先月末に急遽東京に行ったのですが、それには二つ目的がありました。

ひとつは、旧い友人が亡くなって、お葬儀には間に合わなかったので、せめてお宅に弔問に伺おうと思ったこと。

その友人(Tさん)は、わたしが大学を卒業して就職した某カルチャーセンターで、最初の配属先で教育係としてついてくれた三歳年上の先輩でした。卵から孵った雛が最初に見たものを親だと思うように、Tさんはわたしにとって何よりも目標であり憧れで、というか、なんだか妙に馬があって、在職中も辞めたあとも、なんだかんだ関わりのあるひとだったんですね。

共通の友人がいたことから、お互いの退職後もそのひとと三人でよく飲みに行ったり、わたしが徳島に行くことが決まってからは何回も何回も送別会だといって、いろんな店でごちそうしてくれたり、餞別をもらったり……

それが、去年のはじめくらいから、急にぱたんと、Tさんからの連絡が途絶えて、これまでもそういうことはあったので、気にはなりつつも、何かあったのかな、くらいな気持ちでいたんですね。彼女は、これまで脳溢血と脳梗塞で倒れたことがあり、そのときも全然連絡くれなくて、あとで入院していたことを知ったくらい。後遺症で、少し呂律が悪かったり、左手だったかが不自由だったそうですが、変わらず一緒に飲み歩いていたので、わたしもそんなに気にしていなくて。

誕生日に送ったメッセージが戻ってきたくらいから不安になり、その共通の友人(Tさんとは幼馴染)を通して様子を聞いたりしていたのですが、彼女はくも膜下で倒れ、寝たきりになっていました。お見舞に行ったその友人の話では、話しかけると眼球だけは動くから、こちらの言っていることはわかるのかな、という状態だったそうです。

わたしは激しく動揺したものの、徳島から東京の彼女のところにお見舞いに行くにはあまりに遠く、しかも、そんな状態の彼女の姿を、わたしは見てはいけないような気がしていました。

東京に行く機会があって、ついでに彼女のところに行けなかったわけではなかったのに、わたしはその選択をしませんでした。

そうこうしているうちに、ついに、6月9日、その共通の友人から彼女の訃報が届きました。亡くなったのは6月7日。葬儀は身内だけで済ませた、とーー。

弔問は受けてくださるということで、すぐにでも行きたかったのですが、航空料金とかちょっと安くなる期日まで待ってしまいました(背に腹はかえられず……)。

Tさんは倒れたあと、自宅で弟さん(わたしと同い年)に介護されていました。Tさんが倒れる前に、6年くらいお母様の介護もその弟さんがされていて、彼は延べ7年ほど母親と姉の介護をしていたことになります。それも本当に大変なことで、彼の社会復帰のほうが気になったりするのですが、それはまた別の話……。

弔問に伺ったとき、お骨の置かれている祭壇の横に一枚の絵が飾られていました。美大の先生でもあったお母様がTさんの生後二ヶ月くらいの姿を描いた絵だそうです。赤ん坊の顔の、眉毛とか口のあたりがいかにもTさんで、なんともいい絵なんですが、この顔が、亡くなる直前のTさんによく似ていたそうです。

わたしにとってTさんはとても強くて、美しくて、自分が大好きで、でもわたしにもやさしくて、というイメージだったのですが、彼女は最後の寝たきりの一年半ほどをどんな思いで生きていたのだろうかと、なんともやりきれないような、複雑な感情が湧いては、もうどうしようもないことに気づいてしょんぼりするような、そんな感じのままにお宅をあとにしました。

この年齢ですから、同世代の友人が亡くなることはないわけではないですが、Tさんはちょっと特別なひとだったなと、たぶんこの先も折々に思い出したりするんでしょう。

 

