書評です。
釘貫 亨 著 『日本語の発音はどう変わってきたか』 中央公論新社 中公新書2740 256頁 2023年2月発行 本体価格¥840(税込¥924)
副題は「「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅」。
日本語の発音はどう変わってきたか -釘貫亨 著|新書|中央公論新社 (chuko.co.jp)
釘貫亨(くぎぬき・とおる)さんは1954年生まれなので、今年69歳。
名古屋大学名誉教授。 専攻は日本語学。
これまでのご著書としては専門書が数冊ありますが、一般向けは本書が初めてのようです。
本書は、題名通り日本語音声史の紹介書です。
帯には「羽柴秀吉は「ファシバフィデヨシ」だった!」とあります。
本文中にも、奈良時代は「笹の葉は」は「ツァツァノパパ」と発音していたという例も出てきます。
また、平安時代の王朝文学はひらがなのみで表記されており、現在われわれが使っている漢字かな交じり文への転換は藤原定家が行ったとのことです。
日本をよく知ろうというのなら、こういう分野の知識も必要だと思い、購入しました。
目次は次の通り。
はじめに
序章 万葉仮名が映す古代日本語音声 ―唐代音からの推定―
第1章 奈良時代の音声を再建する ―万葉びとの声を聞く―
第2章 平安時代語の音色 ―聞いた通りに書いた時代―
第3章 鎌倉時代ルネサンスと仮名遣い ―藤原定家と古典文学―
第4章 宣教師が記録した室町時代語 ―「じ」「ぢ」、「ず」「づ」の合流と開合の別―
第5章 漢字の音読みと音の歴史 ―複数の読みと日本の漢字文化―
第6章 近世の仮名遣いと古代音声再建 ―和歌の字余りから見えた古代音声―
「序章 万葉仮名が映す古代日本語音声 ―唐代音からの推定―」
さて、昔の日本人がどのように発音していたのか、一体どうやって知ることができるのでしょうか?
現代では小型の精巧な録音機器が発達しているので、タイムマシンさえあれば、録音機器をもって過去に飛び、昔の人の発音を記録することができるはずです。
しかし、残念ながらタイムマシンが実現されていない状況で過去の日本語の発音を「再建」するには、それなりの方法が必要になります。
(「再建」はこの分野の専門用語とのこと。)
平安時代には現代でも使われる平仮名、片仮名が発明されますが、それで書かれた文章を現代と同様に発音していたかどうかは保証されないのです。
ここで登場するのが万葉仮名です。
万葉仮名は、当初は固有名詞にのみ用いられていましたが、やがて助詞、助動詞や用言の送り仮名に用法が拡大して、奈良時代には日本語の表記が可能となりました。
万葉仮名は、漢字を表音文字として用いて当時の日本語を記録しています。
ところが、その漢字の発音自体が千年を超える長い時間経過のなかで中国でも日本でも変化してきています。
そこで、奈良時代の発音を再建するのに必要とされたのが、次の3つでした。
1.伝統的漢語音韻学
2.近代的中国歴史音声学
3.価値の高い万葉仮名資料
中国では科挙において漢詩の素養が必要とされることから、中国中古音(隋唐音)を復元するために漢語音韻学が発達しました。
しかし、漢字文化圏内部での伝統的分析には限界があったところ、アルファベット(音素文字)に基づく西洋の近代的中国歴史音声学が入ってきて、一挙に研究が進展しました。
画期的な成果を挙げたのは、スウェーデン人言語学者バーナード・カールグレン(1889~1978)です。
漢字は、ローマ字やギリシャ文字のような音素文字とは異なり、仮名と同じ音節文字です。
音節は、一かたまりの母音を核として、その前後に子音が張り付いて、聞こえの単位を構成します。
中国伝統の音韻学は、既知の漢字を使って未知の漢字音声を説明しなければなりませんでした。
そこで、既知の漢字二字を重ねて、上字の子音(音)と下字の母音(韻と四声)を連結するという方法を採用しました。
これを反切法といい、隋代の『切韻』や北宋の『広韻』のような韻書は、反切を使って漢字音を分類しています。
カールグレンは、韻書の反切による分類に加えて、印欧比較言語学の方法論により現代中国諸方言三十種を音声学的に観察し、中国語音声史を近代科学の水準にまで高めたのです。
南宋の『韻鏡』は、隋唐中古音の子音を縦軸に、母音を横軸に配置、図示した43枚の音図集です。
これは、従来の反切法による表示に代って、多数の漢字音の相互関係を一挙に図示する斬新な方法でした。
しかし、中国本国では亡失し、伝来した日本で『韻鏡』注釈学が盛んになりました。
カールグレンは、中国に残らなかった『韻鏡』をあまり重視しなかったのです。
これに対し、日本人言語学者 有坂秀世(ありさか・ひでよ、1908~52)は同書を再評価し、『韻鏡』注釈の成果を踏まえて、奈良時代語音声の再建に成功しました。
