篁(高野竹工の新しい小売店舗) | 行雲流水 ~所長の雑感~

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松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

顧問先の高野竹工さんが、新しい小売店舗を出店されました。それも老舗の骨董屋さんが軒をそろえる新門前花見小路東入です。外から見るとすぐにそれとわかる、竹をあしらった明るいお店です。すべて竹でつくられたきれいなお箸、似たような形なのに一つとして同じものが出来ない、竹筒をくり抜いたビアカップや湯呑み。

なかでも目を引くのは、国宝茶室、待庵の古材でつくられた、すべて竹製の茶碗、茶杓と茶筅、その容れ物である仕覆、茶杓筒と茶筅筒、それらを一つにしまえる茶箱セット、これだけで野点が出来ます。待庵は臨済宗の禅寺、妙喜庵にある千利休が作った現存する唯一の茶室です。


実は創業者の高野忠男さんは寺町通押小路上ルに以前から小売店舗「ばんてら」を出店されており、関西テレビ「よ~いドン!」の『となりの人間国宝さん』に出演されたこともありました。こちらのお店は高野竹工の従来からの茶道具一切から、最近のヒット商品竹しおりシリーズ、竹アクセサリーなど京都らしい商品が観光客などに好評を博しています。

 

 一方、直営店の「篁」は京都府、京都市や京都産業21などで構成される、京都産業育成コンソ-シアムの京都市知恵産業創造支援事業にのったもので、「京都が持つ伝統、文化、自然、景観などの地域資源の活用や地域の課題解決に資する事業で、中小企業の強み(知恵)を活かした経営革新等のための新しい事業」に対する助成費(300万円以内、3分の2以内)を使って始められました。



申請書の『事業目的』には、


・京都という地域への貢献という意味では、「京都の竹」という材料を継続的に大切に使用していくことや「京都の職人の手や伝統技」という人材を永続的に育成することにも繋がる。


・国内、海外の方々へ京都の竹文化への意識を向ける事や、昨今日本の多くの地方で問題となっている竹林整備、保全活動の解決法の一つとして提案する。

………とあります。


また、『人材目標』は、


・製作に携わり、技術を引き継いでいく人材を一年に一人正社員として迎えるという目標である。又、テナントでの販売が順調に進めば、テナントの拡大やそれに伴う店内販売員の採用なども可能になる。



                  ………とあります。

 


 開店したのは1016日まだ一ヶ月ほどですが、興味のある方は足を運んで

見てください。「ばんてら」の方も結構面白いものが置いてあります。こち

らへもどうぞ。


ところで創業者の高野忠男さん、私とおなじ昭和12年生まれ。昭和48年に高野竹工(株)を設立され、私は設立時から関わっています。その頃茶道が盛んでお茶を習う人がたくさんいました。

ところが茶道具は結構高級品で、初心者には手の届きにくいものでした。それを一部機械化して並製品(特に茶杓)を安く作り、茶道具商に販売されていたのが成功の最初だったと思います。

その後竹一筋にかけられた情熱は、非常に強いものがありました。いつごろからか相国寺の有馬頼底管長から「不窮斎」の斎号をいただき高島屋で個展を開かれたこともありました。いつも見慣れていた茶杓にとんでもんない値札がついていて驚いた記憶があります。


新製品開発にも熱心で室内の環境調節材として、竹炭「嵯峨の竹林浴」を開発、金閣寺や銀閣寺の床下に敷き、湿度と温度調節に相当な効果ありとの実験結果が新聞に出て話題になったこともありました。当時も今も問題になっている竹林整備にも熱心で、大覚寺や長岡京の竹林の世話も続いていました。


ところが平成22年になって高野社長が急死されました。社長のワンマン会社であったところから一時は存続も危ぶまれましたが、長女の濱口美由紀さんが社長に就任、残った方々が結束して頑張った結果、現在の積極的な経営が実を結ぼうとしています。

これも生前に弟子の増田さんに、創業間近に大徳寺の藤井誠堂老師よりいただいた「宗陵」の号を譲るなど、京都に数少ない、竹工、木工、漆などの職人を育ててこられたこと、開発に努めてきた茶道具以外の竹製品、竹箸や竹しおりが日の目を見てきたこと、茶道具商以外の販路を開発してきたことなどが結果を生んでいるようです。


「篁」と高野竹工が順調に発展できるよう有形無形の応援をおねがいします。