私選:ロキシー・ミュージックで好きな曲ベスト20! | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

 7月29日にシンコー・ミュージックから『ロキシー・ミュージック大全』という本が発売されます。私も予約して、届くのを楽しみに待っているところです。
 発売告知を目にした時は興奮し、普段はやらない出先からの(スマホでの)記事投稿を行いそうになりました。ほぼ自動筆記に近い状態でテキストを打ち込み、気持ちの悪い笑みとともに作成し終えて、京阪電車に乗ってから読み直してみると、それは次のような取り乱した内容でした。
 「シンコー・ミュージックから『ロキシー・ミュージック大全』という本が出るそうです。シンコー・ミュージックですよ。カンコー学生服じゃありませんよ、シンコー・ミュージック。ボウイさんとかボランさんのついでじゃなくて、ロキシーだけで一冊の本が作られるんです!夢じゃなかろうか。夢だとしたら、私はもう『ロキシー・ミュージック大全』の存在する世界から現実に戻りたくない。」
 という調子でグダグダと続く呆けた代物。日頃は脊髄反射的で冷静さを欠いたネット言説を批判しているのに、ロキシーとなるとタガが外れてしまうみたいです。つくづく、これを投稿しなくて良かったと思っています。

(この本についてはこちらに記事を書きました)

 

 そんなふうに私を狂わせるロキシー・ミュージック。すでに『ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリーの全アルバム』という長文記事を書いたことがあるのですが、こんな本が出るとなると、性懲りもなくまた何か言ってみたくなるわけです。
 で、当ブログには「私選 ○○のベスト20」のコーナーがありまして、「風呂場の鼻唄ベスト10」とかフザケたランキングを発表しているうちに、面倒くさがりの自分がそういう選出企画に不向きであると気づいて、今年の正月以来まったく更新していませんでした。
 そこでロキシーですよ。お題がロキシー・ミュージックだったら、少々の面倒にも耐えられる。
 そのかわり、自分が好きで好きでたまらん曲のみを選びます。この曲はロキシーのヒストリーにおいて重要だとか、通常の記事では留意する事柄も無視します。私の心をブライアン・フェリーのようにグネグネ&ヘナヘナと歌わせる憎い曲を20位から発表していきます。
 なお、ここにランクインしていないから嫌いということではなく、大半は今日現在の気分によるものです。また、各曲についてのコメントの末尾にフェリーの<グネグネ度>と<ヘナヘナ度>を10点満点で採点してありますが、これにも大した意味や基準はありません。

第20位 Both Ends Burning (アルバム『サイレン』収録)

 


 これまでにも何度か書いたように、私はこの曲を収録した『サイレン』がロキシーのアルバムでは一番好きです。でも、あのアルバムの全9曲をベスト20に漏れなく入れるのは、さすがに贔屓が過ぎます。結果、まずはこの曲を20位に持ってきました。
 初期の闇鍋みたいな作風から欧州ロマン期に突入し、さらにそれをスッキリと整理した『サイレン』の中では、コンガをまじえたファンキーな曲調です。アンディ・マッケイのテナー・サックスも軽快。エディ・ジョブソンのヴァイオリンのピチカートをパーカッション的に用いたアレンジも良し。シャーッと鳴らしっぱなしのシンセも、プログレというよりニューウェイヴを予見したような簡潔さが鮮やかです。
 タイトルが指しているものは、両端から火が点いて真ん中に迫ってくる恋の導火線。
 「もう明日など要らない」とフェリーは陶酔して歌います。この男ノリノリである、の状態ですが、この男を恋にノリノリにさせるとマズい。リスナーもそう思いながらドッカーンと爆発するのを期待して聴きます。まるで我がことのように。
 
<グネグネ度>3グネ。フェリーにしてはグネらずに歌ってるほう。アイロンあてる前のシャツをハンガーに掛けて吊るしてある、みたいな。 
<ヘナヘナ度>1ヘナ。恋に前向きな曲なのでヘナりは少ないですが、破局の前フリのようにも聞こえます。

第19位 Beauty Queen (アルバム『フォー・ユア・プレジャー』収録)


