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行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

松田進税理士事務所 職員の荒木です。ここでは、所長の松田が週明けの朝礼で私たち職員に話した内容に自分なりの意見を加味したものを書いていきたいと思います。(ですから、ここのカテゴリーだけは所長の雑感 荒木視点バージョンです。)




昨日の朝礼は、「今日は何の日か知ってる?」から始まりました。これには、「防災の日」という声が職員からすぐに上がったのですが、



「じゃあ210日は?」という問いかけに対しては、



皆が、「???」という感じでした。




所長の説明では、

「210日(にひゃくとおか)というのは、9月1日が立春から数えて210日目にあたる日という意味で、台風襲来が多い日とされていることから、気を付けなあかんと子供の時言われていた」


ということです。




こういう大事なはずの先人の教えが僕達にまで伝わって来ていないのはどうしてなのでしょうか?






また、先日土砂災害が発生した安佐南区八木は昔「八木蛇落地悪谷」という地名で、その名が示す通り昔から水害が多い土地だったようです。



それが何度か地名の変更が行われる内に、「八木」だけが残り、安佐南区八木となった、とのこと。

  

「住んだらあかん土地、近寄ったらあかん土地、そういう地名はいっぱいある。」

「古い地名というのは、先人の知恵や警告。でも、合併やら何やらで地名が変わってしまって、そういうことが伝わらんようになってきてる。」



と、所長は言います。




古い習慣・伝統・言い伝え等は先人の知恵そのものです。 せっかくの先人からの贈り物をきちんと受け取ることなく生活してるなんて、実はものすごく勿体無いことしているのかもしれません!

 今年の大文字は「鱧料理と五山の送り火鑑賞・京の夏LIVE」の文字に魅かれて、「音戸山山荘・畑善」で見ました。

 

 畑善さんは鳴滝の音戸山の中腹にあり、眼下に仁和寺の三重塔を見おろしその直線の向こう、真正面に如意ケ嶽があります。

 

 「アキヒトさん」のギターと「福原佐和子さん」の箏という、めずらしい組合せのライブをバックに、美味しい懐石をほぼ食べ終わった午後8時、夕方までの豪雨に負けず「大」の字が真っ暗な闇の中に浮かび上がりました。30名ほどの参加者から「ほうっ」と声の無い声が上がりました。木々に視界を遮られた場所だけに如意ケ嶽の「大」だけが空間に浮かんでいるのは、かなり幻想的な景色でした。

 

 

 京都に住んでいると当たり前のことですが、送り火は観光行事ではなく、れっきとした宗教行事です。

 

 もともとは813日に迎え火を燃やし、我が家にお迎えした、「お精霊さん(オショライサン)」(祖先の霊)を16日に黄泉の国に送り火で送る「門火」の行事があったそうです。そういえば左大文字のお膝元、西大路の一つ東の通りの、鞍馬口通りと上御霊前通りの間に816日の午後8時すぎ、町内の家々の前に軒並み篝火を燃やしているのを見たことがあります。ひょっとして「門火」の名残なのでしょうか。


 85日の日本経済新聞、「京都の送り火 点火5分刻みに 時間変更半世紀ぶり」という記事に驚きました。私は昔から大文字から左へおよそ5分刻みぐらいで点火されている、という印象でしたから。

 

 記事によると従来は「大文字」午後8時、「妙法」午後810分、「船形」午後815分、「左大文字」午後815分、「鳥居形」午後820分だったのを、「妙法」と「船形」を5分ずつ前倒しすることで、丁度5分刻みで順次点火することになったようです。


記事中で京都五山送り火連合会の川内会長は「五山全ての点火の瞬間が見られるので、より満足してもらえるのでは」と笑みがこぼれる反面、時刻を均等割りにする理由についての質問には「連合会長の立場として送り火の尊厳にかかわる」として「ノーコメント」を貫いた、とあります。識者の言として中部大学の和崎教授は「五山の各保存会にも誇りがあり、自らの火が一番と思っている。それぞれが主役になりたいはず」と推測する、とあります。



夏の風物詩として有名な大文字の送り火ですが、起源や由来は謎に包まれているようです。京都ではほとんどの行事や風物は、朝廷の記録に残されているのですが、大文字に関して公式記録はないようです。あくまでも庶民の「門火」の延長で各々の集落の自発的行為であったようです。各保存会には言い伝えや記録が残っているのかも知れません。



ところで、「大文字の火が消える午後8時過ぎ、東山に満月が昇る。あたかもお精霊さんが送り火に送られて天に昇っていくようだ。大文字を始めた昔の人はそこまで考えていたんだ。」という話を聞いたか、読んだかした記憶があります。


旧暦816日の午後8時頃に一度確かめてみよう、と思いながらもう何年たったのでしょうか。実は「畑善さんの大文字」に参加したのもその日に畑善で一杯傾けていたら、如意ケ嶽から名月が昇るのが見られるかもしれない、その下見にでもという気が心のどこかにあったのかも知れません。


