音温(ネオン)ビーム☆ -23ページ目

音温(ネオン)ビーム☆

Jazzyな未知の世界に挑む波瀾万丈ライフ♪ 

そういえば「Body & Soul」は週末の昼にヴォーカルスクールの発表会で貸し切りにされることが度々あった。 音響にも最高のこだわりがある所だけに、スクールの先生にとってもそこで開催されることは誇りらしく、先生自ら嬉しそうに歌っていたりする。 名前は忘れたが、いろんなスクールがあるものだなあ、、、と思ったものだ。 生徒さんもスクールによってカラーが違うし、スタイルも違う。当然か。 私もジャズヴォーカルを勉強中とのことで、店長がヴォーカルの発表会があるときは私に仕事を当ててくれ、見学させてくれる。 すごく勉強になるし、見ていて楽しい。 みんな練習をかなり積み重ねて来て一生懸命歌い上げているので、上手い下手に関わらず、聞いていて心地良い。 しかしこういったヴォーカルスクールってちょっと宗教に近いな、って思った。 先生なり校長が教祖様状態で、スタイルを洗脳されているようなところがある。 「Body & Soul」のオーナーママにも何度か聞かれた事があった。「あなたはどの先生についてるの?」と。 私はどの先生にもついていなかった。 独学、、、というよりもそれほどまだ本格的に勉強したことはなかった。 以前サンフランシスコに住んでいたときに、ジャズの個人レッスンを受けた事があったが、半年経ってもひたすらヴォイストレーニングばかりで一曲も歌わせてもらえず、例のしょーもない楽器歴同様、あっけなく終了した。 確かにヴォイストレーニングは大事だとは思ったがとにかく私は歌が歌いたかったので、帰国して就職と同時に渋谷にある、見過ごしそうな程小さくて目立たない無名のジャズスクールに通った。 そこは私がバーテンのバイトをしていたショットバーの目と鼻の先にある場所で、そのスクールは歌の技術やヴォイストレーニングは一切教えず、やりたい曲を選ぶと、私のキーに合わせて譜面を作ってくれたり、いろんな人が歌っているレコーディングや資料を提供してくれ、ピアノの伴奏で好きなように歌う、という学校だった。押し付ける様なレッスンは一切なかったのと、自由に好きな曲を歌えるということで、私がボストンに来るまでずっと続いた。 ただの趣味でやっていたので本当にいろんなスタンダードがひたすら歌えて楽しかった。 そんな中、私にとって運命を変える様な大きな転機となる発表会が、そのスクールであった。 スクールの発表会というか、スクールの生徒が自ら企画し、ライブをやるというもので、その言い出しっぺの生徒さんは60歳代の鶴田浩二似のおじさんで、私を含め、男女様々な年代の生徒5人がおじさんのかけ声によって集まり、赤坂の「bフラット」という大きいジャズライブハウスでライブが行われた。  意外にもここからいろいろな事が展開していくのです。 続きは次回☆
私はこの映画のタイトルも内容も知らされぬまま、ウェイトレス役をやることになった。 なぜ私などがいきなり出る事になったか?という成り行きは前回のブログでも書いたが、バイト中の私を見て、監督は私がイメージに合うとの事でいきなりお願いされた。 どんなイメージだ!? 内容も知らないので謎のままだ。 主演のイッセイ尾形と宮沢りえを店内に案内する役で、監督に「いつもお客さんを案内するように自然な感じで良いよ」と言われ、台詞もいつも使っている言葉で、、、との事だった。 芝居など興味も無ければ経験ももちろんないのでとまどうばかりだが、いつもの感じで良いと監督に言ってもらえたので、さほどの緊張もなく出来たのだが、ひとつ言葉を直された。「こちらの方へどうぞ」といつも案内していたのだが、監督いわく、「方へ」という日本語はおかしい、と言われ、なるほど、、と思い言うのをやめたのだが、癖というのは恐ろしい。いざ本番でカメラが間近に回り始めると緊張して、ついつい「こちらへ」ではなく「こちらの方へ」と言ってしまい、NGを連発してしまった。 