演劇人生 -239ページ目

演劇人生

今日を生きる!

ペットボトルはリサイクルに回るが、

キャップは邪魔者か…と思っていました。


ところが、このキャップ800個で20円になり、

世界の子どもを感染症から守るためのワクチンが

20円なのだそうである。


入れる箱を備えたドラッグストアがあるという。

赤坂や六本木では見たことがない。

しかしただ捨てるだけのキャップだ。


http://ecocap007.com/index.html


情報をお持ちでしたらお知らせくださいませんか?

日に何本となく捨てるペットボトルとキャップです。

これこそ、「勿体ない」ですからね。

銀杏並木通りを絵画館方向へ自転車を走らせ、

草野球の試合を見ながら弁当を食べる。

コレ、けっこう精神的贅沢・・・?!


先週の土曜日だ。

コンビニで買った弁当を開けた。

ひと口、ふた口食べた時に、

足元を見ると、

子猫・・・捨てられたのだろう、

3匹の子猫がいる。


神宮捨て猫1

仮設のスロープの下を棲家にしているらしい。


弁当を分かち合って食べた。

これから、この3匹はどうなっていくのだろうか・・・



神宮捨て猫2

捨てた人がいるのだろうが、

今頃、この姿を想像してもらえるだろうか・・・


子どもの頃を思い出す。

捨て犬や捨て猫を見つけては家に持ち帰り、

母に「飼わせてくれ」と頼んだものだ。


・・・今は、マンションでペットは飼えない。


この子達も、貰い食いをしているうちに大きくなり、

スロープの棲み家の出入り口にも入れなくなり、

引越しを余儀なくされるに違いない。


それまでに飼い主が現れてくれればいいが、

そう上手く行くだろうか・・・


いずれ、このどれかは野良猫になる運命かも知れない。


一緒に弁当を食べ終わり、


フッと思った。


これが僕だったら、

可愛さもないし、胡散臭いホームレスに違いない。

誰の目にも、疎ましく見えるだろう。


猫は飼い主に捨てられた。


僕が、ここに捨てられるとしたら・・・

その捨て主は、僕自身じゃないのか・・・


・・・な~んて。。。。

その僕もひとつの命なら、

この子達も、

それぞれ…ひとつの命なのだが・・・

日々のテレビを殺人事件のニュースが賑わしている。

数年前から、極端に親子の間での殺人が増えてきた。

とんでもない世の中になったものだと思っている。

「キレル」等の言葉が飛び交うようになった。

「ウザインダヨ」

「ウルセェ」等々・・・


先週、久喜から上野行き宇都宮線に乗った。

ほとんどが空席だった。

タバコの臭いがする。


「・・・?」


学生(見た感じ高校生だ)が3人タバコを吸っている。

僕は15年も前にやめているから、

“煙”には敏感だ。


近くの席に座っている人がいるのだが、注意する気配がない。


「おい、止めないか」

よしておこうと思ったが、歩いて行って注意した。


2人は、

「・・・」

無言だったが火を消した。


一人は聞こえたのか聞こえないのか、窓外に目をやったまま無反応だ。

「三遍は言わないぞ。止めろよ」


「・・・」

先に消した二人は、その男の腕をゆすった。

「おれも以前はよ、日に60本吸っていたからな、

何処ででも吸いたかった。だが、禁煙って書いてある所じゃ

一遍も吸ったことない。だから消せ」


・・・残る一人も火を消した。


僕は、席に戻ったが、些か興奮していたのだろう、

本を開いたが頭に入らなかった。


しかし、いつの間にかウトウトしてしまったようだ。


・・・と、トントンと窓をノックする音で目を醒ました。

さっきの高校生3人が窓外から叩いていたのだ。


「・・・?」

こいつ等は仕返しをするつもりか・・・!

