続・NYスポーツビジネス留学挑戦記録 -No Pain, No Gain-

続・NYスポーツビジネス留学挑戦記録 -No Pain, No Gain-

フルブライト奨学生としてNew York Universityに留学したアラサー女のその後

海外留学について、フルブライトについて、スポーツ業界でのキャリアについて、などなど
近年は未来ある若者からの人生相談を多々受けるようになったので、
こんな自分の過去でも誰かの役に立てるのならと、今更改めてブログを書き始めました。
微力ながら、ご参考にして頂ければ幸いです。
Amebaでブログを始めよう!

前回ファーストキャリアの選び方について書かせてもらいましたが、

実際私の場合はどうだったのかを今日は書こうと思う。

 

私が大学を出て最初に選んだ道は、志していたスポーツとはかけ離れたITという世界。

 

大学在学中は体育会に所属していたので、イメージしていた楽しくユルい学生生活とは

かけ離れた日々を送り、華やかなキャンパスライフとは無縁だった。

 

3年生も終盤を迎え、周囲が当たり前のように就職活動に明け暮れる中、

「ていうか全然遊んでない。」という不満がふつふつと湧き上がるのを無視できず、

就職活動にも身が入らない。漠然とこのまま社会に出ることにただただ抵抗があった。

 

当時はスポーツ業界の新卒求人なんてゼロに等しく、

運良く職に就けたとしてもノースキルな新人なんて薄給の事務員として

体力の続く限りすり減らされるのが目に見えていたので

正直スポーツ界ですぐ働くという選択肢は現実的でなかった。

 

ありがたいことに、ゼミの先生から大学院へお誘いを頂いたこともあり、

まぁ院生になって改めて学生生活を楽しみ直そうかなというユルい逃げ道も模索し始めていた。

 

そんな時、先輩から「金がもらえるインターンがある」と聞いて受けたのが、

その後の就職先となるワークスアプリケーションズだった。

 

ワークスが何の会社か、どんなことをしているのかは全く知らず、

お小遣い欲しさで参加したインターンだったが、いざやってみると面白い壁の連続だった。

 

ワークスで重要視されるのが、問題解決能力。要するに、無茶ブリへの対応能力だった。

これを面白がって取り組める人か否か、そして楽しんだ上に結果を残せるかが評価基準。

 

もともと天邪鬼で教えられた通りにやることが苦手な自分にはこれがミラクルフィットし、

次々と問題を解決するアイディアが浮かび、またそれを実行させてくれる環境があった。

 

インターンは述べ2ヶ月間ほど続き、その間会った先輩社員達も変な人だらけだった。

もちろんみんな頭はキレるが、何ていうか社会不適合感がすごい。笑

 

でも大手企業を相手に何千万、何億という契約を次々と取って急成長している最中で、

若くても力さえあれば本当にのし上がっていけるというのも間近で見ることができた。

 

かなりステマっぽくなったが、当時まだ規模も決して大きくなくドベンチャーゴリゴリの

ワークスという会社に大いに惹かれることになった。

 

問題は「遊びたい」欲求の行き所。そんなしょうもないモヤモヤを正直に相談したら

先輩社員の回答は「遊んでこいよ」だった。その言葉通り、インターン最終日には

5年間いつでも行使できる「入社パス」をもらうことができた私は、

それを担保に親から借金をして1年間の海外放浪を決意。

 

大学を卒業した年の5月から、翌年3月までをほぼ海外で過ごし、

心ゆくまで遊びきって4月から同級生たちに1年遅れで社会人になった。

 

ワークスを最初のキャリアとして選んだ理由は他にもある。

同社の商材はERPシステムという、いわゆる人事や会計などの基幹業務システムで、

クライアントの多くは日本の古き良き大手企業だった。

 

いずれどんなキャリアチェンジをするにせよ、日本企業のベーシックな商習慣を知ることは

絶対的に必要最低限だと感じていたし、ベンチャーの環境で働きながら

大手企業の様子も伺うことができるというのはある意味一石二鳥なポジションだと思った。

 

結果としてファーストキャリアの選択は正解だったと思っている。

狙い通り以上のスキルや知識は一通り身につけられたし、マインドも鍛えられたし、

何より身体的に無茶が効くうちに精一杯無茶をさせてもらった。今だったら無理。

 

おかげさまで在籍した4年強はものすごく濃い経験をさせてもらったと思っている。

若造にも関わらず様々なプロジェクトを任せてもらったことは、その後の財産になっている。

 

いや、まじキツかったですけどね。とにかくシャカリキに働いた。

理不尽との戦いも、重要な接待での役回りも、予定外の事態への対処も、勉強させてもらった。

 

ファーストキャリアの選択は悩みどころではあるが、どんな選択肢を選んだとしても

自分が全力で戦えるかが重要だと思う。あとはバトルフィールドとの相性だ。

 

MPは年を追うごとに増えていくが、HPは確実に減っていく。

HPがフルのうちに、シャカリキに修行できるフィールドを見つけられれば、

その後のジャンプアップ、キャリアチェンジにも優位に働くのではと思う。

今日は最も多く聞かれる質問の1つである、ファーストキャリアについて書きます。

 