だんだん凹んできて緊張する私にイッセイさんは苛立つどころか、やさしく励ましてくれた。イッセイさん、自然体ですごく好印象だった。 りえちゃんは私がGUCCIに勤めていた時の顧客だったのですっぴんでラフなりえちゃんを良く知っているが、本当に本当にきさくで全然気取ってなく、誰よりもオーラが強い人だった。 そんな大好きなりえちゃんと「Body & Soul」で再会するなんて☆ しかも一瞬でも映画共演だ。 仕事モードのりえちゃんを見るのは初めてだったが、更に美しく可憐で凛としていて素敵だった。 私のシーンも何とか無事終わり、残りの撮影を見学していると、なんとも静かな感じである。 パントマイムか!? と思わせる程、ただイッセイさんが物思いにふけった感じで座っているシーンだったり、ジャズ演奏シーン以外は本当に静かな撮影だった。「台詞言ってるのかな?」と不思議だった。 まる一日かかった撮影だったが、とても楽しく貴重な体験だった。 いや~しかし芝居って難しい。 間違いなくこれが最初で最後だろう。 確かこの撮影、2003年の10月頃だったと思う。予定では翌年2004年の春公開と聞いていたので、その頃私はボストンにいるはずできっとみれないだろうな、、、などと思っていたが、今ではすっかりこのブログ書くまで忘れていた。 ネットでいろいろチェックしてみたら、どうやら今、公開されている様で、何気にこの話題も旬ではないか。笑  しかもスイスの国際映画祭で3冠受賞したとのこと。 ひぇ~~!! そんな大作だったとは。 編集で私など映ってなかったりして。アハハそれはそれで笑えるが、気になるものだ。 どうやら世界8カ国で公開が決まったらしいのだが、ボストンでも見れるだろうか、、。 原作も今更ながら気になって来た。 どうやら「孤独」がテーマらしい。 深そうだ。 しかも音楽は私の最も尊敬する坂本龍一とは!!! これは間違いなく要チェックだ☆ 
とにかくこの青山「Body & Soul」は隠れ家風のカッコいいジャズライブハウスだ。 広さも狭すぎず広すぎず、一体感を味わえる。 そして料理が美味しい☆ ソムリエ常在でワインも充実している。場所も青山の大通り沿いではなく、私が大好きな小さい路地に潜んでいる感じがいい。ミュージシャンもkyokoママの目に適った魅力溢れる人揃いだし、お客さんも外国人が多かったり、いろんな業界の人が来ていたり、初めて来てみた感じの普通の人もいたりでいろんな人が来店するが、本当に音楽が好きな人が集まっている感じで温かく活気ある。ここで仕事が出来て本当に私はラッキーだ。 こんな素敵なライブハウスなだけあって、CDプロモ、TV、映画の撮影場所提供依頼も多いようだ。つい最近では秋ドラの「野生の証明」で竹野内豊の1シーンがここで使われていた。今、私のいるボストンでは日曜だけ日本の番組がやっていたりするのだが、この「野生の証明」がオンエアされていてなにげなく見ていた。するとどうも見た事のあるバーカウンターが映っていたと思ったら、「Body & Soul」なことに気付いてちょっと懐かしかった。私がバイトしていた時期の2003年春~11月の間にも一つ、超大作映画の撮影が入っていた。 何の映画かは知らなかったが、監督とスタッフが開店前に何度も下見に来ていた。 ちょっと掃除の邪魔だなぁ~、と思いながらいつも通り掃除をしていた。 ある日、店長に呼び出された。 掃除の件で怒られるのかな? と少し怖かったが、いきなり「実は監督が君にウェイトレス役で出て欲しいと言ってるんだけど出れますか?」と聞かれた。 ひぇ~~何と言う事だ!! しかも台詞まであるらしい。 舞い上がってしまう勢いだが、私は芝居などとてもじゃないけど出来ないし本当に私でいいのか? と問い直すと店長は「いや、実は店としては本音を言うと、これからすぐ辞めてアメリカに行ってしまう君よりも長年働いているコに出て欲しいんだよね。 でも君の気持ちを一番優先したいので一晩考えて返事ください」と言った。 