「交野が原」
批評と詩作の小径を創造する
「詩」と「批評」と「時代」の解剖と・・・
岡本勝人
(1)詩集『妖精DIZZY』(野村喜和夫)の思考地図
ベルトランの『夜のガスパール』(及川茂訳)から、出来事ははじまる。フランスの中東部のディジョンを中心に、パリにも滞在したベルトランは、ロマン派の末期から象徴主義の初期に位置づけられる詩人である。特に、その散文詩集は、ボードレールの『パリの憂鬱』のなかの小散文詩に影響を与えた。生前は不遇だったが、死後に刊行された散文詩が、ボードレールに影響を与え、その後、近代の散文詩がはじまったのだ。
幼いころに母を亡くし、義母とうまくいかなかったマラルメは、父の死とともに、十歳年上の家庭教師で家政婦の女性とロンドンに駆け落ちをする。厳格な官吏の父に反発しつつ、母への思慕の情とともに、象徴主義を照射する『骰子一擲』の造形的かつ形象詩的な複合の美を取りあげたい。若き日に構想されたまま未完成だった『イジチュール』とは異なり、『骰子一擲』は、マラルメが亡くなるまで校正に手を入れていた作品である。見開きとして眺める面的読法を要請する、植字法的な詩篇の構成に注視する。マラルメ研究では、鈴木信太郎の訳と解説や現代演劇と能に造詣のある渡辺守章の口語訳と解説が一般に流布しているが、パリ大学で詩学教授を務めたボヌフォワに、『マラルメの詩学』(菅野昭正・阿部良雄訳)の論考がある。「訳注」によれば、「存在の探求者」と「書く行為者」の二つの面をもつマラルメにとって、それらは一体のものであった。ボヌフォアの主張は、「言葉そのものが存在になる」という現代性(モデルニテ)から見た、言語論的アプローチやシュルレアリスム的接近の読みにたいする批判を含んでいた。理解を絶する象徴主義やシュルレアリズムの現在性が、「自然」なるものから遊離してしまったのではないかという観念性への批判である。
当時、マラルメを紹介した作品が、私小説リアリズムから世紀末デカダンスへと展開した『さかしま』(ユイスマンス・澁澤龍彦訳)だった。主人公は、デ・ゼッサントである。第十四章には、マラルメの「エロディヤアド」や「半獣神の午後」の詩の断章へと、甘美な陶酔に浸る主人公が描かれている。モーリス・ブランショの『文学空間』(粟津則雄・出口祐弘訳)は、「イジチュール」から「骰子一擲」へと繋がる詩について、思想詩へと暗示されるマラルメの最晩年の表象空間を論じている。
マラルメの詩に影響を受けて、詩作をはじめたのがアンドレ・ブルトンだった。ブルトンの青春前期には、象徴派との交流がある。第一次大戦を医学生として体験し、フロイトにも会い、「自動記述」から「シュルレアリズム宣言」へと転換をしていくのだが、マラルメにも窺える女性を理想とする「妖精」の存在に注視する。「妖精」としての「ナジャ」とは、ミューズとの偶然から反照する「私とは何か」の鏡像に等しいものだ。
ビュトールは、ブルトンやパウンドの影響から出発したが、『時間割』や『心変わり』(清水徹訳)から、晩年の多様な仕事のなかで、「詞画集」として発表したテクストを入り組ませて新たな効果を模索した。この「挿絵集」にも、注視したいと思う。
こうしてたどり着いたのは、詩集『妖精DIZZY』(思潮社)であろうか。詩集は、外貌からすれば、レイアウトに充たされた思考地図である。赤と緑の二冊の造形的詩集とともに、著者を加えた山本浩貴(+h)と鈴木一平による「『妖精DIZZY』を巡って」も添付されている。テクストは、「眩暈言論」と「絵本「眩暈」のために」が交互に交錯する。詩的生成をレイアウト造形の変形態として語りたい。散文詩の創始態そのものの赤と、レイアウトによる造形の緑の詩集へとテクスト変換する。マラルメの詩集を超えるほどの超絶的な作業がある。前ページの「痕跡」を薄色の背景画として次頁にうきぼらせる。効果を「間」に見るオブジェの力動性は、レイアウトの力が果たした詩の形象であった。現代の表層を具象するには、改行、空白、活字の大小の差異をともなう詩の形態史としてのテクスト生成に加担しなければならないのだろう。とは言っても、造形と背景をなす前ページの遅延する反復によって、この詩集の全てが語られるわけではない。「眩暈主体よ、眩暈を眩暈のまま固定する至難を思え」と、散文詩は膨張と収縮に揺れた。一方で、「万葉仮名」との入れ子的な「字訓」の融合よって、古代語に通ずる言葉の使用を自己のものにしようとする。「最初のゆらぎはめざめのとき。宇宙めくこめかみの境界を散り散りにして、胎児めく生気の何かしらクレッシェンドに、the first 喩裸木葉目佐目之途機」。書く言葉をもたなかった万葉人が、言葉(パロール)を漢字による字訓としてすくい取る苦労が想定できる。
