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行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

松田進税理士事務所 職員の荒木です。ここでは、所長の松田が週明けの朝礼で私たち職員に話した内容に自分なりの意見を加味したものを書いていきたいと思います。(ですから、ここのカテゴリーだけは所長の雑感 荒木視点バージョンです。)



先日(1010日)行われた第22TKC近畿京滋会の「秋季大学」は、金剛能楽堂で能・狂言を鑑賞するという内容でした。


そして、何と、所長の松田がその「秋季大学」の大学長でした。



こで、昨日の朝礼は、大学長としての「秋季大学」を終えての感想でした。


「皆がしっかりやってくれてたから何もする事はなかったんやけど、やっぱり終了するまでは何かと落ち着かんかった。

まぁ皆さんの話を聞いてたら、一応は成功したんかなと思う。」


「あれを機会に、能を見に行こかっていう人が1人でも2人でも増えたら言うことはない。」 とのことでした。



また、能・狂言を鑑賞した我々職員の感想はというと、思っていたよりかなり良かったというものでした。


そして、この「良かった」と感じた心に、僕は何となくホッとしました。

松田進税理士事務所 職員の荒木です。ここでは、所長の松田が週明けの朝礼で私たち職員に話した内容に自分なりの意見を加味したものを書いていきたいと思います。(ですから、ここのカテゴリーだけは所長の雑感 荒木視点バージョンです。)



御嶽山がエライことになっているなぁ。


ところで有珠山の噴火って知ってるか?から一昨日の朝礼は始まりました。


この有珠山の噴火の時、たまたまジュニアのヨットの全日本大会が函館であり、所長も引率として同行していたということで、


「ボンと噴煙が上がるのが見えた。その後アイヌの村へ行くのに洞爺湖に行ったら目の前1㎞の所でボンボンや。 


地震学者でもこんなタイミングで噴火の一部始終が見られることはまず無いやろうからそれが見れたってのは面白かったけど、今から思えば恐ろしいことやったんやなぁ」としみじみ語っていました。

昭和天皇実録①からの続き・・・・


 


 それ以前にも、193975日の実録には、三国同盟を策動する陸軍に対し、板垣征四郎陸相に「陸軍の体質に関する御批判・御不満」をぶつけ、対米開戦を主張する海軍にも「捨て鉢の戦にほかならず、誠に危険」(1941731)と危惧されています。

 

 思えば19323月の満洲国成立、19332月の国際連盟脱退、193712月南京入場、19417月の南部仏印(現ベトナム)進駐、即米国の石油禁輸と、それに続く128日真珠湾攻撃と、重要な国策が軍部の暴走の後追いのような形で決められ、本当に責任をもって決裁する指導者の不在が目に見えるようです。暴走する軍部に抵抗しながらも、「君臨すれども統治せず」という立憲君主制の原則に忠実であろうとして御前会議の後、96日午後130分、内閣から決裁文書「御前会議決定事項ノ件」が届き天皇が署名、日本の悪夢の始まりでした。



明治天皇の玄孫という竹田恒泰さん、ユニークな講演や日本の歴史と伝統に基づいた著書などで最近名を上げています。私も京都竹田会に入会し、日本書紀の読み合わせと講演会に参加しています。今年46日国際ホテルで聞いた最初の講演で度胆を抜かれました。



「日清戦争と日露戦争は負けて当たり前の戦争をかろうじて勝って、講和に持ち込んで事なきを得た。これに比べて大東亜戦争は勝って当たり前の戦争を、指導者不在(政治家も軍人も)で敗れた。理由はアメリカがヨーロッパとの2正面作戦をやらざるを得ず、艦船も日本が数的に有利、特に開戦当初のゼロ戦の戦闘能力とパイロットの技能は驚異的、開戦当初にハワイを占領し即米西海岸を空爆すれば、アメリカは選挙の国、大統領は即講和に持ち込まざるを得ない。戦争はしてはダメなのは当然ながら特に負ける戦争は絶対にしては駄目」


そのとおりになったかどうかは別として、言われてみれば其のとおり。京都新聞の昭和天皇実録の記事からだけでも、大局的に世界の情勢を判断し決断した責任者が一人もいなかった状況が読み取れます。


