行雲流水 ~所長の雑感~ -34ページ目

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

 TKC全国会のテレビコマーシャルなどで、「経営承継サクセスプラン2008」の文字を見られたことはあるでしょうか。日本全国3,000件以上のTKC会員事務所が、同名のセミナーを10月6日から12月の半ばまで全国一斉に開催しています。これは「事業の将来性、後継者不足、相続人間の遺産分割や遺留分、相続税の問題など、日本経済を支えるべき中小企業の事業承継には様々な問題があり、その解決を図ることは、雇用の確保や地域の経済活力維持の観点からも重要である。……」(平成19年度自民党税制改正大綱)のもと、「中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律」(経営承継円滑化法)の平成20年10月1日の施行を踏まえて、経営者及び後継者の皆さんに法律の周知徹底を計るとともに、せっかくの新法の早期の有効利用の為に企画しています。


 当事務所も皆さんに既に通知した通り、11月6日大同生命ビル10階で開催しました。会場の雰囲気は別添のペーパーで感じて頂くとして、「円滑化法」の概略だけをお知らせします。同法は次の三つの柱から成っています。


 1.民法の遺留分に関する特例
 2.金融支援
 3.相続税の課税の特例


 1の遺留分に関する特例は、「贈与株式などを遺留分算定基礎財産から除外出来る。」ようになりました。遺留分とは民法が相続人に保証している2分の1の割合をいいます。現在の民法は「法定相続分による法定相続を原則」としています。簡単に言うと兄弟は皆平等、自社株や事業用不動産など事業を継ぐ人には、なくては成らぬ財産でも、2分の1以上相続しようとすると、他の兄弟姉妹から必ずクレームが出て相続ならぬ争族になるのが現状です。そこで、今回は法的(民法)に後継者に贈与した株式などを遺留分算定基礎財産から除外出来るようになりました。もう一つ「贈与した株式の評価額を固定化出来る。」がありますが、此処では説明を省略します。施行は21年3月の予定です。


 2の金融支援は、①法人による自社株式などの取得資金融資制度、②後継者個人による経営安定化のための融資制度、③M&A支援に関する融資制度の三つがあります。いずれも日本政策金融公庫が7億2千万円を15年以内で貸し出します。目玉は②の後継者個人に対する貸付が可能になった事でしょうか。例えば長男(後継者)が次男、長女などから、自社株や事業用資産の買取資金を借りられるようになりました。この金融支援は他の法律に先駆けてすでに20年10月1日から施行されています。


 3の相続税の課税の特例は「相続によって取得した株式の課税価格の80%に対応する部分の相続税が納税猶予される。」ことになりました。猶予であって免除ではありませんのでご注意下さい。ただし、5年間は継続して地域経済産業局に報告書を提出し、①代表者で有り続けること、②雇用の8割以上を維持すること、③相続した対象株式を継続して保有することを義務づけられます。


 それと、相続税の計算の仕方が大きく変わります。現行の「法定相続分課税方式」から「遺産取得課税方式」になります。現行法は、取り敢えず法定相続分で相続したと仮定して、まず相続税の総額を計算し、その後各人の実際の相続分で按分しました。誰がどう相続しても、全体の相続税の金額にはあまり変わりがありませんでしたが、例えば誰かが相続した不動産の評価額が税務調査後変わった時、その不動産を相続していない人の相続税まで変わってしまい、追徴課税を受けると言うようなこともありました。

 

 これに対し、遺産取得課税方式は一人一人の相続分から、一人一人の基礎控除を引き税率を掛けて算出します。法定相続分課税方式では全体の相続財産が分からないと、申告そのものが出来ません。そのため兄弟喧嘩でもしているとみすみす無申告になる恐れもありました。遺産取得課税方式では自分だけで申告できるのでそういう問題は無くなりそうです。相続税の改正は21年度税制改正で20年10月1日に遡って適用されます。


 以上、駆け足で「事業承継円滑化法」の概略を述べましたが、これら三つの法律の適用を受ける為にはすべて事前に、経済産業大臣(地域経済産業局)に「申請書」を提出し「確認」をとっておく必要があります。その上で「申請」もしくは「申告」をする事になりますので、関心のある方は早めに事務所にお問い合わせ下さい。