もうひとつの目的は、銀座のコリドー街にある「ギンザ・わいんばー」に行くことでした。このワインバーは、石井辰彦さんに連れて行かれたのが最初で、昔キャバレーだったという店内のちょっとレトロな雰囲気とか、マスターの臼井さんの人柄とか、ビールさえ置いていないワインへのこだわりとか、美味しいパンとか、まあ、とにかくいい店だったんです。何回か朗読会の会場などにも使わせてもらったことがあり、岡崎裕美子が最初で最後の朗読をしたのもこの店でなかったかな。あと、石井辰彦さんの『全人類が老いた夜』という歌集の出版記念会をしたことも思い出します。岡井隆さんも出席されるので、道順を克明に書いてお知らせしたこととか……。その会には堀浩哉さんもいらしてたなあとか。

そのわいんばーが8月に閉店すると聞いて、たぶん閉店までに東京に行く予定はないから、行けないと諦めていたのですが、なんというか、奇遇というか、こんなことで行けることになるなんて、世の中こういうことの連続で人は関わったり繋がったりするのだなあと思いますね。

銀座はあちこち工事中で、しかも有楽町側から行ったことがあまりなかったので一本道を間違え、コリドー街を新橋まで行ってしまってから戻ったりして汗だくで到着。

知らないひとは絶対開けられない(笑)ドアを開けて、薄暗い階段を降りて、店に入るとマスター・臼井さんの驚く顔。石井さんから予約は入っていたものの、わたしが来ることは知らなかったみたいで、歓喜の再会のハグ!

お店を閉めることになった理由は、推して知るべし、なのかもしれませんが、マスターの体調も少し悪いみたいで、「マスターも一杯」の誘いにも「いまちょっと飲めないの」と。

わたしが大好きだったこの店のパン(フランスパンなんだけどちょっとやわらかくてあったかいの)をたくさん食べて、臭いチーズをきゃあきゃあ言いながら食べて、もちろんワインもたくさん飲んで、最後のわいんばーを堪能しました。

あの店を知っているひと(歌人)も多いはずだから、7月中に行けるひとは行ってあげてね。

 

ということで、長くなりましたが、今回の東京行きの話でした。その他にもちょっとした縁がつながったりしたのですが、まあ、それはおいおいと……

 

 

去年11月に刊行された山﨑修平さんの短歌誌「Wintermarkt」のテーマは「あなたのギリギリの短歌を読ませてください」でした。

寄稿させていただいたひとりとして、他の寄稿者が何をもって「ギリギリの短歌」として、それにどう挑んでいるのか、とても興味がありました。

「Wintermarkt」は同人誌ではありませんが、こういった雑誌はなかなかきちんとした批評のまな板にはのせられないので、交互批評の場を持ちたいと(たぶんみんな)思っていたのではないでしょうか。5月に東京で行われた読書会に続き、このたび、関西方面メンバーの作品を読み合う読書会を企画しました。詳細は以下のとおりです。

 

日時:6月24日(土)13:30〜17:00
会場:「らこんて中崎」

    https://racontermama.jimdo.com/ 
参加者:黒瀬珂瀾、田中槐、田丸まひる、濱松哲朗、龍翔
ゲスト:門脇篤史(黒瀬作品ほか)

    楠誓英(田丸作品、龍翔作品)
    土岐友浩(濱松作品、田中作品)
参加費:無料
問い合わせ先:田中槐 tanakaenju@gmail.com
 

そんなに広くはない会場ですが、ご興味のある方がいらっしゃったらぜひお運びください。みんなでわいわい話せたらうれしいです。できるだけ事前にお申込みいただけるとありがたいです。

なお、「Wintermarkt」は現在「葉ね文庫」に若干の在庫があるとのことですが、入手が難しい方はご相談ください。

去る5月5日(金)、わたしの上京に合わせて斉藤斎藤さんの歌集『人の道、死ぬと町』の小さな読書会を行いました。少人数でじっくり読みたかったのと、会場の関係で多くの方にはご案内できませんでしたが(また実況中継も考えたのですが、回線が不安定とのことで断念)、当日の模様をほぼノーカットで録画したものを配信させていただきます。

 

参加者は、伊舎堂仁、内山晶太、斉藤斎藤、鈴木ちはね、染野太朗、田口綾子、田中槐、寺井龍哉、堂園昌彦、花山周子、三上春海、吉田恭大(50音順・敬称略)の12名です。4時間という長丁場、途中若干聞きづらいところもあるかもしれませんが、わたし自身にもたくさんの発見がありました。お暇なときに、歌集を開きながら視聴していただけるとありがたいです。