詩集の冒頭に立ち戻れば、「−―入沢康夫氏の思い出に」と「ロジェ・カイヨワ」の「遊戯」の引用によってはじまる。詩集は、シュルレアリズムの極北への力動的な行動主義によるものであろうか。入澤康夫は、母を十二歳で亡くした。上辺に鏡を立て反転させて文字空間を解読せよと挿入された詩もある『わが出雲・わが鎮魂』の「自註」には、宍道湖を走る電車で母と出雲大社へ行った幼児期の記憶を語る。『漂う舟 わが地獄くだり』には、「これはやはり帰途であろう 往路ではない 旅は終わるのか さよう 終わるのだ(帰路なき筈のたびにでさえも)」と深まる言語の閾の底が伺え、野村のシュルレアリズムに通底する詩の線描へと延長した詩の線質が見えないだろうか。そこには、マン・レイのオブジェとしての「詩画集」やブルトンの「妖精」や「赤と緑」の色彩線が見える。マラルメの散文造形によるレイアウトやビュトールの地図が、透けて見えてくる。著者は、常々『母型論』(吉本隆明)を評価していた。母を慕うマラルメも母との関係が思わしくなかったブルトンも、クレーやベンヤミンの「天使」やナジャという「妖精」に、救済が得られるかというカタストローフが、現代的な問いの発出である。不思議な世界に出現する「妖精」のイマージュの幻影に、切断と持続による詩的オブジェを詩的なデザインとしたのである。
著者は、すでに『移動と律動と眩暈と』によって、ランボーからリスボンへ、そして荒川修作へと移動する詩の主体を眩暈の存在論として語り、哲学と詩を思索する『哲学の骨 詩の骨』では、詩のもつ現代性を両者の分裂する批評として語った。本書の前史的な作品には、北川健次とのコラボレーション『渦巻きカフェあるいは地獄の一時間』があり、詩画集『真夜中の朗読会』は、宮﨑次郎との協働作品であった。
野村喜和夫の散文詩が準備した造形詩集には、多くの先人が試みてきた破壊と創造の文脈がある。そればかりではなく、日本社会の負性を押し沈めて、散文思想詩への萌芽も見据えなければならない。「移動」と「律動」と「眩暈」を構造の潜勢力から、空間の現勢力へと変換する。閉塞した市民社会から、粘るような言葉の生成空間に宙づりにされた詩群の連続性に、遊戯に似た開放感も味わえる。そこに、現代言語詩の優位を語ると同時に、若い世代の支持を得る証拠もあるのだろう。
(2)『「還って来た者」の言葉 コロナ禍のなかでいかに生きるか』(神山睦美)たどり着いた場所的心性「共苦」。
六十年安保から大学闘争へ、戦後の解体する時の流れとともに、時代は変わり、世情に変化が生じていた。野村喜和夫は最後の全共闘の世代に属するが、神山睦美は運動初期の世代に属する時代を生きてきた。本書『「還って来た者」の言葉』(幻戯書房)の「証言」で語られるのは、三島由紀夫との討論会に参加した学生より上の世代であり、東大安田講堂後の学内の闘争を経験の原点として持続させている世代である。
神山睦美は、時代の状況を読むことに、秀でた文芸評論家である。その視野は巻末の参考文献を見ただけでも、最新の思想書から最新作の解読を含めて、全方位的な読みを可能にしてきた。そうした勤勉な著者が、ここ数年、折に触れて読み、語ってきたものが、コロナの問題に集約した宗教への論説である。コロナの問題は、単に、現代社会と人間の生命が危機的な状況にあるいうことだけではなく、人類にとっての宗教の問題と非転向を生きてきた著者自身の思想的原点とのまぎれもない接点をもつものであった。