一瞬、そのような気持が心をよぎった。


ところが、その3人は、

神妙な顔をしてペコリと頭を下げて行ってしまった。


東大宮駅だった。


一瞬でも、「仕返しか?」

と思った、その気配を彼らは見て取ったろうか・・・


発車して、しばらくを経ってからも、

僕の心には、こんな不純な思いが渦巻き続けていた。

大きな溜め息をついたのは、大宮駅に着いた頃だ。

それまでは、息を止め続けていたような感じだった。


しょぼん「もしもし・・・」

電話に出たのは、新郎さんの母親だった。

父は、休んだはずだという。

遅く電話したお詫びをいい、遅くに電話があった旨を

伝えておいて貰いたいと話して、携帯の番号をメモってもらった。


翌朝、上手く行けば電話が来るかと思ったが、考えが甘すぎた。

こちらも芝居の稽古で、21時過ぎまで忘れていた。


携帯がなった。


名前のない、090・・・で続く数字が並んでいた。

若しかして・・・と出ると、

新郎の父親だった。


「嬉しいですね。お父さんから頂けるとは・・・」

に対して、

むっ「嬉しい内容じゃないよ。いいかい、これからうちに電話を

入れないでくれ。君からの電話以来、家内が不安定なんだ」

続いて、

むっ「余計な困りごとを家に持ち込んでもらって困っている」

のだという。


「ご子息は別の意味で困り果てていますよ。

結婚式に出る出ないは別にして、

二人と話す機会をつくって下さい。

場所と時間は僕が設定します」


家族がこんな状態では、

ひずみは大きくなるばかりだ。


少なからずまだ、心の遣り取りが出来る関係にあると思う。

今を逃すと、後悔が残るばかりだと思う。

顔を見た途端に殺しあうような関係だったら何も言わない。

些かでも、相手に「よくなって欲しい」気持があったら、

顔を合わせて話し合う機会を持って欲しい。

・・・これが僕の願いだと話した。


むっ「わかった」


無言が続いたが、


むっ「・・・だから、君からは、もう電話はしないでくれ」


僕は、

「申しわけありませんでした」

受話器を切った。


約束を守り続けて、電話はしなかった。

数日後、

新婦から電話が入った。


「お蔭様で、披露宴には出て頂けることになりました」

ただ父親は、親戚中にも申し訳ない」

ということで、出席しないそうだ。

ただ母親と兄弟姉妹、祖父母も出席するそうである。

親戚には、今から出てくれというのも迷惑なので、

親族だけの食事会を別に催すことにするという。


何か、処理が下手だと思ったが、

それで、

「上手くやろう」

という、父親懸命のアイデアらしいので、

「よし」としなければなるまい。


婚礼当日、

新郎側に親戚が10名近く出席していた。

父親からは、祝電が届いていた。


しょぼん「新郎の父親であるにも関わらず、

体調優れず、出席できないのが、残念・・・」

とのこと。


・・・でもまァ、新郎・新婦からは、

毎年クリスマスカードが来ている。


そして、

「お蔭様で、お互いに幸せを噛み締めながら、

○○回目のクリスマスを迎えます」

そうである。


残念なのは、まだ子どもの誕生のニュースがないことだ。

僕らの作った土壌に蒔いた種は…?

果たして彼らが、ちゃんと成長出来る

土壌だったのだろうか…?


家族間の殺傷事件が後を絶たない。


これは、土壌のせい…ということはないのだろうか?

団塊の世代よ…そして、世にふんぞり返っている老人達よ!

