『ロキシー・ミュージック大全』(シンコー・ミュージック、2021年) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 ああ本当にこういう本が日本で出版されたんだ、とボーッとしております。7月29日にシンコー・ミュージックから発売された『ロキシー・ミュージック大全』、A4判272ページ。
 

 実際に手にするまでは、「全体の9割がデヴィッド・ボウイとT・レックスの話に割かれているんじゃないか」とか「”ロキシー”じゃなくて”口≠三一(くちノットイコールさんいち)・ミュージック”というバンドがいるのかもしれん」とか半信半疑でした。しかしそれでもいい、幻を買えばいいんだ、ロキシー単独の本なんて今までずっと幻だったじゃないか、と自分に言い聞かせて予約したのです。
 それで今朝9時半頃に郵便屋さんから受け取って、表紙や中身をパラパラとめくって、ふと夏の空を見上げて涙ぐんでしまって、少し横になってウトウトし、ハッと目を覚ましてもやはり枕元に『ロキシー・ミュージック大全』がちゃんと存在しているのだから不思議です。

 本棚の『ポール・エリュアール詩集』の隣にこの本のためのスペースを空けました。いいトシして青臭いことしてんなぁと自分でも思うけれど、ここは青春時代に大切にしていた事が書かれた本を置く場所なのです。それはブライアン・フェリーが『ボーイズ・アンド・ガールズ』というソロ・アルバムをリリースした1985年から後の時期で、ロキシー・ミュージックは解散していましたが、彼らに対する私の傾倒はそこから始まりました。当時、高校3年生だった自分が望んでいたような本がついに手に入った。その個人的な感激は大きいです。

 1972年、ブライアン・フェリーが住んでいたフラットにメンバーが集まったフォト・セッションで撮られた写真。みんなギンギラの衣装に身を包み、ポール・トンプソンなんか、遊園地の着ぐるみバイトから駆けつけてきたかのようなモケモケのブーツを履いています。いちばん凄いのはブライアン・イーノで、性別というか、どこの星から来たのかも不明。
 コンサートやオフショット、来日時などに撮られた写真が次々にページを彩り、そこに写るメンバーの外見が少しずつ落ち着いていき、フェリーの顔にも皺が刻まれて髪も白く変わっていきます。ロキシー・ミュージックの写真をこれほど大量にまとめて見たのは初めてです。その珍しさに圧倒されながら、アーティストが年輪を重ねていく様子を自然なこととして受け止められるのは、私自身もまたそういう変化を経験してきたからです。当たり前ですが、高校3年の時にはこんな感慨は持ちようがありませんでした。

 ディスコグラフィーはロキシーのアルバムとフェリーのソロ諸作を混ぜて年代順に追っています。さらに、バンドが解散してから世に出たハーフ・オフィシャルなライヴ・アルバムもそこに並べてあります。たとえば1979年の『マニフェスト』と1980年の『フレッシュ・アンド・ブラッド』の間に、1979年のアメリカ・ツアーの音源が入った『CONCERTO』(リリースは2001年)が紹介されているんです。この構成については意見も分かれるだろうし、私にも異物感は否めないのですが、これまでにないディスコグラフィーとして興味深く読みました。
 フェリーだけでなく、フィル・マンザネラとアンディ・マッケイらのソロ・ワークスも丁寧に追ってあります。ロキシー・ミュージックは最終的にこの3人であるという視点が明確です(当然、そこにも議論の余地はありますが)。ロキシーとフェリー、マンザネラ、マッケイが今までに行った来日公演スケジュールが全て記されているのも日本のファンには嬉しいところ。

