行雲流水 ~所長の雑感~ -14ページ目

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

30年ほど昔、私は京都北ライオンズクラブに5年ほど在籍していたことがあります。クラブメンバーの一人が山田恵諦座主の息子さんだったご縁で、何回かご講演をお聞きしました。

ご存知の方も多いとは思いますが、山田恵諦座主は昨年で27回に及ぶ比叡山宗教サミット(世界宗教者平和の祈りの集い)を始められ、その行動力から「空飛ぶお座主」とも呼ばれた方です。いつのご講演も温顔あふるる心暖まるお話だったことを思い出します。

そのうちの一回、演題が「一隅を照らす。」だったと思うのですが冒頭「今日はお願いがあります。」から始まりました。その日も90歳を超えたご高齢にも関わらず、前日か前々日にニューヨークのユニセフの会議からもどられてのご講演でした。

 

「今日はお願いがあります。一つは今日の演題の突然の変更をお許しください。そして私の話をお聞きになったあと、世界の子供たちのためにこのクラブの力で、学校を開いてください。」


「ユニセフで世界の子供たちの現状をいろいろお聞きしてきました。世界の発展途上国の子供たちは、女の子は売春予備軍、男の子は犯罪予備軍または兵士の予備軍として、決して恵まれた環境にいる訳ではありません。先進国と発展途上国の人口比は37(当時)、そしてその比率はどんどん広がりつつあります。そしてこの子供たちはほとんど教育をまともに受けられてはおりません。」


「近い将来、いまより遥かに人口比の差が広がった、しかも識字率が圧倒的に低い発展途上国の人々が力で食料をよこせと先進国の人々に迫ってきたとき、どんな話し合いが出来るのでしょうか。少なくとも力と力の対決を避けるためには、本が読める、話し合いが出来る教育が必要なのです。

アフリカやアジアの一つの村で学校を作り維持運営するのに、年間100万円あれば出来ます。世界中のライオンズクラブ、ロータリークラブやその他の奉仕団体が、一つのクラブで一つの村に一つの学校をつくり、運営費を負担していただければ、事態は大きく変化します。そして事は急を要します。貧困はどんどん進み、話し合いの出来ない人々の数は加速度的に増えています。どうかご協力をお願いします。」とご講演は終わりました。


当時、京都北ライオンズクラブは創立30周年を目前に控え、記念アクティビティ(奉仕活動)のテーマを募集していました。またその費用に充てるため2年間にわたり積立もしていました。未だバブルの余韻の冷めやらぬころ、総予算はたしか23千万円もあったと記憶しています。新参会員の私は蛮勇を奮って「発展途上国の一村に学校を」というテーマを提出しました。

 果は議されたかどうかもわからないまま、没になりました。勿論、一過性のお金を出せば終わりという話ではありません。どこの国に、どの村に、先生はどうするの。責任もあります、危険も伴うかも知れません。日本の窓口はあるの、クラブ員への説得はどうするの。やりかけたら半永久的に続けないと意味はありません。当時のクラブの会長、幹事など役員の方々が一指も動かさなかったのは、私も十分理解できますし、私も「ちょっとええかっこしすぎたかな。」でそのときは終わりました。

 

 17日の仏週刊誌「シャルリ・エブド」の銃撃事件を受けて、パリで100万人のデモ行進が行われました。オランド仏大統領、メルケル独首相、キャメロン英首相、レンツィ伊首相、ラホイ・スペイン首相などが腕を組んでデモ行進し、イスラエルのメタニヤフ首相、パレスチナのアッバス議長ら約50ヶ国・地域の首脳・閣僚が参加し「反テロで結束」と伝えられています。

 ノーベル平和賞を受けたマララ・ユスフザイさんは「なぜ戦車をつくることは簡単で、学校を建てることは難しいのか。」と講演しています。テロはどんな理由があろうと許すことは出来ません。しかし力と力の対決で今この世界が直面している事態が解決出来るとはとても思えないのです。

 

