLunetta BADAのサングラスをかけて歌う姿に見入りました。妹には「おにいちゃん、吉川晃司のファン?」と驚かれたし、友人からも「大学受験のプレッシャーでおかしくなったか」とからかわれました。
 自分でも不思議だったんです。この曲を歌う吉川のパフォーマンスはキメキメ度が増量していて、それまでの私なら、「スポーツやってればいいし、『モニカ』歌ってればいいじゃないか」とヒガんでいるはず。ところがこの曲に関しては、「このうえ何を望むんだ?」と問いたくなりませんでした。むしろ「何か望むものがあるんだな」と感じて、この曲と彼のパフォーマンスからそれを受け止めたくなったんです。

 85年の9月に発売された「Rain-Danceがきこえる」はザ・パワー・ステーションのSome Like It Hot(同年3月に発売)にインスパイアされた、という説をよく見聞きするし、それは当たっていると思います。
 じつは今回この曲をトピックにとりあげるのも、前回の記事でT・レックスのアルバム『電気の武者』について書いたからで、あの名盤に収録されたGet It Onはパワ・ステがカヴァーしてヒットさせました。
 『電気の武者』の記事では、そのヴァージョンを個人的なT・レックス体験への踏み台として書いており、踏み台であるからにはT・レックスよりも下に位置します。が、なにもパワ・ステを貶めているのではありません。あれは高性能のファンキー&ハードなガテン系のGet It Onで、じつに痛快でした。もとの曲の良さに加えて、ゲート・リヴァーブの効果を得たトニー・トンプソンのドラムが85年の若者を興奮させました。またパワ・ステのオリジナル曲のSome Like It Hotは、そのサウンドの意匠がイントロのドラムから炸裂し、高校のクラスでも話題になったものです。

 作詞・安藤秀樹、作曲・佐藤健、編曲・後藤次利。太い杭を打ちつけるようなドラムと硬質なベース・ランを中心に、リズム・ギターが16ビートを刻み、リード・ギターがアーミングを利かせたハードなフレーズを絡ませ、シンセがトーンを華やかに彩ります。「Rain-Danceがきこえる」は、ダンサブルかつスタイリッシュに引き締まったパワ・ステ型のロックです。
 サウンドの意匠面だけではなく、キーもSome Like It Hotと同じDで、最初のコードがEmなのも共通しています。そこからの使用コードは完全一致しないとはいえ、試しに出だしの「走り抜けてくrainy street」を、Some Like It Hotの"

We want to multiply. Are you gonna do it?"と歌っても違和感がありません。
 ただし、サビへの展開でコードの半音移動などが若干のミステリアスな緊張感を醸しだしており、「Rain-Danceがきこえる」のサビも、その後の「素敵な孤独など どこにもないのさ/君がいなければただの寂しがりや」のコード進行およびメロディーも、パワ・ステのタフネスより傷つきやすさや弱さを表現に盛り込んであるようです。
 この違いは、洋楽ド真ん中のファンクっぽくてハードなSome Like It Hotと、それを経由しつつ歌謡曲のリスナーも疎外しない「Rain-Danceがきこえる」の違いだと言えるのでしょうが、私は2年前のデュラン・デュランのヒット曲、Union Of The Snakeあたりのブリティッシュな陰翳がメロディーの範に含まれている気がします。そしてそのファンキー&ハードと陰翳のバランスの妙が私にもアピールしたのでした。

 前述したように、「Rain-Danceがきこえる」では曲調も歌もヴォーカル・パフォーマンスもキメキメ度が増量されていました。吉川の若さもあってか、あまりにキメキメすぎて笑ってしまうことがあったし、私にはそれも含めてユニークなカッコよさに映りました。
 テレビで見ていて興味を持ったのは、歌いながら彼が顔の横で腕を動かすアクションが攻撃的というより被虐的な危うさを伴っていたことです。デビュー時の「モニカ」などでの彼がそのフィジカルな長所を武器にヤンチャな青春を謳歌していたのに比べて、どこかマゾヒスティックな匂いを漂わせていたのが「Rain-Danceがきこえる」でのパフォーマンスでした。サングラスで眼の表情が定かではないのも、いかつい怖さより何かに対する恐れを想像させました。

 

 この曲の歌詞にもそれは言えます。雨の降る夜の街を車で走りながら、別れた恋人のことを想う男。束の間のロマンスだったようで、彼女が別れ際に残した「やさしさのランゲージ」が「本当のとこ、なにも言ってない」とわかっていても、「無口なさよなら」がよけいに尾を引いて、今日と同じような「あの雨の日」に彼女が見せた涙の素直さが頭から離れない。

 おそらく主人公は都会の遊びに慣れてきた若者なのでしょう。外面は大人っぽく振るまえても、ハンドルを握る一人の時間では青い本音が溢れ出てきます。

 こうした感情のモノローグを、具体的な風景の輪郭を抽象的なニュアンスでぼやかすようにして、回り込む形で内面を描いています。メロディーの陰翳がそれと合わさって、とりわけ「君の(シシシ)くれ(シシ)た(#ラ)〜言葉の半分は」での半音下降した#ラが、曲全体に雨粒にも似た哀感をもたらして秀逸です。

 

 吉川晃司のヴォーカルはとても癖の強い唱法です。ニューロマンティックの洋楽の影響と思われますが、歌詞を言葉の意味よりも声も含めた音の響きで聞かせる、つまり日本人にとっての洋楽に近いヴォーカルの聞こえ方が意識されているように感じます。そのぶん唱法の癖の強さが前に出ているので、この臭みが苦手な人もいるでしょう。

 しかし「Rain-Danceがきこえる」では、その過剰さが歌詞の主人公の欠落感と隣り合わせの相性を示してもいます。この唱法や、あのキメキメなステージ・アクションやサングラスは、恋を失った男のマゾヒスティックな爆発なのです。

 

 この約半年後のアルバム『MODERN TIME』のジャケットは、1985年のブライアン・フェリーのアルバム『ボーイズ・アンド・ガールス』の裏ジャケを連想させます(吉川のほうは『PATi-PATi』に載っていた写真を使用したそうですが)。私はフェリーの大ファンなので、そこでも吉川晃司に対する興味の度数がまた上がりました。

 「Rain-Danceがきこえる」をリリースした時点での吉川晃司は20歳になったばかりで、年齢は当時のブライアン・フェリーの半分でした。大人のエレガンスと呼ぶには肌がツヤツヤしていたし、ナルシスティックなヌメりも青い段階にありました。

 でもこの曲での吉川晃司は、そこが良かったんじゃないかと思います。彼の優れた身体性を、清々しく快活な曲調とは異なる洋楽的なビートに投じて解き放つ、そのスタイリッシュな荒ぶりの過剰さに私は惹かれたのです。


 「Rain-Danceがきこえる」では、「あの雨の日に泣けた君は」の後に続く歌詞が「マシさ」で、「君がいなければただの」を受けるのは「寂しがりや」です。どちらも、そのオチでいいの?と肩透かしをくらうほどに、それらの箇所では言葉が緩めに結ばれてあります。

 だけど、そこがいいんです。キメキメを目指してガムシャラに荒ぶって、深く考えずに結論を先走っちゃうハタチの若者が目に浮かんで、なんだかすごく眩しい。白髪になった現在の吉川晃司も文句なしにカッコいい──ていうか、男から見ても今のほうが断然いい──ですが、メインストリームで貪欲に音楽を追求した「Rain-Danceがきこえる」のガムシャラさも私は忘れていません。