撮影とYouTubeへのアップは山﨑修平さんがやってくださいました。迅速な作業、ありがたいです。

 

動画1https://youtu.be/KotpMuBtcZQ  

動画2https://youtu.be/lOZUBWqowHM  

動画3https://youtu.be/0T1pEc3u4rY  

動画4https://youtu.be/vVY8gr0QVnU 

 

なお、ちょうどタイムリーな感じで俳句の同人誌「オルガン」9号が出て、斉藤斎藤さんが参加している座談会も読めます。1冊1000円(送料込み)、お問い合わせは organ.haiku@gmail.com までとのこと。こちらも必読です。

いつの間にか、『花に染む』が完結していた(最終巻8巻が去年の11月に出ていた)。

すっかり、見失っていた。

『駅から5分』から、のべ10年だと……。

 

最初は『駅から5分』のスピンオフみたいな感じで、やたら暗い漫画だと思っていたけれど、そして弓道あまり知らないし、さらに言えばくらもちふさこは『天然コケッコー』で初めてはまった年季の浅いファンなので、こんなにこの漫画にはまるとは思いもしなかった(のわりには、最後のほうは単行本の発売に追いついていなかったけど)。

最終巻読んで、もう一回読んで、7巻読み直してからもう一度読んで、改めて1巻から通して読み直し、ついでに『駅から5分』も読み直し、心あらたに1巻からまた読みましたよ。どんだけ好きなんだ。

 

主人公は、花乃、でいいんだろうか。背が高くて、力が強くて、めったに笑わない(感情を表に出さない)。およそ少女漫画のヒロイン像とはほど遠いキャラ設定。陽大への想いも、恋、に近いとは認識しているけれど、どこかで脇役に徹しようとしている。

7巻の、陽大とローラ姫の仲が決定的? と思われたあとの

 

陽大の側にいたらまずいかな?陽大の側にいるだけでいいんだけど 

水野には迷惑だろうけど邪魔をするわけじゃないふたりごと守る

 

という花乃の台詞には泣いた。

 

それにしても暗い漫画だった。その暗さは、陽大と雛の関係のねじれ具合に一番影を落としているんだけど、最終巻では少しだけそこに光が当たったのは救い。

それにしてもクライマックスが見事だった。花乃が初めて、感情を剥き出しにして走っていく姿に、そしてそれを見送る雛とローラ、感動的な恋愛成就の瞬間、なはずなのに、花乃は陽大の腕のなかで言うのだ。

 

うっ う うれしい

うれしい… けどっ

くやしい…っ

私が ずっと追い求めていた 陽大になってた…っ

彼女が…

負けたって思った……

 

なんでしょうね。ここまで純粋だともう脱帽するしかないですね。

はー。いいもん見させてもらった、という気分です。

 

一方、『駅から5分』は、え? という感じで無理やり終わらせられましたが、さすがに風呂敷を広げ過ぎたんでしょうか。花染の住人たちのドラマを、まだまだ見てみたい気がするけど、それはもうないのかな。

 

久しぶりにはまった漫画が完結したので(最近、続けて買っている単行本も減ったなあ)、ちょっと自分の備忘録的に書いておきました。読んでないひとにはどんな漫画か想像もつかないでしょうが、けっこうしんどい漫画です。そんなにおすすめはしません(笑)。

 

わたしとしてはがんばって早起きして、日曜の午前中に「徳島国際短編映画祭」というのに行ってきた。まあ、自転車で行けるところにある「あわぎんホール」という、公民館をちょっと大きくしたような会場。

今年で二年目らしく、札幌の国際短編映画祭と提携しているとのこと。3月3日から三日間、今年のテーマ「映画音楽」にちなんでシネマオーケストラつきの映画上映やワークショップ、トークショーなども。

 

わたしが観に行ったのは、「インターナショナル」というプログラムで、今年のアカデミー賞短編部門のグランプリをとった『合唱/Sing』が(たまたま)入っていたこともあって、興味をそそられた(こういう映画が徳島で観られることは貴重なので)。日曜とはいえ、朝の9時半開演ということで、人の入りはさほどでもない。大丈夫かな、と思ったけど、オープニングやシネオケにはだいぶ集客したのだろう(たぶん)。