815日、京都新聞で面白い記事を見つけました。


「大文字点火 1時間前?」

「江戸~明治初期 日の入り直後、薄暮の中燃える」

「京の研究者、文献から推定」


と題字にあります。上京区の青木博彦さんが著書「大文字古記録の研究」の中で現在の太陽暦に移行する1873(明治6)年までの点火時刻を調べています。

 なかでも本居宣長の『在京日記』に1756(宝暦6)年716日に三条大橋で大文字を見た後、木屋町にある師の家を訪れ、東山から月が出た様子が書かれているそうです。


記事によると「この日の東山から月が昇る時刻を、国立天文台の公開数値や京都市の標高などから、午後82分と算定した。日記の記述から足取りを推測し、平均的な歩く速度を基に、本居が三条大橋で大文字を見たのは午後716分とはじき出した。本居が大文字を見た時、火はまばらに消え残っていたと記されていた。ほかの文献から当時の燃焼時間は20分とし、点火時刻は午後716分の20分前の午後656分とした。日の入りの午後646分の直後で、日暮れの午後722分には火は消えていたことになる。……旧暦時代には日の入り直後に点火されていたと結論づけた。……」と書かれています。


大文字が消えた後、満月が昇るという証明になるのでしょうか。



旧暦ではお盆は7月に行われていたそうです。旧暦では7月は秋でした。俳句の世界でお盆は秋の季語だそうです。さて今年の旧暦716日は今の暦で何月何日になるのでしょう、誰か教えて下さい、分かればその日畑善で一杯やりませんか。

松田進税理士事務所 職員の荒木です。ここでは、所長の松田が週明けの朝礼で私たち職員に話した内容に自分なりの意見を加味したものを書いていきたいと思います。(ですから、ここのカテゴリーだけは所長の雑感 荒木視点バージョンです。)




一昨日に、高校2年生になる所長のお孫さんがインターンシップの一環として事務所見学&インタビューに来られたので、昨日の朝礼はその事についてのお話しでした。



事務所見学&インタビューを終えたお孫さんからは、「税理士の仕事って計算ばっかりやってるのかと思ったらそうでもないんだね」みたいな感想があったようです。




そうなんです!



私もこの事務所に入るまでは、税理士の仕事と言えばひたすら数字と睨めっこしながら電卓を叩いてるイメージがありました。


しかし、実際はそんなことは全然なくて、むしろ「数字」を見てるよりも「人」を見てる方が多い気がします。



「人」といっても、メインとなるのはやはり社長さんなのですが、



社長さん自身がどう生きていきたいのか、そして、そのために会社をどうしていきたいのか、


などなど、


そういったことを社長さんと熱く語り合えるとこに、税理士という仕事の醍醐味があると思います。

(私自身はまだ全然熱く語り合えるとこまで到達できてませんが・・・・)





とにかく、事務所見学&インタビューの感想が事務所の特徴を一言で言い当てているようで、高校生の感性にビックリです!

松田進税理士事務所 職員の荒木です。ここでは、所長の松田が週明けの朝礼で私たち職員に話した内容に自分なりの意見を加味したものを書いていきたいと思います。(ですから、ここのカテゴリーだけは所長の雑感 荒木視点バージョンです。)



昨日のNHKスペシャル「知床 ヒグマ運命の旅」(ヒグマの兄弟の姿を4年間に渡り密着したドキュメント)を見たということで、今朝の朝礼はそのヒグマの兄弟の話でした。



結局は、両方とも死んでしまったそうです。

1頭は、痩せて餓死し、

もう1頭は、街中へ出て1回は追い返されるが2回目で射殺される。




「当たり前なことで、ただそれだけのことなんやけど、

野生も厳しい。人の世と一緒や」




と、しんみり語っていました。

松田進税理士事務所 職員の荒木です。ここでは、所長の松田が週明けの朝礼で私たち職員に話した内容に自分なりの意見を加味したものを書いていきたいと思います。(ですから、ここのカテゴリーだけは所長の雑感 荒木視点バージョンです。)




21日(月)に久しぶりに甲子園球場に行ってきたということで、一昨日の朝礼は甲子園球場の話からスタートしました。



甲子園球場は今年の81日で開場90周年を迎えるそうです。




90周年といえば、

所長が所属している琵琶湖ヨット倶楽部が2年前に創立90周年を迎え、また、所長が在籍していた同志社大学ヨット部は昨年に創部80周年を迎えたようです。




それらを踏まえて、

「それがどうってことはないんやけど、日本の近代スポーツの歴史ってのは比較的新しいんやなぁ」と、しきりに言ってました。




が、




僕からしたら90年というのは、ほぼ1世紀なので「とんでもなく昔」というイメージなのですけど・・・