今日912日「福島事故の19人の調書」が公開されました。政府、東電、現場と多数の指導者、責任者がいた中でそれぞれの立場で判断し、行動していたことは読み取れます。しかし自分の立ち位置を認識し、自らの責任のもと決断し指示を与えていたのは吉田所長ただ一人だったように読み取れました。



これから日本は国内的にも国際的にも今までより一層複雑な判断と決断が求められようとしています。国民一人一人が襟を正して指導者を選んでゆかねば、同じ轍を踏む恐れが無きにしも非ず、と考えます。




 「昭和天皇実録」が99日公表されました。3,152件の資料をもとに、12,000ページに及ぶ和綴じ本、61巻で来年から5年をかけて出版されるようです。昭和天皇誕生から87年余、ほぼ一世紀におよぶ事跡を記した公式記録です。特に即位後の64年間は大東亜戦争をはさみ、戦後復興から世界の経済大国に上り詰めた、日本にとって未曾有の大変化の時代でした。

 私は昭和12年生まれ、1937 93日です。193777日に櫨溝橋事件が勃発(支那事変)。本当は泥沼に足を突っ込み始めたことを一般大衆は気付きもせず、マスコミも連日「進め進め、兵隊さん」ともてはやしていたそうです。私の名「進」はそこから付けたと聞いた覚えがあります。

 

 99日の京都新聞は1面に大見出しで「昭和天皇実録」公表を報じるとともに、3面に『孤闘の君主・昭和天皇実録から』と題して5回の連載を始めました。

 

 その「①開戦準備」と「②御前会議」には、大東亜戦争開戦直前の天皇陛下と重臣たちとの生々しいやり取りが書かれています。

 1941(昭和16)96日に「帝国国策遂行要領」(内容は、①帝国は自存自衛のため対米(英、蘭)戦争を辞さない決意の下、10月下旬を目途に戦争準備を完成②並行して米英に対し外交手段を尽くし要求貫徹に努める③要求が通る見通しがなければただちに対米(英、蘭)開戦を決議する)を最終決定する御前会議が開催されています。その前日天皇は参謀総長杉山元、軍令部総長永野修身を近衛文麿首相とともに呼び出し詰問しています。


「要領は外交を主とし戦争準備を副とすべきだ。第一項と第二項の入れ替えが必要だ」「杉山の発言はしばしば逆の結果になっている。日中戦争の時も陸相として『速戦即決』と言ったのに、いまだに続いているではないか」中国は奥地が広大なので、という言い訳に天皇の怒りは頂点に達し、「中国は奥地が広いと言うが、太平洋はさらに広いではないか。作戦終了の見込みを約5ヶ月とする根拠は何か」さらに「無謀な戦を起こすことがあれば、皇祖皇宗に申し訳ない。勝算の見込みはあるのか」などなど。



昭和天皇実録②に続く



 

松田進税理士事務所 職員の荒木です。ここでは、所長の松田が週明けの朝礼で私たち職員に話した内容に自分なりの意見を加味したものを書いていきたいと思います。(ですから、ここのカテゴリーだけは所長の雑感 荒木視点バージョンです。)



「老いたるはなお美わし」(松原泰道著) という本があるということで、昨日の朝礼はこの本の話しが出ました。



この本の中に、佐藤一斎の「壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず。」の言葉があり、


これは『若い時に学んでおくと、年を取ってももうろくしない。老人になって学べば死んでも滅びない』というような意味だそうですが、


この意味はともかくとして、



「こういうのもちゃんと勉強してはったんやなぁ。というか知ってるのが常識やったんやろなぁ」というのが所長の感想でした。



これにはワケがありまして、


実は今、事務所の朝礼ではまさにその佐藤一斎の言志四録を抜粋した本「おじいちゃんとぼく」の読み合わせしているのです。
(ちなみに「おじいちゃんとぼく」の中で「壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず。」は『人生に無駄なことは、一つもありません』という風に「ぼく」にも分かるように訳されています。)



朝礼の読み合わせの題材に「佐藤一斎」を取り上げた事務所の方針は間違っていなかったということがひょんな事から再確認できたというわけです!