 

「インターナショナル」は6本の短編映画が上映された。

『トラッシュ・キャット』(アニメーションコメディー/アメリカ)

パソコンの画面に猫が入り込んで飼い主のゴミ箱をあけてしまうという話。2分弱の超短編。

『嵐を乗り越えて』(アニメーション/イギリス)

奥さんが亡くなってしまった老人が、歯磨き粉を買いに行く、というそれだけの話。絵本のような映画。

『イマジナプト』(フィクションファンタジー/アメリカ)

アニメというか、ゲームの世界というか、今風なこどもの空想の世界。

『彼女とTGV』(フィクションドラマ/スイス)

ジェーン・バーキン(もはやシャルロット・ゲンズブールのお母さんとしてのほうが有名?)が主演で、この作品もアカデミー賞にノミネートされていたらしい。家の前をTGV(スイスとフランスをつなぐ新幹線みたいなの)が走るっていうのは、日本では考えられないことかもだけど、実話に基づいた話らしい。なんか、切なくなる話です(ジェーン・バーキンがもう、ほんとにおばあさんで)。

『ブンガ・サヤン』(フィクションドラマ/シンガポール)

シンガポールはいま、こんなふうに多民族がいりまじって暮らしているのでしょうね。言葉の通じない少年と老婆の関係がほのぼのと描かれていて、観終わったあとにじんわり沁みてくる。

『合唱/Sing』(フィクションドラマ/ハンガリー)

合唱部に入ったら、みんなのためにあなたは歌わないで口パクでいて、と先生に言われてしまう主人公。そう言われていたこどもが何人もいて……。コンクールの本番で何かあるんだろうなと思ったら、期待を裏切らない痛快なエンディング。『彼女とTGV』とこれは、30分くらいの短編なのだけれど、じゅうぶんに映画一編観終えた満足感がありました。

 

午後3時からは映画音楽のトークショーで川井憲次さんなども登壇されるとのことで、一回帰ってまた来るか? とも思ったけど、さすがにそれは諦めた。

 

会場には徳島のゆるキャラたちがたくさんいたり、徳島の物産展みたいな出店が出ていたりしたけど、全体的には盛り上がりに欠ける印象。三日間、入場無料で、シネマオーケストラでは手塚治虫の『展覧会の絵』を上映するなど、それなりにがんばっているのだから、もう少し宣伝などの工夫があってもよかったか(わたしはたまたまいつも見ているケーブルテレビの情報番組で知った)。去年は4〜5000人の動員だったとか言っていたように思いますが、それでも、もったいないですよね〜。

 

帰り道に遭遇したアニメのイベントのほうがよっぽど盛り上がっていたよ……。

 

 

きょう、「未来」の仲間である岩田儀一さんのご葬儀に行ってきました。
岩田さんは、ALSという難病と闘っていて、発症から9年7ヶ月、人工呼吸器をつけてから7年、今月17日に64歳の生涯を終えました。
この日が来ることが近いことはわかっていて、覚悟はしていたものの、現実となるとやはりなんともいえない悲しみがあります。

新宿から中央線の青梅行きに乗って、長い長い時間をかけて青梅に向かいました。
青梅は、15年くらい前に「zo・zo・rhizome」という同人誌の合宿で行ったことがあります。まだ「未来」に高島裕さんがいて、中澤系さんも存命の頃です。夜通し飲んで喋って、翌日は御岳山で吟行をしたことを覚えています。そういえば、中澤系さんも、似たような病気で亡くなったのでした。

葬儀場に入ると、岩田さんの遺影を中心に、若い頃からの写真がいくつか飾られていました。遺影は、トライアスロンのレースのゴールの瞬間の写真でした。満面の笑顔と、漲る筋肉の。その写真を見た瞬間に涙がどっと溢れてしまい、そのあとはもう泣きっぱなし。