「京都市交響楽団オーケストラ ライブ シネマVol.4
チャップリンの名作をオーケストラの生演奏で上映」


 タイトルそのままの京都新聞の広告に興味を引かれ、9月28日京都会館第2ホールへ出かけました。100人を超えるフルオーケストラを前に80年前の無声映画が、期待以上の贅沢な至福の時と、上質な笑いを72分間与え続けてくれました。


 「放浪紳士チャーリーはひょんなことから警官によってスリと間違えられてしまい、巡業公演中のサーカスのテントの中へ逃げ込む。そこで偶然、観客から大ウケを取った彼は座長にスカウトされて入団、座長の娘に思いを寄せるが、少女は綱渡り師に恋していた…。」これは当日のパンフレットに記された梗概ですが、これだけのありふれたストーリーの中に、全館思わず吹き出す爆笑、一人一人がクスリともらす笑い、共感のあまりの微笑みなど、チャップリンならではのペーソスに満ち溢れていました。


 第1回のアカデミー賞特別賞を受賞したと言う、「ライオンの檻に閉じこめられるシーン」や「綱渡りのシーン」などのスタントなしの演技には、ただただ感心するしかありませんでした。そして当日の指揮者、斉藤一郎の「……この京響の挑戦はチャップリンの変わらぬ映像にあたらしい生命を呼び起こすことができると信じている。その意味で京響演奏によるチャップリンのサイレント映画上映は世界のどのオーケストラも、どの映画館でも成しえない最高のものだ。」とパンフに書かれているとおりの自信にあふれた素晴らしい演奏でした。

 

それにしても、昔の人は贅沢な時間を過ごしていたものだなあ、と改めて感動しました。映画とオーケストラを同時に楽しめることもそうですが、モノクロ(白黒)とサイレント(無声)でこれだけの表現が出来るのにも驚きでした。セリフはほんの時々、黒い画面に白抜きで出てくるだけ、それも私でも読みとれる程度のシンプルで短い英語(勿論日本語字幕もその下に出ていますが)でストーリーの展開のみならず、心の動きまでが素直に読みとれます。


 チャップリンの天才もあるのでしょうが、映像技術や音響技術が当時とくらべ格段に進歩、と言うより次元の違う水準にある今日の映画でも、これほど心を動かされた経験はありません。いやむしろ高度な技術水準に振り回されて、人間の根元に踏み込んだ表現が出来ないでいるのかも知れません。


 突然変なことを思いつきました。せっかく眼前に素晴らしい映像があるにもかかわらず、無用な音声が入るがために興ざめしてしまう、最近のテレビのスポーツ放送。野球放送の視聴率が急低下しているのは、野球人気の低落よりも、野球の解説者の無自覚にありそうです。試しにNHKの衛星放送で「音声」を解説抜きの「球場音のみ」にしてみてください。臨場感がぐっと高まり野球の楽しさが蘇ってきます。


 ところで、タイトルにVol.4と出ています、と言うことはすでに3回上映されていることになります。パンフに「……昨年京響が取り上げた『モダンタイムス』のような……」とでています。あと二つは何だったのでしょうか。インターネットでチャップリンの映画一覧を出すと、81本の映画が出てきます。1914年のデビュー以来1918年までの66本はすべて上映時間は30分以内、内23本は10分以内です。30分から1時間以内の作品が6本あって、1時間を超える作品は1923年「巴里の女性」が初めてで81分です。以下「黄金狂時代」(1925)「サーカス」(1928)「街の灯」(1931)「モダンタイムス」(1936)「独裁者」(1939)「殺人狂時代」(1947)「ライムライト」(1952)「ニューヨークの王様」(1957)「伯爵夫人」(1967)と続きますが、「独裁者」が初トーキーになります。ライムライトはカラーだったかな。


 いずれにしてもモノトーン、サイレントで1時間以上の作品は5つしかありません。京響が、そのうち既に4本を上演しているとすれば、あと1本だけ。こんな素晴らしいものをすでに3本も見逃してあと1回しかチャンスがないとは残念でなりません。最後の1本は来年にでも上映されるでしょうか、絶対見逃せません。もし来年、広告を見られた方は是非教えていただけるように今からお願いしておきます。そして私と、この文章を読んで興味を持たれた方々の為に是非、再演があることを期待して今日の話を終わらせていただきます。

地しんは信(マコト)に大変に候。
野僧草庵ハ何事なく、親るい中、死人もなく、めで度存候。
うちつけに しなばしなずて ながらへて
かゝるうきめを 見るがは(ワ)びしさ
しかし、災難に逢時節には、災難に逢ふがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候。   かしこ。  良寛