店長は、これは君にとってもチャンスだし良い経験になると思うから、今僕が言った事は気にせずに決めて欲しい、と言ってくれた。 本当に良い人だ。 自分なりに考えてみたが、どうしてもやってみたいわけでもなく、やはり長年働いてるコで出演に興味がある人にやってもらうのが一番良いと思い、店長に辞退の意を伝えた。 そこで店長は「じゃあ、他のコも候補に入れて再度検討して欲しい、ということで監督に伝えるので一応君の写真もスタッフに撮らせて上げてあげても良いですか? そしてもう一度監督に選んでもらいましょう」ということになった。 そうだ。考えてみれば私はたまたま下見の日に来ていたウェイトレスだったからなんとなく私に頼んだのだろう、と思った。 しかし後日、また店長に呼び出された。「どうやら監督は君のイメージがピッタリらしく、君にお願いしたいと言って来たので、やれる?」 と言われた。 ひゃ~~!困った。というか、もちろん何とも光栄で嬉しい!!! でもkaorum, 出来るのか?芝居が。もうやるしかない、だろう。これは。 というわけで次回はその撮影話と映画のタイトル発表☆
いや~ウェイトレスじゃなくいつかあの憧れの「Body & Soul」で一端のjazzmanとしてデビューしてみたいものだ。 今年で創立30周年を迎えた老舗中の老舗、本格的ジャズライブハウスだ。 壁には数々の海外アーティストとオーナーのkyokoママとの2ショット写真が並ぶ。海外に限らず国内でも今一番熱い人気若手ミュージシャンから超ベテランまで幅広くいろんなミュージシャンが出演している。 私の仕事はウェイトレスで、それこそ高校以来かもしれない。 すごく新鮮だったが、初めのうちは勘が戻るのにてこずったが、店長をはじめ、シェフの方やバーテンの方にもいろいろ助けられ、なんとか慣れて行った。 ライブが始まる前や後は、オーダーをとったり片付けたり、会計したりとそれはそれは忙しいのだが、演奏が始まると、割とじっくり聴いていられるのが嬉しい。 数々のミュージシャンの演奏を聴く事が出来たが、ウェイトレスとして客観的にお客さんの反応をみていると非常におもしろいというか、勉強になる。 怖いくらい反応がわかるのだ。 イケてるライブとイケてないライブが。 私の中で印象深い強烈なミュージシャンは

与世山澄子(vo), 里見紀子(violin), 小沼ようすけ(guitar), 岡田勉(bass), 太田剣(sax), 横山達治(percussion)

である。もちろんその他にも上げられない程素晴らしい人がいるのだが、特に印象に残っているのはこの人達。 彼等の共通点は、とにかくまず「楽しいんだよ~!!」っていうのが滲み出ているのと、彼等の表現する音を通してお客さんを巻き込み、いつのまにか、演奏者と聴き手との空気が止まる事無く回転しているのだ。 このような一方通行じゃないライブって意外と少ない。 特に日本のジャズライブシーンでは、、、。意外にベテラントリオ程、悪い意味でミュージシャン同士の緊張感がなく、聴いていて飽きて来る。お客さんはすると1ステージで帰って行く。 あと、オリジナルを中心にやっている人も、どことなく自己中心的というか、何か押し付けがましい感じの演奏だったりして、これまた聴いてる側が疲れてしまい、アンコールがでない。 ここで思った。

素晴らしい演奏=観客が喜ぶ心地良さ、ではないようだ。

「音プラスα」を持ったミュージシャンが聴き手を惹き付ける、と以前言っていた人がいた。 結局、観客は音を通してその人物を見ているのだろう、、、と思った。 音はつまり極端な話、フィルター(ツール)でしかないのだろう。 もちろんフィルターが良ければ良い程更にディレクトに見えて心地良い、といった感じに近いのか、、、? 嗚呼、私はどちらも相当磨かなくては今のままじゃダメダメである。 遠い道のりだが、焦らずボチボチがんばろう☆ 次回は青山「Body & Soul」デビュー(しかし銀幕デビュー?)の巻です。 笑えます!乞うご期待☆
