AU(Asian Union=アジア連合)を画策した男!

 

頭山満 と 玄洋社 ②  クスノキと人参畑 」

頭山満 と 玄洋社 ③  敬天愛人 」  

頭山満 と 玄洋社 ④  雲従龍  風従虎」 

頭山満 と 玄洋社 ⑤  ラストサムライ」に続く。

 

幕末に生まれ、明治・大正・昭和を生き抜いた旧福岡藩士に、頭山 満(とうやまみつる)と言う男がいた。 太平洋戦争終戦の前年(昭和19年=1944年)に89歳で没した。 政治家では無い。 政治活動家、思想家が正しいかもしれない。 当時の首相をも含む政治家、大物の実業家など政界・財界に広い人脈を持ち、かつ厚い人望を得ていた。 

頭山 満(とうやまみつる)   (ウィキペディアより)

しかし戦後になると、頭山 満の名前は封印され、福岡でも語られることが少なくなったようだ。 「福岡検定」を受ける為の教本に「福岡博覧」がある。 この一冊を読めば、福岡の歴史・文化・郷土の人物については大かたが学べる。 この「福岡博覧」の中で、頭山満(とうやまみつる)の名前は、自由民権運動の気運が高まる明治中期に数回のみ出て来る。 

福岡博覧

実はうっちゃんも、頭山 満の名は「福岡検定」の初級・中級を受ける時の勉強で始めて知った。 その後は、JR九州ウォーキング・観光案内ボランティア・博多ガイドの会などの名所まち歩きに参加したコース内で彼が揮毫した書などが目に付くようになった。 図書館でも彼について記された箇所は目を通すようになり、浪漫を感じさせてくれる不思議な魅力を持った人物だと、徐々に分かって来た。 

 

近ごろ、頭山 満(とうやまみつる)のことから、色々と感じていることがある。 日中韓の三ヵ国のことだ。 何故お互いに上手く付き合いきれないのか?  三ヵ国両隣で同じ漢字文化圏の兄弟であるのに、何故こんなになっちゃたんだろう。 ヨーロッパ諸国は第一次世界大戦、第二次世界大戦において、敵味方に分かれて戦った。 ところが現在はEU(European Union=欧州連合)を組み、政治・経済の国家共同体として上手くまとまっている。 (昨年、英国が離脱したが・・・)   

 

現在の韓国(大韓民国)、中国(共産党による中華人民共和国)として成立したのは日本敗戦後の昭和24年(1949年)だった。  明治時代の中期~後期頃は、現在の韓国は李氏朝鮮(北朝鮮を含む李王朝)、現在の中国はまだ皇帝が治める清国で共産党国家ではなかった。 アジアの国々は欧米列強の圧迫に苦しみ怯えていた。  そんな中、「アジア諸国は連携して共同防衛体制を築くべし」、と「大アジア主義」を唱える政治結社が福岡にあった。 「玄洋社(げんようしゃ)」と言う。 その玄洋社を動かしていた人物が頭山 満だった。  

 

玄洋社の想いと活動がアジア各国の事情と思惑に合致していたならば、日中戦争太平洋戦争は始まらなかったかもしれないし、今頃は、日本または中国を中心とするAU(Asian Union=アジア連合)が世界をリードしながら、平和を共存しているのかも・・・。 歴史を語るに、「もし~」とか「~だったら」は言ってはいけないが、ただ、「AUアジア連合」のような大きな浪漫を考えていたのは、玄洋社であり頭山 満だった。

 

欧米列強の進出に抗する「アジア共同防衛体制」は言葉に言うのは簡単だが、それぞれ国の成り立ちと事情が異なるのでなかなか難しかった。 頭山 満玄洋社)の想いは、アジア各国の革命家たちと連携し欧米からの自立・独立を助ける活動から始まった。 

 

 一枚の写真がある。 前列右が頭山 満、中央が孫 文(そん ぶん)だ。(頭山満伝より)                                            