 これを収録したセカンド・アルバム『フォー・ユア・プレジャー』には享楽的なダンス・ナンバーとゴシックな陰翳のある曲が入っていて、Beauty Queenはそのどっちでもありません。エンディングの呆気なさも含めて、当初はちょっと弱い印象を受けました。
 けれども、フェリーのファム・ファタールへの憧れとエルヴィス・プレスリーのトーチ・ソングへの傾倒が最初に出た曲であり、なおかつそれがまだ本格化する手前の手さぐりの面白さ、そしてその段階ですでに濃厚に溢れる「危険なロマンチスト」ぶりが徐々に好きになっていきました。
 以前、フェリーと70年代エルヴィスとを関連づける記事(こちら)を書いたのですが、この曲などは典型的にエルヴィスをなぞった形跡が感じられ、しかも特異にグネグネとなぞっているので歪んでいるし、その歪みの、本来なら不格好に聞こえるところを奇妙な力技でスタイリッシュに仕上げています。
 途中のプログレッシヴ(?)な展開もファースト・アルバムより整理されているし、そこから歌の主人公の錯乱が伝わります。フェリーもプレスリーも大好きな私には外せない一曲なのです。

<グネグネ度>6グネ。人の共感を得にくいトーチ・ソングになっています。そのぶん、わかる人にはたまらないのです。
<ヘナヘナ度>5ヘナ。男性的な声だけに異様に響きます。

第18位 Serenade (アルバム『ストランデッド』収録)


 傑作サード・アルバム『ストランデッド』に収録されている、仄かに明るい混乱を抱えた曲。ポール・トンプソンの直線的なドラムが主役となって引っ張ります。セレナーデというには賑やかで、こんなのを窓の下から歌われる女性は困るでしょうが、身も世もあらぬ恋の悶えは次のアルバム『カントリー・ライフ』のAll I Want Is Youにも引き継がれていきます。
 ポップ・ソングとしてのフォルムがまとまっており、イントロのフェイドインの後すぐにフェリーのヴォーカルが素っ頓狂な音程で入ってきても、フィル・マンザネラのギター・ソロが神経を削るようなトーンで奏でられても、すべてに愛嬌があって楽しい。
 中間部で熱を冷ますかと思いきや、フェリーが哀切のメロディーにのせて恋の苦しみをメソメソと歌います。そのパートは、歌詞がどうであれ、私の耳には「どうして?どうしてなの?おせぇて!」と言ってるようにしか聞こえません。それが最高に気持ちいい。

<グネグネ度>8グネ。サード・アルバムにして名人芸の域。
<ヘナヘナ度>5ヘナ。男はメソメソした生きものです。

第17位 Ladytron (アルバム『ロキシー・ミュージック』収録)


 グラム・ロックの新人として登場したロキシーですが、キング・クリムゾンの人脈とも縁があっだし、ファースト・アルバムにはプログレッシヴ・ロックの語法を採り入れた曲も並んでいます。それが最高というほどでもないのだけれど、癖が強くてユニークな採り入れ方ではありました。私は好き。
 Ladytronはそのプログレ的な要素とSci-fi的な感覚を無理矢理合わせた曲で、バンドにテクニックが乏しいから音がスムーズではないのですが、そこがまた特異な味になっています。
 タイトルはメロトロンから来ているそうで、それもまたプログレの様式を思わせます。が、この歌詞を読むに、ここで主人公が恋する女性はアンドロイドではないかと想像することもできます。このへん、なかなかブライアン・フェリーらしくもあり、後年の彼の独自性からすると足りない気もします。
 しかし、その足りなさがファースト・アルバムの良さだとも言えます。ここでのフェリーの歌はグネりもヘナりもユニークではあるけれど、まだ青いんですよね。原石、とまでは言いませんが、若者がすごく頑張ってる印象を受けます。で、それがいいんです。
 
<グネグネ度>8グネ。若さの爆発としてのグネり。
<ヘナヘナ度>7ヘナ。若さの爆発としてのヘナり。

第16位 Angel Eyes (アルバム『マニフェスト』収録)


 『マニフェスト』は大好きなアルバムで、活動休止(当時のニュアンスでは「解散」だったかどうか、私にはわかりません)を経て1979年にこの作品でロキシーが再開したことは、追体験組としても胸のすく過去の出来事のように感じました。
 1979年ですから、パンク~ニューウェイヴの時期です。新しいミュージシャンには少年時代にロキシーのファンだった人もたくさんいたはず。そんなシーンに突きつけた新作がファースト・アルバムの頃の元祖ニューウェイヴとも呼べるスタイルではなくて、じつに洗練されて滑らかなタッチのポップ・アルバムだったんです。つまり、『サイレン』をちゃんと引き継いだうえで発展させた音楽性。
 カッコいい話だと思います。昔の自分たちと同じ服は着ない、なぜなら今の自分たちは昔の自分たちではないから。そういう大人にならなきゃいかんかったなぁと反省します。
 これは大人のニューウェイヴ・サウンドで、Angel Eyesはその冴えを見せつける必殺のポップ・ソングです。若造たちに「これが出来るか?」と挑んでいるような仕上がり。『ストランデッド』や『カントリー・ライフ』や『サイレン』を作ってきた奥行きを踏まえて鳴らされる音です。
 フェリーのことですから、Angel Eyesのタイトルは同名のスタンダード・ナンバーから拝借したのでしょう。「これが出来るか?」ということです。
 
