昭和の歌謡曲について作詞と作曲の両面から考える「歌本」のコーナー、今回とりあげるのは1978年3月25日に発売された石野真子のデビュー・シングル、「狼なんか怖くない」です。
ディズニーのアニメーション『三匹の子ぶた』(1933年)の挿入歌に「狼なんか怖くない」(Who's Afraid Of The Big Bad Wolf?)があるのですが、石野真子の曲名もそれに因んでいるのでしょうか。あるいは庄司薫のエッセイ集『狼なんかこわくない』(1971年)なのか。いずれにせよ、17歳の新人だった石野真子の売り出しに力が入っていたことが窺えるタイトルです。
作詞は阿久悠で作曲は吉田拓郎。編曲は鈴木茂。歌謡曲の売れっ子作詞家とフォーク界のスター、そして元はっぴいえんどのギタリストです。でも小学5年生だった1978年の私は吉田拓郎の名前を知っていた程度でした。
石野真子は八重歯と垂れ目が可愛い女の子で、彼女は高校生のお姉さんだったのに、私は自分の小学校にいそうな親近感を覚えたものでした。
歌唱は上手すぎず下手すぎない中庸寄りですが、声が独特の温かみに恵まれており、笑顔の愛嬌にフィットしていました。シングル曲でもアルバムでも、この声の明るい弾みをどう活かすか、ソングライターやアレンジャーが腕をふるっています。
「あなたも狼に変わりますか?あなたが狼なら怖くない」──恋愛に対する少女の不安と憧れをテーマにした曲です。
同種の歌謡曲といえば、山本リンダの「こまっちゃうナ」もそうだし、高田みづえの「硝子坂」も詩的な良曲でした。阿久悠が作詞したピンク・レディーの「S.O.S.」は「狼なんか怖くない」と直系の先例。1981年にリリースされた松本伊代の「センチメンタル・ジャーニー」もこのテーマを扱っています。
また、山口百恵が初期に歌っていた一連の”体験もの”は歌詞が思わせぶりだったり大胆だったりしましたが、性を意識する思春期の心理は「狼なんか怖くない」や「センチメンタル・ジャーニー」からも汲み取れます。
「狼なんか怖くない」の歌詞をよく読んでみると、普段は優しい彼氏の「狼」化(の想像)については具体的に触れられていないんですね。
歌詞から伝わるのはファースト・キスに向けた不安です。しかしそれで彼氏が「狼」に見えるものなのか。いや、男女交際のABCとか言ってた時代ですから、その先のアルファベットまで踏まえているのでしょう。これは彼女の取り越し苦労ではなくて、性を意識する年頃の実感とカマトトっぽさ(まだ「ぶりっ子」の言葉が生まれる前でした)の絶妙にソフトな配合です。2番の「あの人はいい人だから傷つけたりできない」も、これがあるのとないのとでは思慮のバランスが変わってきます。
「怖くない」の言葉には「やっぱり怖い」が含まれているうえに、大人になることへの憧れがドリーミーに滲んでいます。なぜそう解釈できるかは後述しましょう。
印象的な引用が2つ入っています。1番の「鼻が邪魔だと誰かが言ってたわ。古い映画のセリフだったかしら」と、2番の「熱が出るわと誰かが言ってたわ。ヒット・ソングの言葉だったかしら」。
前者は映画『誰がために鐘は鳴る』(1943年)の有名なセリフです。これについては歌番組を一緒に見ていた父が解説してくれました(沢田研二の「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「サムライ」「カサブランカ・ダンディ」もそうでした)。
では2番の「熱が出るわと誰かが言ってたわ」が指す「ヒット・ソング」は何でしょうか。私の推測になりますが、ペギー・リーの「フィーバー」(1958年)ではないかと思います。その歌詞には「あなたのキスで私は熱が出る。あなたに抱きしめられて私は熱が出る」とあります。
阿久悠の頭に他の「ヒット・ソング」があった可能性も否定できないけれど、ペギー・リーの「フィーバー」ならアメリカ映画の『誰がために鐘は鳴る』とも釣り合うし、1937年生まれの阿久悠が21歳の頃の大ヒット曲です。
この主人公の女の子は洋画の古典を(そしてたぶん洋楽のスタンダードも)知っている若者です。1978年の17歳にしてはマセてるし、流行り廃りにとらわれない自分のセンスを持っているとも言えます。
「〜と誰かが言ってたわ」の使い方も上手い。「鼻が邪魔」のセリフを知ってるのなら、それが『誰がために鐘は鳴る』から来ていることをわかっています。でも、あえてタイトルを言わない。思春期にありがちな気取ったトボけで、大人にはそこが背伸びに見えて可愛くもある。
こういうタイプの若い女の子に、いつの時代も文化系のおじさんは弱いんです。石野真子がそのタイプというよりも、そんなイメージをデビュー時の彼女に重ねてみた、といったところだと思います。
この曲では、歌詞と同等かそれ以上に音楽面が充実しています。とくに吉田拓郎のメロディーが素晴らしく、彼が前年3月にキャンディーズに書いた「やさしい悪魔」と並ぶ提供曲の傑作です。
