ジャケイズム~ジャケ買い随想:ロッド・スチュワート『カムフラージュ』(1984) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 ジャケットに惹かれて買ったり借りたりしたLPやCDのことを振り返る「ジャケイズム~ジャケ買い随想」のコーナーです。
 前回このコーナーで扱ったのはカルトーラの『愛するマンゲイラ』で、喫茶店の所有するレコードを借りた話でした。今回もジャケ”買い”ではなくジャケ”借り”の思い出ですが、こちらは貸しレコード屋でのレンタルです。

 ロッド・スチュワート、1984年のアルバム『カムフラージュ』。
 通常の当ブログでは、1984年か1985年から1995年までにリリースされたアルバムはメインのコーナーで扱います。でもこの『カムフラージュ』はジャケ借りの思い出が大きいので、このコーナーでのお題にします。

 ジャケ買いやジャケ借りというのは、未知のレコード・ジャケットが心の隙間に忍び込んで起きますから、ロッドみたいなスターのアルバムには似つかわしくありません。彼はニッカ・ウヰスキーのCMに出演していたこともあり、1984年に高校2年生だった私も名前と顔、それに当時のヒット曲はいくつか知っていました。
 でもロッドの来歴は知らなかったんです。つまり、ジェフ・ベック・グループで名を馳せて、フェイセズのヴォーカリストとして活躍し、ソロでも味わい深い歌を聞かせ、世界的な人気を博すようになった、その足跡のこと。私が中学に入った1980年頃のロッドはすでにロック・セレブでしたし、彼に対して持っていたイメージも、ハスキーな声でお尻を振って歌う外国の派手なシンガーというもの。いかにも酒とブロンド美女とサッカーを愛する男の像で、それ以外のことは把握していませんでした。

 その日、貸しレコード屋を訪れたのは、単に学校の帰り道にあったからです。そこで洋楽のヒット作を借りてテープにダビングしたり、友達の借りたレコードをダビングしてもらうという、当時の高校生の日常的な行動パターンでした。とくにマニアックな趣味でもなんでもありません。
 たぶんその日も、目当てのレコードがあったわけではなかったと思います。友達と連れだって店に入り、なんとなく眺めているうちに洋楽の新譜を聴きたくなったのでしょう。1984年の洋楽ヒットは景気のいいサウンドが主流で、私も普段からそういう音に慣れていました。
 これは確かな記憶ではないのだけど、友達が先にデュラン・デュランか何かを借りている間、自分がRで仕切られたコーナーの前にいたような気がします。で、ロッド・スチュワートの名前が目に入ったのです。
 そういえばロッドのアルバムを聴いたことがなかったな、とレコードを1枚ずつ見ていると、会計をすませた友達から「おまえも何か借りるんけ?」と訊かれたので、深い理由もなしに最新作の『カムフラージュ』をレジに持っていったのでした。
 今にして思えば、その店のロッドのコーナーには、前年の『ボディ・ウィッシーズ』や、さらに前の『トゥナイト・アイム・ユアーズ』などと並んで、1975年の傑作『アトランティック・クロッシング』もありました。あのアルバムを選んでいたら、私は実際よりも早くロッドの大ファンになっていた可能性もあります。

 『カムフラージュ』はロッドのディスコグラフィー上、初期の『ガソリン・アレイ』や『エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』と比べるまでもなく、高い評価を得ているアルバムではありません。ファンの間での人気も低いと思います。
 以前私は、『スーパースターはブロンドがお好き』(1978年)から『カムフラージュ』までのアルバム群を「ロッドのロジャー・ムーア期」と書きました。偶然にも、007シリーズがムーア主演の極端に荒唐無稽な"お気楽エンターテインメント"路線を突き進んでいた時期と一致しています。
 ただ、私はロジャー・ムーアの007で育った世代でして、あのスケールの大きな荒唐無稽を満員の映画館で観て大喜びしていた一人です。悪フザケにも程がある『ムーンレイカー』だって嫌いではないし、どっちかといえばムーア=007の擁護に回りたいくらい。
 それとロッドの一時期をイコールで結べないとわかっていますが、やっぱり調子に乗りすぎた面が多々あります。だけど、それでもロッドの歌は憎めません。もちろんストレートに熱いロックやソウル・バラードを歌うロッドは最高ですけど、お気楽さやチャラつきが絵になるのも彼の魅力です。
 なによりも、『カムフラージュ』は景気がよくて調子がいい洋楽ヒットを聴きたかった少年時代の私を納得させました。客観的にいうと、コンテンポラリーなアプローチが空回りして、カヴァーでも曲の良さを台無しにしているアルバムですが、ロック・ヒストリーとか知らなかった頃には、あれで充分だったし、ああいうのが聴きたかったんです。

