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演劇人生

今日を生きる!

評価されすぎでしょ? と思うもの ブログネタ:評価されすぎでしょ? と思うもの 参加中
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物事の良し悪しや、
印象の良し悪しの価値として評価は生まれます。

その価値判断は観る人、聞く人、食する人・・・等々、

好みによって決められますが、

社会的評価になると、選考する上での基準が必要になります。



また評価が、対価(値段)に結びつくかどうかは、

社会的評価と個人的評価とイコールではない場合が多いようです。


ここで、「評価されすぎ」を取り上げる難しさがあります。


ノーベル賞受賞者にも「評価されすぎ」と思える人もいたし、

アカデミー賞やヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞、

日本アカデミー賞などもあるが、選ばれる作品すべてが

他と比較して、

それだけの評価に値するかといえばそうでもないものもたくさんある。

文化勲章や褒章などに至れば尚一層、その感がしてくる。


「評価されすぎ」転じて、何故、「評価されないか」を考えたい。


何とかが、芸術祭奨励賞をもらったの、

○○賞をもらったのと聞くたびに、

選者は、他の作品をどれほど観ての選考かということである。

選者が観ているのは、

太平洋に浮かぶひとつの無人島なのかもしれない。


これは評価されているわけではないが円高が続いている。

昨年は坂本竜馬ブーム、アップル社のジョブズさん等々・・・

「評価され過ぎ?」といわれているが、


「何故、評価されないの?」

といわれるものに焦点をあてると、

その分野を含めた、

広くは国の姿勢までが見えてくるように思えてならない。


ちょっと、いじましい感がするかなァ。


でも、「評価され過ぎ」の周囲や背後にある、

「評価されな過ぎ」

に目を向けたいし、向けて欲しい気もしてきます。

演技ワークショップなどが林立している。

「何でも勉強だから」

というのも否定しない。


しかし、真剣に演劇を学ぼうとしている彼らの心を

もてあそばないで欲しいと思うことがある。


これは根拠もなしに言うのではない。

わたしも、そのようなところから講師の依頼が来ていた。

いささかラジカルな書き方になるが、

勿論、それらの全てを否定しているのではありません。

「あえいうえおあお」とかいうプリントで声を出させ、

「外郎売」を暗記させたり、

北原白秋の詩を朗読させる。

プラス、殺陣やバレー、インプロなど、

毒にも薬にもならないものをあてがって時間をつぶす。


わたしも劇団民藝の俳優養成所に入り、

(ここもひどかった)午前10時から午後6時くらいまで、

戯曲論、演技論、劇作論、演劇史、社会科学の座学。

発声訓練、体操、稽古見学等々、2年間やった。

そして、突然劇曲についての意見を書かされる。

こんな講義でいい点数を取ったからといって、

芝居が上手くなるわけでもなかった。


この研修を通じて、実際に作品に出演して学ぶ大切さを知った。

ただし、演劇史も戯曲論も必要なのだが、

座学としてではなく、実践理論として必要なのだ。


こんな話がある。

オーディションに行った役者に一枚の紙が渡された。

「おれもお前も人間だ。同じ人間なんだ」

というセリフがあった。

「ここの“人間”というセリフは、

『どん底』に出てくる“人間”と同じ意味なんだ」

といわれて、

「・・・?」

「きみは『どん底』を知らないの?」

彼は、幸いにか不幸にか、分からなかった。

分からないままでよかったのだが、思いついたことがあった。

「新宿にある飲み屋さんだの名前です」


このような悲劇はないようにしなければなりません。


「飲み屋」と思った彼は、

その時、タレント学校を卒業して10年目。

某プロダクションで毎週勉強を続けていたのです。


「あえいうえおあお」をやり、

いりいろなレッスンも熱心にやっていた優等生です。


地道な努力が必要ですが、何をどう努力するかです。


何でも勉強になることはないのかもしれません。



12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」

       わたしの好きな役者 ジャン・セルビェ

    好きな監督に ジュールス・ダッシンがいるが、

   彼の監督作品の「男の争い」では強烈な印象を与えた。

   バート・ランカスターの出演した「真昼の暴動」なども

   よかった。(ダッシンはレッドパージでアメリカを脱出し、

   ヨーロッパで監督を続けた。「鉄路の闘い」など有名だ。


「母」では、

小林多喜二の弟、小林三吾役を演じた彼が、

実家(エムズカンパニー)に戻って演じたのが、「助六」なる人物。


昨日、初日だった。

代表の三園ゆう子さんと席を並べて拝見した。


彼は、全てにまっすぐな性格で、

役づくりにも、芝居作りにも同様だった。


その「真っ直ぐ」さが彼のかもし出すオーラなのかもしれない。

オーラはむやみには現れない。

よい人柄と、役者としての感性が滲み出ていた。


霊的エネルギーをオーラと言う場合もあるが、

わたしにソレは分からない。

しかし、そのエネルギーを雰囲気としてキャッチすることはできる。


若いし、容量は大きくない。

しかし、大きくするエネルギーを彼は持っていると感じた。


カンパニーの代表も、きっと、それを大事に育てくれるに違いない。

彼は、それに応えなけらばならないが、

先ずは、

彼自身の役者としての求めに応えなければならない。


役者を目指す人は多い。

しかし、役者としての求めに出会える人は数少ない。


わたしも、ほんの何回か、その求めに出会った。


気付かずに過ぎてしまうこともある。

気付いても、茫洋と過ごしてしまうこともある。


しかし彼は求めに気付ける要素をもっているように思う。

いずれ、大きな役者になるために、気付いて欲しい。


うちの関根もボブも・・・同じである。

5年前の話である。


ある劇団の芝居を観た。


こんなものは芝居じゃない。

時間のロスを強いられただけではない。

その場所にいなければならない精神的苦痛をどうしてくれる。

こんなことを書いて、大喧嘩したことがある。


相手は2人いたが、誰だか分からずじまいになった。

わたしは勿論本名を使って書いていた。

逃げも隠れも一切しない。

(このブログも勿論本名を出しているのだが)


