昨日は、月に一度のヒーリングの日だった

(自分の覚書き)


感じることが課題になっているので

今 自分が何を感じているか?を

いつも感じるようにしているが 

自分の中の防衛機能が働いて

自分の感覚の中に居続けることはとても難しい


それをよく知っているので ヒーリングに行く前に感じたことを

手帳に書き留めておいた


「役に立たない私は 存在価値がない」

「なんでそこに居るの?」

「なんで おまえなんだ!」

「私がここに居てはいけない」


そんなことを思っている私が出てきた


う~~~ん

これは ずっと昔からあるなあ


私の家は 田舎の大きな農家の長男に子どもが居なかったので

父が四男なのに 長男の養子になり跡取りになった


女の子である私が最初に生れ

年子で 弟が生まれた


きっと 弟が生まれた時は 大喜びだったのだろう

弟は 長男であり 跡取りなので

男として生れてきただけで 存在価値があり


反対に私は ボーっとした弟の面倒を見たり

手のかからない しっかり者の姉ということで

その家族の中での 存在意義を見つけだし

そこに 自分の居場所を与えていたのだろう


弟は 何もしないのに 大切にされ

私は あまり大切にされていないように感じていた



当時の家は 掘りごたつの部屋に 大家族8人が夜はみんなでテレビを見ていて

朝の早い農家だったので 9時になるとそれぞれの寝室に行く


両親と私と弟は 一番奥の部屋に布団を敷いて寝るのだが

弟は いつも こたつで寝ていて

両親のどちらかが 布団を敷いた後

弟をそのまま抱きかかえて 布団に連れていっていた


私は こたつで寝たりしない子だったので

いつも 自分で布団まで歩いていっていたのだが

ある日 抱っこして布団まで運んでもらえる弟が羨ましくて

自分もそうして欲しくて こたつで寝たフリをした


みんな居なくなって 私はこたつの部屋に独りになった

布団を敷いた後 父か母が連れに来てくれるのを

ワクワクしながら 楽しみに待っていた


まだかなあ 早く来てくれないかなあ


お母さんに 抱っこされて 長い廊下を行くのって

どんなかんじなんだろう?ワクワク ドキドキ


まだかなあ まだかなあ


布団を敷くのに時間がかかるから 

遅くなってるのかな?


まだかなあ まだかなあ


あれ?遅くない?


ここで だんだん 不安になってくる


誰も居ない こたつの部屋は 

さっきまでの賑やかさが嘘のように

シーンとしている


誰も居ない部屋に ぽつんと独りにされた私


だんだんと 独りで居ることが 怖くなってくる


まだなの まだ来てくれないの?


もう怖いよ~~~


なんで 迎えに来てくれないの?

弟は いつも迎えに来てもらえるのに

なんで 私は 迎えに来てくれないの?


だんだんと 恐怖が怒りに変わる


それでも まだ 迎えに来てもらえない


怖いよ

怖いよ

なんで 

どうして

怖いよ~~~~


だだっ広い 田舎の家の

誰も居ない こたつとテレビ以外には 何もない

無機質な部屋


その部屋の横は 土間で

ガラス戸の向こうは 真っ暗で静寂な闇夜が続く


あまりの恐さに 起き上がり

自分で歩いて 両親や弟の居る寝室に行った




ただ それだけのことなんだけど

その時のことは とても鮮明に覚えている


全然 事件とも言えないような

何でもないことなんだけど 妙にリアルに覚えている





「役に立たないと 価値がない」

という思い込みは 本当ではないと 頭ではわかっている


だけど その思い込みは 私の中に強烈な信念となっていて

それが嘘だとは思えないのだ


だって 小さい頃 私が何もしなくても認められることはなかったし

自分から何かをしないと 存在さえ認めてもらえなかった




ヒーリングをするようになって 

専門的な本を読んだり 専門用語を知るようになり

『見捨てられる恐怖』というのが あるのを知り

私の中にも この『見捨てられる不安』や『見捨てられる恐怖』が

あることに気づいた



ヒーラーの前で こたつで寝たフリしたことを話すと

その時のことを思い出せる?

その時の恐怖を感じてみましょう


と 言うことになった


その時の『間』が 大切ですよ と 言われた


あ 『間』かあ


確かに  待っている間 最初は親が迎えに来てくれて

抱っこされて運ばれて行くのをとても楽しみにしていた


それが だんだんと待っている時間が長くなり

不安になり 恐怖になり ついに我慢できなくなるまでの

その時間的に経過していく『間』があるのだ


その間の中に居続ける


最初は『見捨てられる恐怖』という恐怖を想定して

その間に居ようとしたが


すぐに『見捨てられる恐怖』は『忘れられる恐怖』に変わった

自分の中に この恐怖のレッテルを『忘れられる恐怖』にしていたのだろう


心理学用語の借り物の『見捨てられる恐怖』ではなく

自分の中から『忘れられる恐怖』が よりリアりティがあり


『忘れられる恐怖』の間の中に すぽん!とすんなり入ることが出来た


と そこは なんだか 馴染みのある懐かしい感じがする間で

全然恐怖ではなかった


あれ?

あれほど 嫌な怖れていた場所なのに

怖くはないよ



なんだこれ?

全然 怖くないし

怖いどころか あったかい感じがする



何なんだ これ!

この感じ。。。


ずっとこの中に居たいような感じ






もしかして 『忘れられる恐怖』『忘れ去られる恐怖』って

私が 私を忘れていたってことですか?


はあ やっぱり


忘れられるのが怖くて それを感じたくなくて

自分が自分を忘れていた

忘れ去っていたなんて。。。


ふう


人から忘れられるのが怖くて 

人から忘れ去られるのが怖くて

そのことをずっと感じないようにしていたのに


私は 感じて欲しかった

忘れられる恐怖を 忘れさられる恐怖を感じるまで

ずっと ずっと 待っていてくれたのねえ


そうかあ そういうことかあ

感じるって こんなことだったのかあ


そこには 血の通った私の温かい部分が

ずっと待っていてくれていた


切り離していたのは 私だったのね

そうかあ こういうことだったのかあ




忘れさられる恐怖 

忘れさっていたのは 私だったのね あは(笑)