演劇人生 -212ページ目

演劇人生

今日を生きる!

今年はまだ暖房を入れていない。

今の室温19度。

夜はグ~ンと室温が落ちて寒くなる。

赤坂や溜池あたりのビルも明かりが少ない。

祝日だったせいかもしれない。

東京の夜も久々に眠りについている感じがする。

いつもなら3~4時でも煌々と明かりがついているのだが…

それも手伝って冷ややかな感じがする。

これが本当の東京の姿なのかもしれない。

窓の明かりや喧騒に誤魔化されて、

人と人の中にあるように錯覚しているのかもしれない。

こんなことを考えて、おれは…

ちょっぴり憂鬱だ。


さ、ベッドに入るか…

きょうは一日中部屋に閉じ篭ったままテレビを観ていた。

味のある生き方の何もなかった。

グッドナイト&グッドラック!

「僕は中学の教諭をしているのですが、

生徒たちにすすめたい本があったら教えて頂けますか?」


初対面の人物から突然受けた質問に、いささか途惑ったが、

長野県の或る中学校の教諭であることを名乗り、

名刺まで渡されての質問なので、

「さあ…」で片付けるわけにも行かず、

三浦綾子さんの短かいエッセーを例に挙げた。

「役に立つということ」だった。


台所の一角で、

僕はなんの役に立っているのだろうと嘆いている。

お茶碗や箸は、毎日使われては綺麗に洗ってもらい、

バケツや冷蔵庫もしょっちゅう人間の役に立っている。

自分は、隅っこに置かれたまま見向きもされず、

埃をかぶったまま、はたきすらかけてもらっていない。

そのうちこの家も建て替えられると聞く。

そのときには、きっと何処かへ捨てられてしまうのだろう・・・

彼だか彼女だか分からないが、真剣に嘆いているのである。

最後に、誰かに尋ねられたのだろう。

「えっ、僕ですか?・・・僕は消火器です」

と答える童話である。


三浦綾子さんが以前に書いたと言う、この童話を取り上げて、

「役に立つ」とはどういうことかを問いかけるエッセーである。


存在しているだけで役に立っている在り方を考えさせる短編である。

これを聞いた先生は、しきりに感心して、

「なるほど」を繰り返していた。

子ども達は、これを聞いたら、自分達をどう思うだろうという話をした。


家庭からも、学校でも、自分への注意を向けてもらえないと思い、

孤立感を抱いている子ども達が増えているのだという。

生活の時間のずれから、家族間のコミュニケーションもままならないというのだ。


手の届く身近にある家族や仲間同士のつながりをそっちのけにして、

世界がつながることなどありえないと思う。

余りも身近で、あるのが当たり前、ありがたみも感じないが、

そこにあることに価値のあるものは沢山ある。

もっともっと丁寧に、

身近なもの、あって当たり前なものに目を向け、

その存在を確かめる機会があってもいいように思う。

そこではじめて、自らも、役に立つ在り方に気づくものがあるように思うのである。

ブログネタ:今どこ? 参加中
本文はここから

昨日都内のホテルで婚礼の司会をした。
婚礼もいろいろで、
数年前までは、爆弾処理司会者などといわれ、
トラブルを抱えたお客様の司会というと、
何故か僕に回って来ることが多かった。
ざっと数えても、50組はあったはずだ。
内容は、それこそいろいろだが、
特に新郎の親が、二人の結婚に反対しているケースが多かった。
続いはホテルや会館にたいする不満である。
三つ目以降に挙げられるものは、
一度決めた司会者に対する不満や、
ホテルや会館側の担当者への不満…等々である。
それらの不満は、当事者間で解決されなければならないし、
仲立ちを介して解決を見ても、根底からの解決にはならないはずである。

司会
ところが、そのようなトラブルを経て結婚した二人のほとんどから、
「とても仲良く生活を送っている」
「毎日の生活の中で、お互いの愛が深まっています」
「私たちが感じている幸せを、みなさんと分け合いたい思いです」
このようなクリスマスカードや年賀はがきをもらい続けている。

これには、困難はあったけれども、
多少でも力になれてよかったという思いと、
実は、二人が困難を体験することで、
結婚生活の中で、二人の在り方や、
それぞれの在り方、
相手に対する自らの在り方を、
しっかり見つめることが出来たからではないだろうか…と思える節がある。

結束が強まったということ以上に、
自分の足もとを確りと見つめるきっかけになっているのではなかろうかと思うのである。

昨日結婚した二人は、
一般的に言えば、婚期を逃したと言われそうな年齢だ。
40代になるまで仕事一筋に生きてきた二人である。
しかし、初々しさは20代の二人と比較しても負けなかった。
婚期の遅れを口にする友人の祝辞は、野次的な笑いが起きた。

しかし、披露宴もお開きに近づいてからの新婦友人の祝辞には、
野次も笑いもなく、全員が聞き入った。
それは事例を挙げて、新婦との心のつながりを語ったものだった
友人のスピーチとは、面白おかしい祝辞を用意することではない…そう思えた。