まず余談から述べますと、「あなたも狼に」のメロディーはボブ・ディランのChanging Of The Guardsに似ています("Where the good shepherd grieves"の箇所)。ただしこの指摘はあくまで余談でして、拓郎がディランから拝借した説は成り立ちません。なぜなら、ディランがその曲を発表したのは1978年7月にリリースされたアルバム『ストリート・リーガル』で、「狼なんか怖くない」は同年3月25日と先に出ているから。また、ディランはその年の2月下旬から3月上旬にかけて初来日のツアーを行ったのですが、どの日のステージでもChanging Of The Guardsは披露されていません。
ではなぜ私がディランの名を引き合いに出したかというと、拓郎がその影響を受けているのと、両者ともシンプルでいて芯の確かな、自身の味のしみこんだメロディーを作る名手だからです。
「やさしい悪魔」がその好例で、ベーシックなコードのみを用いて、あれだけメロディアスかつブルージーな曲を書ける手腕は凄いです。しかもその随所に拓郎の匂いが漂い、それがキャンディーズの歌をいっそうチャーミングに響かせます。
「狼なんか怖くない」では、使用コードに「やさしい悪魔」よりも少しヒネった部分があります。拓郎はこの曲のデモ・テープ音源を昔ラジオでオンエアしたことがあるようで、そちらをYouTubeで確認すると、その少しのヒネりは編曲の鈴木茂のアイデアだったことがわかります。
イントロからフルートとストリングスが使われており、曲中ではバンジョーなども聞こえます。サビを歌い出しに持ってきたのも鈴木茂のアレンジ。
全体のキーはCです。イントロのフルートはミ・↓ド・ラ・ファの繰り返しで、コードはFメジャー・セヴンス(ファ・ラ・ド・ミ)。これは「あなたも狼に変わりますか~」の「か~」でも鳴っている和音です。
そのサビのパートは「あなた(Am)も~おおかみに(Em)~かわり(Am)~ます(G7)〜」と進むので、締めの「か~」のコードはAm(ラ・ド・ミ)でもいいんです。デモ・テープではそうしているようです。それが発売された音源だと、Fメジャー・セヴンスでフワ~ッと甘い響きに膨らんでるんですね。
デモ・テープでAmだったものが、なぜFメジャー・セヴンスに置き換わるのか。Amはラ+ド+ミでFメジャー・セヴンスはファ+「ラ+ド+ミ」です。Fメジャー・セヴンスの中にAmがすっぽりと含まれています。だからチグハグに聞こえないし、それどころか「狼に変わりますか」の不安感が甘いときめきにも似た響きへと吸収されます。
この曲は歌詞が先に書かれたらしく、その時点でメロディーは生まれていません。そこからこのメロディーを紡ぎ出すにあたって、最初に思いついたのが1960年代のポップ・ソングだったのでしょう。完成版では、「はじめてのルージュの色は赤すぎてはいけない」のベース・ラインがモータウン調です。
そのパートの歌メロも良いのですが、さらに「鼻が邪魔だと」のド~↑ド~シラ~ミラ~ソ~に移る展開が素直に流れていって最高です。AmとEmの単純なコード進行に乗った、てらいないメロディーのドライヴに魅了されます。
「古い映画のセリフだったかしら」では、「セリフだったかし」をFに行かずにD7で代用させ、それを「ら~」のG7に向かう小さなヒネり(ダブル・ドミナント)にして、心地よい軽めの抑揚をもたらしています。
で、サビの締めです。「あなたも狼に変わりますか~」の「か~」で前述したFメジャー・セヴンスが再度鳴り、続く「あなたが狼ならこわ~くな~い~」の「わ~くな~」にはFmが当てられています。
このFmはデモ・テープの時点でも使われていました。Cのキーにおいては若干イレギュラーなコード(サブドミナント・マイナー)であるけれど、とくに斬新な仕掛けではありません。が、じつに的確で小気味よいヒネりです。ここにFmを使うことで醸し出される浮遊感と陰翳が、「こわ~くな~い~」のニュアンスを多層的にしています。これによって「怖くない」に不安な陰翳が加味され、それでいてそのコード進行は甘美な浮遊感も伴っていますから、聴き手は主人公の夢見るような胸のときめきを音で味わいます。
これは阿久悠の意図した「怖くない」+「やっぱり怖い」のミックスを超えていたのではないか、と私は思います。
こんなふうに、恋への憧れと性への不安を歌詞のテーマにしながら、「狼なんか怖くない」はとてもスウィートでドリーミーな曲調に着地しています。
このソングライティングでは、「誰かが言ってたわ」などの作詞のテクニックを、作曲と編曲による音楽の言葉が土俵際で負かした感があります。
そんな勝ち負けはどうでもいいことです。歌なのだから、作/編曲に分があるのは当たり前。「狼なんか怖くない」では作詞も鮮やかな手並みです。
しかしメロディーとコードが女の子の不安をときめきの波動に変えて、全国の少年たちのハートに届け、石野真子にときめかせた、そのことが重要なのです。もちろん彼女の笑顔あっての波動ですが、それをソングライティングで支えているのは、6:4か5.5 : 4.5で作詞よりも作曲・編曲のほうでしょう。
私はその波動が好きで、今でも「狼なんか怖くない」をよく聴きます。そしてその度に、♪ド~↑ド~シラ~ミラ~ソ~(鼻が邪魔だと)♪のメロディーのドライヴで夢見心地になるのです。
付記:吉田拓郎は石野真子のシングル「私の首領(ドン)」のほか、アルバムにも阿久悠の作詞で曲を書いています。中ではアルバム『MAKO II』の最後に収められた「ぽろぽろと」がお薦め。