 198610月に、ローマ法皇ヨハネ・パウロⅡ世の提唱により、世界の宗教指導者がイタリアの聖地アッシジに集い、それぞれの宗教儀礼で世界平和を希求する祈りを捧げました。

 山田恵諦座主は「アッシジの精神」を引き継ぐために「比叡山宗教サミット(世界宗教者平和の祈りの集い)」を毎年開催してきました。世界の平和を希求する山田恵諦座主がユニセフからの帰国直後に、世界の子供たちの危機的状況を直視し「世界平和のための実際の行動のお願い」をまず最初に、ご子息の所属するクラブでされたのです。

 

 残念ながら私もクラブも立ち上がることは出来ませんでしたが、山田恵諦座主のこの講演は、30年後の現在の世界を予見しての「お願い。」だったのかも知れません。

 今すぐ行動を起こさないと、取り返しのつかない世界が出現する、ということが見えておられたのでしょうか。

 私が、私たち日本人が今、出来ることは何なのか、難しいテーマです。

 突然の解散による総選挙が、慌ただしく終わりました。開票翌日の新聞各紙の社説の題字を列挙してみます。


京都新聞      安倍政権の勝利 自民減はおごりへの警鐘だ


毎日新聞      「冷めた信任」を自覚せよ

朝日新聞      自公大勝で政権継続 分断を埋める「この道」に

読売新聞      重い信任を政策遂行に生かせ 

          謙虚で丁寧な政権運営が必要だ


産経新聞      自公圧勝 安倍路線継承への支持だ 

          規制緩和と再稼働で成長促せ
          野党は受け皿再構築を 与党で憲法協議進めよ


 

 野党側からは大義なき解散と言われ、与党側からは議席数の減少を恐れられながらの解散、総選挙でしたが今後少なくとも4年間の安定政権が保証されました。

 野党やマスコミが対案なき批判を行っていた、集団的自衛権の行使容認・特定秘密保護法・原発再稼働・アベノミクスによる景気浮揚策などなどに対して、国民が積極的とは言えなくとも、OKサインを出したのが今回の選挙だったのではないか、と私は思います。



 民主党政権の出鱈目さは出尽くしているのでここでは置くとしても、自民党も含めてのここ6年間の、短期政権ゆえの指導者不在は恐るべき期間でした。

 2006926日から、安倍晋三366日、福田康夫365日、麻生太郎358日、鳩山由紀夫266日、菅直人452日、野田佳彦482日、激変する世界情勢のなかでよく何事もなく過ぎてきた(勿論3.11という大事件はありましたが)ことと思います。

 野田政権時代の中国漁船の海上保安庁巡視船への衝突事件、最近の尖閣や小笠原諸島での中国の態度は、どう理由をつけても日本の政治体制への揺さぶりです。ようやく4年間腰を落ち着けて物事に対処できる形は整いました。



 ところでそれぞれ豪腕ゆえにいろいろ批判の多かった、田中角栄首相、ニクソン、朴正熙大統領の時代、和装業界が一斉に生産拠点を韓国に移していました。

 ある時ソウル市内で、関与先の社長と彼の工場の家主さん(たしかソウル大学の教授だったと思います)と私が四方山話に耽っていたとき、田中、ニクソン、朴、誰が一番最初に政権を降りるだろう、と話題が進んでゆきました。

 話が佳境に入ったとき、私の首の後ろにすうっと冷たいものが流れました。ここは日本じゃないんだ、よその国でよその大統領をとやかく言うのはご法度、と思い話はすぼんでいったことが甦ります。



 何故そんなことを思い出したのか、15日の総選挙結果をうけての社説です。無責任に好き放題言える国は素晴らしいとは思います。

 しかしこの国の新しい門出にあたって、京都から朝日までの4紙は否定的な物言いばかり、積極的に日本の政治の再生に関わって行こうという姿勢は一切見当たりません。

 朝日に至っては題字そのものが文章になっていません。読売、産経は一応前向きな評価を下してはいますが、自らがこれからの世論を喚起し、自ら責任を負っていこうという気概を感じることは出来ませんでした。