<グネグネ度>6グネ。余裕、余裕。
<ヘナヘナ度>6ヘナ。楽勝、楽勝。

第15位 Same Old Scene (アルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』収録)


 『フレッシュ・アンド・ブラッド』は86年に初めて廉価版のLPで聴いて、そのときはあまり好きになれませんでした。当時18歳だった私はニューウェイヴとA.O.R.とディスコの間に今以上に明確な線引きをしていたからです。そこを飛び越えたあのアルバムのカッコよさが、あのときは理解できませんでした。
 そんな中でも好んで聴いていたのがSame Old Scene。なんだこの抜群にセンスのいい曲は、と感激したのをおぼえています。
 メロディーはイギリスのトラッドっぽい。フェリーはこの種のメロディーとダンサブルなリズムをミックスさせるのが上手いんです。起と結のみのソングライティングは続く『アヴァロン』で更なる高みに達します。この曲はそこまでの高みでないところがいい。ゴチャゴチャとした都会の喧騒が感じられます。
 なんと言っても、キーボード・ソロの♪#ド#レ#ファ~#レ~#ド~#レ↓#ソ~#ソ~♪の単純きわまりないフレーズがカッコいい。アラン・シュウォルツバーグ(ドラム)とアラン・スペナー(ベース)の繰り出すタイトなリズムに、ヨタヨタした足取りで乗っかるこのソロはフェリーの歌の分身です。
 タイトルのSame Old Sceneは「いつもの光景」という意味。「若い頃の恋ってやつは一筋縄じゃいかないかもね。ああ、また例の光景が見えてきた。ぼくは今度もこの光景を乗り切るんだろうか?」、素晴らしい歌詞ですよね。このフレーズを私は人生で何度となく噛みしめたものでした。

<グネグネ度>2グネ。ヘナのほうにエネルギーを充ててますね。
<ヘナヘナ度>10ヘナ。歌うダメ人間です。

第14位 Re-Make/Re-Model (アルバム『ロキシー・ミュージック』収録)


 よくこのタイトルを付けたな、と。リメイクしてリモデルするんだという、まずはこの言葉の響きに震えます。
 デビュー時のロキシーを写真で見ると、この人たちは何屋さんなんだか判断つかないケッタイな出で立ちをしています。グラム・ロックのミュージシャンとしても脱構築の感覚があったのではないでしょうか。
 そういう格好で人前に出るからには音でリメイク/リモデルする必要があります。しかも、彼らは70年代初頭にあって演奏が上手くないミュージシャンの集まりでした。
 ただ、センスは異常に良い。それはファースト・アルバムの時点で折り紙つきでした。
 ブカブカと吹かれるサックス、ギャンギャンとペンタトニックを巡回するギター、縦にしか刻めないドラム、ピ~パ~と鳴らしてるだけのシンセ、タモリが現代音楽の真似をしてるようなピアノ、そして、どうやらディランを崇拝しているっぽいけど生硬なヴォーカル。そんな連中がフィフティーズのロックンロールを解体して、バラした部品を組み立てなおしています。
 それがこんなに優れたロック表現になったという、奇跡の一曲であります(いや、奇跡じゃなかったか)。

<グネグネ度>10グネ。ディランの語尾投げをグネで解釈。
<ヘナヘナ度>3ヘナ。これ、ヘナまで10だったら無茶苦茶なことになります。

第13位 More Than This (アルバム『アヴァロン』収録)


 私はフェリーのソロ・アルバム『ボーイズ・アンド・ガールズ』(1985年)で諸事に開眼した人間で、『アヴァロン』はその次に買って聴きました。で、『ボーイズ・アンド・ガールズ』も『アヴァロン』も似た部分はあったのだけれど、『アヴァロン』のほうが抜けがよいと言うか、オープンな印象を持ちました。
 もちろん『アヴァロン』は名盤です。レコーディング・アートとしてのロックの名峰の一つだと言ってもいい。ただ、私の気質には、名峰の写真展みたいな『ボーイズ・アンド・ガールズ』のほうが合ってるかも。
 それはさておき、名盤『アヴァロン』のオープニングを飾るMore Than This。フォーク・ロック的な明快さと吟味されつくしたリヴァーブの効果、それにシンプルでありながら含みを持ったシンセのアレンジなどなど、もうこれが名曲であることを説明する必要はないでしょう。
 ちょっと気になっていることがあって、このmore than thisという言葉なんですが、渋谷陽一がよく言うように「ここではないどこかを求めていたロキシーが、これ以上のものはない、今ここなのだ、との確信にいたった」という解釈は、どうなんだろう。