喪主として奥様のご挨拶は本当に暖かく、このひとが岩田さんを支え続けていたことを僥倖のように思いました。最後まで、短歌が彼の支えであったことを、しみじみと伺いました。花入れのときには岩田さんに、「お疲れ様でした」「ありがとうございました」とだけ言いました。そのあと、奥様と少し話して、大学時代の友人たちのおかげで短歌を続けることができたことを聞きました。呼吸器をつけたあともしばらくはキーボードを打つことはできたものの、だんだん指も動かなくなり、最後はわずかな眼球の動きだけで入力できるシステムをつかっての作歌でした。そうやってつくった短歌は、「未来」の角田さんのところに送られ、角田さんが岡井さんのところに送っていました。毎月届く「未来」は、大学の友人たちがかわるがわるボランティアで朗読してくれて、岩田さんに聞かせていたのでした。写真の飾られたいたところには「未来」の2月号の岩田さんのページが開かれて置かれていました。岩田さんの作品は、4月号までは掲載されます。先日、3月号の「未来」を校正していて、もうほとんど短歌のかたちにはなっていない、断片のような作品を読んだとき、祈るような気持ちになったものでした。

これまで、入院されていた病院にお見舞いに行こうと何回も思ったのですが、結局行けずじまいだったことは悔やんでも悔みきれません。ただ、行っても何もできないし、話すことはおろか、なんの反応もない岩田さんを見て辛くなるだけだから、と角田さんに言われていました。何回かメールのやりとりをしたり、お手紙を書いただけで、逆に岩田さんから励まされたことや力をいただいたことのほうが多かったです。

第一歌集『内線二〇一』を上梓されたのは2007年のことで、その頃はすでに発症されていたので、大急ぎで歌集批評会をやったことを覚えています。

<方法>が先か<意志>かと問うている二十歳のノート読めば苦しも

いま、その日の日記を読み直して、懇親会で岩田さんがビールを飲んでいてはらはらしていたことや、学生結婚で籍を入れる前に子どもがふたりもいた話を聞いたこととか、岡崎裕美子が酔っ払って会計を何回もしようとしたこととか、ああ、ああ、と、思い出してはまた涙が……。

わたしと岩田さんはちょうど10歳違うので、岩田さんが発症したのはちょうど今のわたしくらいの歳なんですね。この先の10年が、もしも岩田さんと同じ運命だとしたら……。その残酷さを思うと本当に言葉を失います。
でも岩田さんは、希望を失うことなく、前向きに、貪欲に、命を全うされました。

7年ぶりに呼吸器とその他彼を繋いでいたすべての管を外されて、自由になった岩田さんは、きっと今頃思い切り伸びをして、走ったり歌ったりしているのかもしれません。
岩田さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
9月21日、15年飼っていた猫(名前はシエル)が亡くなりました。
この夏の間、ちょっと食欲が落ちたりして、さすがに15歳だからおじいさんになってきたのかと、そんなふうに思ってはいたものの、あまりに突然のことで、今でもまだ信じられない状態です。
その日、わたしは昼前から仕事で出かけていて、帰ってきたときに、ケージの中でいつもとは違った体勢(うずくまる感じではなく、横たわる感じ)の猫に、あれ? と思って、声をかけたのですが、そのとき、今考えるとちょっとだけ反応したような気がします。そのへん、明確な記憶がないのですが(あまりに動揺が激しすぎて)、たぶん、待っていてくれたのだと、信じることにします。

シエルは、15年前に、捨て猫だったのを保護していたひとから譲り受けた猫です。息子の13歳の誕生会をしているところに届けていただいた猫は、まだ本当に小さくて、手のひらに載るくらいでした。黒猫ですが、目の色がきれいなブルーで、フランス語で「空」という意味の「シエル」と名づけました。翌日病院に連れていくと、ウィルス系のキャリアであることがわかり、部屋飼いにすること、他の猫とは接触させないことを言い渡されました。でも、皮膚がちょっと弱い以外は特に大病をすることもなく、オス猫としては小柄なまま、ずっとやんちゃな猫でした。

