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第二章の前に・【コラム1】「学級崩壊」への誤解(1)

コラム1「学級崩壊」への誤解―その(1)

 

 小学校4年生のクラスで、男の子が机の上に立ち上がってフラフープを始める。授業中にである。周りの児童は、それを面白がってはやし立てる。現役のPTA会長が私に「隣のクラスがこういう状態なんですが、これって学級崩壊と言えるんでしょうか?」と尋ねてきた。これぞまさしく学級崩壊現象、もしくはその明らかな兆候である。「先生は何をやってるんだ」と疑問に思うのは当然だが、ことはそう単純ではない。




元校長先生のブログ-コラム1「学級崩壊」





「学級崩壊」という言葉は、1998年「NHKスペシャル」で取り上げられた。だが、マスコミによって作られた言葉は、それが伝播する過程で誤解され誤用されることがある。どのように誤用されるのか。中学校や高校にまで「学級崩壊」という言葉を当てはめてしまうのである。


たとえば『正しい大人化計画』(小浜逸郎著・筑摩書房)という本の中では、

「かつて中学校を中心にして社会問題となった学級崩壊現象は、現在、小学校高学年にまで降りてきているが、ここにもあまりよくない意味での個人主義的な感覚の浸透現象が見られる。ある若い女性教師が高学年を担当して学級運営がうまくいかず、翌年、小1の担任に変えてもらったら、『可愛くてよく言うことを聞いてくれて、地獄から天国に来たようだ』と漏らしたという話を聞いたことがある。」と記述されているが、ここには幾つかの誤解があると思われる。教育現場を遠くから眺める評論家の限界と言えよう。


一つは、「かつて中学校を中心にして社会現象となった学級崩壊」ととらえている点である。そうではない。「学級崩壊」は、小学校に起きる現象なのである。中学校は教科担任制であるから、ある教科の授業はしっかりしているのに、別のある教科では立ち歩きや私語が絶えないということはある。従って「授業が成り立たない」とすればそれは「授業崩壊」と呼ぶべきであって、「学級」が崩壊するわけではないのだ。中学校で9教科すべての授業が成り立たないとするなら、それはもう「学級崩壊」どころではない。「学年崩壊」もしくは「学校崩壊」であろう。


教育評論家尾木直樹氏(法政大学教授)は中学校勤務の経験があるために、そのあたりについて現実をしっかり見据えつつ、自身のホームページで厳しく戒めている。


学級崩壊の定義を「小学校において、授業中立ち歩きや私語、自己中心的な行動をとる児童によって、授業が成立しない現象」と押さえ、「中学校現象は『新しい荒れ』や『授業崩壊』として理解した方がよい。なぜなら『学級崩壊』現象は、言葉をかえて表現すれば、『学級王国の崩壊』という側面を強く内包しているからである。」と説き、「中学校は小学校と違って教科担任制であるために、9教科9人全員の授業が特定のクラスで崩壊するなどということは、構造上も経験的にも起きない。」と断言している。


以上のような「学級崩壊」の尾木氏の定義は、『子どもの危機をどうみるか』(岩波新書)などでも一貫している。私も全く同じ見解である。


だが、この認識が広く世間に行きわたっているかというと、残念ながらそうとは言えない。現役の中学校校長であったころ、「加藤先生の学校には学級崩壊なんて無いんですか?」と尋ねられたことがある。質問の主は、市の教育長だった。「それは小学校のことでしょ?」とその場では反論もできずに「中学校にはそんなことあり得ませんよ」と受け流してしまったことが悔やまれる。「NHKスペシャル・広がる学級崩壊」が放映された翌年のことであるから、教育長としては、覚えたての用語を口にしてみたかったのかもしれない。


 中学校の教員までもが「自分はあのころ学級崩壊だったと思うんです」などと言う。よく聞いてみると、学級の中に反抗的な子どもがいてうまくまとまらず、合唱コンクールや運動会などの学校行事も盛り上がらない。日々の清掃活動などもクラスの生徒はいいかげんな態度で行う。学級担任として指導が行き渡らず「学級運営がうまくいかなかった」という状況を指すに過ぎない。新聞や雑誌にも検証なしにこの「学級崩壊」という言葉が使われ始め、教育関係者までもがマスコミに流されてしまっている、ということである。


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