演劇人生 -232ページ目

演劇人生

今日を生きる!

納豆大好き人間は多い。

きょう、納豆餅を食べた。


納豆餅  納豆餅

以前にも書いたことがあったが、

むかしは貧乏人の食べ物だった…そんな記憶がある。


従兄弟の家に行って食事に誘われると、

大抵おかずは納豆だった。

納豆が浮くほど醤油を入れてご飯にかけていた。

いま思えば高血圧誘発食だった。

…それで、従兄弟の母も父も脳溢血で世を去ったようだ。


うちはもっと貧しかったに違いない。

納豆が食卓にあがることなど滅多になかった。

従兄弟の家は、うちより少し上等のほうだったのだろう。

「♪なっと なっとう なっとう」

納豆売りの声が夕暮れに響くのだが、

母は反応しなかった。


ただ年に1~2回、父が埼玉から帰る正月近くには、

2つか3つ買っていたのを覚えている。


僕の育った山形では、

正月と、秋の祭りには納豆は必需品だった。

貧しい家でも、年に一、二回は餅は食べた。

だから納豆も食べた。

餅に欠かせないのが納豆だったからである。


今日、赤坂祭りだった。



                            東京ミッドタウンに展示された神輿



                            同じく山車

冷蔵庫の冷凍室に眠っていた餅を出して、

納豆餅にして、

赤坂で、山形での風習の納豆餅を食べた。

ニコニコ「この芝居やりたいね」

えっ「でも、劇団員が足りない・・・」

ショック!「そうだなァ」

こんなやりとりが交わされる。

旗揚げ公演から数えて7年・・・

上演するたびに、評判だけは上々・・・

応援してくれている人々も増えている。


だが、劇団員が増えない。


喜んで客演してくれた人も、

「劇団アドックさんは難しいから・・・」

・・・という。


所属するのは断わるが、

「客演が必要ならいつでも声をかけてください」

・・・という。


「いやだね」


・・・と言ってみたい。


考えを同じくする人たちで、劇団を作りたいし、

その人たちで芝居を創りたいのだ。


うちは劇団費も安い。

月2,000円で、入団費もいらないし、

公演でのチケットノルマもない。

利益が出たら出演料も出す。


この秋も上演したい作品はあるのだが、

人数が足りない・・・金もない。


しょぼん困ったなァ・・・!


僕の友人がロシアから帰ってきて、

「愛し合う日」を設けて、

少子化を食い止めるための祝日のあることを語っていた。


「本当かねェ・・・」と、

些かいぶかった僕の返事に、

次の言葉を呑み込んでしまい、

話題は先へ行かずに終わっていたが、

これを報道していたTVニュースで真実と分かった。


この日から数えて9ヵ月後に子どもを産んだカップルには、

アパートの部屋をプレゼントするらしい。


日本でもやってみたらどうだろう。

「美しい日本」は遥か遠くの夢物語りになりそうだし、

だから子どもを産もうというカンフル剤もなさそうだ。

手っ取り早い対策になるんじゃない・・・?

僕の稽古場への自転車のルートが

青山トンネル → 青山墓地 → 神宮銀杏並木 → 神宮球場裏 → 幽霊トンネル → 稽古場だ。


銀杏並木から球場へ抜ける前の野球練習場から絵画館を望む場所に、

子猫が3匹いて、買って食べようと思ったノリ弁を分け合った覚えがある。

その子猫たちが、次の週にはいなくなっていた。

「あゝ、誰か飼う人がいて引きとられたな…」

と思ってホッっとしていた。


神宮捨て猫2

それが昨日、自転車で通りかかった同じ場所に1匹の三毛猫がいた。

それも目つきが鋭く、抜け目のなさを身につけた猫だった。

(上の写真の左にいる子猫も三毛猫だ。大きさは3倍くらいだ)