やんちゃが激しくて、高いところのものとか落として割ったりするので、いつも出かけるときはケージに入れていました。ちょっとかわいそうだったけど、帰ってくると泥棒に入られたような状態が続いたりしたのでやむを得ず(笑)。息子にとっては弟のような存在で、飼育係の息子の言うことはよく聞いていました。息子が出かける仕度をしているのを見ると、自分からケージに入って行きました(わたしのことは見下していて、全く無視なのに)。驚いたのは、今の部屋に引っ越して、息子が遊びに来たときも、何年ぶりかで息子に会ったにもかかわらず、同じように彼が出かける仕度をしているのを見てケージに入っていきました。猫って案外賢いのですよ。
亡くなったこと、一番に息子に連絡したけど、わりとクールだったな。そんなもんですかね。

5年前、わたしが家を出たあと、(猫に興味のない元夫から)ほとんど虐待状態であったのを救い出して、(本当はペット禁止のアパートで)一緒に暮らしていたわけですが、本当に、猫がいなかったら、わたしは生きていられなかったかもしれない。猫だから、別に何をしてくれるわけではないけれど、ずっと一緒にいて、夜中に運動会されたり、壁を引っかかれたり、ゲボされたり、爪を切らせてくれなかったり、とにかく、ずっとふたりで暮らしてきました。

まだいなくなってしまったことが信じられなくて、ごはんの器とかも出しっぱなしです(さすがにカリカリは処分しましたが)。トイレの砂も、ついこの間新しいのに入れ替えたのにな、とか。猫のいないケージはどうすればいいんだろう。片付けたらこの部屋もずいぶん広くなるんだろうなと思うにつけ、余計に寂しくなるので何もできません。

今まで、息子やごくごく親しい友人などにはメールで報告していたのだけれど、きょうはやっと(ペット禁止であるにもかかわらず黙認してくれていた)大家への報告と、出稼ぎ仕事先のひとや明治学院の講座のあととかにちょこっと猫のことを話したりして、少しずつ猫の死を受け入れつつあります。家に帰っても猫のいない暮らしは寂しくて、ちょっとした物音がするたびに、猫がいるような気がして、めそめそしていますが。

メールで報告した友人も最近飼っていた猫が突然死したと聞いたり、きょうは小池光さんの猫も亡くなったという話を聞き、今年の夏は猫には厳しかったのかなあと思ったりしています。

ツイッターに投稿しようと思って何回も書きかけては消して、結局、ブログに書くことにしました。とはいえ、毎日少しずつしか書けなかった。もっとたくさん書きたいこともあるけれど、ゆっくり思い出したり悲しんだりしていきます。
いろいろご心配してくださっているひともいると思いますが、がんばって心の整理をつけていきます。あんまり励まされたりするとかえって辛いので、しばらくはそっとしておいてください。
久しぶりですみません。

久しぶりに何か書いてみたいと思うような映画を観たので。

きょうは「未来」の校正で発行所へ。
終わって、珍しくほかに抱えている仕事がないので映画を観ようと思っていました。
ほんとは『小さいおうち』を観ようと思って新宿ピカデリーまで行ったのですが、1時間以上前だというのにチケット完売。黒木華ちゃんの銀熊賞だかの受賞直後だから、なんとなく嫌な予感はしていたけれど、ここまでとは!
ほかの映画館行くのも面倒だなあと、昨夜チェックしていた『17歳』というのが時間的にもちょうどよかったのでそれを観ることに。これもわりと混んでいました。

詳しく調べていたわけではないので、フランス映画ということくらいしか予備知識はなく、主役の女の子(マリーヌ・バクト、という子らしい)がとにかくかわいい。ものすごく子供っぽく見える瞬間と、妙に大人びて見える瞬間と、ああ、17歳ってこういう年齢だなあと思わせる。

映画は17歳になる直前の夏から次の年の春まで、ほぼ一年間のイザベルという女の子のお話。見た目は普通(というかクール)な高校生なんだけど、彼女は売春をしていて、ジョルジュという常連客の老人とセックスしている最中に彼が腹上死。そんなことから親にもばれるし、何よりそのショックから売春はやめるんだけど、同級生の男の子とのふつうのセックスを契機に、また売春はじめちゃうんじゃないの? というところで映画は終わる。

