なんだろうか、このもどかしさ。

思い通りに出来ない自分への不満。

ただ、こんなに爽やかな、軽やかな不満は初めてかもしれない。


仕事が思うように出来ない。

準備は十分のはずであった。

臨機応変に適応する、柔軟性がない。

周りに目が行かない。

撮りたい気持ちだけが先走って、空振る。

この空振った時の切なさといったらない。


おまけに今日は湿気が多く、私の髪の毛は爆発していた。





上司に今日の批評を聞く。

こうすればよかっただの、ああすればよかっただの、丁寧にアドバイスをくれる。

すべて的を得ていて、悔しい。

ただ素直に自分の心に入っていく。

「これからがたいへんだぞ。」

と笑われた。

「存分に苦しんでくれ。」



このチャンス、生かさぬわけにはいかなかった。

もう意地しかなかった。

他の仕事も忙しく、手を抜くことはいくらでも出来た。

そのはずであったのだが、今の私にはそんなプライド知らずなことなんぞできなかった。

絶対に。



もうこれは意地なのか。


いや、これを私は求めていたのだ。


頑張っただけ形になるもの。

自分の中に確実に残っていくもの。

そして、この世に「今の私」という、一つの「物体」として残るもの。




「未来の人間に残す映像を。」

社長が私たち新人に投げかけた言葉。

この瞬間自分の中にある何かが、強烈に共鳴した。

自分の求めるものは、この社長とまったく同じところにあった。


とにもかくにも、今日はゆっくり休むことにしよう。


また明日から修行の日々が始まるのだから・・・。


外回り。

電車の中で携帯が震える。

その瞬間、私の心臓は凍りつく。


「お疲れ様です・・・。」

相手は上司からで、訂正がきたから直すように、とのこと。

要は「直帰するな」ということだ。


また電話が鳴る。

今度は先輩からで、明日の予定についてだった。

「今日は特に急ぎの用はないから、直帰でいいよ。」



私がアシストする上司、及び先輩は数名。

通常一人の上司につく形だ。

ただ、なぜか私は複数請け負う羽目に、いつのまにかなってしまった。

イヤといえばイヤである。

ただ、頼まれないよりはマシとも思う。


また電話が鳴った。

この緊張、いつまで経っても直らない。

電話の着信が恐怖である。


また何かやらかしたのか・・・。

そう思い、携帯をかばんから取り出した。



・・・なんだ、イタメか・・・・。



愛しき命が、また一つ増えた。

末っ子のヤンチャ坊主、生まれてまだ一年経たぬ新星。

男の子?と、目を疑うほど、美しい。

自己をしっかり主張してくる。そして、決して動じない。


生ける伝説のチャンピオン犬を祖父母に持つ彼は、そもそも我が家に来るような子ではなかった。

ただショウドッグとしての資格を、たった一つの項目をクリアできなかったがために、我が家の一員となった。

まさに奇跡であった。



愛くるしい四歳になる女の子と、威厳漂う小さなキング。

じゃれあってるのか、本気でけんかをしているのか分からないが、

同じベッドで二匹寄り添って寝ているところを見ると、結構仲はいいらしい。

お姉ちゃんは弟のヤンチャに、最近ちょっとお疲れ気味だ。

弟が眠りにつくと、そっと私の傍らに来て温もりをねだる。

硬く、量の多い真っ白な毛を撫でていると、伝わる息づかいがある。

血の巡りがある。

彼女の言葉なき主張であった。


そうだね。

元気みたいね。

私のそばでゆっくりおやすみ。

私はいつも一緒にいるよ。





犬社会の中で生まれ育った弟は、温もりとは何かを知らなかった。

私が抱き上げると固まり、足が突っ張った。

撫でられることに戸惑いを見せた。


ベランダの花を見ていた彼に、「きれいね」と声をかけながら優しく撫でた。

案の定、固まった。

しかし、しばらくすると身を寄せてきた。

私は彼を抱き上げ、赤ん坊を抱くように抱きしめた。

抵抗もなく、温もりに身をゆだねていた。


君は我が家で、多すぎる程の愛情を一身に受けて暮らすんだよ。

私が君を愛情で育てるんだよ。


来たばかりのときは、美しいが鋭さが際立つ眼光だった。

いつの間にか目が少し大きくなり、優しい、幼子の持つ、あのきらきらした光が差してきた。

歴代のショウドッグの中で培われた野性的本質が、温もりを知ることで丸く形を変えた。


なんだか、お姉ちゃんに似てきたみたいよ。

バッドボーイな君。



朝起きて、ガスのスイッチを入れ、ぬるま湯でさっと顔を洗い、化粧水、クリームをつける。

ここ最近まったく「パック」というものをしていない。


髪をシャワーで濡らし、シャンプーでゴシゴシ洗い、流して終了。

トリートメントが切れているのも忘れていた。


「女らしさ」の微塵もみられない私の生活習慣。

さすがに女としての危機を感じた。



彼氏でもできれば少しは、と思い、血眼になって探し、この手中に収めた。

ロンリーでないときの女は、なぜここまで輝くのか。

鏡に向かう時間が三倍になり、美容、おしゃれ代に銭が舞った。

「もっときれいになりたい」と、心の底から溢れてくる思い。