 アベノミクスに対しいろいろ批判はありますが、基本的な経済政策は未だに私が同志社大学経済学部で学んだことと大差はないようです。

 新古典派経済学は、自由で競争的な市場経済を尊重し政府は経済に介入しない。ケインズ派経済学は大胆な財政金融政策で市場の活性化をめざす。

 どちらが正しいかではなくて、市場の状況をどう読むかによって、取るべき政策は正反対になります。竹中平蔵(新古典派?)を重用した小泉政権の経済政策は完全な失敗で、デフレをより深刻化させました。安倍政権はその反省にたって?、アベノミクスという大胆な金融政策を取ってきました。



 これからは私たち国民の出番です。自ら責任を取るはずの無いマスコミの報道に惑わされることなく、私たち自身の判断で行動しましょう。ひとり政治家にまかせて「知らぬ顔の半兵衛さん」ではなるものも成らなくなります。

 中小企業の皆さんはまだまだ厳しい状況にあることは事実ですが、経営者は好景気であれ不景気であれ、常に前向きに行動することが宿命です。これからの大きな財政出動をチャンスと捉え、ご自分の事業の方向性を決断してください。私達も全力で応援してゆきます。



 そして憲法改正、これも避けて通ることは出来ません。「平和を愛する諸国民(憲法前文)」は本当に存在するのか。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(同前文)」のは、いまでも正しく通用すると考えているのか。



 しっかりと前を見据えて、考えに考え、真正面からの議論を尽くし、われわれ一人ひとりの命と、2千年以上続く、世界に優れた文化と伝統を持つ日本の未来を、決めなければならぬ4年でもあります。

顧問先の高野竹工さんが、新しい小売店舗を出店されました。それも老舗の骨董屋さんが軒をそろえる新門前花見小路東入です。外から見るとすぐにそれとわかる、竹をあしらった明るいお店です。すべて竹でつくられたきれいなお箸、似たような形なのに一つとして同じものが出来ない、竹筒をくり抜いたビアカップや湯呑み。

なかでも目を引くのは、国宝茶室、待庵の古材でつくられた、すべて竹製の茶碗、茶杓と茶筅、その容れ物である仕覆、茶杓筒と茶筅筒、それらを一つにしまえる茶箱セット、これだけで野点が出来ます。待庵は臨済宗の禅寺、妙喜庵にある千利休が作った現存する唯一の茶室です。


実は創業者の高野忠男さんは寺町通押小路上ルに以前から小売店舗「ばんてら」を出店されており、関西テレビ「よ~いドン!」の『となりの人間国宝さん』に出演されたこともありました。こちらのお店は高野竹工の従来からの茶道具一切から、最近のヒット商品竹しおりシリーズ、竹アクセサリーなど京都らしい商品が観光客などに好評を博しています。

 

 一方、直営店の「篁」は京都府、京都市や京都産業21などで構成される、京都産業育成コンソ-シアムの京都市知恵産業創造支援事業にのったもので、「京都が持つ伝統、文化、自然、景観などの地域資源の活用や地域の課題解決に資する事業で、中小企業の強み(知恵)を活かした経営革新等のための新しい事業」に対する助成費(300万円以内、3分の2以内)を使って始められました。



申請書の『事業目的』には、


・京都という地域への貢献という意味では、「京都の竹」という材料を継続的に大切に使用していくことや「京都の職人の手や伝統技」という人材を永続的に育成することにも繋がる。


・国内、海外の方々へ京都の竹文化への意識を向ける事や、昨今日本の多くの地方で問題となっている竹林整備、保全活動の解決法の一つとして提案する。

………とあります。


また、『人材目標』は、


・製作に携わり、技術を引き継いでいく人材を一年に一人正社員として迎えるという目標である。又、テナントでの販売が順調に進めば、テナントの拡大やそれに伴う店内販売員の採用なども可能になる。



                  ………とあります。

 