 


この文章を初めて見たのは、阪神大震災のときだったのでしょうか。時期は定かではありませんが、衝撃を受けました。子供たちと手毬をついているやさしい良寛さんが、その姿のままに、一切の迷いを断絶超越した禅者良寛に重なった一瞬でした。座右の銘にとも思いましたが、その厳しさゆえにとてものこと、忘れるともなくときが過ぎていました。


 今、目の前にその手紙そのものが存在しています。8月31日、信楽にあるMIHO MUSEUMの展示室です。漢字まじり仮名で判読はかなり難しいのですが、横にある読み下し文を見ながら読み終えました。やさしい筆運びでした。中ほどのうた、『死なずに生きながらえたがために、このような悲惨な有様を見るつらさ』という慈悲の心。『……死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候。』という諦観。二つが一つに溶け合った素晴らしい手紙でした。この世に存在しているとは思いもしなかったものが、見られる喜びを味わいました。

 

 説明が遅れましたが、MIHO MUSEUMの秋季特別展「大和し美し(やまとしうるわし)」川端康成と安田靱彦(二大コレクションと良寛 美と文学のコラボレーション)のオープニングセレモニーに、福本事務所の木村しのぶさんに招待していただいたときです。川端康成、安田靱彦と良寛の接点は、次の「大和し美し」の序文を引いた方が明瞭です。


 「昭和23年、安田靱彦が川端全集の表紙画を描いたことがきっかけとなり、交流が始まりました。二人が出会った時、安田は川端より15歳年長で日本画壇の大御所、川端は国民的作家になりつつある時でした。そして交流は24年間続き、昭和47年の川端の自裁によって終止符が打たれたのです。二人の絆をより強固にしたのは古美術品が好きだったこと、戦後の混乱期、旧家名家が没落して古美術品が市場に出回ったのも蒐集には幸いしました。美術品コレクターとして安田は大先輩でした。川端は名品を入手すると、鎌倉から大磯へ持参、至福の時間を共有したのです。

 

 古美術は二人を支えたのみならず、旧き日本の、良きもの、美しきものの探求となって創作に生かされました。川端は『古都』や『千羽鶴』、『山の音』などの小説を、安田は《日本武尊》や《卑弥呼》、《飛鳥の春の額田王》などの多くの歴史画となって結実したのです。


 大正元年、良寛の書と運命的邂逅をした安田は、墨蹟を蒐集、書を臨書し、生涯敬慕の念を抱きました。また川端はノーベル文学賞受賞講演で良寛を取り上げ、その心を世界に伝えました。本書は二人の交流に光を当て、その美的世界を紹介するものです。」


と結ばれ、この文はまたこの展覧会の見事な紹介でもあります。


 興味あるものがいろいろあります。国宝が2点、それも川端康成が購入後に国宝指定されたと言いますから、眼力の高さが忍ばれます。ノーベル文学賞もありました。賞状は各受賞者に対し独自にデザインされることも初めて知りました。小説「千羽鶴」のデザインでした。安田靱彦の法隆寺壁画の模写、歴史画の数々など楽しいものばかりでした。

 

 「良寛の書はよみにくいことが有名であります。脱字なども一向平気で、一絶句の中に二字も三字も落ちているときがあります。さうしたことに構はない人かと云ふと、手紙などはわかり易く書いてあり、字にも文にもやさしい情味が籠っているのであります。」と安田が説く良寛の書もあまたありました。


 見る人の興味、知識、関心の違いでいろいろな楽しみ方の出来る企画展に思えました。是非一度、お出かけになることをお勧めします。私ももう一度は行ってみようと思っています。


 会期は9月2日から12月14日までです。たっぷりありますが、いい展覧会はあっという間に終わっていることも多いのでお気をつけ下さい。


※冒頭の手紙は1828年11月12日、越後三条を襲った、全壊家屋1万、死者1600人の大地震のとき、良寛が知人の山田杜皐に宛てたもので、現在も大地震のときに良く引用されます。

 「崖の上のポニョを見たよ。」と言うと、何人かの人に「えっ。」と言う顔をされました。私と宮崎駿アニメとのあいだにはそんなに距離があるのかな、と思いながら実は映画館でじっくり見たのは初めてでした。「紅の豚」を機内放映で見た記憶があります。「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」などは多分テレビで断片的に見て、見た気になっていた感じもします。今回は、とにかく見終わって心が"カルク"なっていました。何故かな。


