演劇人生 -60ページ目

演劇人生

今日を生きる!

悩んだ。


この時は、正直な話、

「畜生ッ、奴(演出)を殺しておれも・・・」

と思った。


劇団の総力を挙げて上演する作品だった。

「お前が出て来た途端に、積み上げた緊張感がパッと消える」

と言われた。


実在の人物で軍事委員会議長とかいう肩書きを持っていた。

およそ2ヶ月に及ぶ稽古で、初日数日前まで、

「緊張感が消える」を言い続けられた。


役の自分が、何処で何をしていて、

ここに来るのにどのような所を、何を見、何を感じながら歩いてきたのか。

それとも車で来たのか、若しかすると馬だったのかもしれない・・・

稽古のたびに試し、イメージを深めていた。(つもりだった)


そのうち、演出は、

「駄目だ」

としか言わなくなった。


鏡を前にしても稽古した。

翌日も、

「駄目だ」

・・・・・・


殺意が芽生えたのはこの頃である。


今日稽古が終わったら殺してやる。

密かにナイフをバッグに入れていた。


ところが、その日は何も言われない。


稽古が終わり、食堂でラーメンをすすり、トイレに行くと演出と出会った。


「来る途中何を見てきた?」

「戦況です」

これに対して、

「部下の兵士たちの眼を見てきたろう。どんな眼をしていたんだ」

「・・・」


数日後、旅先で幕が上がった。

私は継続していた出演作品を終わらせて、数週間後の合流だった。


演出が最後の最後に言ってくれた言葉をかみ締めながら舞台に立った。


旅館に帰り食事をした。が、演出はいなかった。


その数日後である。


「あいつは、何で稽古場でちゃんとやらないのかなァって言ってたよ」


話では、

私が「稽古場をなめている」と考えているというのだ。

「最初から、今日みたいな稽古をしてくれていりゃ言うことないのに」

こう言ってため息をついていたのだという。


冗談じゃない。実は殺してやろうと思ったことがあることを話した。

「へぇ、そうか。今度言っておいてやるよ」


私は慌てて、「冗談だよ」と打ち消したが、さあ、果たしてどうだったのか、

その後、確かめてもいない。


12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
私の好きな役者 デヴィッド。ストラザーン

   「グッドナイト&グッドラック」での

   エドワード・マロウがよかった。

   抜群の演技に驚嘆した。

  メリル・ストリープの「激流」

   「戦場のジャーナリスト」などがある。

前々回の続きだ。


「役のセリフを、全部笑いでやれ」

そして、相手役には、

「セリフの内容に感じなければ、返事をする必要がない」

と、言われた役者、意味ありげにニンマリと笑っている。


「よし、一ヶ月の生活の全てを笑いで生きてやれ」

覚悟を決めたが、一日で中断を余儀なくされた。


道で会う人にも笑いで挨拶したのだが、

「お宅の息子さん、可笑しいよ」

「気持ちが悪い」

と言われたと親から厳重注意を言い渡されたのだ。


稽古はもっとひどかった。

相手役が返事をすると、

「お前には、そう聞こえたのか?耳がどうかしていやしないか」

とダメ出しされる。

と、今度はまったく反応しなくなる。


あゝ、「これで役者のオレは死ぬ」と真剣に考えた。


・・・が、何とか幕が開いたのだ。


私が笑い、相手役がそれに反応するたびに客席から笑いが出る。

・・・Oh、何となく納得したような笑いのようだ。


観たお客さんからは「面白いよ」と言われる。

新聞の劇評にも、

「笑い声ひとつで演じた伊藤豪は面白い」

と書いてある。


演出の意図を初めて理解する。

「だったら、最初から言ってくれればいいじゃないか」

「お前、このセリフの全部を笑いでやれるか?」

とか・・・

ところが最初から逆風を吹かせたのにも深いわけがあったのだ。


これに気付いたのは、

この芝居から20年も経ってからだった。

勿論、演出はすでに他界していた。


12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
  好きな役者 ヘンリー・フォンダ

 彼の歩きには哲学があると思った。

 どんなウォーキングの出来るモデルにも

 彼の歩きは出来まい。

 勿論、役者の誰も真似のできない歩き

 だと私は思っている。

 「12人の怒れる男たち」もいいが、

 「怒りの葡萄」「黄昏」などが好きだ。

舞台には、プロンプターがつく。


先日公演した「母」にも、

前半と後半とに分けて一人ずつつけた。


役者にもいろいろいて、

セリフが出ないのはプロンプターのせいだと、

こっぴどく怒る役者もいる。


この前の「母」でもひどかった。


セリフがなかなか覚えられず、

結局は最後の最後までいい加減なセリフを言われてしまったのだが、

プロンプターがついていけないの代物だった。

あれは・・・何ともいいようがない。


稽古場で、セリフのつけ方が悪いと、プロンプターを怒鳴った。


「何を勘違いしているんだ。怒鳴る相手は自分だろう」

と私は言ったが、それも響かなかったようだ。


ところで以前、舞台の演壇に身を縮めて隠れ、

そこで演説する役者のプロンプをする女性が袖で泣いていた。

「どうしたの?」

と聞いても何も言わなかった。


後で分かったことだが、

セリフに詰まった役者に、その都度蹴飛ばされるのだという。

(役者の名前は伏せておくが)