小さな劇団が一生懸命やっているのを、

時間のロスだとか精神的苦痛をあたえるとは何たることだ。

「育ててやろうという気持もない」

「傲慢極まりない」

「演劇人の風上にもおけない」

「いばるな」

まあ、散々ないわれ方をしたが、わたしも負けてはいなかった。


自分が演劇人であろうととするからには、

暖かく見守る気持ちを持てというのだ。


わたしは、自分の劇団員を育てたいとは思うが・・・

何の骨だか分からない、お世辞にも将来云々なんていえない集団を、

何故、育てなきゃならないのかと反論した。


「お前だって育てられてきただろう」

という。

冗談じゃない、わたしはお前らに育てられた覚えがない。

育てたというなら、先ず名を名乗れと書いた。

しかし名乗ることはなかった。


そろそろ、この泥仕合に終止符をうとうと思った。

○○日、わたしの創る芝居を観た上で、

「手前ェの芝居こそ地獄に落ちろ」

とでも何とでも言ってくれ。

くだらない芝居だったら入場料は返すし、

これまで罵倒してきた劇団に誤るし、

演劇の世界から身を引こうと書いた。


「よし、了解した」

「覚悟しろ」


というような2~3のメールの後、公演日を迎えた。

きっと観にきたのだろうと思う。


その後、プッツリ書き込みはなくなった。

何日も待った。

しかし、一度もない。

「身体でもこわしているのかな」

「死んじゃった?」

「・・・・・・」


何で心配する必要があるんだと思いながら心配した。

しかし、今もって、

何の連絡もない。


「ド素人」

とか、

「低俗観客」「似非ジゾウ」

なんてひどいことも書いた。

・・・悪かったと思っている。

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12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
民藝「イルクーツク物語」
12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
民藝「イルクーツク物語」
12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
NTV「微笑」
12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
P&G「洗剤」CM
12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
NHK「徳川家康」
12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
東芝日曜劇場
12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
TV朝日のドラマ
12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」

アドック「雛」「新しき鍵」

わたしの好きな女優さん

わたしと夫婦になった皆さんを

列記させて頂きました。

作品名を忘れた方も。

上から

佐々木さん

斉藤さん

高峰さん

倍賞さん

岩本さん

草笛さん

吉永さん

直江さん


いよいよ10回目です。


さて、若手役者に最適な仕事(バイトとは思わないで欲しい)があります。

ウエディング司会者です。


わたしは既に4,000組を越えるカップルの、

新生活のスタートに立ち会いました。

(すごいでしょう?「すごい」と自分でもびっくりします)


司会のスタイルも年年歳歳変化します。


そもそも、婚礼司会が始まったのは戦後数年経ってからです。

九州鹿児島出身の太郎さんが、

帝国ホテル前を通りかかった時目にした光景から、

「この仕事は成り立ちそうだ」と思いついた、

ハングリー精神の思い付きだったようです。

(実際に彼の話を聞きました)


最初は手探り状態からのスタートですから、

進行も滅茶苦茶だったそうですが、

進行スタイルを確立するまでに至らせたのですから偉いと思います。


さて、司会者の歴史発掘はこの程度にして、

何故、婚礼司会が役者生活によいのでしょうか。


舞台でもTVなどの収録にもリンクする良さが満載なのです。

その具体的な内容は書ききれませんから別に機会をつくります。


司会は、おしゃべりの上手い人には向きません。

上手くなりたい人には最適です。


司会研修講座を開催します。

何処の講座も10万だ20万(3ヶ月)だといわれますが、

それ以上の司会力を身につける講座を超格安で実施します。

その前に・・・


無料お試し研修会にご参加ください。

研修内容を確認してください。

※必要な方には、アルバイトの紹介もします。

□人数10名以内(先着順)

本研修は5名~10名以内

□絶対に向かないと判断した方には、

  受講をおすすめしません。

  ご了承ください。

□テキスト

  進行台本付(読み進めるだけでも司会は可能です)

   ※ おすすめは出来ませんが・・・

□日時 11月27日(日)予定

  変更する場合あります。

   希望日時をお知らせください。

   締め切り11月7日(月)

□場所 代々木駅会館(駅2分)


希望者はメッセージで連絡l先PCメール等をお知らせください。


司会は、おしゃべりする仕事と勘違いしている人が多いようです。

実は、上手くしゃべらる人でなければならないのです。


つまり、その場が何を求めているかをキャッチする事が大事です。

・・・ということは、当を得た感性を持ち合わせることです。


演劇の世界では、「受け」の出来る役者ということです。

この「受け」は、役者にとっての命です。

ビジネスの基本用語にある「傾聴」とも一致します。

心理学と哲学との接点である「感性」の問題でもあります。


詳しくは、個別にお送りします。


12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」
  私の好きな役者 ディーン・マーティン

  出だしは最枠の凸凹コンビシリーズ。

  ボブ・ホープと一緒に出てくる損ばかりする

  二枚目青年でした。

  途中ブランク以後シリアスな役柄でガラリと

  イメージチェンジ。ショーの司会もこなし、

  歌手としても一世を風靡する。

  バート・ランカスターとの「大空港」には

  パイロットとして出演。見事な演技をみせた。