「第1章 奈良時代の音声を再建する ―万葉びとの声を聞く―」
日本語の発音が再建できる最古の時代は、8世紀の奈良時代です。
奈良時代語(8世紀)の音節(一部漢語を除く)について、現代語との異同を見ていきます。
・古代日本語には、h の音は存在しなかった。
奈良時代のハ行子音は、h ではなく両唇破裂音の p でした。
平安時代初めに p から破裂性がやや退化して両唇摩擦音 ファ、フィ、フ、フェ、フォ となりました。
両唇摩擦音は唇をすぼめて発音する子音で、
国際音声記号では本来 ɸ で表します。
ただ、本書では室町時代に主にポルトガル人宣教師が残したキリシタン資料で f を使っていることもあり、英語の唇歯摩擦音と同じ f で表している場合が多いです。
(日本語で唇歯摩擦音 f が使われたことは一度もありません。)
ハ行子音が両唇摩擦音であったのは、おそらく江戸時代の18世紀前半頃までだろうといいます。
ただし、フだけは現在も両唇摩擦音です。
・奈良時代のサ行子音は、s ではなく ts だった。
現代風に書くと、ツァ、ツィ、ツ、ツェ、ツォ となります。
・奈良時代には母音が8つあった。
「き・ひ・み、け・へ・め、こ・そ・と・の・も・よ・ろ」には甲類と乙類の別があったとされます。
ただし、単独母音音節を表す仮名は「ア(安)・イ(以)・ウ(宇)・エ(衣)・オ(於)」の5種類のみでした。
「イ」「エ」「オ」の仮名には、甲乙2種類の使い分けはありません。
甲乙2種類の使い分けの例を挙げます。
動詞の四段活用連用形語尾「キ・ヒ・ミ」(書き、問ひ、読み)は甲類(岐・比・美)、
已然形の「ケ・ヘ・メ」(書け、問へ、読め)は乙類(気・閉・米)、
命令形の「ケ・ヘ・メ」(書け、問へ、読め)は甲類(家・蔽・売)でした。また、
下二段活用の「ケ・ヘ・メ」(掛け、求め)は未然形、連用形、命令形すべて乙類(気・倍・米)、
上二段活用(恋ひ)は未然形、連用形ともに乙類「非・悲・肥」でした。
甲乙対立のうち、オ列の甲乙対立は、数多く現れ、用例が多いとされます。
万葉仮名の例示を挙げます。
オ列甲類:古、素、刀、努、欲、漏(コソトノヨロ)
オ列乙類:許、去、所、曽、等、能、余、慮(現代ではキョ、ショ、…と読む場合が多い)
それではそれらが実際にどのように発音されていたかというと、
・甲類は奥舌で調音する現代語のオ列音に近い [o]
・乙類は中舌音 [ö] (k:ドイツ語のオーウムラウトと同じだとすると、オの口の形でエを発音する)
と推定されるとのことです。
現代では同じ読みになっている語でも当時は異なっていた例示として、一音節語(根)の甲乙対立の例を挙げます。
よ甲(夜)/よ乙(代)、こ甲(籠・児)等/こ乙(此・木)、ご甲(五)/ご乙(碁)、
こ甲ふ(恋ふ)/こ乙ふ(乞ふ)、こ甲ま(駒)/こ乙ま(狛)、しろ甲(白)/しろ乙(代)、
そ甲る(隆る)/そ乙る(剃る)、と甲(外・門・処)/と乙(跡・十)、
と甲く(着く)/と乙く(解く)、と甲む(富む)/と乙む(止む)
有坂秀世は、オ列の甲乙対立に関して次の音節結合法則を発見しました。
(有坂法則と呼ぶこともある)
第1則:甲類のオ列音と乙類のオ列音とは、同一語根(動詞の場合は語幹)内に共存することがない。
第2則:乙類のオ列音は、ウ列音と同一語根(動詞の場合は語幹)内に共存することが少ない。
第3則:乙類のオ列音は、ア列音と同一語根(動詞の場合は語幹)内に共存することが少ない。
第1則の例示:
も甲も甲(腿);
こ乙そ乙(助詞)、こ乙と乙(殊・事・琴)、こ乙ろ乙(頃)、そ乙こ乙(底)、と乙こ乙(床・常)、と乙こ乙ろ乙(所)、と乙の乙(殿)、と乙も乙(友)、の乙ぞ乙・く(除く)、の乙ど乙(和)、も乙ろ乙(諸)、よ乙そ乙(外)、よ乙ど乙(淀)、よ乙ろ乙・し(吉し)
例外はない。
第2則の例示:ウ列音とオ列甲類音が語根内で共存する例
うこ甲(愚)、くそ甲(糞)、くも甲(雲・蜘蛛)、くろ甲(黒)、すそ甲(裾)、むろ甲(室)
例外は3音節語根の2例のみ:うし乙(後)、くし乙乙(釧)
第3則の例示:ア列音とオ列甲類音が語根内で共存する例
あそ甲(阿蘇)、あそ甲・ぶ(遊ぶ)、あと甲(跡)、うまご甲(孫)、かそ甲け・し(幽し)、かぞ甲・ふ(数ふ)、かも甲(鴨)、こ甲ま(駒)、さ甲と甲(里)、そ甲が(蘇我)、そ甲ら(空)、はと甲(鳩)、はろ甲ばろ甲(遥)、まど甲(窓)、まよ甲(眉)
例外:と乙が(咎)、まろ乙(自称)など数例
オ列甲乙対立は、奈良時代末から平安時代にかけて解消しました。
ただ、面白いことに乙類音が甲類音を吸収したというのです。
しかしこのことは、当時の乙類音が現代のオ列音と同じであることを意味するわけではありません。
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