書評です。
佐藤 満彦 著 『ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿―科学者たちの生活と仕事』 中央公論新社 中公新書1548 281頁 2000年8月発行 本体価格¥840(税込¥882)
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2000/08/101548.html
佐藤満彦さんは1933年生まれなので、今年82歳。本書刊行時は67歳です。
都立大(今は首都大学東京になりましたね)で教授まで務められ、1997年に定年退職。本書刊行時には都立大他の講師をされていたようです。
ご専門は植物生理生化学ですが、科学史の本を1958年に訳しておられるので、本書は昔取ったきねづか、いや大昔かな(^^;
訳書は何冊かあるようですが、ご著書は本書が初めてで、この後も科学史の本を数冊書いておられます。
本書が出たのは今から15年も前ですが、興味深い題名なので本屋で目には付いたものの、すぐには買いませんでした。
その後、購入読破しこの書評をおおむね完成させてから2年程度経っています。
読んでいただければ分かるように、載せる価値があるかどうか迷ったので。
「あとがき」をみると、理系の学生たちに歴史上の大科学者たちの科学的業績以外の事柄について尋ねたところ、その知識がきわめて乏しいことが分かり、科学に関する業績よりも科学者たちの生活に焦点を当てて本書を執筆してみたとのことです。
ということで、本書は科学者たちの「勤め先と懐具合」を書き記しています。
佐藤さんは、科学者の生活条件が科学者そのものの主体的条件とともに科学の推進力の重要な一翼を担ってきたことを強調しています。
また、本書で展開される科学者の評伝の中では、科学者の評価の平均化が図られています。
たとえば、ニュートンの評価を下げてそのライバルであるフックの評価を上げるなど(第II部)。
全体は三部構成です。
本書の半分以上を占める「第I部 パトロンに仕える科学者たち」では、ダ・ヴィンチからガリレオ、ハーヴィまでを扱っています。
最初に全体を概観した後に、数学、天文学、物理学、医学の順で偉大な科学者たちの伝記を取り上げています。
科学者の詳細なエピソードが面白いのですが、それを逐一写すわけにもいきません。
(中でも私が一番興味を引かれたのはパラケルススです。知識がまったくなかったからですが。)
そこで、本書の特色の一つであるまとめの表を大幅に簡略化して写しておきます(p.4~5、表1-1)。
ルネサンス期科学者の業績など
名前 生国 生没年 主要業績 職業・肩書
ダ・ヴィンチ 伊 1452~1519 物理学の諸研究/人体解剖 仏王、教皇などに仕える
(数学)
カルダーノ 伊 1501~1576 三次方程式の解法 医師、ボロニア大医学・数学教授
ネーピア 英 1550~1617 対数表 城主
(天文学)
コペルニクス ポ 1473~1543 地動説 聖職者、医師、政治家
ティコ・ブラーエ デ 1546~1601 天体観測 貴族、皇帝付数学顧問官
ガリレオ 伊 1564~1642 落体の法則/地動説 大学教授、大公付哲学者・数学者
ケプラー 独 1571~1630 惑星運動の三法則 数学教師、皇帝付数学顧問官
(物理)
ステヴィン 蘭 1544~1603 力の平行四辺形 土木技師・運河工事監督
ギルバート 英 1548~1620 磁気の研究 侍医(医学)
パラケルスス ス 1493~1541 化学医療 遍歴、大学教授
パレ 仏 1510~1590 外科術 従軍、侍医
ヴェサリウス べ 1514~1564 人体解剖学 パドヴァ大教授、侍医
ハーヴィ 英 1578~1657 血液の循環 開業医、侍医
(k注)1 生国は、生まれた地域が現在どの国に属しているかを示しています。
2 ポはポーランド、デはデンマーク、スはスイス、ベはベルギーです。
3 この時代の国、国境線は現代とは異なっています。たとえばドイツ(独)もイタリア(伊)も統一国家としては存在しません。以下の表も同様。
この時代の科学者は、研究手段や生活手段を提供してくれるパトロンを求め、彼らの庇護を受けながら研究を行うのが、すべてとはいえないまでも一般的な姿でした。
「科学者という職業」はまだ成立していなかったのです。
さて、佐藤さんはこの時代を基本的にルネサンス(k:人間性復興の時代)と捉えています(p.2)。
ルネサンス的万能人の典型であるダ・ヴィンチを表の一番先に置いているのもそうした認識からでしょう。
