演劇人生 -211ページ目

演劇人生

今日を生きる!

ブログネタ:虫のついた野菜と虫のついてない野菜、どっち買う? 参加中
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あこぎな奴らが多すぎる。
野菜についている虫など問題ではない。
銭儲け虫むっという性質の悪い虫がウヨウヨしていて、
国民を食い物にしているのだ。

有機リン系農薬メタミドホスによる汚染された食品も、
“銭儲け虫むっの仕業だ・・・という主張をする奴(僕)がいる。

銭儲け虫むっは青虫やてんとう虫とは違い、
そん所そこらで売られているキャベツや白菜、ニラなどには目もくれない。
高い金をかけても、無農薬野菜以外は食わない。
他人には有機リン系毒薬入りの餃子や肉まんなどを食わせている。

そん所そこらで売られている野菜や、
ましてや中国で栽培されている野菜などは、連中は口にしない。

そういったものを食うのは、一般庶民である。

一部上場会社の銭儲け虫むっが、冷凍餃子を食って入院した話なんて聞いたことがない。

たいていはスーパーや安売りの量販店で買い物をしているお母ちゃんやお父ちゃんが
ターゲットになり被害を蒙ることに相場は決まっている。
それとも、よしんば食ったにしても、やつ等は毒を消す薬むっを持っているに違いない。

「お尻かじり虫」なんて流行っているのをいいことに、
その評判のカゲに隠れようとしている。

1975年から85年頃は、日本でも毒性の強い農薬がドンドン使われた。
朱鷺がきえたり、蛍がきえたり、田んぼからイナゴやタニシも消え、
川は洗剤の泡だらけになり、りんごもナシも、桃などの果物も虫食いはなくなり、
牛は抗生物質をガリガリ食わされ風邪をひかなくなり、
ホルモン剤をジャカスカ飲まされるうなぎは丸々と肥った。
枯葉剤同様の除草剤で雑草は姿を消した。
当時は、すすきが姿を消し、
セイタカアワダチソウなどという雑草が至るところにはびこった。
日本タンポポも姿を消し、道端のタンポポのほとんどは、
今もって西洋タンポポである。

これはみな、銭儲け虫むっの仕業だという。

おれは銭儲け虫むっのついた野菜など絶対に食わないが、
そいつ等の作った野菜を食わないとは言えないのだ。
いやが上にも食わされる。他に食うものがないからだ。

やつ等は問題を起しても、
マスコミに連絡をして記者会見をやり、
「どうも済みませんでした」
丁寧に40度から50度くらい頭を下げれば、
その場しのぎにはなると思っている。

虫がついているとなれば、銭儲け虫むっでなくてもいささか気持が悪い。
せいぜいアブラムシ程度は我慢できても、
青虫などがついていると、その虫が可哀想になってしまうからだ。

だから…何だかんだいっても、基本的に虫のついていない野菜を買う。

つまりおいらは…さまざまな矛盾を抱えて生延びてきているのだ。

田舎者にしては 本質的に 虫が嫌いなので・・・・・・申し訳ない・・・・
ブログネタ:子供の頃の夢 参加中
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海上自衛隊のイージス艦が漁船を沈めて、
漁師の親子の行方が1日半たった今でも分からない。

一体何のための防衛省か…何のための自衛隊かを考える。

沖縄の米軍による中学生暴行事件や暴力事件等々…

兵力や軍事力は、そのものに暴力性がなければ存在価値がない。

何かを守るために存在しているなどという理由を、
いくらまことしやかに羅列しようと、
破壊し殺戮する力がなければ、役に立たないシロモノなのである。

日本を守るために…
国民を守るために…
国民の財産を守るために…

文化を発展させるとか、
平和外交を発展、展開させるとかというと、
幻想だという。

武力を持たずに平和は守れないという。
××が攻めてきたら、何で対抗するかという。
泥棒に入られないために戸締りもするし、
ピストルを持った強盗に入られないようにライフルを持つのは何故悪い…という。
アジアには北朝鮮もあり、中国もあるという。
(日本は朝鮮や中国を侵略したが、一度も侵略されたことはない)

その彼等を強盗と一緒にしていいのだろうか…
泥棒や強盗とは話し合いは出来ないが、
国と国との間では外交的な話し合いが出来る。
国連もあるし、徹底的に平和を主張する国を何処かの国が侵略し蹂躙するのを、
世界が黙って見過ごすだろうか…。