イザベルはバカンス先で知り合ったドイツ人の青年と初体験を経験する。セックスは期待したほどのものではなかった。その青年にも特に執着するわけでもなく、ただ、またセックスをしたいという動機だけで売春にはしる。行為のときは何も感じない、でも、またしたくなる。

一回のお金は300ユーロくらい。日本円で約42000円(調べた)。彼女はそれをそのままクローゼットにしまっていた。お金が欲しくて、ということではない。お小遣いに困らない程度の裕福な家庭(両親は離婚していて、母親の再婚相手と同居しているが、それほど複雑な家庭というのでもない)。でも、売春がばれてお金を没収されたときに、やけにそのお金にこだわった。「わたしが稼いだお金」と。このあたりの不可解な感じが、17歳という年齢をよく表していると思った。

あと、腹上死しちゃった老人ジョルジュの奥さんと会うシーンがよかった。銀髪のかっこいい老女。ホテルのバーで、ウイスキーを頼む。「ウイスキー、ドゥ」(だったかな)って。このひと何者? って思っていたら、シャーロット・ランプリングだった。そりゃかっこいいはずだ。

観終わったあとで、時間がたてばたつほどじわじわくる感じの映画ですね。
公式サイト見たら、穂村弘さんがコメント寄せていた。穂村さんが好きそうな映画だな、とも思う(なんの根拠もないですが)。

しかしフランスの家庭って、娘の部屋で娘が恋人とはあはあやっていても「先にご飯食べてよう」って言うくらいクールなのね。びっくりだよ。
そしてやっぱりフランス語は美しいなあ。

ちなみに、うちにはなぜか『地獄に堕ちた勇者ども』のDVDがあるので、若きシャーロット・ランプリングを見ることもできます。見直しちゃおうかな。

こちらでもちょっと宣伝しておこう。

このたび蟹座生まれの5人で折り本「蟹座」を作りました。参加者は平田俊子さん、今井聡さん、島なおみさん、村上きわみさん、田中槐です。
各コンビニのマルチコピー機からネットプリント指定で取り出せます。B4カラー、1枚60円。セブンイレブン(こちらをお奨めします)「26439106」7/27 23:59まで、ローソン、サークルKサンクス、ファミリーマートは「UKZ97E568Z」7/28 00:00まで。
今回は12分割の折り本なので、出来上がりは縦長な感じになります。ちょっと折るのが大変かもしれませんが、基本はこれまでのものと変わりません。こちらの図を参考に、がんばって折ってみてくださいね。どうぞよろしくお願いします。 pic.twitter.com/OXQMSRZRSC

ご興味のある方、ぜひぜひ~。
ごぶさたです。
たまに記録を残しておきますね。

7月20日は中島裕介さんの第二歌集『oval/untitleds』を読み解く会@中野サンプラザ。
事前に好きな歌(一連)と成功していない歌(一連)をあげてもらうというアンケートを設けたために、批評会の申し込みの出足が遅かったけれど、結果的にはいい感じの集客でした。ご来場いただいたみなさん、ありがとうございました。

パネリストは内藤明さん、佐藤弓生さん、山田亮太さん、吉田恭大さん。吉田さんがまさかの寝オチで現れず、わせたん民ネットワークを駆使したりと大変なこともありましたが、まあ、終わってしまえばそれも笑い話のひとつになりますね。
内藤さん、引き受けたことを後悔したとおっしゃっていたけれど、意味よりも輻輳する世界の面白さや、世界を多角的に捉えていく試みを味わえばよいこと、とはいえ、コンセプトが先立ってしまいすぎると読者がおいていかれてしまうこと、あえて気持ち悪さや不愉快にさせる試みへの言及など、さすがに鋭い分析。
弓生さん以降はおもにはインプロヴィゼーションに関する言及に興味深いものが多かったのですが、弓生さんはまず、こういった試みが決して新しいことではないこと、むしろ20世紀的な試行であることの指摘。「頭のいい中学生男子」という比喩が個人的には中島裕介をまさに言い当てているような気がして感心しました。
山田さんは、インプロヴィゼーションが機械によって自動的に出てくるものに人力が加わることに注目。人力による編集を評価し、そこに作者の捉える「詩」を見るという視点が新鮮。
吉田さんは、ケータイが非常に私性の強い機械であるということの指摘、さらに語彙の飛躍ではなく文脈の乗り換えのようなドライブ感が出ることは評価しつつも、人力と機械の境界は見えたほうがいいとの考え。最近の口語短歌の文体はインプロヴィゼーション的な傾向があることも。