「えッ、あの中の1匹か?」

近づこうとしたした途端に茂みに逃げ込んで2度と出てこなかった。

「違うだろうな」

いや、違ってくれればいいと思った。

あの子猫は、勿論子猫のままでいるはずはない。

僕の勝手な思いだが、あのまま、子猫のままでいて欲しいような気持なのだ。

「可愛い」と拾った人も、僕と同じ気持ではなかったか・・・

そんなことも気になる。

大きくなって、可愛くなくなったので捨てる・・・

その猫がアレだったんじゃないか・・・

などと思いつつ、場所を離れた。


夜のニュースで、

田んぼでワニが見つかった話題を放映している。

ワニの子どもも、トカゲのように可愛い存在だったろうと思う。

それが1メートルにもなると、

可愛さもなくなるし餌代はかかる、危険さも増す。

元ペット君のワニもさっきの野良猫も、

人間の勝手な気分の犠牲動物なのかもしれない。


そういえば、僕も可愛い時期があった。

その時から数えると60年にもなる。

子どももできて、

「お父さんにそっくりですね」

「可愛いですね」

・・・と言われるのを、

「この子と同じように、僕も可愛い子どもだったのだろう」

それが

「子どもに引き継がれている」

僕の歴史でもある・・・などとは思わなかったが、

何処かに、そんな思いがなかったとは言えない。


今は、僕も抜け目なさを身につけた老いの身になっているのではないだろうか・・・

こんなことを考えながら稽古場に急いだ。

むさい、きもい、くさい・・・でも生きているってところかなァ・・・

前回のブログに、「母」独り語りについて書いたが、

頂いた感想文を、そのまま掲載させて頂こうと思う。

些か面映い感じですが・・・

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一口に言って、感動してしばし言葉も出ない。

劇団アドックのお二人の力量は、

ぼくら大学教員が束になってかかっていっても

到底敵うものではないとしみじみ実感した。


これは革命の記録である。

約80名の観衆であった学生感想文の中から、

取り立てて優れているわけでもない一枚(男性18歳)を原文のママ掲載してみよう。

(以下、感想文である)
わたしは演劇を鑑賞するということがほとんど経験としてなく、

劇が始まるまでは、無知からの不安、疑いという気持ちを持っていました。

劇が始まると同時に、舞台からのこの場を包み込むように、

グーと力強い雰囲気が押しよせるような感覚ですぐに見入ってしまった。

この場にいた人達の多くがこの感覚だったのではないだろうか。

瞬間にしてこの場全体をひきこんでしまう魅力はとてつもなく新鮮でした。

この体験したことのない、何とも表現できない新鮮さは、

とぎれることなく舞台から発信されていたように思う。

演劇は観る側によっても変わると耳にしたことはあったが、

それが今日理解できた気がします。

それが舞台・観る側を含めた、この空間、この場全体が

1つの舞台を作り出している、ということだと思う。

また、役者の方と、音響の方が目を合わせたのは、

劇が始まる合図の目配せの一瞬、ただの1回だけで、

それがなんとも印象的でした。

一発本番のこの舞台、幾度となく積み重ねられたであろう稽古が

わたしにも容易に想像できました。

しかし、その稽古を想像すると、

やはり、私達の想像を絶するほど厳しいものなのであろう。

一人舞台の上にいる役者から、その舞台全体、舞台全体から、

この空間、この場全体へと伝わる、この雰囲気は、とても心地よく、

また、一度 伝わり始めると、次から次へと新しい波のように場を刺激するようで、

舞台が終わった瞬間、今までに味わったことのない、

静けさの中にあるメッセージのようなものを味わうことができたことは、

とてもいい経験となりました。

今回このような機会が与えられたことに感謝します。ありがとうございました。



舞台終了後、伊藤さんのお話を聞いて、何でこんなに詳しいんだ?

ってくらいに良く勉強しているなぁとびっくりしました。

やはり、教師としての教材研究ではないが、

そういった努力が必要であると言うことが再確認できました。

そして、より一層、舞台の重みが増してすごさが伝わってきた。

喜怒哀楽を表現するときには逆にその感情をおさえようとする、

という話は、真理をとらえているように思う。

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以上が、埼玉大学教育学部経済学名誉教授島岡氏の文章と、

観劇してくれた学生氏の感想文です。

始めに面映いと書いたが、本心は嬉しいに尽きる。

芝居をしていてよかった・・・と思う瞬間だ。

「草臥れるだけじゃないか・・・」という思いが一遍に吹き飛ぶ瞬間でもある。

ありがたい話である。