かつての日本は、世界有数の武力大国だったが、
戦争を起して、未曾有の惨劇を敷いたのではなかったか。

このようなことを考えながら、
封印してきた、子どもの頃の夢を打ち明けたい。
山形の田舎に住んでいた僕は、
小学一年の時に殺されると思うような苛めに合っていた。
苛めに教室にやってくる男の親父は陸軍大将だと聞いた。

クラスの子どもはもとより、
担任の教師も見てみぬ振りをしていた理由は、
奴の父親が陸軍大将だからである。(…らしい)

僕は覚悟を決めた。
家から刺身包丁をランドセルに忍ばせて学校へ行き、
いつも苛める男を便所に誘い、
包丁を首に押し付けて脅した。
「こんどしたら殺す」
そして、近くにいた取り巻きを前に、

「こいつの父ちゃんは陸軍大将だげど、おれは天皇陛下になってやるからな」

と言ったのを覚えている。
天皇陛下になれば陸軍大将などクソ同然だと思ったからであった。

苛めを逃れるために刺身包丁を突きつけて、
何と言おうかを一晩考えた末に思いついたことだった。

その数日後、
担任の先生から、
「皆は将来何になりたいか、一人一人話せ」
と片っ端から立って言わされた。

陸軍大将の息子が、
僕が天皇陛下になるといったことを吹聴したに違いないと即座に分かった。

既に前日、母親に「国民は天皇陛下になれるのか?」と聞いていたので、
冒すことの出来ない存在であることは理解していた。

「おまえは何になりたい」と聞かれて、
「はい、鉄道の機関士になりたいです」と答えたのだった。

ここで「天皇陛下になります」などと言おうものなら、
「馬鹿者!」
と、往復ビンタでも喰らったに違いないのだ。

子どもの頃の夢はさまざまだ。
「あれは出来ない」「これは不可能」はない。
空も飛べるし、地にももぐれる。
想像は自由に飛び回る。
夢は変って当たり前。

その当時は、思いもかけない仕事について…今はある。

今の夢は、人が殺されたり殺したりしない世の中になって欲しい。
これに尽きるように思う。
沖縄での米軍の婦女暴行や暴力、酒酔い運転等々の報道が再燃している。
このように報道されない事件は数えきれないほどあるに違いないと思う。

まだ小学生時代の僕にも怖い想い出がある。
山形の天童のはずれ、久野本(当時天童原といわれていた)に住んでいた頃だ。
物資の足りない当時、京都や埼玉に単身赴任で働いていた父が持ち帰った
10本ほどのコウモリ傘と交換に、家を建てさせてくれという話が持ち込まれ、
小屋をレベルアップしたような家を持てたのであった。
これまで母の実家に同居させてもらっていて、叔母らに遠慮しながらの生活だったので、
どんな家だろうと、家族水入らずで過ごせる喜びはかけがえのないものだった。

・・・といっても安普請の家、「コウモリ傘よりはずっといいさ」と母がいう、
その通りのものだが、土間を上ると囲炉裏があり、奥には押入れもある。
父は、そのまま埼玉に住んでいたので、妹を入れての三人には不足はなかった。

戦後、3~4年後のことである。
時折ジープに乗った米軍(当時は「アメリカ」とだけ呼んでいた)が、
近くの道路を突っ走って通る程度だったが、悪いうわさを耳にしていた。
しかし子どもの耳には入れたくはないのだろう、
こそこそと額を寄せ合っての大人の話だった。
しかし遊びは少ない、話題も少ない時代である。
子どもの耳に伝わらないわけはない。
「母ちゃん家さ帰ったら、姉ちゃん裸にさっでアメリカに抱がさっでだんだど」
「夜中、何人ものアメリカが襲っで来で、母ちゃんと娘とやったんだど」
具体的に何をされたかは理解できなかったが、卑猥なことをされたことだけは分かった。

母は、寝る前に鍵を忘れるな…と、必ず確かめることにしたが、
鍵と言いても南京錠などがあるわけではない、表と裏の戸に錐で穴を通し、
太目の釘を差し込んで止める程度の鍵(?)であった。

ある夜、戸を叩く音で目を醒ますと、すでに母と妹は目覚めていて、
「声を出すな」と囁くようにいう。
また戸を叩いては「すみません」という声が聞こえてくる。
その状態が数分続いたが、急に荒々しい叩き方に変った。
ことばも「開けなさい」に変り、数人の怒鳴り声も聞こえる。
「アメリカの酔っ払いだ」
母は、僕と妹を抱き寄せ、「声、出すな」と囁いた。
そのうち、戸が壊れやしないかと思えるほどドンドン叩かれた。
「・・・・」
今夜、鍵をかける番は僕だった。
自分では、きついほど釘を差し込んだのを覚えている。
「開けられても離れないようにしてろ」
母は、一層力を入れて僕等を抱きしめた。
痛いほどだった母の力をいまでも覚えている。