 More Than Thisの全体の歌詞を追っていくと、「落葉がどこに向かうか、どうして波が寄せて返すのか、その理由は誰も知らない。だがそれでいいんだ。ほかには(more than this)何もないんだ」と、私には俳句的な達観を歌っているように聞こえます。

 もっとも、それと「求めるものはこれなのだ」は、まあズレているわけではないし、気分の上では通じます。渋谷陽一のその解釈は私にも受け容れている面が多くあります。

<グネグネ度>2グネ。グネりそうな箇所をヘナへと綺麗に流しています。
<ヘナヘナ度>9ヘナ。驚くほどポップで優雅なヘナ。揺るぎなきヘナという、語義矛盾の境地に到達しています。

第12位 Out Of The Blue (アルバム『カントリー・ライフ』収録)


 前作『ストランデッド』から、『ベニスに死す』みたいな美少年のヴァイオリニストにしてキーボード奏者のエディ・ジョブソンが、イーノにかわってメンバーとなりました。
 で、『カントリー・ライフ』では彼の活躍する場面が一気に増えました。このOut Of The Blueはとりわけジョブソンのエレクトリック・ヴァイオリンが聴きどころとなっていて、フランジャーをかけまくったソロはブリティッシュ・ロックの名演に数えられます。
 ここでのベーシストは元クォーターマスのジョン・グスタフソンです。こちらも多弁な16ビートのプレイで大いに貢献しています。
 ということで、ベースとエレクトリック・ヴァイオリンの絡みがミステリアスな空気を醸し出す曲。フェリーとともに作曲者にクレジットされているのはフィル・マンザネラで、ジョブソンにクライマックスを持っていかれた感もありますが、じつは彼のギターのオブリが要所要所で耳に残ります。アンディ・マッケイもしかりで、ロキシーはこうしたバイプレイヤーの好演に支えられていました。
 あと、ポール・トンプソンのドラムの硬さが、ベースのグルーヴと即座にファンキーなノリを作っていないのも、この頃のロキシーらしい。私はトンプソンのこの硬さが好きで、セッション・ミュージシャンのドラマーを導入して以降にはない魅力をおぼえます。
 
<グネグネ度>8グネ。スタイリッシュな完成度を誇るグネ。音程上の事故をロキシーとしての正解にしています。
<ヘナヘナ度>4ヘナ。そのグネの裏側に忍ばせたヘナも最高!

第11位 Take A Chance With Me (アルバム『アヴァロン』収録)


 『アヴァロン』の中ではMore Than Thisと並んで正調のロックであり、やはりこれにもフォーク・ロック的なニュアンスが感じられます。
 どこをどうと説明できないくらいに好きな曲で困ってしまうのですが、まず、長めのインスト・パートが置かれており、これがギターとベースとパーカッションを軸にしつつも、抽象的な音響にそれらを包んだ秀逸なもの。それが終わってマンザネラのギターのアルペジオとフェリーのヴォーカルが入ります。ギターはフレーズを厳しく選んでいてムダがなく、リヴァーブが楽器同様の役割をつとめています。
 この整然とクールな音をバックにフェリーも比較的淡々と歌っていて、歌詞の中身は映画『カサブランカ』の有名なセリフ「その曲は弾くなと言っただろう」を下敷きにした、男の泣き言。「ぼくの人生、誰かを愛してしまってばかりだから、ぼくはこんなにも長く悲しんでいるんだ」。
 知らんがな、というハナシですが、この整然とした作りに収まると説得力があって共感を呼びます。音が心地よいからですよね。そして、こういう感情は誰にでも思い当たるフシがあるからです。この曲はそれを巧みに衝いてくるんです。
 不思議なことに、私たちの多くはここまでダンディでもナルシストでもないのに、なんでか知らんけどわかっちゃうんです、この泣き言が。

<グネグネ度>3グネ。目立たないけど、端々がグネッてます。
<ヘナヘナ度>9ヘナ。ヘナというか、立派なクルーナーです。

第10位 Virginia Plain (元はシングル曲)


