誕生 ⇒ 結婚 ⇒ 死 の人生3大イベントを考えると、
自らが立ち会うことの出きるのは、“結婚”だけである。
それを考えると、男女それぞれに、しっかりとした結婚感を
培いたいものだと思う。
好きだ…というだけでは危なっかしい思いがするし、
「タイプだから」というような外見に対する好みでも怖いと思う。
恋に落ちると、相手のあらゆる面が好ましく思えてくる。
特に男性には、その傾向が強いようだ。
セックスにしても、優しさの中にそれを感じることができる。
単なる欲望ではない価値感が芽生える。
お互いが、自分の、よいものを見せ合っての結婚は怖い。
20年以上、全く違う生活環境で過ごしてきて、
「つくられてきた部分」があるのだが、
「つくりたい部分」で交際している関係が恋愛時代には多いのだ。
しかし時折、既成の習慣が災いして衝突もおこる。
これを当たり前として、考えるところから始まればいいのだが、
「彼は、わたしの思いを理解してくれない」
「彼女は自分のことしか考えていない」
などの不満が、相手を理解しようとする思いを、逆に阻害して行く。
だから、付き合ってから5年だ、10年だという新郎新婦には
一定の安心感が感じられる。
父に反対されている、この二人も、その年で付き合って8年目だった。
「ご子息は長男で、よく勉強もして来たし、
いいところに就職もした」
…ここまでは父の思惑通りだった。
しかし、肝心な結婚の段になって思惑が外れることになった。
ここまで思惑通りに育ってくれただけでも
喜ばなくてはならないのが父親ではないのか。
うちの親父などは、
一人息子の僕に散々苦労を舐めさせられ、
定年後も死ぬまで働きづめだった。
サラリーマンの父だったが、
子である僕には、立場を理解されることなく、
生涯を終えたと思えるのだが、
苦情一つ言わなかった。
母には、
「あいつがやりたいことをやらせる」
と言い、
「達成感を覚えられれば…」
…と言っていたようである。
…これを、出来た父と言えば、そうかもしれない。
10人10色…否、1人10色といわれる昨今、
様々な父子像もあるだろう。
手塩にかけて育てた子どもでも、
結婚となると、親子としてではなく、
子を「親」として見なければならない面があることだ。
父と子の関係は、死後までも続くだろうが、
親子の関係は、子が結婚する段階で終了するのである。
結婚に対する話は、親と親としての対話でなければならない。
父親の、親としての考えは、相手には「参考」でしかない。
相談を受けて、二人の結婚に反対している父に言えたことは
「結婚するのは本人達で、お父さんではない」という当たり前のことと、
せいぜいが、先に書いた程度のものでしかなかった。
≪続く≫