そして、1543年という同じ年に世に出た、コペルニクスの『天球の回転について』とヴェサリウスの『人体の構造について』が科学の世界における中世と近代の分水嶺をなしているといいます。
後者の認識はいいとしても、科学革命をルネサンスに付属するもののように位置づける史観は決定的に時代遅れです。
まず、ルネサンスの前提となるのは「暗黒の中世」という見方ですが、今ではルネサンス自体を近代の始まりではなく「中世の秋」(ホイジンガ)とする位置づけも有力です。
ルネサンス自体についても、いわゆるルネサンスだけでなく、それ以前の時期についてもカロリング・ルネサンスや12世紀ルネサンスといった運動があったとされ、科学発展に寄与したのはむしろ12世紀ルネサンスだとされています。
また、いわゆるルネサンスの時期に活躍した科学者はコペルニクスくらいで、ガリレオやケプラーはもっと後ろにずれています。
私は詳しくはありませんが、医学分野についても、ヴェサリウスの業績により解剖学の基礎が築かれたことは間違いないとしても、近代医学が成立したとはいえないのではないでしょうか。
ダ・ヴィンチが多彩な天才であったことは間違いありませんが、科学においては偉大な科学者たちの中に名を連ねるほどのことはないでしょう。
こうしたことから、科学革命はルネサンスとは別の、より後に起こった、近代の始まりにとってより重要なできごとであるとする見方をとるべきだと思います。
なお、私としては、いずれも科学者とはいえないのですが、無限宇宙観を初めて提唱してそれに殉じたジョルダノ・ブルーノ(伊1548~1600)や、近代科学が確立していなかった当時に今日にも通じる科学のあるべき姿を唱えたフランシス・ベーコン(英1561~1626)も、年表に含めてほしかったです。
「第II部 パトロンから独立する科学者たち」では、ほぼ17世紀前半に生まれ、その世紀の後半から18世紀初頭にかけて活躍した科学者が対象です。
第I部の科学者たちと比べたときの特徴は次の通り(p.178)。
1.パトロンによる庇護性が薄れ、独自の生活手段をもつようになった。
2.生業を立てるための本業は、大学教授、自由業、政治家、軍人など、実に多岐に及ぶが、特に貴族と称せられ、親の資産を生活や研究の糧とした科学者が多い。
3.研究上の活動拠点は、科学者同士の情報伝達組織である各種の学会(協会)となった。科学者-パトロンという縦の関係から、科学者同士の横の関係が強められていった。
しかし、一部の大学教授を除けば、その科学上の業績に対してしっかりした財政基盤から支払われる科学者はまだ少なかった。
この時期の科学者の業績などと学会の創設をそれぞれ表にまとめておきます。
17世紀~18世紀前半に活躍した科学者の業績など
名前 生国 生没年 主要業績 職業・肩書
デカルト 仏 1596~1650 解析幾何学の創始 貴族
フェルマ 仏 1601~1665 整数論 政治家
パスカル 仏 1623~1662 パスカルの原理 貴族
ボイル 英 1627~1691 ボイルの法則 貴族
ホイヘンス 蘭 1629~1695 光の波動説 自宅研究
フック 英 1635~1703 弾性の限界 王立学会実験主任・幹事
ニュートン 英 1642~1727 力学、微積分学 大学教授、造幣局長官
ライプニッツ 独 1646~1716 微積分学 王侯に仕える。ベルリン科学アカデミー初代院長
各国の学会とアカデミー
伊1603 アカデミア・デイ・リンチェイ(ローマ)
伊1657 アカデミア・デル・チメント(フィレンツェ)
英1662 王立学会(協会)[ロイヤル・ソサエティ]
仏1666 フランス(パリ)科学アカデミー
独1700 ベルリン科学アカデミー
露1725 ペテルブルグ科学アカデミー
注:数字は創立の年。
「第III部 職業科学者への道」は短いので省略します。
この本の構成自体が尻つぼみあるいは竜頭蛇尾といえます。
本書は、科学者に関する興味深いエピソードを豊富に含んでおり、読み物として面白いのは間違いありません。
しかし、著者が科学史の専門家ではないこともあり、個々のエピソードが(本書出版時の)最新の研究成果を反映しているのかどうか私にはよく分かりません。
また、科学革命に関する歴史観のどうしようもない古さはすでに述べたとおりです。
したがって、正直言って定価で買う値打ちがあるとは思いません。
出版から十数年経っているので、古書として安く入手できるのであれば、お勧めします。