28歳でアメリカ大学院留学に至るまで【後編】 | 続・NYスポーツビジネス留学挑戦記録 -No Pain, No Gain-

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フルブライト奨学生としてNew York Universityに留学したアラサー女のその後

 

早稲田大学スポーツ科学部に進学した私は1年目からギラギラと活動。

授業外でも参加できるものには片っ端から手を挙げ、

アテネ五輪のホッケー女子代表チームを支援するチャリティー活動や

開幕1年目の(今は亡き)bjリーグのボランティア活動など、あれこれ参画。

 

また、男勝りの女子校出身な私は大学のサークルというチャラついた雰囲気に馴染めず

うっかりゴリゴリな体育会である女子ラクロス部に入部。

マネージャーとして泥にまみれたキャンパスライフを送ることになる。

 

そんなアクティブさが認められて(?)大学3年時に大きな転機が。

様々な幸運が重なってL.A. Dodgersでのインターンという機会を得ることができた。

この経験についてはいずれ別途じっくり書きたいと思いますが、

とにかくこの衝撃な日々を経て、後のアメリカ留学を強く意識するようになった。

 

当時の大学生は3年の秋から就職活動。周囲が一斉にリクルートスーツに染まる中、

またもその雰囲気に馴染めず進路を決めかね就活も全くしていなかった。

そんな折、先輩の勧めで「お金がもらえるインターン」というキャッチコピーに惹かれ、

何の会社かもわからない(株)ワークスアプリケーションズのインターンに参加。

 

ITはサッパリなりに、次々と投げつけられる無理難題を解決していくことに楽しみを覚え

気がつけば前のめり気味に参戦していると、会社ともフィーリングが合ったようで

「5年間ならいつでも入社してOK」という内定パスをもらう。

 

これを良いことに、「社会に出る前に世界を見たい」というシンプルな動機で

卒業後1年間は海外を放浪することを決意。

2008年3月に卒業、5月に旅立ち翌年3月に帰国、2009年4月からワークスに入社。

 

入社後はスポーツとは一切関わりのない生活を送り、IT企業のマーケ、広報業務に明け暮れ

ブラック寄りの激務をそれなりに楽しみながら気づけば3年目を迎えた頃、

ふと立ち止まってその先の人生を考えた。

 

仕事も順調、会社も嫌いではない。それでも本当にやりたいことはこれか?と考えて

若かりし頃に目指した道にもう一度チャレンジすることを選択。

仕事をしながら、昼休みや夜中、週末などわずかな空き時間に受験勉強を始め、

5年目となる2013年に退職、翌2014年からアメリカへ旅立つこととなる。

 

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ざっくりと渡米までを時系列に辿って見ました。

 

サラリと触れた在学時代の活動やファーストキャリアの選択、

そして退職からのアメリカ大学院受験に至る経緯についてなど、

追々ゆっくり残していきたいと思います。