 開店したのは1016日まだ一ヶ月ほどですが、興味のある方は足を運んで

見てください。「ばんてら」の方も結構面白いものが置いてあります。こち

らへもどうぞ。


ところで創業者の高野忠男さん、私とおなじ昭和12年生まれ。昭和48年に高野竹工(株)を設立され、私は設立時から関わっています。その頃茶道が盛んでお茶を習う人がたくさんいました。

ところが茶道具は結構高級品で、初心者には手の届きにくいものでした。それを一部機械化して並製品(特に茶杓)を安く作り、茶道具商に販売されていたのが成功の最初だったと思います。

その後竹一筋にかけられた情熱は、非常に強いものがありました。いつごろからか相国寺の有馬頼底管長から「不窮斎」の斎号をいただき高島屋で個展を開かれたこともありました。いつも見慣れていた茶杓にとんでもんない値札がついていて驚いた記憶があります。


新製品開発にも熱心で室内の環境調節材として、竹炭「嵯峨の竹林浴」を開発、金閣寺や銀閣寺の床下に敷き、湿度と温度調節に相当な効果ありとの実験結果が新聞に出て話題になったこともありました。当時も今も問題になっている竹林整備にも熱心で、大覚寺や長岡京の竹林の世話も続いていました。


ところが平成22年になって高野社長が急死されました。社長のワンマン会社であったところから一時は存続も危ぶまれましたが、長女の濱口美由紀さんが社長に就任、残った方々が結束して頑張った結果、現在の積極的な経営が実を結ぼうとしています。

これも生前に弟子の増田さんに、創業間近に大徳寺の藤井誠堂老師よりいただいた「宗陵」の号を譲るなど、京都に数少ない、竹工、木工、漆などの職人を育ててこられたこと、開発に努めてきた茶道具以外の竹製品、竹箸や竹しおりが日の目を見てきたこと、茶道具商以外の販路を開発してきたことなどが結果を生んでいるようです。


「篁」と高野竹工が順調に発展できるよう有形無形の応援をおねがいします。



松田進税理士事務所 職員の荒木です。ここでは、所長の松田が週明けの朝礼で私たち職員に話した内容に自分なりの意見を加味したものを書いていきたいと思います。(ですから、ここのカテゴリーだけは所長の雑感 荒木視点バージョンです。)


この前の金曜日に、「京都中小企業家同友会 異業種交流部会・同夢」でいきなり『消費税増税を巡る政局・経済動向について』話すことになったので話しをしてきたということで、今朝の朝礼はその時の話しの内容についてでした。




所長の松田が何を話したかと言いますと、



そんなテーマでふられてもしゃべれるようなことはないので、ということで、まずは、


GDP(名目・実質)の推移の折れ線グラフ」の資料を皆に見てもらったとのこと。平成9年頃までは何となく右肩上がりで、それ以降は平行になっていることの確認をし、



次に、

「一般会計税収と、歳入に占める税収の割合の折れ線グラフ」の資料を見てもらい、税収も平成2年頃まではずっと増えているが、それ以降は減っていっており、歳入に占める税収の割合が平成2年は83.8%あったのに平成25年では46.5%しかないことの確認をし、




最後に、

「国民負担率の内訳の国際比較(2011年度)」の資料を見てもらい、一番高いフランスの国民負担率が62.1%に対して、日本の国民負担率が39.8%であることを確認して、



後は別に解説せずに、皆でガチャガチャとどうすればいいのか話し合ったとのこと。








消費税増税については単に目先のことだけで判断することなく、
まずは現状を把握した上で、一人ひとりがそれぞれ真剣に考え続けていくことが大事なんでしょうね。

これから演じられる能・狂言のため、金剛能楽堂の舞台の上は何もありません。置かれているのは、座布団一枚と一本のマイクだけ。200年の歴史を持つ能舞台の上でご挨拶をするのは、予想以上に緊張を強いられるものです。

司会の「松田大学長の開講のご挨拶」の言葉に正面の梯子から舞台の上に上がりました。中央まで進み直角に左に曲がって正座し、まずそでの観客に一礼、正面に戻り今一度正座して一礼、それから座布団に座り「本日は第22TKC近畿京滋会『秋季大学』~初心忘るべからず 世阿弥に学ぶ能の心に多数お運びいただき誠にありがとうございます。………」から平成26年の秋季大学は始まりました。