主に現役大学生に聞かれることが多いのが

「ファーストキャリアはどう決めたら良いですか」というもの。

 

元も子もない回答をまず最初にしてしまいますが…

正直、そんなの自分で考えなよ、とほんと心の底から思う。笑

 

突き放すつもりは全くないが、これをやっとけば正解というのは存在しない。

だからこそ、この質問は一番聞かれて困るのだ。

 

ただ、さすがに「自分で考えれば」とだけ言うのも大人気ないので

聞かれた時にとりあえず伝えるのは、そもそも将来どうなりたいの?ということ。

 

「スポーツに関わる仕事がしたい」という漠然とした夢を持つ相談者が多いが

一言でスポーツに関わる仕事と言っても千差万別。

 

アメリカではスポーツ産業規模が自動車産業を追い抜いたとも言われているが、

車であれば、例えばボディ設計をする技師がいて、エンジンやモーターのエンジニアがいて、

販売をするディーラーがいて、広告を造る人がいて、プロのドライバーがいて…

と、イメージがしやすいだろう。「車に関わりたい」と言っても、その方法は様々。

 

しかしスポーツとなると、特にスポーツビジネスの概念が黎明期である日本では

どのような役割があって、どう関わるチャンスがあるのか見えにくいのも事実。

 

できれば特に学生さんには、スポーツビジネスの中でどんな関わり方があるのか、

それを学生のうちになるべく勉強してもらいたいと思う。

その上で、目標に到達するための修行の場として

ベストと思われるファーストキャリアを自分なりに選んでほしい。

 

ということで冒頭に戻るわけだが、ファーストキャリアの正解は人それぞれ。

まずは5年後、10年後に何をやりたいのかを可能なかぎり具体的に考えて、

そこから逆算した選択肢を選んでもらえれば良いのではないか。

 

それがベンチャーだろうと大手企業だろうと起業だろうと自分探しの旅だろうと、

その人にとって正解になれば、それが正しいファーストキャリアの選択だと思う。

 

誰か目標とするロールモデルを見つけて、その人のキャリアを追っても良いと思うし、

とにかく心身ともに無茶が効く貴重な20代前半の時期を、後悔なく過ごしてほしい。

 

ちなみに、海外留学に関して特によく聞かれるのが

「大学卒業後すぐ留学すべきか、働いてから行くべきか」ということ。

 

これについては一つだけ現実的なアドバイスをさせてもらうことが多い。

仮に大学院の留学する場合、実務寄りに行きたいかアカデミア寄りに行きたいかで

まず大きく分けることができる。

 

前者であれば、断然実務を経験してからの留学をオススメする。

私自身がそうだが、ビジネスの勉強をするならビジネスの「肌感覚」がある方が

圧倒的に習得しやすい。腹落ちがストンとできる感じがある。

そもそも、出願要件として実務経験が求められるケースも少なくない。

 

一方、将来研究者になりたいとか大学の先生になりたいという後者の場合は、

大学卒業後に直で留学して専門性を極める道も大いにアリだと思う。

 

 

 

早稲田大学スポーツ科学部に進学した私は1年目からギラギラと活動。

授業外でも参加できるものには片っ端から手を挙げ、

アテネ五輪のホッケー女子代表チームを支援するチャリティー活動や

開幕1年目の(今は亡き)bjリーグのボランティア活動など、あれこれ参画。

 

また、男勝りの女子校出身な私は大学のサークルというチャラついた雰囲気に馴染めず

うっかりゴリゴリな体育会である女子ラクロス部に入部。

マネージャーとして泥にまみれたキャンパスライフを送ることになる。

 

そんなアクティブさが認められて(?)大学3年時に大きな転機が。

様々な幸運が重なってL.A. Dodgersでのインターンという機会を得ることができた。

この経験についてはいずれ別途じっくり書きたいと思いますが、

とにかくこの衝撃な日々を経て、後のアメリカ留学を強く意識するようになった。

 

当時の大学生は3年の秋から就職活動。周囲が一斉にリクルートスーツに染まる中、

またもその雰囲気に馴染めず進路を決めかね就活も全くしていなかった。

そんな折、先輩の勧めで「お金がもらえるインターン」というキャッチコピーに惹かれ、

何の会社かもわからない(株)ワークスアプリケーションズのインターンに参加。

 

ITはサッパリなりに、次々と投げつけられる無理難題を解決していくことに楽しみを覚え

気がつけば前のめり気味に参戦していると、会社ともフィーリングが合ったようで

「5年間ならいつでも入社してOK」という内定パスをもらう。

 

これを良いことに、「社会に出る前に世界を見たい」というシンプルな動機で

卒業後1年間は海外を放浪することを決意。

2008年3月に卒業、5月に旅立ち翌年3月に帰国、2009年4月からワークスに入社。

 

入社後はスポーツとは一切関わりのない生活を送り、IT企業のマーケ、広報業務に明け暮れ

ブラック寄りの激務をそれなりに楽しみながら気づけば3年目を迎えた頃、

ふと立ち止まってその先の人生を考えた。

 