 悪いやつが出てこない。おどろおどろしいシーンがない。唯一悪役らしき配役はポニョのお父さん、フジモト。なんと、かの「海底二万哩」の潜水艦「ノーチラス号」のアジア人の少年クルー。海の精、グランマンマーレと恋に落ち半分人間、半分海の男として生きています。家出した娘ポニョを連れ戻すために「崖の上」に現れます。唯一おどろおどろしいと言えば、一つ一つが目を持った波頭。無数の青い目が嵐となってポニョを、主人公宗介のところへ送りとどけます。……フジモトの手先となってポニョと宗介を襲います。

~監督企画意図~海辺の小さな町 


 『海に棲むさかなの子ポニョが、人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す物語。同時に、5歳の宗介が約束を守りぬく物語でもある。アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し、キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。海辺の小さな町と崖の上の一軒家。少ない登場人物。いきもののような海。魔法が平然と姿を現す世界。誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう。 


そのために、空間をデフォルメし、絵柄を大胆にデフォルメして、海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする。少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。』
(宮崎駿 パンフレットより)



 ここまで書いてきて、50数年前「映画紹介」もしくは「映画評」を毎月一回「西京高校新聞」に書いていたのを思い出しました。毎月数回封切りの映画を見て、そのうち一本だけを自分の独断で紹介していました。載せてくれるかどうか分からない映画を、高校生に毎週、無料で見せてくれていた当時の映画館のおおらかさに感心すると共に、なにを書いていたんだろうと心配になってきました。作品を正確に紹介すると同時に、宮崎監督の言葉を借りれば、(意識下深くに持つ内なる自分と、波立つ外なる映画が通じあうもの)をどう表現するのか。


 先週の土日(8月9~10日)毎年恒例の琵琶湖の北端、管浦へ行って来ました。同行は、ヨット部の同級生とその中2の孫娘とその同級生。微妙な年頃の女の子たちと沖の白石、竹生島、多景島、沖の島をたずねてきました。(船上、ポニョの話題が出て「見たよ」というと「えっ。」と言った人たちですが。)数万年もしくは数十万年、美しかった琵琶湖の水がここ数十年で急激に悪化しています。今年も北湖(琵琶湖大橋より北)は、きれいな水をたたえていますが、南湖の藻は、異常に繁茂してエンジンボートの助けがないと入出港が出来ませんでした。「大水の浄化作用」等と言ってすべてを飲み込みながら、きれいな水に返してきた琵琶湖も最近の人間の垂れ流しに、耐えられ無くなっている証です。世界中の湖や海で同様の事が起こっているのでしょう。海はすべての生命を生み出し、育て、陸上へ送りだしました。そして、これから海と私たちとのつきあいはどうなっていくのでしょうか。

 

そして終盤、ポニョの母、すべての生みの親、グランマンマーレはフジモトとこんな会話を交わします。


「ねえあなた、ポニョを人間にしてしまえばいいのよ。ふるーい魔法。男の子の心がゆらがなければ、ポニョは人間になって魔法を失うわ。」
「しかしあの方法は…しくじるとポニョは泡になってしまう。」
「あら、わたし達はもともと泡から産まれたのよ。」
 宗介はグランマンマーレに、
「お魚のポニョも好き。」
「半魚人のポニョも好き。」
「人間のポニョも好き。」と答えて……。

 「ミャンマー」乃南アサ。「「中国の戦争」に日本は絶対巻き込まれる」平松茂雄。「GHQ焚書図書開封」西尾幹二。日経の書籍広告に3冊の本が並んで出ていました。何となく興味を持って注文して、まだきちんと全部を読んだ訳では無いのですが……。

 

 それぞれの本のオビには、『「どこに行っても、人々は、ただひたすら生きていた。その、生きている姿を忘れたくないと思った。」ふと訪れたデモと軍政が対峙する国で、作家の心を強く捉えたのは、不思議な"懐かしさ"だった。それは、わたしたちアジア人の「ふるさと」なのかも知れない。(ミャンマー)』、『あなたの町にも中国軍がやってくる!これは絵空ごとでも何でもない、近未来の日本の現実である。過去12回の戦争に学んできた中国と、戦争を忌避してきた日本。この「差」がこれからの日中関係を決定する!(「中国の戦争」に……)』、『アメリカが仕掛けた「焚書=歴史書の没収」は日本消滅の時限爆弾だった。この事実を見据え、アメリカに簒奪された私たちの歴史をいまこそ取り戻せ!7000冊以上の焚書によって生じた日本現代史の巨大な空白をどう埋めるのか。(GHQ……)』と書かれています。