 ある意味、これを1位にしてもいいのですが、それだとロキシーの良さは最初期にこそあり、ということになりかねないので抑えました。
 デビュー・シングルであり、これもまた既存のロックンロールやオールディーズを徹底的に「リメイク/リモデル」した傑作です。
 なにが大胆かって、8ビートをブツ切れにして提示してるんですね。スウィング感もほとんどない。ストップ・アンド・ゴーの繰り返しで、イーノのシンセもマッケイのサックスも全然繋ぎの役を果たしてません。どこが盛り上がりなのかもハッキリしない作りです。
 しかし、そうやって壊した跡地にアイデアをたくさんブチ込んであります。その奇矯な騒がしさに眉をひそめる人の心を逆なでするのがフェリーのヴォーカル。ディランが女装に失敗したかのような変な媚態で、元が低音であることにも臆さずに、グネて投げてグネて投げる。
 『アヴァロン』でファンになって『グレーテスト・ヒッツ』でこれに出会ったら、とても同じグループとは信じられないでしょう。私もそうでした。でも、私はここからロキシーをどんどん好きになっていきました。なんじゃこれは、と思いながらも、よく聴くと『アヴァロン』への道がすでにここにあるのがわかりました。
 歌詞にはアメリカのポップ・カルチャーをめぐるペダンティックな遊びが詰まっています。

<グネグネ度>10グネ。どこかカユいところがあるんじゃないかと思ってしまいます。
<ヘナヘナ度>6ヘナ。じつはヘナの入れ方が上手い。

第9位 Street Life (アルバム『ストランデッド』収録)


 フェリーはアマチュア時代にガス・ボードなるバンドでR&Bを歌っていたらしくて、その嗜好はロキシーやソロでのアルバムに反映されています。
 Street Lifeはそれがロキシーで最初に大々的に展開された曲でしょう。この『ストランデッド』よりも前の2枚のアルバムでは、それっぽい要素は多くありませんでした。
 近未来的なイメージを喚起させるイントロのあと、たぶんオーティス・レディングになったつもりなのでしょう、フェリーが怒涛の勢いで歌っていきます。正統派のR&Bファンが聴くと失敗なのでしょうが、いささか暴投気味なこの歌はロキシー黄金期の幕開けを告げました。
 いや、それにしてもこのヴォーカルは凄い。イーノが脱退して、ああいうエキセントリックな演奏を聞かせるメンバーがいなくなったと思ったら、なんのことはない、フェリーが歌でベンディングしまくっています。たとえばEditions Of Youでのイーノのシンセ・ソロを譜面に起こせば、ちょうどこのフェリーの歌に重なるはずです。
 それと、終盤でブカブカとリズムに合わせるアンディ・マッケイの下世話なサックス。ロキシーにマッケイがいてよかった。ホーン・セクションを擁するバンドとしてロキシーの名前はなかなか挙がらないでしょうが、そういうバンドでもあります。 

<グネグネ度>10グネ。お見事です!これが一番凄いんじゃないですか?
<ヘナヘナ度>1ヘナ。唸りが多いので、ヘナはほとんど聞けません。

第8位 Pyjamarama (シングル曲)


 ポール・トンプソンのドラムが、じつにポール・トンプソンらしいドカドカとした演奏でイントロを飾る曲です。
 何を目指してこうなったのか、よくわからない曲でもあります。そこはかとなくカントリーの匂いが漂っているし、それはファースト・アルバムにも微量に存在しましたが、ここではシンセがピヨピヨと鳴ってせわしない。そして、この曲が独特に持つ臭みと弾みはファンキーでもあります。
 「ダイアモンドが君の親友なんだろうね」「噂では、君は天国への鍵を犠牲にしてるんだって」と歌っているところから、あまり堅気の女性は想像できません。しかし、その好からぬイメージには崇拝の念がまぶされているようです。19位に選んだBeauty Queenと同じ時期に作られた曲です。
 ファースト・アルバムと比べると、演奏が引き締まっています。ファーストの取っ散らかった音楽性も良かったのですが、いかにもライヴでの経験が足りないという感じはしました。そこへいくと、このPyjamaramaは自分たちが何を求められているのかを実感した様子が窺えます。ポップでビザールで、旬の色気に満ちたシングル曲です。for all those liesの箇所にはエルヴィスごっこも聞き取れますね。

<グネグネ度>7グネ。セカンド・アルバムに向かって強化中。
<ヘナヘナ度>9ヘナ。グネよりヘナのほうが強い気がします。

第7位 Mother Of Pearl (アルバム『ストランデッド』収録)