私にとって、「生花と生演奏」は最高の贅沢である。 どちらも生活には必要ないものだが、あると気持ちの中に余裕を感じるのである。 うまく表現できないが、気持ちに余裕がないと、花を飾ろうと思わないし、時間を作ってライブを見にいかない。 なので私は自分の生活の中に出来るだけこの二つを取り入れる様にしている。 気持ちに余裕がない生活を送ると、小さな事に感動出来なくなる。 大事なものを見落としてしまう。人として一番悲しい事だ。 今は大好きなチューリップを飾っている。たとえ1本でも2本でもあるだけで部屋の空気がガラリと変わる。 すごい波動だ。 チューリップに感謝☆ しかしライブはお花のように身近ではなく、お金と時間をかけないとなかなか行けないものだ。まして大物アーティストが出る様な所はチャージやドリンクが高い! しかし音楽を志す者にとっては、練習以上に生で良い音楽をたくさん聴く事はすごい勉強になる。 というわけで私の選んだ「身になるバイト」はライブハウスで働く事、であった。 しかも出来るだけ普段自分では行けない様な大物ミュージシャンが出ている老舗ライブハウスが理想だった。場所は私の大好きな街、青山が良い。 となると浮かんだのはただひとつ。「Blue Note」、、、、ではない。あそこは大きすぎて一体感がない。 他に素晴らしい老舗ライブハウスが青山の目立たない小さな路地に潜んでいるのだ。ブルーノートに出演している海外ミュージシャンが立ち寄ったり出演する、隠れ家的ライブハウス。「Body & Soul」である。 敷居が高そうで行った事がなかったが、以前GUCCIの同期がここのすぐそばに住んでいたのでよく通りがかったが、いつも気になっていた。 そこはバイトを公募してないようだし、まして私は半年しか働けないというネックがあったが、とりあえずダメもとで問い合わせの電話をしてみた。 案の定、必要ない、と言われてしまったが、もうちょっとやる気まんまんで頑張ってみたら、じゃあとりあえず面接に来て。と店長さんに言ってもらえた!  早速面接に行き、オーナーママと初めて会った。 私がジャズを勉強している事と、半年しか仕事を続けられない事情を聞いてもらった。 どうしてもここで仕事をしながら勉強させてもらいたいということを伝えた。 私の熱意が通じたのか、なんと採用してくれた。 外国人のお客様が多いから英語が話せたら助かると言って下さり、時給もちょっと高めにしてくれた。 そして、ここにいる間にいろいろ良い演奏を聴いていっぱい吸収しなさい、とまで言ってくれた。 本当に噂通り器の大きい素敵なオーナーだった。 というわけで、充実したバイト生活スタートである。 そこでのおもしろい体験やライブの感想などはまた次回☆
←一見アパート!? 今ではたくさんある校舎の中でも一番古いバークリー音楽院の校舎 (ほとんどのプライベートレッスンはここで)


妖しい並行輸入店のバイヤーから、いやファッション業界そのものから足を洗うことにした。辞めると決まったら行動は早い。 以前から行きたかったボストンにあるジャズで有名な音楽院、Berklee College of Musicに、下見と願書提出を兼ねて飛んだ。カリフォルニアには高校から大学卒業まで長年住んだが、東海岸には全く興味がなく、NYにすら行った事がなかった。 なのでボストンも今回が初めてだった。3月だというのに氷点下の世界。こんなところで生活していけるのか!?と不安だったが、日本でミュージシャンの友人にボストン在住の知人を紹介してもらい、その人にいろいろ案内してもらったお陰で願書提出もスムーズに出来、ボストン事情をいろいろ教えて頂き、本当にたくさん助けてもらった。 バークリーの第一印象は、、、とにかく校内中からいろんな音が聴こえて来て、練習室も熱気ムンムンで図書館は膨大な譜面、CD、映像の宝庫だった。 レコーディングスタジオもいっぱいあり、充実している。まさに音楽漬けの環境だ。素晴らしい~~☆ もう見学ツアーだけで興奮冷めやらぬ感じだった。 