賢治の詩「小岩井農場」 | 宇宙とブラックホールのQ&A

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2019年6月6日にYahoo!ブログから引っ越してきました。よろしくお願いします。

 宮澤賢治の詩は、これまで文語詩を2篇取り上げました。

 賢治の詩「岩手公園」 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)

 賢治の詩「流氷(ザエ)」 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)

 

 今回は、生前出版された唯一の詩集『春と修羅』に掲載された長編詩「小岩井農場」を紹介します。

 といっても、非常に長い詩なので、全体の引用はしません。

 また、解説はしますが、解釈はしません。

 

 テキストなどは主に次のサイトに依拠します。

 宮澤賢治全詩一覧 (ihatov.cc)

 小岩井農場(初版本)/『春と修羅』 (ihatov.cc)

 

  「小岩井農場 パート九」の最後の部分から

 >

  さあはつきり眼をあいてたれにも見え

  明確に物理学の法則にしたがふ

  これら実在の現象のなかから

  あたらしくまつすぐに起て

  明るい雨がこんなにたのしくそそぐのに

  馬車が行く 馬はぬれて黒い

  ひとはくるまに立つて行く

  もうけつしてさびしくはない

  なんべんさびしくないと云つたとこで

  またさびしくなるのはきまつてゐる

  けれどもここはこれでいいのだ

  すべてさびしさと悲傷とを焚いて

  ひとは透明な軌道をすすむ

  ラリツクス ラリツクス いよいよ青く

  雲はますます縮れてひかり

  わたくしはかつきりみちをまがる

 <

 

 私が好んで暗唱するのはこのうち「明るい雨が・・・」から「けれどもここはこれでいいのだ」までの部分です。

 今回はその前から始めて詩全体の末尾まで引用しています。

 

 引用した範囲では、難しい言葉はほとんどありません。

 「悲傷」(ひしょう)は、悲しんで心を痛めること。

 「ラリツクス」は、カラマツ属の学名 Larix です。

 難しい言葉はなくても、決して分かりやすくはないのですが。

 

 まず小岩井農場自体についてwikiの記述に基づいて紹介します。

 小岩井農場は、岩手県岩手郡雫石町と滝沢市にまたがる日本最大の民間総合農場です。

 1891年(明治24年)創始。

 日本鉄道会社副社長の小野義眞(ぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となったので、三名の姓の頭文字をとって「小岩井」農場と名付けられました。

 岩手県の県庁所在地盛岡市から北西約12kmに位置します。

 面積は 3,000 ha ありますが、そのうち約 40 ha が観光エリアとして開放されています。

 公式サイトは↓

 小岩井農場 (koiwai.co.jp)

 

 賢治の詩「小岩井農場」は、彼の自費出版詩集『心象スケツチ 春と修羅』所収。

 『春と修羅』は、1924年(大正13年)4月20日刊行。

 賢治の詩は年月日が付けられているものが多いのですが、「小岩井農場」の日付は1922年(大正11年)5月21日(日)となっています。

 賢治は、その前年1921年の1月に家出して上京し、精力的に創作活動に取り組みます。

 8月中旬に「トシビョウキスグカエレ」の電報を受け取って花巻に戻り、12月に稗貫(ひえぬき)郡立稗貫農学校の教諭となります。

 (同校は同年1921年4月発足、1923年に移転し県立花巻農学校と改称。隣接する県立高等女学校の規模や建物と比べて余りにも見劣りし、またクワっこ大学とからかわれていたとのこと。)

 妹トシが結核で亡くなるのは1922年11月27日です。

 ですから、1922年5月という「小岩井農場」の日付の頃は、トシの死の半年前で、賢治が農学校の教諭として生活し活動していた時期です。

 

 詩「小岩井農場」は、パート一~パート九に分かれています。

 ただし、パート五、パート六、パート八は現在存在しません。

 引用サイトによれば本作品は総字数8082という長さで、賢治の詩のなかでも最長です。

 

 「小岩井農場」は次のように始まります。

 

 「小岩井農場 パート一」の冒頭から

 >

  わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた

  そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ

  けれどももつとはやいひとはある

  化学の並川さんによく肖(に)たひとだ

  あのオリーブのせびろなどは

  そつくりをとなしい農学士だ

  さつき盛岡のていしやばでも

  たしかにわたくしはさうおもつてゐた

 <

 

 「化学の並川さん」は、賢治の農学校の同僚でしょう。

 

 賢治が降りたのは小岩井駅で、1921年6月25日開業。盛岡駅の隣です。

 現在は、JR東日本の田沢湖線の駅となっています。

 (田沢湖線は秋田新幹線が通っていますが、小岩井駅には停車しません。)

