皆さま、お早うございます。

かつて某譜代大名家のお城に

ついての仕事をしていた

旅するコピーライターのふじやんです。

 

ふと思い立って、1月13日(土)、

日帰りで水戸へ行ってきました。

 

今回の水戸城への登城の重要な目的、

日本最大規模の藩校 江戸時代の総合大学

日本遺産 弘道館へ。

 

 

幕末、日本の命運を決めた思想、

尊攘(尊皇攘夷)の書の掛け軸。

 

弘道館では藩士とその子弟が学び、

入学年齢は15歳で、

40歳までの就学が義務づけられていました。

卒業の制度はなかったので、生涯教育の場。

幼き頃の徳川慶喜公もここで学んでいます。

遊於藝 扁額

げいにあそぶと読みます。

 

お風呂とトイレも完備。

 

主として藩主専用。

徳川斉昭公はもちろんですが、

慶喜公も使用したことでしょう。

 

大便用

 

小便用

ここで斉昭公と

慶喜公が立ちション

用を足されていたと

想像したらなぜか胸熱。

 

湯殿

湯船に浸かるわけではなく、

外から水・湯を運んできて、

斎戒沐浴をおこなっていたようです。

 

雲龍水

消化器ポンプです。

 

襖引手には葵の御紋。

ちなみに徳川宗家、御三家では、

それぞれ微妙にデザインが違います。

 

大日本史

2代藩主徳川光圀が編纂を命じた歴史書。

尊皇論で貫かれた内容は、幕末の思想に

大きな影響を与えました。

 

弘道館を創設した第9代藩主である、

徳川斉昭公の肖像画

なんとなく無骨なイメージだったけど、

若い頃は、シュッとして貴族的な顔立ち。

 

葵の御紋入り長持

謹慎中の慶喜公が使用していた物と伝わる。

大阪城から逃亡された時も使っていたのかな。

 

至善堂 御座の間

藩主の休憩所。

慶喜公は、ここで明治新政府に

恭順の意を表し、謹慎していました。

 

幕末の日本を方向づけた水戸学が、

広く深く学ばれた場。

 

幼少の頃、ここで学び、

そして、ここで謹慎していた、

最後の将軍慶喜公の哀しき胸中を想う。

 

水戸日帰り旅、次に続きます。

それでは皆さまも、酔い旅を。

 

水戸編シリーズはこちら。

 

 

 

 

 

にほんブログ村 旅行ブログへ

にほんブログ村 旅行ブログ 一人旅へ

にほんブログ村 グルメブログ 日本全国食べ歩きへ

にほんブログ村 酒ブログへ

にほんブログ村 酒ブログ 日本酒・地酒へ