果たしてろくに楽器も弾けない私などが入学できるのであろうか!?といささか不安だったが、そこはアメリカ☆割といい加減なもんで入学は簡単のようだ。ここに来ている人達はきっと子供の頃から楽器を続けていたり、専門学校や音大を経てから来てる優秀な人ばかりなんだろう、と思っていた。実際そのとおりだ。しかしいざ自分が入学してみて音楽理論や必修の基礎のクラスを取り、まわりを見渡すと、意外に音符の書き方さえ知らない人も結構いて、それはそれはビックリした。♪がチューリップみたいな逆バージョンを書く人もいて笑えた。 でも考えてみたら、例えば高校卒業したての天才的なドラマーとかでも、確かに譜面を書く機会などそうないはずだ。 なるほど。 私のような音楽の知識もろくにない人でも基礎から徹底的に身につける事の出来る大学のようだ。 ますます魅力的な印象☆ しかし日本人が多いのにもビックリした。 ここは本当にボストンか!?と思うくらいあちこちから日本語が聞こえて来るのだ。 聞くところ、全生徒の2割弱は日本人らしい。 カリフォルニアにいた時も多いと思ったが、この学校は人口密度がすごい。確かに日本でも知名度が高く、卒業生も第一線で活躍している有名ミュージシャンが多い。 しかし先輩の話を聞くと、生徒の質もピンキリらしい。 つまり、いかに自分から積極的にいろんなものを吸収し、経験を積んでいくかで差が激しく出る。 そんな素晴らしい大学でもなんとなく卒業しただけではむしろバークリー卒業などと言うのも恥ずかしくなるということだ。 今まで遊び半分で楽器に手を出していたのとは訳が違う。 そこへ行くと決めたからには、まして私の様なスタートが遅い者は人生を全て賭ける覚悟で心して臨むべし。というのは先輩達からも感じたし、私自身猛烈に感じた。 学校を下見出来た事によって現実味と覚悟が決まり、身が締まる想いで日本に戻って来た。 順調に願書が受け入れられれば2004年の1月からの入学予定となる。 それまでの約半年間、何か身になるバイトをしながら下準備しなくては。 さあ、私が選んだ「身になるバイト」とは一体!?
次に試みた楽器は、、、鍵盤→ベース→そしてリズム感のセンス無しと来れば、、「ドラム」でしょう! イヒヒ♪ ベースの先生が去り、今度はドラムでリズム感を鍛えようと企み、早速良さげな先生を見つけた。 これが最初の簡単な4ビートなんかは難なくそれっぽく叩けたのだが、そのうち左右の手足がバラバラにリズムを刻む練習に入るともうダメだ。そしてトドメだが、先生は貧乏揺すりを常にする様に心掛けなさい、と言った。ペダルの基本形らしいが、私は貧乏揺すりが上手く出来無いどころか、貧乏揺すりが得意な女になりたくないし、自分が常に貧乏揺すりしている姿など想像するだけで笑ってしまう。 いつもイラついてそうな落ち着きの無い妖しい女の友達になどなりたくないものだ。そんなこんなでリズム感を鍛えられる事無く、むなしくジ、エンド。 ものにならない一人Trioを一通りくぐってしまった。一人Trioをむなしく終了したところでしばらくマイブームも去り、しょーもない趣味にうつつを抜かさず本業の大学生活に力を入れた。 しかしやはりどこかで音楽への欲求が体に眠っていたのだろう。 忘れかけた頃にまた習いたくなって来た。おっとドラムではございません。 この頃の私はボサノバがマイブームだった。ボサノバと来れば、、、「ギター」でしょう! ちょうど日本に帰りたてでGUCCIに入社した頃である。 暇などないくせに片足を入れてしまった。 紹介してもらった先生は外務省に勤めている人で、とにかく熱心で良い先生だったが、超多忙のようで不定期のレッスンだった。 う~ん、この「不定期」。危険な匂いだ。嫌な予感が既にしてしまった。しかし、先生に頼らず出来るだけ独学を心掛けた。 「1時間で弾けちゃうボサノバ」なる超初心者用教本も騙されるつもりで買った。 まんまと騙された。1時間どころか一ヶ月かかりそうな勢いだ。