 

江戸幕府やアジア諸国は欧米列強に対して立場が弱く、不平等な条約を締結していた。 玄洋社の頭山らは不平等条約改正運動をアジアに広めようと活動を始めた。 中国(清国)でも各地で自立・独立の機運が高まっていた。 

 

孫文の活動は日本の幕末期の攘夷倒幕運動と同じだ。 列強に対して弱腰の清国に不満を募らせていた。 孫文は広州で武装蜂起するが、頓挫して日本に亡命する。 その時、玄洋社が中心となって彼を匿った。 孫文は時期を見極めながら、1911年(明治44年)、湖北省で武装グループをまとめ再び決起した。 玄洋社は資金・物資で応援している。 たちまち16の省の革命グループがそれに呼応して立ち上がった。 革命軍は清国から独立して孫文を臨時大総統とする中華民国(未だ台湾ではない)を成立させた。 これが有名な辛亥革命(しんがいかくめい)だ。 ただ、それぞれの革命グループには意見の対立があり、国内は乱れていた。 また、抵抗勢力によって完全統一は遠ざかった。 孫文は第二次革命、第三次革命を起こすが、中国国内の政治情勢は分断を繰り返して行った。 玄洋社中華民国政府を応援していたが国内は乱れ、孫文は再び日本へ亡命して来た。 その時も玄洋社は孫 文を見捨てず匿った。

 孫 文

 

孫文の仲間で義理の兄弟に当たる蒋 介石(しょう かいせき)が後継者として中華民国(国民党)を導いていた。 蒋 介石(しょうかいせき)は日本への留学経験があり、当時は時間があると東京に住んでいた頭山 満の家を訪ね、大アジアの思想を学んでいた。  しかし、第一次世界大戦後、山東省の権益を日本が受けると、中国全土で抗日運動が広がった。 蒋介石が悩むなか、抗日愛国運動は、若者達のあいだに共産主義思想を拡大させる一因ともなった。 そんな中、孫文は中国の完全統一を見ることなくこの世を去る。 日本が満州国を建国すると、頭山 満蒋介石の意に反して、日中戦争・太平洋戦争(第二次世界大戦)へとつながって行った。 そして、日本は敗戦国となる。

 

外務大臣・内閣総理大臣を歴任した福岡県出身の広田 弘毅は、戦後、GHQ(連合国軍最高司令部)によりA級戦犯として処刑された。 広田 弘毅は玄洋社のメンバーではなかったが、頭山 満らとの繋がりは深かった。 GHQ玄洋社が戦前の日本の政治に係わっていたとし、また、今後の活動を警戒して解散を命じた。 解散の理由は右翼団体だとか、政府外交の裏で工作活動をしていた、などなど・・・色々と言われているが、今後のブログの課題に! 終戦の前年に他界した頭山 満は、敗戦と玄洋社の解散命令を直前に予感していたのではないだろうか。 

 

戦後、中華民国(国民党)の蒋介石毛沢東(もうたくとう)率いる中国共産党に敗れ、日本の統治が終わった台湾に拠点を移して現代に至る。 毛沢東(もうたくとう)が1949年、北京の天安門広場で共産党が率いる中華人民共和国の建国宣言を行ったことで二つの中国が存在することとなった。  もはや頭山 満が描いていたアジア連合の姿ではなかった。

 

台湾(中華民国)も日本統治から解放されたので、韓国と同じく「抗日勝利」とはなっているものの、現在の日台関係は日韓関係とは真逆で両国民も相互良好な関係にある。 台湾は日本人が親しみを感じる国で、多くの観光客が訪れる。 台北市内の人気スポットに「国父紀念館」と「中世紀念堂」がある。 国の父とは孫文のこと、中世とは蒋介石の本名=蒋中世のことである。 どちらとも見どころがいっぱいだが、近年の市内観光コースでは「中世紀念堂」の方が訪問客が多い。