「・・・・?」
音がしなくなった。
僕等は息を殺したまま5分、10分と固まったまま時を過ごした。
「見て来る」
僕は、入り口に歩いて行ってみた。
真っ暗なので、抜き足差し足で入り口に近づき外をうかがった。
外に人の気配はなくなっていた。
戸の隙間から、かすかに漏れる月明かりを感じられた。

母の手招きする姿が見えた。
「もう少しジッとしていよう」
と母は言った。
2~30分は動かずに様子をさぐった。
「大丈夫そうだね」
母は、ランプに火をつけた。
(電気は通っていたが、停電用にランプは欠かせない時代である)
おそるおそる入り口に近づいてみた。
「・・・・!」
叩かれた戸から、釘は今にも外れそうになっていた。
あと3~4度叩かれたら、持たなかったかもしれない。
「よかったねえ」
妹は初めて口を利いた。
開けられていたら、小学生になったばかりの妹も無事だった保証はなかった。
一本の釘に助けられたのである。

沖縄や基地周辺で起こる事件の報道に接するたびに、この想い出が蘇る。
僕等の住んでいたちっぽけな家が、沖縄県に思えてくるのだ。
しかし沖縄にとっての、一本の釘って何だろうと思う。
沖縄には、それすらないのではなかろうか。
基地はいらないのではないだろうか。
虎ノ門から神谷町に向かう途中に、
マフラーが落ちていた。
舗道の真ん中に落ちているので、
歩行者は皆気づいては踏まないようにと、
よけて通り過ぎるものの誰一人拾おうとしない。
マフラーも嫌われたものだ。
拾って驚いた。
ブランド物だ。(ドルチェ)
交番に届けようか考えたが、
持ち主が落したと気づいてどうするだろうかを考えた。
今来た道を戻ってくるに違いないと思い、
近くのガードレールに結び付けておくことにした。
数時間後にはここを帰るので確かめることも出来る。
出来るだけ目立つだろうと思う場所に結びつけた。

しばらく歩いていると、
また落し物があった。
手袋である。
スエードの、決して安くないもの…
拾い上げてみるとやはりブランド物だ。(レノマ)
これも近くのビルまわりの手すりの目立つところにのせた。
…と、手すりの手前に植え込みがあり、
その下に財布らしきものが落ちて(?)いる。
拾い上げると、
これもダンヒルの財布だ。
失礼して中身を拝見…カードがすぐ目に付いたが、
札らしきものはない。
割引のチケットかクーポン券らしきものとレシート数枚…
詳しく見る必要もなかった。
小銭入れは多少膨らんでいる。
このまま近くの交番に持って行った方がいい。
手袋と並べておくわけにはいくまい…
…と、そのとき、
「すみません」
背中に声をかけられふりむくと、
財布と手袋の落し主だという。
見るからに実直そうな男性でもあり、
嘘はないと思ったが、
手袋は片手ですよというと、
「これです」
と一方の手袋をポケットから出して見せた。
間違いが無かった。
「で、財布には何が入っているか、
念のため、確認させてもらっていいですか?」
すると、○○のカードと、
○○のポイントカード、
500円硬貨と百円玉2枚、10円玉2枚、
100万の小切手が入っているという。
「・・・・ひゃ、ひゃく万?」
「何処に?」
…と渡すと、札入れの奥から取り出した。
さっきグルメのクーポン券か何かと思ったものが小切手だった。
間違いなく100万円の金額が捺されていた。
「気づきませんでした。
では間違いありませんね。どうぞお持ち下さい」
すると彼は、
「お礼といっては足りませんが、
コーヒーでもご一緒にどうですか」
という。
「いいですが…」
「さっき、そこのターリーでコーヒーを飲んだおつりがあるんです。
まだ二人分はありますから、ご一緒に如何ですか?」
この誘いを受けることにした。
確かに500円硬貨と百円玉の話をしていたので、
コーヒー代はあるはずだから…
丁度コーヒーでも飲もうかと思っていたこともあり、
おごってもらわなくても、自分で出せばいい。
「え、またターリーでいいんですか?」
「わたしは日に5~6杯は飲むんですよ。
コーヒーの美味い不味いは分からないので、
お宅様が嫌でなければ、ここでどうですか?」
「勿論、ここで結構です。この店は初めてですが、
他ではターリーはよく入るんです」
「それはよかった。では…」
そんな会話を交わしながら、
二人座りの丸いテーブルで、
コーヒーのSを飲みながら会話が弾んだ。
そして、「何故あんな所で財布と手袋を落したのか」
「マフラーをしていないのに気づいて、
このバッグに入れたかなと、ふたを開けて、
あっちこっちを探したがない。そのときに、
バッグのうしろポケットに入れておいた財布と
手袋を落したらしい」というのだ。
「マフラー?」
「えゝ、女房に買ってもらったもので…」
「それ、ドルチェのマフラーじゃないでしょうね」
「えッ、どうしてそれを?」
「さっき舗道の真ん中に落ちていたのを、
ガードレールに巻き付けて来ましたから」
この話で、
「じゃあわたしは早速行ってみますので、
先に失礼します」
かれは半分も飲んでいないカップを手に立ち上がった。
「後に何かお礼をさせて頂きますので、
お名刺などお持ちでしたら」
と言われたが、マフラーを先に探しに行ってくださいと
マフラーを巻きつけた大体の場所を教えた。
「一緒に行ってやるのも億劫だし、
コーヒーも残っている。このまま座っていよう」
彼は何度もお辞儀をくり返して立ち去った。