やはりなかなか先生のレッスンスケジュールも合わず、私も仕事がどんどん忙しくなってきたのを理由にギターはあっけなくお蔵入りのジ、エンド。 しかしギターは友達に譲ったりせず、お蔵に入りっぱなしなので、いつか必ず引っ張りだしてリベンジするつもりだ。(しかしベースのリベンジも失敗に終わっているので全くあてにならない) まだまだ続くしょーもなく無駄な楽器歴なのだが、パート2で終わりきらないとはさすがに振り返って自分でも凹んで来た。 まだパート3「フロント編」があるのだ。 なんだそりゃ? 失敗に終わった一人Duo, Trioと来たら最後はフロントだ。 フロントとはつまり、バンドの中心に立ちメロディを演奏するパート、例えばヴォーカルやサックスのような管楽器を指す。 いよいよ本題のヴォーカルか!?と思いきや違うのだ。管楽器でもない。 レアな楽器が登場するのだ。完結編は次回ではなく忘れた頃にひょっこり書こう。
私は楽器が全く弾けない(泣)が、こんな私でも楽器歴は浅いながらも無駄に広いのである。エレクトーンは自分から望んで5歳からヤマハに通い、母の猛特訓のお陰でちびっこの中ではかなり優秀だった。(と思う。笑)しかし私は大の練習嫌い。いつも泣きながら練習し、もう逃げたくて逃げたくてしょうがなかった。 しかも私は変わった練習が好きな子で、右手のメロディの練習に興味なく、左手のコードとペダルのベースばかり練習していた。ちびっこながらに「このベースラインとリズム良いなあ」などと足の動きだけは妙に器用だった。数々のコンクールにも出たが、私はどうもリズム感が悪いらしく、自分の好きな所に来るとガンガン走ってしまい、気がつくとかなり早いテンポで曲が終わってしまうのである。 リズム感の悪さには今でも苦しんでいるのだ。 致命的である。 母は自分にも他人にも厳しい人だったが、私は全く逆で辛い練習が嫌で嫌で結局6年で逃げる様にして辞めてしまった。 今思うと悔いてならない。 ドラえもんがいたらタイムマシンでさかのぼって、この根性なしのぐ~たらチビkaorumを大量のチョコレートで釣って無理矢理続けさせたのに、、。(チビはチョコ中毒だったのだ) そんなチビkaorumも高校に入ると軽音楽部に入った。エレクトーンでマニアックなベースペダルの練習ばかりしていたせいか、エレキベースを選んだ。しかし途中でアメリカの高校に転入することになり、ものになる前にやめてしまった。 そしてサンフランシスコの大学に行っていた頃、再びエレベの個人レッスンを探し、受け始めた。この時ばかりはリベンジ編なのでさすがに真剣に練習し、かなり続きそうな勢いだったのだが、残念なことにその先生がなんとカナダに帰ると言い出した。なにげにカナダ人だったとは。 半年後その先生が去った後、続ければ良いもののなんだか気が抜けてしまい、これまたジ、エンドであった。情けない。それ以来ベースは友達に譲ってしまい触れてもいない。 もちろんベーシストになりたい訳で習ってたんじゃないがベース、ペロッと弾ける様になりたかった、、、うぅ。  まだまだ書かせて!他にもしょーもなく多い無駄な楽器歴パート2☆
GUCCIを退職する頃、迷いに迷っていた事があった。以前にも述べた、2つの会社のどちらを取るか、という迷いではない。 このファッション業界でこのまま昇進していくべきなのか、それとも夢を取るのか。 実はこの迷いがあったから私はあえて自分を試すために冒険的な業種のバイヤーを選んだ。 もしもう一つのオファーのフランス系大手ブランドの店長になっていたらもう引き返すことなど出来ないだろう、、と感じていた。 そして私が一人暮らしにピリオドを打った理由が母の突然死だった。母は昔からバリバリのキャリアウーマンで、何事も人一倍頑張り完璧な仕事をこなしていく母は私から見てもめちゃくちゃかっこいい母だった。その母の夢は退職後、自分のスタジオを持ち歌を教える事だった。 歌がうまい人だった。 そしてオルガンもうまく、私は子供の頃にエレクトーンを教えてもらったものだ。スパルタで怖かったが今思うと感謝しきれない。 その母が突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。いわゆる過労死であろう、、。 私は母の反対を押し切って一人暮らしを始めてしまった。 母に反発するばかりで何一つ親孝行せぬまま死なれてしまった、、、。 しばらくずっと苦しみ母の事ばかり考えていた。そして思った。 