 貸しレコード屋にあった『アトランティック・クロッシング』のジャケットは、1984年に高校2年生だった私の視線を捉えませんでした。と言っても、あれは全然地味なデザインではないし、むしろイギリスからアメリカへと大西洋を横断して乗り込む派手さがあるのだけど、その派手さはエイティーズ少年が洋楽のスーパースターに求めるセンスとは違っていました。
 その点、『カムフラージュ』のジャケットは、もっとシュッとしていて当時の広告写真的な雰囲気に包まれています。
 ジャケットの写真を撮ったのは、世界的に有名なファッション・フォトグラファーのスティーヴン・マイゼル。同じ年にはマドンナの『ライク・ア・ヴァージン』のジャケットを手がけ、1990年代には彼女の写真集『SEX』も撮影します。
 アート・ディレクションはマイケル・ホッジソンとポーラ・グリーフ。前者はリッキー・リー・ジョーンズの『マガジン』のデザインを担当し(アート・ディレクションはリッキー・リー・ジョーンズ)、後者はローン・ジャスティスのファースト・アルバム、そしてマドンナの『ライク・ア・ヴァージン』を手がけています。

 と、こうした布陣からも推測できるように、アートワークにはスーパースターのロッドの名に恥じない俊英が集められていました。『カムフラージュ』は1984年6月のリリースですから、マドンナの『ライク・ア・ヴァージン』(11月)やリッキー・リー・ジョーンズの『マガジン』(9月)よりも先です。
 もっとも、『ライク・ア・ヴァージン』のコケティッシュな肉感や『マガジン』の知的な陰翳ほど際だった印象は与えません。平板です。これはジャケット制作陣のせいではなく、当時のロッド・スチュワートがこの種のアートワークで相乗効果を生むアイコンではなかったということでしょう。彼のスターとしての大衆的な華は、アーティスティックなデザインのエッジでは手に余るのです。

 1曲目は「おまえにヒート・アップ」の邦題がつけられたInfatuation。原題は私がこの曲で初めて知った英語で、やけに尖った字面だなと興味をもって辞書を引くと、「夢中」とか「ぞっこん」という意味でした。これに「おまえにヒート・アップ」と付けるのは、志のレベルが合っていて好ましい。
 重心低くも尻の軽いダンサブルな曲で、私は今でも好きです。これがアルバムの頭に置かれていたから、「いいね~!」と喜んだのでした。この煌びやかなシンセと、ジェフ・ベックが好演するギター・ソロの残響が、ほかの収録曲にも波及して満腹感を高めました。満腹感と満足度は必ずしも一致しないのですが、高校生だったから取りあえず胃袋が満たされたらオーケーだったのです。だいたい、ジェフ・ベックがロッドのアルバムで弾いていることの、ありがたみすら理解していなかったのだし。

 当時のそんな感想を回顧して書くのは、それが私の『カムフラージュ』のジャケットに期待した全てだったからです。
 2年後のアルバム『ロッド・スチュワート』になると、「ロッドがバカをやめて真面目になった」みたいな好意的レヴューを読んで、高齢者(1986年だから41歳!!)の深イイ話につきあう姿勢で買いました。しかしその手前の『カムフラージュ』はムーア期の最終作であり、ということは007シリーズの凡作『美しき獲物たち』であって、ある路線の終点だったと後から位置づけられても、リアルタイムでは"お気楽エンターテイメント"を楽しんでいました。私が『カムフラージュ』をジャケ借りしたのも、PassionやTonight I'm YoursやBaby Janeと同傾向の、華やかで楽しい曲を期待してのことでした。
 先述したように、このジャケット・デザインは良い人材に恵まれたにもかかわらず、大きな効果を上げていません。アーティスト名もタイトルも上手く配されていて、普通にスタイリッシュで普通にカッコいいけれど、そこを超えて迫るインパクトには欠けています。
 でも、そこに写っていたのが当時の私が漠然と抱いていたロッド・スチュワート像でした。ロッドは日本でも知名度があったので、私と同様になんとなく『カムフラージュ』を聴いてみた人は少なくなかったのではないでしょうか。その意味では、ちょうど良い温度で人目を引いてレコードを手に取らせる機能性はあったと言えます。

 まあ、これが数作前のアルバム『トゥナイト・アイム・ユアーズ』だったら、ロジャー・ムーア=007でも『ユア・アイズ・オンリー』くらいのキレはありますが、『カムフラージュ』は『美しき獲物たち』に相当するというのが如何ともしがたいです。
 でも、それはいいとしましょう。フリーのAll Right Nowやトッド・ラングレンのCan We Still Be Friendsといった名曲のカヴァーがチャカポコしたサウンドで安っぽくとも、このアルバムでそれらの曲を初めて知った私の個人史は変えられません。その残念さも含めて愛着をおぼえます。
 放課後に友達と立ち寄った貸しレコード屋。代わり映えのしない学校の帰り道。そんな日常のルーティンの中で、なにげなく引き抜いて選んだロッド・スチュワートの『カムフラージュ』。特別なものは何もなかったのに、今では手に入らない時間です。大した出来のアルバムではないのだけど、このジャケットを目にすると、思い出に対する甘酸っぱく愛おしい気持ちがこみ上げてきます。

 

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