仕事も順調、会社も嫌いではない。それでも本当にやりたいことはこれか?と考えて

若かりし頃に目指した道にもう一度チャレンジすることを選択。

仕事をしながら、昼休みや夜中、週末などわずかな空き時間に受験勉強を始め、

5年目となる2013年に退職、翌2014年からアメリカへ旅立つこととなる。

 

-------------------------------------------------

 

ざっくりと渡米までを時系列に辿って見ました。

 

サラリと触れた在学時代の活動やファーストキャリアの選択、

そして退職からのアメリカ大学院受験に至る経緯についてなど、

追々ゆっくり残していきたいと思います。

 

2014年夏、28歳にして人生の大きな転機となるアメリカ留学を実現しました。

今日はそれまでの27年間を簡単に振り返ります。

 

 

幼少期からどういうわけだかスポーツオタクな子だった。

 

8歳で開幕したJリーグにクラスの男の子達と一緒に熱狂し、

翌年のリレハンメル五輪の時には教室にあったストーブから飛び降りては

スキージャンプのテレマークを決める練習をした。当然先生にいつも怒られていた。

 

98年、自国開催の長野五輪にはそれこそ夢中だった。TVの報道では飽き足らず

父親にねだってスポーツ新聞やアサヒグラフの特集誌を買ってもらい

集めたスクラップは未だに実家で保管されている。

 

98年といえば、忘れられないのが日本が初出場したサッカーW杯フランス大会。

怪我をしてもどんな状況でも死に物狂いでボールを追う中山雅史という選手に釘付けになる。

その余韻が冷めないうちに始まった夏の高校野球では怪物松坂大輔が伝説を残した。

 

そして99年、世の中に「雑草魂」の衝撃を与えた上原浩治が鮮烈な20勝デビューを果たす。

全くの無名から這い上がってきた彼の躍動は見ていて震えるものがあった。

 

当時の私は、日々スポーツを追っかけていれば忙しく、とにかく幸せだった。

中学の卒業文集には、2000年に開催されたシドニー五輪を引き合いに

スポーツの魅力を語り、将来はスポーツに関わりたい旨を力強く書いていた。

 

そんな熱意から、高校生になると「見る」だけでは物足りなくなり、

学校が近かった東京スタジアム(現味の素スタジアム)でFC東京のボランティアを始める。

すると、スポーツを「創る」側への興味が強くなってきた。

 

そんな折にやってきたのが2002年の日韓共催W杯、日本列島が熱狂した。
こんな「熱」を、見るだけじゃなく生む側になりたい、そう思うようになった。

 

気づけば高校2年。受験の2文字がちらつく中で、進路は決められなかった。

当時はまだスポーツビジネスという言葉は一般的ではなく、

大学でスポーツ経営を学ぶという選択肢は皆無に等しかった。

 

職員室で気乗りしないまま大学案内の分厚い冊子をパラパラとめくっていたら

目に飛び込んで来たのが「早稲田大学、スポーツ科学部新設」という文字だった。

一瞬時が止まったような感覚になり、ここに行くと決意。慌てて受験勉強モードに入る。

 

決して成績が良い方ではなかったので、スポーツ科学部に入るためだけの勉強に絞り

スポ科一本で受験勝負。落ちたらその時は手に職を付ける専門学校にでも行こうと思った。

 

幸いにしてギリギリで合格をもぎ取り、2004年早稲田大学に入学。

スポーツ科学部の2期生として、大学生活を送ることになった。

そこからさらにドップリとスポーツの世界に浸ることになるので、

一端前編はここまでで。。。

 

 

かれこれもう4年も前になる2014年、日本を飛び出してアメリカへ渡りました。

 

色々な人の力を借りて留学を実現させられたことへの感謝も込めて、

自分の経験をなるべく多くの方にシェアしようと始めたブログ。

 

だったんですが、怒涛のNY生活の中で息つく暇もないような日々を送り

気づけばおざなりになった留学の記録は情報社会の中で埋もれていき…

 

の、はずが。

 

こんな中途半端な日記をどこからともなく見つけて下さる方は、どういうわけだか後を絶たず

「ブログ見てました!」と声をかけられると、ちょっと申し訳ない気持ちになったりも。


その多くはフルブライトだったり、海外留学そのものの情報を求めて辿り着いたようで、

将来への不安と期待で目をキラキラさせた若者に頼られてしまうと

"Pay It Forward"の気持ちでなるべく人生相談に乗ったりもしてきました。

 

そんな中でふと「どうもいつも同じ話を繰り返しているなぁ」と気づきました。

つまりは、みなさん同じような疑問や不安を抱えられていて、毎度似たような質問を受ける…

これいっそFAQにした方が良いんじゃないか?という結論に至ったわけです。

 

というわけで、気まぐれにはなりますが留学時代を中心にこれまでの道を振り返りつつ、

よく頂く質問にも可能な範囲で答えつつ、ゆるりと改めて記録を残していこうかと思います。

 

また、アラサー女が一念発起して六本木バリキャリを捨てた(笑)その後の人生が

どう転がっているのかも、触れていければいいかなと思っています。