会場からは森井マスミさん、小林久美子さん、石川美南さんをはじめ12~3人からコメントをいただきました。事前にいただいたアンケートもなかなか興味ふかいものでした(けっこうみんな遠慮無くきついご意見w)

感触としては、「読み解く会」にした意味があってよかったと思いましたね。これからの短歌を考えていくうえで、重要な歌集だと思います。

懇親会はスポーツバーみたいなところを貸切。サッカー中継のあるときなど盛り上がる店らしく、モニターが店のあちこちにあるので、それを利用して、参加できなかったひとたちからのビデオメッセージを流したりしました。わいわい飲み食いしているときにそんなビデオ誰も見ないんじゃないかと心配したのだけれど、予想のほか好評で、特に短歌男子からのメッセージにはひとりひとりに大盛り上がり! 岡井さんのメッセージには大爆笑! ビデオを編集してくださった田中ましろさんと岡崎裕美子さんの手腕もあったでしょうが、やってよかったですね。

そのあと同じビル内の居酒屋で二次会。
ここではわたしの誕生日を祝っていただきました。それまでもいろんなひとからお祝いをいただいていて、それだけでもありがたいことだったのに、木下龍也さんがチョイスしてくれたという花束と猫耳カチューシャ、猫のiPhoneスタンドなど。うるうる。

そんなこんなで、無事に解散、と思ったら、電車がなくなったという某U山さんからの強硬な誘いにより朝までカラオケ……。まあでも、U山さんの「One more time, One more chance」聴けたからよかったけどね。

家に帰って3時間くらい仮眠して、シャワーだけ浴びて、21日は「東京マッハ」へ。
五反田の駅を出て、グーグルマップにまた騙されたりして、しばらくぐるぐる駅前を徘徊。なんとかお店のひとに道を教えてもらってやっとたどりついたよ「ゲンロンカフェ」。
ずっと行きたかった「東京マッハ」。七回目にして念願がかないました。
登壇者は千野帽子さん、長嶋有さん、米光一成さん、堀本裕樹さん、そしてシークレットゲストの佐藤文香さん。通常の句会よりも一句にかける時間が長くて、評価の分かれた句などお互いが譲らなかったり、盛り上げ方も巧み。みんなエンターテイナー。噂にたがわず、本当に楽しい句会ライブ、という感じでした~。
偶然旧知の浅野さんにも遭遇。しかも真弓ちゃんがとっておいてくれた席が彼女の隣だったので、いろいろお話ししながら聞けたのもよかったです。

終わって真弓ちゃんや木下さん、泉さんたちを連れて打ち上げにも参加。前日はほとんど口をきいてもらえなかった木下さんが、泉さんには上から目線でいろいろ話している姿にくらくらしながら、ついでに少しお話できてうれしゅうございました。
トヨザキ社長とも久々の再会。お誕生日プレゼントにと「あまちゃん」の手ぬぐい持っていったらよろこんでくれてよかった。勝負のときには巻いて出かけると行ってくれました(笑)。
長嶋さんのやっている「なんでしょう句会」のみなさんとも知りあえて、いつかお誘いいただける約束も。
堀本さんや千野さんとも初対面のご挨拶ができて、米光さんには思考タロットやってもらって、なんやかやで11時くらいまで? イベントよりも長い打ち上げには慣れているけれど、さすがに消耗しましたです。まあ、これ飲んだら帰ろうね、って言ったあとでもう一杯飲んだりしてるわたしが悪いんですが。

そんなわけで、怒涛の二日間が無事に終了。お目にかかった方、おつきあいくださった方、お電話した方、遠くから見守っていてくださった方、ありがとうございました。