 「GHQ焚書図書…」は非常に興味のある本でした。「焚書抗儒」はご存知の通り、秦の始皇帝が儒教の書物を焼き払い、儒者を坑埋めした野蛮な行為です。非文明の典型的な行為として世界中に認知されている話です。それを「思想の自由」「出版の自由」を標榜していたアメリカが、戦後日本でやっていたのは驚きでした。そして、一国の歴史を抹殺しかねないこの行為に、日本人が荷担していた形跡があるのも残念なことです。昭和3年(1928)から昭和20年(1945)までの17年間の7769点の本が市中から消えてしまったのです。


 乱暴に20世紀の歴史をひもとくと、20世紀初頭、アジアの大半は、英国をはじめとする独、仏、蘭などヨーロッパ列強の植民地となり、中国、日本へも手を出し始めていました。日本は日清、日露(1905)の両戦争を戦い抜き、第一次世界大戦(1918)にドイツに対し連合国側に与し、ようやく一等国の地位を得たところでした。イギリスの教科書に「第一次大戦が終わって世界史に二大強国が出現した。即ち日本とアメリカ合衆国である。」(同書)と書かれているそうです。私たちは敗戦後、米ソ対立などを通じて米国を巨大な存在と感じていますが、当時の世界はその程度の認識でした。ただ、アメリカは日露戦争後、急激に力をつけて来た日本に太平洋を挟んだ競争相手または敵として、強烈な圧力をかけて来ます。その一つがABCD包囲網でした。18世紀から20世紀にかけて欧米の白人国家が世界中で行った暴虐は数知れませんし、現在も続いています。それに対し、国家規模で抵抗を試みた初めての国が日本であり、大東亜戦争だったと、私は認識しています。


 昭和3年から20年と言う17年間の焚書は、その間の歴史的事実を日本人のみならず、世界の知性をも覆い隠し、日本が無謀な侵略戦争を行い戦争犯罪を犯したとでっちあげ、日本の歴史と日本人の誇りを失わせる野蛮な行為だったと言えそうです。しかし、現在の日本を見ていると彼等の意図が成功していそうなのが残念でなりません。

 

 「中国の戦争…」は、毛沢東が1945年以降米国から数度にわたり核兵器による威嚇・恫喝を加えられ、「核兵器は使う兵器ではなく、威嚇して相手に自己の意志を押しつける事の出来る政治兵器であること、核兵器を持たないと米国とは対等に渡り合えないことを明確に認識した。」結果、通常戦力の近代化を後回しにして、核兵器の開発生産を集中した。また「中国人民は二度と侮辱されることはない。」と自国の主張にしたがい、インド、チベット、ベトナムとも戦渦を交わし、国力の伸展にしたがって台湾解放に向かい、いずれ米国と対抗するに至る過程で日本が巻き込まれざるを得ない、と述べています。

 

 「ミャンマー」には私は一回だけですが行っています。そして、昔私たち日本人が一杯持っていた風景や人情に触れ、私たちが豊かさと引き替えに失ってしまったものは、もう取り返せないのかな、と思っています。テレビや新聞の「軍事政権独裁の貧しくて暗い国」という一方的で短絡な報道には、ちょっと違うんじゃない、という違和感も覚えます。勿論独裁がこれだけ続くと、それ故の腐敗も生じているだろうし、ジャーナリストの入国を一切禁じていますから無理も無いですが。そして、ここもイギリスの植民地でありました。


 一見何の関係もないこの3冊の書籍ですが、ばらばらと読んだだけでも、連綿と激しく続いている世界の近、現代史が、みなそれ単独で動いているのでは無いことを感じます。またミャンマーの閉ざされた情報には新聞、テレビの情報があたかも真実のように見えてきます。中国の核保有の情報も、当時はそんな戦略的な意図を伝えはしなかったと思います。GHQの「検閲」は知っていましたが「焚書」に至っては気もつきませんでした。しかしそれが今の日本の「乱れ」を招いているとすれば……。


「情報遮断」を超えるには何が必要なのでしょうか。