「プロンプターという役はね、役者が詰まったと思ったら、

1秒待たせちゃ駄目なんだよ。すかさずつけろ!」


と怒鳴っていたことがあった。


彼女の身体はアザだらけだったと聞く。


このような話は、芝居の世界だけのものではないかもしれない。


また、この良し悪しはいえないものかも知れない。


ただ、なまじの気持ちでは続けて行けない

厳しい世界であることだけは確かなのである。


12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
   好きな役者 デニーロ

 いい役者だねぇ。

 みんな嫌だというが、私は

 「スターダスト」の彼がよかった。

 存在感抜群だ。

 先日観た「リミットレス」もよかった。

「それでセリフ言ってるつもりか?」

稽古初日のことである。


1日10時間の稽古が、最低でも1ヶ月続く初日なのだ。

「返事をしろ。それがセリフか?」

「今日は、稽古初日です。これからどんどん変わって行きます」

「いつまで待てばいい?」

「明日にも変わります」


横に座った友人が小声で、

「口ごたえするな」

とささやいてくる。


「明日まで変わるんだな?」

「はい」


友人は、

「そうだ、それだ」


「じゃ、それを期待して、今日の稽古は終わりだ」


一度、通して読んで終わってしまった。

三々五々稽古場を出て行く連中は全員無口だった。


友人は心配してくれているのだろう、

「お前、大変な約束をしたな」

最初から逆らわなきゃよかったんだよ。


逆らう等という気持ちはまったくなかった。

少なくても、

稽古初日に言われるダメ出しではないという思いが強かったのだ。


翌日の稽古が始まった。

演出は、昨日のことなど忘れているかもしれないとは思うものの、

寝るのも惜しんで稽古をして臨んでいた。


「じゃ、昨日やった最後の場面を読むか」


来た、来たッ! 予想通りとは行かなかった。

読んだ。


「何処が変わったんだ?」

「・・・・」

返事を返す何ものも持ってはいなかった。


「何も変わっちゃいないじゃないか」

「オレを馬鹿にしてるな?」

「それともやる気がないのか?」

ここまで言われて黙っているわけには行かない。


「今日は、稽古2日目です。変わります」


「もういい。セリフは全部カットだ。このセリフの意味を・・・」

全部、笑いにして言えというのだ。

「今朝のパンは食べたか?」

とか、

「ちゃんと睡眠は取れてるのか?言いたいことがあったら、ちゃんと言え」

等々のセリフを笑いでやれという。

相手が返事できなければ言ったことにはならない。


以後、劇団と家との2時間の往復時間を含め、

生活の全部を笑いで生きる覚悟を決めた。(続く」


12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
   私の好きな役者 田宮二郎さん

    「白い巨塔」の財前医師だ。

TBSの「白のシリーズ」や「霧のシリーズ」等で、

送りの車で宿泊先までご一緒した。

「なぁ、ちょっと寄っていかないか?」と誘われて

コーヒーを・・・。

「白い・・」はフジTVだった。「何かおかしい」と

本人にいったひと言が気になったようだった。

その後、猟銃自殺のニュースが・・・・

東京裁判を舞台にした作品の稽古でのひとコマ。

「あァ・・・きみがどれ程上手くしゃべっても駄目なんだよ」

大きなため息をついて、

「どうしようか・・・」

頭を抱える。


「君の声はお茶漬けサラサラの声でね・・・」

役の人物は日に2回はステーキを食っている奴の声だというのである。

そのステーキも、

「草履みたいに厚くてデッカイ奴だ」

そして、

「いまさら直せと言っても無理だろうけどさ」

稽古はここで終わった。


その日から、

言われた役者は昼夜ステーキを食べた。

何回か付き合ったが経済的に続かない。


数日後・・・


「ま、日本人のお前がイギリス人になれるわけがないからな」

と言った後、

「五、六年ステーキを食ったところで変わりゃしねぇから」


食い始めて10日もたっていないのに、

5~6年食っても変わらないといわれた彼。

ただ唇をかみ締めたまま何も言わなかった。


私はロシア人検察官だった。

「声じゃ芝居は出来ないんだよ」

といわれた。

「声は聞こえど、ことばは見えずって奴だ」

大きなあくびをして、

「自分で、いい声だなぁとか思ってやしねぇか?」

「いえ」

と言ったものの、

「彼と比較したら、俺の声はステーキの声だ」

と密かに思っていた。

演出には、それが見抜いていたのだろうか。


12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
 好きな・・・敬愛する俳優 宇野重吉

  我が師匠という人は多いと思う。

戦後の映画界では二枚目俳優として活躍。

以後、演出を兼ねて役者でもあった。

寺尾聡さんの父君である。