最後のプログラムは、新郎の挨拶と彼の弾くピアノの演奏、
新婦のメッセージ…と、かなり一般的な構成だが、
新婦のメッセージには、みなの心をつかむに充分だったと思う。

彼女の両親は、すでに他界していない。
その両親に向けたメッセージだった。
今はいないが、彼女がドレスを着て披露宴の場に立てたのは、
その父と母があってのことなのである。
こんな事は当たり前のことだが、
他界した両親に向けたメッセージ、3分を読み通した新婦は、
これまでの司会経験の中で初めてだった。

彼女は、自らが今あることを、その在り方として示したのではなかろうか。

咳払い一つない静寂の中で、
皆がそれぞれに感じたものがあるだろうが、
喜びを感じ、幸せを感じている自分が今あることは、
これまでの歴史と共にあることと、
これから創り上げようとする結婚生活への思いと共にあることを聴いたはずである。

この二人の婚礼にはトラブルはなかった。
しかし自らの足もとを確りとみつめることからスタートするということは、
身近な存在を確実にみつめ、それとのつながりの中で自らを知ることだと思う。

これこそが感謝のメッセージだ…
司会者として、いや、
二人の披露宴に関わった人間として、
しみじみと感じた瞬間だった。
披露宴は素晴らしいものになった。
いい披露宴は司会者が作るものではないにしても、
かかわり方が大きく作用する。
勿論サービスもそうだ。
しかし何より大切なのは、
本人達二人の姿勢そのものである。

僕は結婚に失敗し、
この年になっても、ひとりちっぽけなマンションに住んでいる。
そかし今一度、過去と未来を見つめるべく、
自らの足もとに意識を向ける必要性を、今回の婚礼を通して教えられた。

記念品にもらったものは、今話題になっている小浜の、若狭塗り箸だった。

「これ、美味しい豆腐ですから持っていきますか?」
代々木駅前のスナックの夫婦から、


充填豆腐

充填豆腐と三浦大根の粕漬けをもらって帰ってきた。
自転車
旦那は僕より2歳くらい年下だが、
早稲田で露分科にいた。
何の風の吹きまわりか、学内で作っていた劇団「白鳥(しらとり)」に
入ってきて知り合い、卒業後もずっと付き合ってきた友人である。

コーヒー
喫茶店だったが成り立たず、いつからかビアハウスに転換し成功している。
ビールお酒ワイン

時折、芝居の会場として借りたこともあり、今もって夫婦して僕の理解者である。

ただ二人とも島原出身で訛る。
お母ちゃん(いつもそう呼ぶので…)が唄う「島原の子守唄」はいい。
3度ほど聞いた。
そのたびに涙が出てくる。
一つ難があるが、それは唄う前の解説である。
何も言わずに唄って欲しいのだが、我慢して聞く。
にひひ

今頃は忙しくお客さま相手をしている時間だと思うが、
赤提灯だから、へんちょこなテレビ番組も流しっ放しで、
何の愛想もない店だ。
しょぼん
だが不思議に、結構お客はいる。
気が置けないフリーな空間だということもいいのかもしれない。
色気もシャシャ気もない夫婦でやっている店だということもある。
「愛されているのかなァ・・・」
と、水を向けると、
「なんとも言えましぇん」
訛った答えが返ってくる。

値段も高くはないので、一度覗いてみてください。
代々木駅東口の、これまたちっぽけな出口をでて10秒程度の場所ですから・・・電車走る人

店名は、グリシェンです!ニコニコ

先日、久々に芝居を観た。

小さな劇場でギュウギュウ詰めで、

いやに座りにくい椅子で…、座った途端に、こりゃ不親切な劇場だと思った。

開幕時間を過ぎたがウンもスウもなかったが、

「・・・?」と感じる頃に説明が入った。

「開幕の時間ですが、予定の人、2人を待ってスタートしたいのでお待ち下さい」というのだ。

「ええッ?」

これには驚いた。

開幕に間に合うようにと、仕事を早びけして来た人もいるのだ。

それを遅刻者を待って幕を開けるというのである。

「ふざけるんじゃないよ」

…といいたいところをギュッと押さえ、

待つこと20分近く。

入り口辺りがゴトゴト音がしたと思ったら女性が1人入ってきて、

数列前の席のみんなを立たせて通路を進んで席に座った。

もう一人いるのか、まだ始まらない。

しばらくしてゴトゴト音がして、

男が入ってきた。

「チケットは・・・」等の声が聞こえて、

これから2時間20分の芝居を始めるという。

客席の一角から、「えッ…電車がギリギリ」…という女性の声が聞こえた。

これはないだろうと思う。


常識を知らない…という以上に、芝居をやる人のセンスじゃない。

芝居の内容は後日書こうと思う。

とてもじゃないが、

こんなことを書いた後に続けると、腹立ちまぎれに何を言うか分からない。

この辺りで終わりにしよう。

我輩も、人に会う約束を30分ずらさなければならなかった。