人間、いつ死ぬかわからない。明日なんか来ないかもしれない。ならばやりたいことを今やるべきだ。 後悔しない人生を送る為に、今をとにかく大切に生きなくては。と。

その頃、友達の第一線で活躍しているミュージシャンに相談し、率直な意見を聞いてみた。彼等の感想は、私のキャリアを生かさないともったいない、との事。バイヤーにしろ外資系大手店長にしろ、誰もがやりたくても出来ないわけだし、事実、それで成功しているわけだから仕事は捨てるな、と。音楽はむしろ日本の方が良い先生がいっぱいいるし、仕事しながらでも勉強できるよ、ということだった。 が、実際フランスでの駐在を断り、単発でいろいろな国に買い付けに行く仕事を希望することによって、ますます日本にいる時間も少なくなり、常に時差ボケ、給料はそれこそ小遣い稼ぎ程にしかならず(給料の支払い方が既に妖しいのだ。経費もしくこく請求しないと振り込んではもらえない)私の決断モードは最高潮に高まって来た。 母の夢でもある音楽の世界に挑もう!!!という気持ちが固まり、この時点でやっと初めて自分の人生のビジョンが見えて来た! 妖しい仕事におさらばである。 ではその後は、、、、? まだまだ妖しいブログは続きます!!
私も数々の妖しい仕事をバイト時代からやってきたが、今回の転職先は妖しさでいうとダントツ1位を狙えそうな勢いだ。パリ、ローマと買い付けに行ったものの、妖しいホテルのお陰でさんざんな目にあった。 生まれて初めて食中毒にあい(原因不明の)まともに働けたのは3日だけではあったが、レアものはちゃんと買い入れし、それなりに頑張った。しかしその転職先は私に給料を一銭も支払わなかった。私も請求すれば良かったのだが、やはり倒れてしまったことで期待を上回る様な仕事を出来なかったということで黙っていた。そんな事もあり、この会社に対する信用やこれからこの会社に精を尽くす意気込みというか、やはりパリで長期間仕事するなど出来ないと思った。 バイヤーのバイトのBちゃんに聞いても、このオーナーはどこかうさんくさく、お金の事も、自分でがんがん請求していかないと、流されてしまうとの事。ほとんどの人が社員ではなく、バイトで働いているのも時給で計算したほうがよほど採算が合うかららしい。しかし、ランチ時など、他のバイトの人たちと接触すると、オーナーの愚痴や妖しい行動などがいっぱい溢れてくる。こりゃいかんだろう。 従業員に信頼されていないオーナーなど最悪である。 しかし彼女達は何となく続いているのだ。この仕事が。労働条件もかなりタフなはずで妖しいのを承知で続けている。 何が彼女達を続けさせるのだろう、、、と思った。 彼女達はブランドをこよなく愛しているのだ。そしてこの平行輸入業の仕事をしていると、ブランドの正社員よりも商品に詳しくなったりする。そして勤務地も青山のど真ん中! ステップアップを念頭にここでブランドの知識や経験を積み、いずれ転職するにはもってこいの仕事なのかもしれない。 それに対し、私はブランド嫌い。ダメである。

人生何事もちょっとでもダメだと思ってしまったら事は成せないのである。 

好きな事を仕事にしている人程どんな至難も乗り越え神懸かり的な良い仕事をしていくのである。 ならば私も心から好きな事を仕事に選ぶべきなのではないか? ちょうど2年前の今頃、この転職の体験と、ある悲しい出来事がきっかけでやっと私は何が好きで何を天職としてやっていきたいのかが見え始めるのである。 ある悲しい出来事とは、私が一人暮らしにピリオドを打った理由だった。 いまだに辛いがそろそろ語れる時が来たかな、、、。