そこに、「還って来た者」の言葉がある。本書は、「Ⅰ 吉本隆明・親鸞・西行・ヴェイユ」「Ⅱ 加藤典洋・村上春樹」「Ⅲ 大澤真幸・ジジェク・アガンベン・カツェネルソン」の三部構成をなす。著者が真理探求と善悪の問題として取りだした思想は、絶対平和論から現実問題に転回するヴェーユや全体主義から公共性を準備するアーレントである。さらには、フロイトの言語哲学的解釈を進めるラカンに連なる辺境のジジェクや、生政治による権力論を語る「監視と処罰」のフーコーとユダヤ神秘思想とマルクス主義を接合し多様な論説を見せるベンヤミンを再解釈して統合するイタリアン・セオリーのアガンベンの混在的な思想である。連関するこれらの思索と並行するように、さらに「新約聖書」のイエスと「教行信証」や「歎異抄」の親鸞のが対話のうちに引用される。存在論的に語られるキリスト教も仏教も、その底に流れるのは人間の根元へと突き進む共感へのシンクロニシティであるに違いない。現代社会の諸課題にたいする論理的で倫理的な回答が、人生の重みを感じさせる真摯さとして語られている。そこには、人間的なものと神的なものを結びつける宗教論である還ってきた者の言葉が反照するのだ。
一九九〇年代から、いろいろな事件が起こった。その時、密かに考えられていた事が、これからの時代は宗教の時代であるということだった。
神山睦美の到達した心性は、「コロナ禍のなかでいかに生きるか」「負け損をする人々への配慮」に典型的に語られている。「師と仰ぐ吉本隆明と畏友として敬する加藤典洋の死」がこの本の契機をなしていた。吉本思想の根源を持続させながら、同世代の加藤典洋の村上春樹論や憲法問題へと対話を重ねる。関係の絶対性と大衆の原像が、著者の思想の原基でもある。そこから『最後の親鸞』の非知に至る解釈を紐解きながら、日本的仏教のエートスである「観相」から「還相」へと論理は持続する。その思索は、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」や「ノリ・ミ・タンゲレ」のイエスの言葉を綿密に読むことによって、コロナ禍の状況として同一的な類似性へと再解釈した。聖書の世界観を集約するヨブと親鸞との対話が、経験された詩と小説のスタイルの作品で、書かれている。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の「悪人正機説」を語る精神の対位法には、戦中から戦後の転換のなかで見定めた庶民像から日本的負性を乗りこえる大衆の原像を尊重する姿がある。
神山睦美が書くのは、状況に飲み込まれないで、本当に必要な変化に対応する思想的視点である。現在のコロナ禍では、欲望の体系から不安の体系へと市民社会が変容している。後期資本主義の格差社会のなかで採られた社会的な抑制処置は、アガンベンがいち早く指摘した全体主義への警鐘となっている。また、ジジェクは、公共政策による新たな共産性への糸口を語り、愛の深化による宗教的解釈にも通じる希望的なメッセージを出した。それは、著者が試みた「です・ます調」によって、より現代の批評を簡明に語る批評の解剖である。具体的には、吉本隆明の考えを踏襲しながら、フロイトを内在化させ、伏線としてベルクソンを背景とする小林秀雄からドストエフスキーの「大審問官」を見据え、持続する終わりなき「漱石」の「近代」を援用して、「アメリカの影」から「憲法第9条」の加藤典洋の現代社会のねじれを解剖するのだ。「還相」の思想が、あるがままの立ち位置である。「人間が背負わされる不条理ということと、悪を犯した人間はどこまで許されるのか」。仏教とキリスト教の思索と密接に繋がりながら、人間にとっての真理探求への道である悟りと大衆への共感に繋げる他者への救済をどのように考えるか。それが、著者が生きてきた文脈の核となって流れているエートス(倫理)であり、還って来た者の言葉であった。
小林秀雄は、『考えるヒント』の「還暦」のなかで、「心のうちで経験される」ものは、「自身に固有な豊かな意味」を告げるものであり、「人の一生という言葉に問うこと」は、「意識の反省的経験に固有な鋭敏性」であると書いている。
神山睦美の鋭敏な批評には、「共苦」の倫理思想が根底にある。いま還って来た者の「還相」を生きる純粋言語は、倫理的な人間を土台とする共時的な批評の円環に接遇した。そこに何よりもイエスと親鸞を繋ぐ親縁性の地平に思索する神山睦美の思考が、「無私」の精神に至っていることである。それを可能としたのが、人間の精神の底辺にある暗部への眼差しである。
困難な時代にあって、共にいる「力」となる共苦(compassion)の思想家を見るひとは、私だけではないと思う。
(「交野が原」最新号)