中世紀念堂

中世紀念堂」は蒋介石を讃えた紀念堂だが、八角形の二層の屋根は国父・孫文が唱えた「忠・孝・仁・愛・信・義・和・平」を表している。 この文字を聞くと、頭山 満につながるものを感じる・・・いや、最初の二文字「忠・孝」は、福岡県の何処かで見たことがある。 何れの日にか、後日に・・・触れる。 

 大理石の石段を上った正面で、大きな蒋介石座像が迎えてくれる。

蒋介石像

 

中世紀念堂」の展示室の中では、次の写真を見られた日本人観光客も多いと思う。

岸首相(中央)と蒋介石夫妻

 

  

台湾(中華民国)から最初に招待を受けた国家主席は日本の岸信介首相だった。 安倍晋三 前首相は岸信介の孫に当たる。 抗日勝利国の蒋介石総統から、岸信介首相は大歓迎を受けた。 本土(共産中国)に対抗する共通認識の確認が招待の主目的だったろうが・・・日本統治時代のインフラ整備に対する感謝もあったのではないかと思う。 

 

 以徳報怨 (徳を以って怨みに報いる)

終戦日の昭和20年8月15日に時を戻す。 この時、中国大陸は共産党との戦い以前、・・・中華民国(中国)のトップは国民党の蒋介石で重慶にいた。 昭和天皇の玉音放送と同時間帯に、蒋介石はラジオ放送のマイクで国民に向かって演説をしている。 

「同胞よ! 我々は日本に報復を加えてはならない。 怨みをもって怨みに報いれば永遠に続くことになる。 全国の同胞は日本に対して、『徳を以って怨みに報いる』、と言うことを心得るべきである」、と。 また、蒋介石は敗戦により日本へ帰国する将兵に米と食べ物を配給して帰還させた。

蒋介石

 

戦後、台湾から招待を受けた岸信介は、この時、中国大陸時代の蒋介石に「以徳報怨」のお礼を言った。 彼は微笑みながら・・・

以徳報怨 の考え方は、私が日本に留学していた際、頭山先生から教えていただいた武士道の精神です。 頭山先生に感謝して下さい。 帰国されましたら、頭山先生の墓参りをお願いいたします」、と答えている。  その後、岸信介GHQに隠れて頭山 満の墓参りをしたのかどうかは分からない。

 

蒋介石は、国父・孫文が何回挫折しても日本政府に隠れて匿い続けた頭山 満の信義と友情、そして自分を信じてくれた頭山イズムに対しての感謝を忘れてはいなかった。 

頭山 満  犬養毅  蒋介石  (南京にて)             

(註)犬養毅は29代総理大臣。盟友・頭山満から頼まれて、孫文を東京で匿った。昭和7年の5・15事件で暗殺される。

 

頭山ら玄洋社が描いた平和で強い「アジア連合」は成すことはできなかったが、活動の事実を一つひとつ紐解いていくと、未来への指針が見えてきそうでもある。 現在の日中韓は「」の上に「作り話の」を塗り重ねて、問題を増幅させていないか。 以徳報怨」を、国民に声高に訴えることが出来る指導者が現れることを願う。

 

玄洋社が「大アジア主義」のカッコイイ一言だけで主義を唱えていたとは思えない。 共存共栄のアジア広域経済連合を説く主張の裏には、日本が盟主国となる考えがあったのではないか・・・玄洋社という政治結社に於いては、間違いなくそれによる利を求めていたのではないかと思う。 ただし、頭山 満という個人には、そんな利害関係が微塵も見えないのだ。 実直至誠を貫いた不思議な人物・頭山 満を、玄洋社と共にしばらくは追い掛けてみたいと思う。

 

 

頭山 満と玄洋社 ② クスノキと人参畑」に続く。

 

参考・引用文献 : 『頭山満伝』 井川聡 著 、ウィキペディア、他

 孫文・蒋介石・頭山満の人物画像はパブリックドメイン確認済。

 

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