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演劇人生

今日を生きる!

足りない・・・


劇作、演出、俳優、制作(プロデュース)、

照明、音響、音楽、美術、舞踊、ダンス、

殺陣・・・等々だけではない、


一つの演劇を創るには、

哲学、文学、心理学、論理学、美学、芸術学、

宗教学、倫理学、考古学等の人文科学。

法学、政治学、経済学、商学等の社会科学。

物理学、生物学、化学、天文学等の自然科学。

その他、応用科学等々・・・


それら、広範囲な知恵知識が必要されるばかりではない。

また真理だけが必要なのでもない。

ただの存在だけでもいい。

わたしたちの劇団は、そのすべてが欲しい。


一人で出来る範囲なんて狭いし、

3っつも抱えてしまうと、

そのすべてが中途半端になる。

3人で一人でもいい、


欲しい!





早稲田大学が秋季リーグを制覇した。

斉藤投手や大石投手が注目されているが、

50年前の1960年、

大学は学生運動に揺れていた。

安保闘争は1月、新日米安全保障条約の締結で、

運動は低調になり、これ以降は

ベトナム戦争批判や学内闘争へと、

そのターゲットが変化していく。

内部抗争も起き、

セクトによる過激な運動も多くなった。


また運動から離れていく者も多かった。


この60年の早慶戦が優勝を賭けた大一番になった。

ぼくも少なくても4回ほど応援に行っている。

安藤というアンダースローの投手が

連日の完投で歴史に名を連ねた。

連投連投で、

4試合くらい投げ続けたのではなかったか・・・

優勝して新宿に繰り出したのを覚えている。

あれから50年・・・

劇団生活
  右上矢印あっはっはっはこれも若い

始まったベトナム戦争が75年まで続き、

ベルリンに壁が出来た。

キューバ危機のあったのも60年代。

中国で文化大革命が起きて

毛沢東語録をかざした○○に、

「お前は反革命だ」と言われた。


そういえばケネディ大統領が暗殺された

のも60年代だったと思う。

東大紛争があり、三億円事件、

霞ヶ関ビルが出来て、

日本一高いビルをわざわざ見に行ったものだ。

「見上げると首が痛くなる」という人もいた。


こんな歴史を経て、

昨日早稲田が優勝をした。


自分が投げているわけでもなく

打っているわけでもないのに、

そこにいるような興奮にドキドキする。


今度の優勝で、

この歴史は、さまざまな問題と共に

また語り継がれていくだろうと思う。


一緒に引き連れていくさまざまな事件も、

世界で起こるさまざまなことも、

「いい時代だったね」と言えわれるようなものに

したいと思うのだが、どうだろうか・・・・

我輩が航空祭を見に行く・・・

これだけで「ええッ!」と言われる。

え×2なのである。


・・・が、昨日入間基地に行った。

いやァ・・・すごい人出だった。

これほど大勢の人たちを一望したのは

初めてのことで驚いたの何の・・・

「まるでCG映像を見ているようですね」

同行した劇団員たちは口々にそう言った。

劇団生活
ブルーインパルスの一機が飛び立っている。

手前の人人人・・・

この画像の10倍はいるだろう。

ぼくは関係者休憩室(2階)から拝見した。


ブルーインパルスの6機は

晴れ渡った青空に美しい姿を滑らせる。

見事な飛行だ。

迫力に驚く人もいたと思うが、

ぼくは、その美しさに驚嘆した。


劇団生活
ハートの飛行機雲・・・

この後にアローが横切るのだが、

その時はハートが風にぼけてしまっていた。

我輩の携帯で撮影したのでこれが限界。


劇団生活
見事なアクロバット飛行を堪能した。

ただ、行きも帰りも交通機関を含めて大混雑!

先日、テレビ番組で、

木村拓哉氏の搭乗したブルーインパルスで

操縦していた隊員が部屋にいたが、

彼は引退したようだ。

2~3年で新陳代謝する厳しい仕事らしい。


多くの人々を楽しませた航空自衛隊の

ブルーインパルスだが、

戦場に行くことのないように祈りたい。


ここに集まった多くの人々も、

これ等の飛行機が、

よその国に飛んで行き、

人々を殺戮することは望んではいない。

多くの子供づれの人々がいたが、

我が子を操縦士にして、

大空を飛んでもらいたいと思うにしても、

遠い国に出かけていき、

逃げ惑う人々を殺戮させたいと思う親はいないだろう。


ジェット機の爆音を耳にして、

受けた不幸を思い出す人のない世の中でありたい。

ぼくが抱いた航空祭での思いである。

母子が歩いていた。

自転車のブレーキをかけ、

片足をついてやり過ごそうとした。


何と、歩きながらとはいえ、

母親はiPhoneだかスマートフォンだかを

覗きっぱなしで、前方を窺う気配はない。

停止に近いぼくの自転車の方に歩いてくる。


5~6歳くらいの男の子は

母の洋服のすそを引っ張って

知らせようとしてくれた。

母は、「やめてよ!」と目を上げ、

やっとこちらに気付いて方向を変えた。

劇団生活

ここで、たいていなら、

ぼくに「ごめんなさい」は言わなくても、

子どもに対して「ありがとう」くらいは

言うのが当たり前と思いませんか。


「バカね、そんなに引っ張ったら、

危ないじゃないの」


危険を知らせようとした子どもは、

声を出さなかった。

そっと気付かせようとした子どもを思うと

涙が出そうになる。


気のいいぼくもムッっとした。

「バカは、親のあんただよ」

言いたいのをこらえた。


子どもを悲しませるかもしれないと思ったからだ。


ペダルを踏み出す気になれず、

歩き出した母子を見送った。

母親は相変わらずiPhoneか何やらの

画面をのぞきこみながら歩いていく。


子どもは後ろに続く。

・・・と、遠慮気味に(と思えた)、

子どもがこちらを振り向いた。

「・・・」

ぼくは、心で「ありがとう」と言った。


男の子は、向こうに向き直って走り出した。

母親の「ダメよ、走っちゃ。危ないから」

という声が聞こえた。


子どもは聞かずに走り、

店のたて看板のかげに入り、

顔だけ出してこちらをのぞき見ている。

笑顔だった。


「・・・?!」

ぼくは、

この一連の事態をどうとらえればいいのか、

わからなかったし、今もわからずにいる。


ただ一つ、

「あの時、母親に毒づかなくてよかった」

これだけは確かなことに思えてくる・・・

それ以外は、なんと言えばいいのか

さっぱりわからない。

「大丈夫?」

先生の癖・・・一つのエクササイズが終わる度に

「大丈夫?」

といわれる。

途端に、何か・・・力が抜ける。


「いちいち、それ・・・言わないで下さい」

いおうと思ったが、

一度、返事をしてみるか・・・と、

「はい、大丈夫です」

言ってみた。

「・・・・うん?」

いい気分だよ・・・・違うじゃないか。

そうか、これもコミュニケーションなのだ。

一方通行だったものをコミュニケーションにすると

関わりに積極性が生まれてくるのだ。


「これだよ」


また一つのエクササイズが終わった。

ぼくは待ち構えた。

今度は「はい、大丈夫です」

「はい」のひと言をアラカルトしてやれ。

・・・と待ち構えていた。

「・・・・!」

何も言ってくれない。


あてにしていて外された。

虚しい。


このような余計なことを考えながら

エクササイズをしていると草臥れる。

家へ帰ってきたら眠くなっちゃったァ。


・・・が、これから稽古だ!

目を開けて・・・さ、行くぞ!