 全体的に、目で見て楽しい一冊に仕上がっているのはシンコー・ミュージックならでは、と言えるのではないでしょうか。ロキシーは音楽性の変化を中心に(頻繁に、ではないとはいえ)語られてきたので、追体験ファンはむしろヴィジュアル面での資料に渇望してきました。
 初期からのファンの人には共感してもらえないでしょうが、『ボーイズ・アンド・ガールズ』や『アヴァロン』でフェリーやロキシーを知った者がロキシーのデビュー・アルバムのLPジャケットを開いたとき、そこに写るメンバーの化粧と衣装に目を疑ったのです。それはアルバムの内容にも言えることでした。そこで「こんなのは求めているルックスやサウンドではない」と拒絶する人がいてもおかしくはないけれど、私のように「いかがわしくて、知的で、何星人かもわからなくて、最高だ!」と、ますます傾倒していった人間もいました。とくにネットが普及する前は、ロキシーのヴィジュアルの変遷を知りたくとも有用なガイドが見つけにくい状況でした。この『ロキシー・ミュージック大全』のような本が高校生の頃に欲しかったのは、そういう理由でもありました。

 この種の本の常ではありますか、注文をつけたくなる点がないわけではありません。目で見て楽しめる充実を、あと少しだけ音楽性の分析にも注いでくれればとは思います。たとえばボブ・ディランやコール・ポーターやエルヴィス・プレスリーがフェリーに与えた影響、プログレッシヴ・ロックの観点からロキシーがどう評価できるか、カヴァー・アートの美術的な解説など、もっと細かく掘り下げた論考があれば、さらに読みごたえは増したでしょう。
 ただ、そこはおそらく編集上の方針でもあったのだろうし、まずはロキシー・ミュージックへの表玄関、正門となるこの本が作られたことを祝いたい気持ちでいっぱいです。はたして次に新しいロキシー本が世に出るまで何十年かかるのか見当もつきませんが、もし『ロキシー・ミュージック大全』の内容を全否定する声があるのなら、「今まで誰もこれをやらなかったじゃないか」と言いたい。そのくらい、私はこの本を画期的であると思っています。

 ロキシー・ミュージックは2019年に「ロックの殿堂」に選ばれましたが、解散後に日本のメディアでは語られる機会の少ないバンドでした。まあ、コックニー・レベルに比べたらまだマシなのだけど、あれだけ優れたアルバムを連発して、ヒット作もあってCMにも曲が使われてきたにもかかわらず、いつも三番手の位置に甘んじてきたのです。
 70年代後半の『ロッキング・オン』を古本屋で買って読むと、ボウイやイーノやロバート・フリップ(そしてレッド・ツェッペリン)の次くらいに読者投稿のテーマになっていたりして、けっこう深い思い入れで文章が綴られています。でも、『アヴァロン』の後はロキシーが音楽雑誌の主役となる機会は滅多にありませんでした。デヴィッド・ボウイやマーク・ボランについての本が翻訳されたり日本で独自に作られたりしても、ロキシーはその対象には選ばれませんでした(フェリーの訳詩集やイーノについての本はあったけど)。
 だから、昔の私みたいな80年代の若者は、あるロックの概論本でロキシーについて5行触れられているのを見つけては喜び、べつのディスク・ガイドではファースト・アルバムの解説が2ページも載ってるから買ったり、それ以外は『ボーイズ・アンド・ガールズ』が出たタイミングで再発されたLPのライナーノーツを読むしかなかったんです。それで道に迷ったこともあったし、その迷った道からべつの音楽に出会うこともありました。

 『ロキシー・ミュージック大全』は、あの頃こんなマップがあったらと今になって悔しさに似た感情をおぼえたり、そんな自分が辿ってきた理解と誤解の積み重ねが無駄ではなかったという気にもさせます。その二つの感情は、たぶん同じことを言おうとしています。
 願わくば、この本がきっかけとなってロキシー・ミュージックが多くの人に聴かれますように。そして、べつの角度からロキシーの魅力を探る次の一冊が店頭に並んでほしいと思います。
 そんな未来を呼ぶために、ファンになったばかりの人にも、長年ずっとファンの人にも、スフィンクスにもモナリザにもロリータにもゲルニカにも、この本をおすすめします。写真でいっぱいの正面玄関はこちらです。ディス・ウェ~イ!!

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