 パーティーは終わった、というのはAvalonの歌詞の出だしですが、この曲も最初にパーティーの騒ぎがハードなロックンロールの形で表現され、それが鎮まるや、ポール・トンプソンのドラムがテンポをミディアムに落とし、やけに白茶けた雰囲気の、ファンクに寄せた8ビートの本編が始まります。
 「また夜更かしした。パーティーで時間をつぶすのって楽しすぎて疲れるんだ」と歌いだしたフェリーは、「ちょっと人生の意味を考えてみようか、なんて」と内省モードに入ります。
 そこから延々と続く思弁の歌詞。マザー・オヴ・パールって何なのか。女なのか、ドラッグなのか。よくわからないけれど、私はこれを美についての自問自答だと解釈しています。「どんな女神にも偶像にも失望はつきまとう。でも完璧を求めてしまう。それの繰り返しだ」「ああマザー・オヴ・パール、あなたにかなう女の子などいやしない」、とまあこんな具合です。
 なんとなく、ディランのVisions Of Johannaを彷彿とさせたりもします。意識の下を流れる言葉や像が、拾い上げられてゆく歌詞。
 けっこう取り留めのない作りなんです。構成は単調。しかし、上り調子にあったロキシーの結束の強さがフェリーの卓抜たる歌の演技とあわさって、世にも奇妙で抗しがたい音楽の絵を描きだすことに成功しています。ロキシーの全キャリアでもトップ・クラスの名曲であるのは間違いありません。

<グネグネ度>10グネ。この全グネをマネしていた17歳の私・・・。
<ヘナヘナ度>5ヘナ。細かいヘナが入っていて、それがグネと混ざりあっています。

第6位 All I Want Is You (アルバム『カントリー・ライフ』収録)


 フィル・マンザネラが主導して作った曲で、モータウン・ソングのハード版の趣きがあります。
 ギャランギャランと鳴る彼のギターが主役。ギター・リフもキャッチ―で、ギター・ソロもロキシーらしからぬ大見得あり。
 ポール・トンプソンのドラムにはソウル・ミュージックを模写した感じはなくて、いつもの直線ノリです。この曲ではそこが面白く、あえてそういうラインを狙っている気配もします。
 『カントリー・ライフ』の頃のフェリーは絶好調で、All I Want Is Youでもメロディーをグネとヘナで揺らして自分の音階を築き上げています。この人はビブラートとかのテクニックは持ってないけれど、記名性と個性だけはやたらとある。それが曲の良さによってキャッチ―に発揮された例です。
 歌詞にも良い意味での適当さがあっていいです。l'amour, toujours, l'amourの箇所や最後のYeahなど、どれだけマネしたことか! 

<グネグネ度>8グネ。メロディーに採譜の難しい箇所がいっぱいあります。
<ヘナヘナ度>7ヘナ。曲調がハード・ロック寄りなので気づきにくいけれど、風船に穴が開いてます。

第5位 Editions Of You (アルバム『フォー・ユア・プレジャー』収録)


 今回、Do The Strandとこの曲のどちらを選ぶかを迷いに迷って、こちらにしました。イーノ在籍時の狂おしいダンス・ナンバーです。
 キーボードのリフを中心に進み、そこにマッケイのサックス、マンザネラのギター、イーノのシンセが絡み合う構成。
 もっとも際立っているのはイーノで、ベンディングを駆使してノイジーなソロを聞かせます。ヒステリックであり、なおかつポップな愛嬌が閃いているのがイーノらしいです。彼が脱退したあと、さまざまなプレイヤーが同じパートを担当しましたが、なかなかこういう味は出せなかったと思います。
 マンザネラのギターは楽曲重視のスタイルで、派手ではないけど確実にツボを心得たフレージングでこれも快調。
 マッケイのサックスはありがちなフレーズを連発することで曲にいかがわしい色合いをもたらしています。
 フェリーのヴォーカルは一本調子に終始しそうなところをビザールに変形させる才あり。普通に上手いシンガーが歌っても、この狂おしさまでは表現できません。

<グネグネ度>10グネ。乱れに乱れて、でもフェリー流の音階ではいたって正常。
<ヘナヘナ度>4ヘナ。グネを発動させる回路にヘナが組み込まれているような印象。

 

第4位 True To Life (アルバム『アヴァロン』収録)


 『アヴァロン』の終盤は絶品です。To Turn You OnからTrue To Life、最後のTaraと、どんどんせつなくなっていきます。
 True To Lifeの歌の主人公はパーティーを早めに切り上げて、ダイアモンド・レディを連れて家に戻ろうとしています。彼女はなにも話さない。名前も知らない。
 踊る街、おしゃべりを続ける街。もしダイアモンド・レディが人間でないとしたら、それは虚飾がもたらす安らぎなのか。I'll take you home againとあるので、主人公はパーティーから帰宅する際はいつもそれを携えているのです。
 ダウンタウンを通りぬけて、ネオンに照らされていない夜の空を探す。そこでも彼女は何も話さない。でも、それでいいのだ、と主人公は呟きます。
 「ぼくはページをめくり、街から街へと移動する みんなは言う『坊や、心を決めるんだ』 
 運がいいってことは、厄介事も多くて 一人で過ごす時間も多いってこと
 でもぼくは海辺のダイアモンドと腕を組んで もうすぐ家に帰り着く」
 true to lifeには「実物大」の意味があります。虚しさも安らぎも、落葉がどこかにさらわれて行くように、波が寄せて返すように、ありのままに受け止めて、大切な何かと家に帰る、その充足感とせつなさで、この曲を聴くと私は胸がいっぱいになります。
 
