インカム(京都中小企業家同友会・異業種交流会)の年一回の研修旅行で6月8日、9日石見銀山へ行って来ました。名神高速道、中国自動車道、米子自動車道、山陰自動車道を経て、石見銀山(龍源寺間歩)見学、温泉津(ゆのつ)温泉泊。2日目は大森町(銀山以来の旧家を含む町並み)見学の後、出雲大社を経て山陰自動車道から名神まで同じ道をひた走る長いバス旅行でした。2,3の見所と感想を。
石見銀山龍源寺間歩
間歩はマブと読みます、坑道のことです。龍源寺間歩は唯一見学可能なところで、入り口から100メートルほど入れます。高さが1.5から2メートル、幅0.9から1.5メートルあり、ノミで掘った跡が当時のままの状態で残っており、樋押し抗(鉱脈に沿って掘り進んだ穴)が左右の壁面からいくつも延びており、排水のため垂直に掘った竪坑も見ることができます。バスの降車地点から龍源寺間歩までほぼ2キロ、その間無数の間歩がありました。森林浴を兼ねた散歩は快適でした。
大森町町並み散策
代官所跡や、郡役所跡をそのまま利用した資料館、旧武家屋敷跡などが現在の民家の間に散在しています。観光客目当ての露骨な商売をしている店はほとんどなく、むしろ拍子抜け、ただここだけ販売の飴屋さんとか、銀細工の店、ここから全国へ発信しているブティックなどユニークな店もありました。なかでも圧巻は昔銀山で使ったカンテラを作っていたという爺様の雑貨店、置いてある品物はともかく、注文があればカンテラも作るけど、お届けは2,3年先、寿命が尽きればご免とのこと。
温泉津温泉
中世に世界に知られた「石見銀」の輸出港であった、温泉津港に続く温泉街。「元湯」と「薬師湯」の2つの共同浴場がありました。元湯の開湯は1300年前と聞いて吃驚しました。今でも49度のまさに源泉かけ流しが滔々と湧いています。「薬師湯」は1872年の浜田地震で湯柱をあげた、手を加えずに湯船にそそがれている薬効豊かな源泉100%の温泉で、その薬効は全国で僅か12箇所だけあるオール5の認定を受けているそうです。両湯とも昔の湯治場のスタイルを維持しています。泊まったのがこれまたレトロな旅館「ますや」。もともとは温泉津港の回船問屋、その建物を利用しての明治43年の創業です。もう一つ驚いたのは「妙好人、浅原才市」の銅像があったことです。真宗の人はご存知の方も多いでしょうが、彼の生まれ育ったところでした。
さて、主にこの3つが「世界遺産石見銀山」の対象らしいのですが、「モン・サン・ミシェル、マチュピチュ、ナイアガラの滝など世界には人々を引きつける多くの史跡や景勝地があります。これらはすべて、私たち人類にとってかけがえの無い財産です。」という世界遺産のうたい文句からは地味すぎて、いま一つピンと来ませんでした。そこで「ウイキペディア」を開けてみて何となく理解出来ました。いまはやりの「環境」でした。
「ウイキぺディア」によると、『2007年5月にユネスコは遺跡の普遍的価値の証明が不十分として延期を勧告したが、その後「石見銀山の特徴である、山を崩したり森林を伐採したりせず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式」や「石見銀山が伐採した分だけ植林していたことなど」自然に対する配慮の歴史や、21世紀が必要としている環境への配慮がすでにこの場で行われていたことなどが評価され、6月28日に正式に決定された。日本の世界遺産登録としては14件目であり、文化遺産としては11件目、産業遺跡としては国内初の登録となった。』とあります。
16世紀当時、石見銀山一つで世界の銀の産出量の3分の1を占めていたこと、それがポルトガルなど西洋列強を呼び寄せる誘因になった事や、大内、尼子、毛利に始まり豊臣、徳川に至る戦国史の経済を石見銀山の領有権が左右したことなど、新しい発見も沢山ありました。肩肘張らずに中世の日本の先進性を感じたり、昔ながらの温泉にゆっくり浸るには結構な旅行でした。