 賢治が訪れたのが詩の日付の通りだとすれば、約1年前にできたばかりの新駅になります。

 

 小岩井駅は小岩井農場への最寄駅ですが、6kmの距離があります。

 農場への有料馬車もあるのですが、賢治は乗らずにその横を歩いていきます。

 長編詩「小岩井農場」は、賢治が歩くのにつれて変化していく周囲の情景と心象とを描写していきます。

 引用したサイトでは、「天上的な長大さ、若々しい肯定」として、マーラーの交響曲第3番に例えています。(マーラーの交響曲もその長さで有名ですね(^_^)

 

 ただ、最終章に当たるパート九まで来ると、かなり異様な描写も出てきます。

 

 「小岩井農場 パート九」から。

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  ユリアがわたくしの左を行く

  大きな紺いろの瞳をりんと張つて

  ユリアがわたくしの左を行く

  ペムペルがわたくしの右にゐる

  ……………はさつき横へ外(そ)れた

  あのから松の列のとこから横へ外れた

    《幻想が向ふから迫つてくるときは

    もうにんげんの壊れるときだ》

  わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ

  ユリア、ペムペル、わたくしの遠いともだちよ

  わたくしはずゐぶんしばらくぶりで

  きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た

  どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを

  白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう

    《あんまりひどい幻想だ》

  わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ

  どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは

  ひとはみんなきつと斯ういふことになる

  きみたちとけふあふことができたので

  わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから

  血みどろになつて遁げなくてもいいのです

 <

 

 このユリアとペムペルというのは、賢治の幻想だとしても、一体何者なのでしょうか?

 ヒントになる点がいくつかあります。

 a.「巨きなまつ白なすあし」

 これは、賢治の童話「ひかりの素足」に出てくるお釈迦さまらしい人物の「大きなまっ白なすあし」という描写と同じです。

 宮沢賢治 ひかりの素足 (aozora.gr.jp)

 b.「きみたち」

 しかし、「きみたち」という呼びかけはaとは矛盾するように思えます。

 c.「きみたちの昔の足あとを白堊系の頁岩の古い海岸にもとめた」

 中生代白亜紀の地層に足あとを残しているのなら、それは恐竜としか考えられません。

 賢治は、童話「楢ノ木大学士の野宿」で白亜紀の恐竜の足跡を探すうちに、雷竜(ブロントサウルス)に追われ食べられてしまうが、夢だったという話を書いています。

 宮沢賢治 楢ノ木大学士の野宿 (aozora.gr.jp)

 (23/6/8追記:ブロントサウルスは戦前から戦後の一時期まで広く知られた名称で、雷竜はその和訳ですが、現在の学名はアパトサウルスとなっています。)

 

 ユリアという名前は、中生代ジュラ紀(白亜紀の一つ前)からの連想のように感じられます。

 それなら、ペムペルは古生代最後のペルム紀からの連想ではないかと思いたくなりますが、そう単純ではありません。

 ペルム紀と呼ばれるようになったのはここ数十年のことであり、それ以前は二畳紀と呼ばれていたからです。

 

 まあ恐竜が「遠いともだち」になるような「人間が壊れるほど迫ってくるひどい幻想」なので、賢治の科学者、宗教者等々のさまざまな面が混交しているのかもしれません。

 

 引用が長くてとりとめのない内容でしたが、今回は以上でお仕舞いです。

 

 

 宮沢賢治関係の記事一覧 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)

 

 ★ 今日のロジバン

   lo mlatu cu diklo lo ckana lo kumfa

 「ロ゚ ㇺラ゚トゥ シュ ディㇰロ゚ ロ゚ ㇱナ ロ゚ ㇺファ」

  猫は部屋のベッドにいる。

 diklo : 局所的/ローカルだ,x1は x2(局所)・x3(領域)について;局在する,x1は x2に

   特定の領域における部分的な範囲を表す。

 ckana : 寝台/ベッドだ,x1は x2(素材)の x3(者/物/事)を支えるための。-cka-

 kumfa : 部屋/室だ,x1は x2(建物)内の x3(壁/天井/床)で仕切られた。-kum-, -ku’a-

 

 主述語は { cu diklo } で、そのx1が { lo mlatu } 「猫」、x2が { lo ckana } 「ベッド」、x3が { lo kumfa } 「部屋」です。

 日本語、日本人にはあまりない発想の単語だと思います。

 これ自体、diklo の例文です。

 出典は、

 gimste bau la'o by 日本語 by ji'u la <a href='http://jbovlaste.lojban.org'>jbovlaste</a> de'i li 2022-02-01 (guskant.github.io) dikloの項