昭和天皇実録①からの続き・・・・
それ以前にも、1939年7月5日の実録には、三国同盟を策動する陸軍に対し、板垣征四郎陸相に「陸軍の体質に関する御批判・御不満」をぶつけ、対米開戦を主張する海軍にも「捨て鉢の戦にほかならず、誠に危険」(1941年7月31日)と危惧されています。
思えば1932年3月の満洲国成立、1933年2月の国際連盟脱退、1937年12月南京入場、1941年7月の南部仏印(現ベトナム)進駐、即米国の石油禁輸と、それに続く12月8日真珠湾攻撃と、重要な国策が軍部の暴走の後追いのような形で決められ、本当に責任をもって決裁する指導者の不在が目に見えるようです。暴走する軍部に抵抗しながらも、「君臨すれども統治せず」という立憲君主制の原則に忠実であろうとして御前会議の後、9月6日午後1時30分、内閣から決裁文書「御前会議決定事項ノ件」が届き天皇が署名、日本の悪夢の始まりでした。
明治天皇の玄孫という竹田恒泰さん、ユニークな講演や日本の歴史と伝統に基づいた著書などで最近名を上げています。私も京都竹田会に入会し、日本書紀の読み合わせと講演会に参加しています。今年4月6日国際ホテルで聞いた最初の講演で度胆を抜かれました。
「日清戦争と日露戦争は負けて当たり前の戦争をかろうじて勝って、講和に持ち込んで事なきを得た。これに比べて大東亜戦争は勝って当たり前の戦争を、指導者不在(政治家も軍人も)で敗れた。理由はアメリカがヨーロッパとの2正面作戦をやらざるを得ず、艦船も日本が数的に有利、特に開戦当初のゼロ戦の戦闘能力とパイロットの技能は驚異的、開戦当初にハワイを占領し即米西海岸を空爆すれば、アメリカは選挙の国、大統領は即講和に持ち込まざるを得ない。戦争はしてはダメなのは当然ながら特に負ける戦争は絶対にしては駄目」
そのとおりになったかどうかは別として、言われてみれば其のとおり。京都新聞の昭和天皇実録の記事からだけでも、大局的に世界の情勢を判断し決断した責任者が一人もいなかった状況が読み取れます。
今日9月12日「福島事故の19人の調書」が公開されました。政府、東電、現場と多数の指導者、責任者がいた中でそれぞれの立場で判断し、行動していたことは読み取れます。しかし自分の立ち位置を認識し、自らの責任のもと決断し指示を与えていたのは吉田所長ただ一人だったように読み取れました。
これから日本は国内的にも国際的にも今までより一層複雑な判断と決断が求められようとしています。国民一人一人が襟を正して指導者を選んでゆかねば、同じ轍を踏む恐れが無きにしも非ず、と考えます。