あの猫か? | 演劇人生

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今日を生きる!

僕の稽古場への自転車のルートが

青山トンネル → 青山墓地 → 神宮銀杏並木 → 神宮球場裏 → 幽霊トンネル → 稽古場だ。


銀杏並木から球場へ抜ける前の野球練習場から絵画館を望む場所に、

子猫が3匹いて、買って食べようと思ったノリ弁を分け合った覚えがある。

その子猫たちが、次の週にはいなくなっていた。

「あゝ、誰か飼う人がいて引きとられたな…」

と思ってホッっとしていた。


神宮捨て猫2

それが昨日、自転車で通りかかった同じ場所に1匹の三毛猫がいた。

それも目つきが鋭く、抜け目のなさを身につけた猫だった。

(上の写真の左にいる子猫も三毛猫だ。大きさは3倍くらいだ)

「えッ、あの中の1匹か?」

近づこうとしたした途端に茂みに逃げ込んで2度と出てこなかった。

「違うだろうな」

いや、違ってくれればいいと思った。

あの子猫は、勿論子猫のままでいるはずはない。

僕の勝手な思いだが、あのまま、子猫のままでいて欲しいような気持なのだ。

「可愛い」と拾った人も、僕と同じ気持ではなかったか・・・

そんなことも気になる。

大きくなって、可愛くなくなったので捨てる・・・

その猫がアレだったんじゃないか・・・

などと思いつつ、場所を離れた。


夜のニュースで、

田んぼでワニが見つかった話題を放映している。

ワニの子どもも、トカゲのように可愛い存在だったろうと思う。

それが1メートルにもなると、

可愛さもなくなるし餌代はかかる、危険さも増す。

元ペット君のワニもさっきの野良猫も、

人間の勝手な気分の犠牲動物なのかもしれない。


そういえば、僕も可愛い時期があった。

その時から数えると60年にもなる。

子どももできて、

「お父さんにそっくりですね」

「可愛いですね」

・・・と言われるのを、

「この子と同じように、僕も可愛い子どもだったのだろう」

それが

「子どもに引き継がれている」

僕の歴史でもある・・・などとは思わなかったが、

何処かに、そんな思いがなかったとは言えない。


今は、僕も抜け目なさを身につけた老いの身になっているのではないだろうか・・・

こんなことを考えながら稽古場に急いだ。

むさい、きもい、くさい・・・でも生きているってところかなァ・・・