おかしなことがあるものだ。
事実は小説より奇きなり…を地でいっている感じじゃないか、
などと思いながら、フッと思ったことがある。
あの財布を拾って、
100万円の小切手に気づいていたとしたら、
即座に交番に行こうとしたろうか…
少なからず、届けようかどうかを考えたのではなかろうか。
小切手は裏書が必要なのだろうか…
等々、考えているうちに、コーヒーも不味くなってきた。
出よう…

それから用を済ませて帰宅に着いた。
…と、前方からさっきの男性がこっちに歩いてくる。
首にはちゃ~んとマフラーが巻かれていた。
何とはなしに満ち足りた表情をしていると思えた。
すれ違いに挨拶を・・・と思ったが、
彼は僕に気づかないようであった。
…というよりも覚えていなかったのかもしれない。
ただの行き交う人々の二人として夫々に行き違った。

これでいいのだ。
そんなことを考えながら、
すき家に入って、サービス中の牛丼と納豆、青ネギを食べた。
彼は小切手を現金化しなければ現金は数百円しかないはずだ。
しかし、あの満足感に浸ったような顔つきは、
小切手の顔じゃない…現金の顔だ…こんなことを思いながら、
霞ヶ関から溜池を通り、家へ帰ってきた。
昨日の不思議な体験である。

殺人、火事…増えている。


学生時代、今の高田の馬場、当時は戸塚といっていたが、下宿をしていた。

その頃近くに大火があった。

メラメラト燃え上り、薬屋の商品が爆発しているのだろう、

ひっきりなしにポ~ン、バ~ン…と破裂する音が響いていた。

隣りの飲み屋にも燃え広がった。

僕はあまり飲まないが、昼間はラーメン定食など出していたので、

時々顔を出していた。当たり前のラーメンだが、ちりちり麺が気に入っていた。

中年の女将さんだが、夜は飲み屋をやっている雰囲気があって、

色っぽさを宿していた。

女将は燃え盛る火を反対側の舗道から見ていた。

「大変ですね」

と、声をかけると堰を切ったように嗚咽をもらして泣きすがってきた。

「しっかりして!」

それ以上のことも言えずに、力を入れて肩を抱いたのだが、

彼女の身体は痙攣に近い震え方だった。

「荷物は?」

「何も持ち出せなかった」

というなり、崩れ落ちそうな重みを支えながら、

不謹慎にも彼女の乳房のふくらみを感じていた。

風にあおられて燃え盛る火に、消防の懸命な消火活動にも、

野次馬から「もっとしっかりやれ」

などの声が飛ぶ。

「ごめんなさい。もう大丈夫です」

女将は僕の手を握り「ありがとうございました」といって、かすかな笑みを見せた。

その表情を見た途端にこみ上げてきて涙がこぼれた。

気丈に耐えている彼女になのか何なのか、理由のない涙だった。

が、それ以来、火事に出くわしたりすると涙がでてくるようになった。

住いは、そこに生活をする人たちの居場所を奪う。

これと同じように、一家が殺害された事件などをニュースで見ていると、

涙をこらえるので必死になる。

住む人を失った居場所を見るとたまらなくなるのだ。

住いの中で、命を失わなけれなければならないと感じた時、

どんな思いだったろうかを考えてしまう。

最近火事と殺人がセットになったように方々で起きている。

その度に、学生時代に出会った、

燃え落ちる店を見ながら震えていた女将を思い出し、

あの時と同じ涙が湧いて来そうになり、

とても…つらい。