<グネグネ度>2グネ。とにかく、珠玉の逸品なのでグネにもヘナにも気がまわりません。
<ヘナヘナ度>7ヘナ。ただ、これはとてもキリリとしたヘナですね。

 

第3位 Just Like You (アルバム『ストランデッド』収録)


 この曲への思い入れを語りだすと、今回の記事全体を遥かに上回る気持ちの悪い熱を浴びせることになりかねないので、サラッと書きます。
 ロキシー初期にフェリーが書いたバラードの傑作です。ものすごくデリケートで美しい。ピアノとヴァイオリンが叙情性を受け持っていますが、甘さには堕していません。ロキシーらしいビザールな感覚は薄れていません。
 筋力をどこかに置き忘れてきたかのような弱々しい声でフェリーが歌い綴るのは、恋の未練うた。「ヒョウの斑点」とか「錬金術」とか、相変わらず意味ありげな言葉を用いてはいるものの、要するに「移り気な女性を好きになってしまった」という事が歌われています。ただそれだけの話を、言い方をこねくり回して切々と告白しているんです。
 そんなヤツだから相手にしてもらえないんだよと、むしろ女性に同情しちゃうけれど、これはこの期に及んでカッコつけてるんじゃないんですね。彼は武装を解除した状態で、このありさまなのです。恋にやつれてフラフラになっていても、息を吐くように「錬金術」とか口走る男なのです。だから救いようがない。
 そういう男のブザマを聴いて何になるのか。何にもなりません。この曲でなければ癒されない私がいる、というだけのことです。

<グネグネ度>5グネ。ヘナが強いためグネは目立ちませんが、要所要所はしっかりとグネらせています。
<ヘナヘナ度>10ヘナ。手遅れの段階。周りが見えていない。

 

 そして、第1位はなんと同率です!選びきれませんでした。

同率第1位 Three And Nine (アルバム『カントリー・ライフ』収録) 


 寛ぎと洒脱を感じさせる曲で、『カントリー・ライフ』にはキラー・チューンが複数収録されているため、このThree And Nineは地味に聞こえたりするのですが、あのアルバムの色っぽい熱気を支えているのは、じつはこういう控えめな曲じゃないでしょうか。色気は隙に生まれるもんです。
 タイトルの「3と9」は、1971年にイギリスの通貨単位に十進法が適用されてシリングが廃止された事と関わっており、「3シリング9ペンス」で映画を観に行っていた時代、つまりロキシーのメンバーの少年期がノスタルジックに振り返られています。ちなみに、こちらのサイトでイギリスの映画料金の平均値を調べてみますと、1965年に3シリング9ペンスだったようです(私も何を調べてるんだ!)。ブライアン・フェリーが20歳の頃ですね。ただ、この曲の寛ぎはもっと前のフィフティーズを想起させます。
 また、いくつかの数字遊びが歌詞に登場し、「3と9で12だね」から「ぼくには1ダースぶんの理由があるんだ」と「12」で繋げる。
 「3と9で45」は1シリングが12ペンスだったので、3シリングは36ペンス。それに9ペンスを足せば45ペンスという計算です。小銭をかき集めて映画館に出かける子供の姿が目に浮かびます。
 さらに、「six and two threes」という表現が出てきて、この「6と、2つの3」はイギリス英語の慣用句で「似たり寄ったり」みたいな意味。threesは3の複数だから、「3シリング9ペンス」と結びつきます。
 あと、「十進法のロマンス」と歌われているので、この曲で男と女が出会っている現在は1971年の少し後なのでしょう(アルバムは1974年のリリース)。ほかにも「きみがセンチグレード(百で区切る数え方)に慣れたのなら、きみの勝ちだね」は、十進法に戸惑いつつも時代の流れに身を委ねる自虐めいた余裕。とにかく、あちこちにそういう細かい遊びが散りばめられています。
 とまあ、こういうところが人によってはイラッとするのだろうし、私もここまでロキシーを好きでなかったら「うっせぇわ」と思うでしょう。
 だけどこの曲、年月がたつほどに好きになって、今ではロキシーでも指折りの愛聴曲です。
 たとえば、昔の映画館のことを同世代の人と話すときに、「入替制じゃなかった」とか「椅子が固くてお尻が痛くなった」とか「幕間にアイスクリーム販売のおばさんが来た」とか、笑いながらも、ふと一抹の寂しさを覚えることはないでしょうか。五百円札の話でもいい。
 この曲にもそうしたセンチメントがあって、それを数字というドライな事柄で遊んで流しているのです。でも、その数字が今は廃れた過去の制度を思わせるから、結局はノスタルジーの内に浸っています。感傷をサラリと流そうにも、根がセンチメンタル・フールなので流せないし、ギミックの手数が引っ掛かって流れていきません。
 こういう気取りに虫酸が走る人もいるでしょうが、私はこの感性を共有している者です。というか、若い時にブライアン・フェリーに感化されてそうなったのですが。
 アンディ・マッケイのオーボエとサックス、フェリーのハープを配したアレンジも文句なし。大人のカップルが昔を振り返りながら笑って語らう、恋の戯れ歌、数字歌。