「お前は、種を植えれば、それが良く育まれる土壌をつくったのか?」


止むを得ず、父上に電話した。


むっ「何だ、司会者だ?」

最初からこっちを小ばかにしている。


「司会は当日することで、今は、いち人間として」

電話したことを告げた。

むっ「だったら尚更、他人のあんたから何か言われる筋合いはない」

プツン・・・


間髪をいれずに再ダイヤル・・・


むっ「先刻言った以上のことは話す気はない」

プツン・・・


再々度コールする。


むっ「君もしつこい男だね。問題は家庭内のことだ。余計なものが首を突っ込む問題ではない!」

プッツン・・・

(プツンではない「プッツン」に感じた)


再々再々コール。


むっ「いい加減にしないか。こっちは、君に付き合う時間はないんだ」

「僕にもないのですが、お宅さんの息子さんとの付き合いなんですよ、この電話は」

むっ「それは、どういう意味だね」


理屈にはのってくる。


「こんな電話はかけたくないですよ、僕も。下手な世話焼きしたくないですよ」

むっ「下手なとはどういうことだ」

「こんな議論をふっかけられる」

ために電話したのではないことをはなすと、

むっ「だったら電話などしてくるな」

「そうですね」

むっ「全く」

プッツ~ン。


※ プツン と プッツン の違い… 最後の言葉を言い終わるか終わらないか「間」で切れる電話と、

  相手が何か言うものなら、聞く気持があるかないかの「間」の度合いである。

  プッツ~ン に至っては、その度合いがかなり強いことを示している。


次まで時間をおいた。

2時間ほどおいて、夜10時を待って再度コール・・・

≪続く≫

誕生 ⇒ 結婚 ⇒ 死 の人生3大イベントを考えると、

自らが立ち会うことの出きるのは、“結婚”だけである。

それを考えると、男女それぞれに、しっかりとした結婚感を

培いたいものだと思う。


好きだ…というだけでは危なっかしい思いがするし、

「タイプだから」というような外見に対する好みでも怖いと思う。

恋に落ちると、相手のあらゆる面が好ましく思えてくる。

特に男性には、その傾向が強いようだ。


セックスにしても、優しさの中にそれを感じることができる。

単なる欲望ではない価値感が芽生える。

お互いが、自分の、よいものを見せ合っての結婚は怖い。


20年以上、全く違う生活環境で過ごしてきて、

「つくられてきた部分」があるのだが、

「つくりたい部分」で交際している関係が恋愛時代には多いのだ。

しかし時折、既成の習慣が災いして衝突もおこる。


これを当たり前として、考えるところから始まればいいのだが、

「彼は、わたしの思いを理解してくれない」

「彼女は自分のことしか考えていない」

などの不満が、相手を理解しようとする思いを、逆に阻害して行く。


だから、付き合ってから5年だ、10年だという新郎新婦には

一定の安心感が感じられる。


父に反対されている、この二人も、その年で付き合って8年目だった。


「ご子息は長男で、よく勉強もして来たし、

いいところに就職もした」

…ここまでは父の思惑通りだった。

しかし、肝心な結婚の段になって思惑が外れることになった。


ここまで思惑通りに育ってくれただけでも

喜ばなくてはならないのが父親ではないのか。


うちの親父などは、

一人息子の僕に散々苦労を舐めさせられ、

定年後も死ぬまで働きづめだった。

サラリーマンの父だったが、

子である僕には、立場を理解されることなく、

生涯を終えたと思えるのだが、

苦情一つ言わなかった。

母には、

「あいつがやりたいことをやらせる」

と言い、

「達成感を覚えられれば…」

…と言っていたようである。


…これを、出来た父と言えば、そうかもしれない。


10人10色…否、1人10色といわれる昨今、

様々な父子像もあるだろう。


手塩にかけて育てた子どもでも、

結婚となると、親子としてではなく、

子を「親」として見なければならない面があることだ。


父と子の関係は、死後までも続くだろうが、

親子の関係は、子が結婚する段階で終了するのである。


結婚に対する話は、親と親としての対話でなければならない。

父親の、親としての考えは、相手には「参考」でしかない。


相談を受けて、二人の結婚に反対している父に言えたことは

「結婚するのは本人達で、お父さんではない」という当たり前のことと、

せいぜいが、先に書いた程度のものでしかなかった。

≪続く≫