祝 古稀を祝う会 光徳小学校昭和25年卒同窓会 | 行雲流水 ~所長の雑感~

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

 「また同窓会!」と、家内に言われるほど毎年のように同窓会があります。まず、光徳小学校同窓会、松原中学同窓会の二八会、高校へゆくと、担任の先生の名を冠したクラス会が発展した「山添会」、学年全体の西京高校同窓会、新聞部OB会の西京高校新聞部同窓会、同じ校舎を使っていたご縁で京都第一商業との合同の京一商・西京同窓会。同窓会というニュアンスからはちょっと離れますが、同志社大学ヨット部OB会、同志社大学経済学部の同経会、経済学部西村ゼミ同窓会、同志社校友会まで範囲を広げますと、毎年どころか毎月何かの会合に出席している有様です。

 

ところで、光徳小学校同窓会が2年ぶりに、この3月13日に新都ホテルでありました。新都ホテルの宴会場の案内板で会場探しをしていたのですが、表題の看板を見ても私たちの同窓会と気づかずに、ほかの看板に目を走らせていました。古稀、昭和25年卒の文字だけで「えらいお年寄りが集まったはるなあ。」と、独り合点して自分たちの事とは一瞬、思えなかったのです。会場には、82才の現在でも矍鑠(かくしゃく)たる先生をはじめ、50人の元気な同窓生が集まっていました。イ組からニ組まで4組約200人の卒業生からみると25%の歩留まりは、かなり成績のいいほうかも知れません。高校、大学と比べると自営や地元企業に勤めた人が多いせいでしょうか。


 隣の席の「ヤスダクン」は、乾杯の杯をほす間もなく、携帯を取り出しました。その待受画面に可愛い女の子の写真が写っています。曾孫だとのこと。この子が成年になったら一緒に祇園に飲みにゆく約束をしてるんだそうです。しかも、3所帯同居で数年前に家業の仏教関係の和紙印刷をやめたあと、もっぱら曾孫の守だとのこと。「今日のメンバーで曾孫がいる人はまずおらんし、孫や曾孫と一緒に暮らせるなんて、こんなかであんたが一番幸せちゃうか。」と、奥さんや子や孫の家族を褒めちぎったせいか、帰りに曾孫を連れてゆく予定のスナックをおごってくれました。


 光徳や二八会でも常連の「カッサン」(女性)が「マッシンこのひと覚えてるか。ユウコさんやで、光徳のマドンナやった…。」と一人の女性を連れて来ました。一言二言話している内に「1年の時、ホ組やったやろ。確か一緒の組やったで。」「思い出したわ、地震怖かったな。」「そや、あれ学芸会のときや。福井地震やったな。」「講堂が今にも倒れそうにゆれとったわ。」と、周りを巻き込んで話が盛り上がっていきました。ユウコさん、聞けば千葉県在住で私とは58年ぶりの再会でした。みんな、地震は1年生のときと思って話していましたが、福井地震は昭和23年、5年生のときの出来事でした。一瞬にして蘇る記憶や、曖昧な想い出や、毎回来ているおなじみさんも、何十年ぶりに再会する人もみんなごっちゃまぜに、一次会、二次会と夜は更けてゆきました。


 欠席者の返信はがきが、各テーブルに回覧されて来ていました。元気に次回は必ず。と、いう返事が多い中で、中には体調不良もありましたし、奥さんの代筆の返事も2通ありました。2000年に百才で亡くなられた「山添会」の山添先生がよく「同窓会に出席出来ることに感謝するように。」と、良く私たちに話されていました。おっしゃるように、まず健康で無ければ出られません。手元不如意では出席が躊躇われますし、自分のみならず家族の身辺も穏やかで無ければ、たとえ出席しても心から楽しむ事は出来ません。


 学校も仕事も京都で、また、比較的に時間に自由の利く仕事のせいで、同窓会には、ほとんどみんな出席に近いと思います。以前、何かの講演会で事業を広めるのに同窓会は欠かせないと、誰かが話していた記憶があります。そんなつもりは無かったのですが、今回、この原稿を書くためにお客様の名前を見てみると、先輩、後輩、同級生を含めて14名いらっしゃいました。あらためて生まれ育った土地で、同窓生のような雰囲気のなかで仕事をさせてもらっていることに感謝して、健康に留意しつつ、いささかでも皆様のお役に立てるよう、これからも頑張っていこうと思いました。