<グネグネ度>2グネ。抑えてます。
<ヘナヘナ度>4ヘナ。リラックした曲調なのでヘナも多い印象を受けますが、意識はハッキリしてます。

 

同率第1位 She Sells (アルバム『サイレン』収録)


 Three And Nineは最初に聴いたときにはピンとこなかったのですが、このShe Sellsは『サイレン』のLPを裏返してB面に針をのせて、ピアノが♪トゥラン、トゥラン♪と聞こえてきた瞬間から「おおっ!」と盛り上がった曲です。それ以来、ロキシーの曲では私の第1位の座にずっといます。今回、さすがにThree And Nineを1位にしてShe Sellsには退いてもらおうかとも思ったのだけど、聴いたら♪トゥラン、トゥラン♪で「おおっ!」と声をもらしました。
 よくよく考えるとけっこう強引な構成の曲でもあります。まずは『サイレン』期ならではの洒脱なポップ・センスを強めに利かせたパートがあって、突如としてそれがディスコ風のダンス・パートに変わり、また一段、セカンド・アルバムあたりのヒネりで押したパートがあって、なんだかわからないうちに丸め込まれるようにして聴き終えます。
 エディ・ジョブソンがウワモノで大活躍し、彼のクラシカルなセンスと手腕が各パートをまとめています。それがあるから各パートの違いや強引な展開も気になるのですが、また頭に戻って♪トゥラン、トゥラン♪が流れると、あら不思議、その強引さも含めてShe Sellsのマジックに心を奪われてしまいます。
 昔、30年以上前のことですが、私は元日の午前0時になると、聴き初めのレコードをかける習慣がありました。5年ばかし、その一枚は『サイレン』でした。もちろん、B面からかけました。そして、もし仮に万が一、自分がラジオ番組でも持つ未来があったなら、テーマ曲にはShe Sellsがいいなぁ、なんて妄想しておりました。
 その名残は今もあって、She Sellsを聴くと私は元日のめでたい気分になります。おめでたいのは私の脳内だったわけですが。

<グネグネ度>9グネ。天才的なグネりです。この人、マジでそういう賞をもらってもいいんじゃないのか。
<ヘナヘナ度>6ヘナ。このヘナの配合加減も優れています。

 


ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリーの全アルバム


『ロキシー・ミュージック大全』について


<今回のベスト20のおさらい>

1. She Sells (アルバム『サイレン』収録)
2. Just Like You (アルバム『ストランデッド』収録)
3. True To Life (アルバム『アヴァロン』収録)
4. Three And Nine (アルバム『カントリー・ライフ』収録)
5. Editions Of You (アルバム『フォー・ユア・プレジャー』収録)
6. All I Want Is You (アルバム『カントリー・ライフ』収録)
7. Mother Of Pearl (アルバム『ストランデッド』収録)
8. Pyjamarama (シングル曲)
9. Street Life (アルバム『ストランデッド』収録)
10. Virginia Plain (元はシングル曲、『ロキシー・ミュージック』に収録)
11. Take A Chance With Me (アルバム『アヴァロン』収録)
12. Out Of The Blue (アルバム『カントリー・ライフ』収録)
13. More Than This (アルバム『アヴァロン』収録)
14. Re-Make/Re-Model (アルバム『ロキシー・ミュージック』収録)
15. Same Old Scene (アルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』収録)
16. Angel Eyes (アルバム『マニフェスト』収録)
17. Ladytron (アルバム『ロキシー・ミュージック』収録)
18. Serenade (アルバム『ストランデッド』収録)
19. Beauty Queen (アルバム『フォー・ユア・プレジャー』収録)
20. Both Ends Burning (アルバム『サイレン』収録)