狂言が始まる前には解説があり、まず「あっはっはっはっはー」と能楽堂いっぱいに響き渡る、「笑い」の芸に一同度肝を抜かれ、「へっへっへい」と俯く哀しみの芸に心が惹かれました。

本番の狂言はご存知「棒縛り」。あるじの留守中、盗み酒を欠かさぬ太郎冠者と次郎冠者、主が一計を案じて、次郎冠者を棒縛り、太郎冠者を後ろ手に縛って外出しますが、悪知恵の働く太郎冠者と次郎冠者は…………。



能は「土蜘蛛」。土蜘蛛とはむかし大和朝廷に従わず、竪穴住居に住んでいたという辺境の民、「つちごもり」が訛って「つちぐも」になったという解説。

病床の源頼光を襲う僧形の妖怪、頼光に切り付けられ葛城山に逃れるが、四天王に退治されるお話。金剛龍謹、金剛永謹の親子の舞台でした。頼光と四天王に向かって放たれる真っ白の蜘蛛の糸、無数と思われるほどの蜘蛛の糸に、舞台の上はさることながら、天井から観客席まで白く染まりました。



今年の31日のThe MidorikaiTimes Vol.247でお知らせしたとおり、1010日に能・狂言鑑賞をメインとする秋季大学は無事終了しました。

終了後ブライトンホテルに移動しての懇親会には94事務所の所長、職員合計248人の会員と、兄弟会のTKC近畿大阪会、TKC南近畿会、TKC近畿兵庫会の会長、副会長5人、大同生命をはじめとする提携企業1759人合計312人が集いました。

同志社大学チアリーダー部の10人が演技で華を添え、彼女たちに応援されたじゃんけん大会では、松田事務所の荒木君が優勝、ブライトンホテルのペアディナー券を獲得するとともに、同じテーブルの10人にワイン10本をプレゼントというおまけ付きでした。



実は312人がブライトンホテルでの椅子席宴会の限度で、直前に懇親会への参加をご辞退していただいた方が20人ほどおられ、申し訳なく思っています。

金剛能楽堂は席に余裕があったので、能狂言を鑑賞された方はあと数十人はおられたはずです。秋季大学の直前にTKC近畿京滋会の定期総会を開くのが恒例となっています。会場をどうするか、移動に問題はないかと心配していたのですが、金剛さんのご好意で能楽堂をお借り出来て大助かり。役員さんが舞台で正座、会員は客席という、多分日本中のTKCの定期総会では前代未聞、今後やりたくてもまず無理、おかげで審議も熱心、かつ静粛に進み無事終了しました。



大学長の指名を受けてほぼ1年、今は大役を無事終えてほっとしています。実行委員会には欠かさず出席しましたが、違う意味では楽しい一年でもありました。

というのは実行委員長の北田喜久さんは、第1回秋季大学の実行委員長北田功先生のご子息、副実行委員長の上田浩嗣、清水義子さんは、それぞれ上田寛、清水幸子両先生の2世、企画委員長の笹井雅広さんは笹井敏次先生の後継ぎと、父さん母さんたちはTKCや京都青年税理士クラブの草創期の仲間、いわば息子や娘に囲まれてお守りをしてもらっていようなもの。彼ら以外の実行委員の先生方はもっと若く、名前と顔が一致しなかった人々とも仲良くなれて、素晴らしい一年になりました。


あとは金剛さんへのお礼の訪問と1110日の足洗を待つばかり。懇親会では会員からも、他会の会長、副会長、協賛企業の人びとからも、「良かった」「楽しかった」「初めてみたけどまた来たい」などなどお褒めの言葉をたくさん戴きました。これもひとえに若い人々の奮闘があったればこそ、来月の足洗には上七軒の舞妓さんたちを呼んでお礼の代わりにしようと思っています。