先月末に急遽東京に行ったのですが、それには二つ目的がありました。

ひとつは、旧い友人が亡くなって、お葬儀には間に合わなかったので、せめてお宅に弔問に伺おうと思ったこと。

その友人(Tさん)は、わたしが大学を卒業して就職した某カルチャーセンターで、最初の配属先で教育係としてついてくれた三歳年上の先輩でした。卵から孵った雛が最初に見たものを親だと思うように、Tさんはわたしにとって何よりも目標であり憧れで、というか、なんだか妙に馬があって、在職中も辞めたあとも、なんだかんだ関わりのあるひとだったんですね。

共通の友人がいたことから、お互いの退職後もそのひとと三人でよく飲みに行ったり、わたしが徳島に行くことが決まってからは何回も何回も送別会だといって、いろんな店でごちそうしてくれたり、餞別をもらったり……

それが、去年のはじめくらいから、急にぱたんと、Tさんからの連絡が途絶えて、これまでもそういうことはあったので、気にはなりつつも、何かあったのかな、くらいな気持ちでいたんですね。彼女は、これまで脳溢血と脳梗塞で倒れたことがあり、そのときも全然連絡くれなくて、あとで入院していたことを知ったくらい。後遺症で、少し呂律が悪かったり、左手だったかが不自由だったそうですが、変わらず一緒に飲み歩いていたので、わたしもそんなに気にしていなくて。

誕生日に送ったメッセージが戻ってきたくらいから不安になり、その共通の友人(Tさんとは幼馴染)を通して様子を聞いたりしていたのですが、彼女はくも膜下で倒れ、寝たきりになっていました。お見舞に行ったその友人の話では、話しかけると眼球だけは動くから、こちらの言っていることはわかるのかな、という状態だったそうです。

わたしは激しく動揺したものの、徳島から東京の彼女のところにお見舞いに行くにはあまりに遠く、しかも、そんな状態の彼女の姿を、わたしは見てはいけないような気がしていました。

東京に行く機会があって、ついでに彼女のところに行けなかったわけではなかったのに、わたしはその選択をしませんでした。

そうこうしているうちに、ついに、6月9日、その共通の友人から彼女の訃報が届きました。亡くなったのは6月7日。葬儀は身内だけで済ませた、とーー。

弔問は受けてくださるということで、すぐにでも行きたかったのですが、航空料金とかちょっと安くなる期日まで待ってしまいました(背に腹はかえられず……)。

Tさんは倒れたあと、自宅で弟さん(わたしと同い年)に介護されていました。Tさんが倒れる前に、6年くらいお母様の介護もその弟さんがされていて、彼は延べ7年ほど母親と姉の介護をしていたことになります。それも本当に大変なことで、彼の社会復帰のほうが気になったりするのですが、それはまた別の話……。

弔問に伺ったとき、お骨の置かれている祭壇の横に一枚の絵が飾られていました。美大の先生でもあったお母様がTさんの生後二ヶ月くらいの姿を描いた絵だそうです。赤ん坊の顔の、眉毛とか口のあたりがいかにもTさんで、なんともいい絵なんですが、この顔が、亡くなる直前のTさんによく似ていたそうです。

わたしにとってTさんはとても強くて、美しくて、自分が大好きで、でもわたしにもやさしくて、というイメージだったのですが、彼女は最後の寝たきりの一年半ほどをどんな思いで生きていたのだろうかと、なんともやりきれないような、複雑な感情が湧いては、もうどうしようもないことに気づいてしょんぼりするような、そんな感じのままにお宅をあとにしました。

この年齢ですから、同世代の友人が亡くなることはないわけではないですが、Tさんはちょっと特別なひとだったなと、たぶんこの先も折々に思い出したりするんでしょう。

 

もうひとつの目的は、銀座のコリドー街にある「ギンザ・わいんばー」に行くことでした。このワインバーは、石井辰彦さんに連れて行かれたのが最初で、昔キャバレーだったという店内のちょっとレトロな雰囲気とか、マスターの臼井さんの人柄とか、ビールさえ置いていないワインへのこだわりとか、美味しいパンとか、まあ、とにかくいい店だったんです。何回か朗読会の会場などにも使わせてもらったことがあり、岡崎裕美子が最初で最後の朗読をしたのもこの店でなかったかな。あと、石井辰彦さんの『全人類が老いた夜』という歌集の出版記念会をしたことも思い出します。岡井隆さんも出席されるので、道順を克明に書いてお知らせしたこととか……。その会には堀浩哉さんもいらしてたなあとか。

そのわいんばーが8月に閉店すると聞いて、たぶん閉店までに東京に行く予定はないから、行けないと諦めていたのですが、なんというか、奇遇というか、こんなことで行けることになるなんて、世の中こういうことの連続で人は関わったり繋がったりするのだなあと思いますね。

銀座はあちこち工事中で、しかも有楽町側から行ったことがあまりなかったので一本道を間違え、コリドー街を新橋まで行ってしまってから戻ったりして汗だくで到着。

知らないひとは絶対開けられない(笑)ドアを開けて、薄暗い階段を降りて、店に入るとマスター・臼井さんの驚く顔。石井さんから予約は入っていたものの、わたしが来ることは知らなかったみたいで、歓喜の再会のハグ!

お店を閉めることになった理由は、推して知るべし、なのかもしれませんが、マスターの体調も少し悪いみたいで、「マスターも一杯」の誘いにも「いまちょっと飲めないの」と。

わたしが大好きだったこの店のパン(フランスパンなんだけどちょっとやわらかくてあったかいの)をたくさん食べて、臭いチーズをきゃあきゃあ言いながら食べて、もちろんワインもたくさん飲んで、最後のわいんばーを堪能しました。

あの店を知っているひと(歌人)も多いはずだから、7月中に行けるひとは行ってあげてね。

 

ということで、長くなりましたが、今回の東京行きの話でした。その他にもちょっとした縁がつながったりしたのですが、まあ、それはおいおいと……