本能なのだろう。

女が美しくなろうとする、男を振り向かせようと必死になる本能。

私にもあった。


ただ、この熱い思いは、熱くなりすぎて、すぐに、そして急激に冷めた。

ある事故(ということにしている)があって、さよならをした。



仕方のないこと、男は星の数ほどいる、頭ではきちんと理解していたし、意外と冷静に相方に伝えられた。

最後はごり押し。

「お願いだから、私と別れて。」

「あなたと私は、ない。有り得ないんだ。」

心にもないことが、本心のように出てくる、出てくる・・・。

そう言っているうちに、本当にそのような気持ちになってくる。

そう、私の相手はあなたじゃないんだ。


もう二度と会わない、会えない。

「じゃあね!!」

実に爽やかな別れだ。

・・・と、背を向けた途端、崩れそうになるほどの寂寥感に襲われる。

涙が出そうになる。

なぜ?と自分に言い聞かせ、絶対振り向かない。

奴は過去だ、振り向いてはいけない。

強がって、颯爽と歩く。



「仕方ないこと」

何回自分に言い聞かせたか。

そう思い込むことにも疲れ、相手のこともどうでも良くなってきた。

自分を悲劇のヒロインに飾り立てることも面倒になってきた。

どうせ一週間もすれば忘れるさ。

そう思い、風呂上りの一杯を飲もうと台所に入った。


頬につたう涙。

無意識に嗚咽がこぼれる。







野外ロケで上司に言われる。

「日焼け対策してきたか?」

あ、忘れた。。


あれから数ヶ月。

私の乙女心は、またどこかへ行ってしまった・・・。。



正直、余裕がなかった。

目の前で次々と起こることに、踊らされていた。

やっと地に足が着いたのか。

アメブロにやっとログインできたからか。

今、こうして再び胸内を語りだした。



気づけばもう新人ではなかった。

口をあければ愚痴ばかりなのに、本心は希望で満ち溢れている。


仕事が楽しい。


ずっとやりたかったことが、できている。


信じられない。


自分はできない、と思い続け、義務でこなす毎日が、変わった。

上しか目に入らない。

いやなことなんで、心に留まらなくなった。

自分にはやりたいことがある。

とにかく、やってみる。


どこまで行けるか。


努力が心地よい。


何も恐れるものが、ついになくなった。

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体が違う。

つくりが違う。

声を転がすだけでホールは美声に共鳴しマリア・カラスの世界へと情景を変える。

天才を、鬼才を超えた、むしろ伝説。まさしく奇跡。


昨今のマスコミは少々(というよりはかなり)大袈裟な表現をするので絶妙な形容詞が台無しになる。


私が生まれる前に彼女は亡くなっている。

しかし今こうして彼女の歌声に胸躍らされている。

音楽は残らない、と嘆いていた自分は愚かだった。

文明の発展は恐ろしくもありありがたくもある。

ライブは失神するほど、圧巻で言葉を失うほどの世界であったのだろうと想像が膨らむ。

録音という間接的な鑑賞で多少の色あせはあるのだろうが、自然と出てしまう。

「うまい・・・」


他人の粗探しをする卑屈な私が唸るのは珍しい。

決して耳が肥えているわけではないが非のうちようがない。


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私は、今も昔も絵からイメージすることが自然な体質である。

最近は文字からもイメージできるようになったが、幼い頃は恥ずかしいことに「赤毛のアン」を一ヶ月かけて読むような子供であった。


読書に目覚めたのは小学六年の頃、「シャーロックホームズ」シリーズにのめり込んだ。

第二波は大学二年の頃。

熱くなりやすく冷めやすいという面倒な性格のいい現れである。

波がある。


最近も波はある。

ただ立場は一応社会人、という自覚が目覚めたのか「義務」として読むことも始めた。



この世で書物の量は厖大すぎる。

現れては消え、そうした循環の中でも生き残るものもある。


私の記憶に残っていたもの、いわむらかずおの絵本、「14匹シリーズ」である。

絵がなんといっても好きだった。

どうりでうまいわけだ、芸大卒。


またリアルな情景描写も子供心を明るくともした。

本当にねずみはこういう生活をしているのかもしれない。

自分もこんな生活してみたい、この世界の中に入りたい。


いわむらさんは「生きる」ことを大きなテーマとして作品作りをされているそうだ。

生きるために「食べる」。

食べるために「育てる」。

育てることを「教える」。

教えるために「学ぶ」。

私は素晴らしい考えであると思う。


ちなみに英語版は当然のことながら読めなかったので日本語版だった。


胸に痞えていたものがすっと消えた。

ありきたりな表現だが、希望と不安の間でなぜか足が軽い。

自分はできない人間だ。社会に出て、そして二年という歳月にもまれて初めて受け入れられた。

自分は何もできない。


じゃあがんばろう。

そう思えるようになったのは自分の思い描く道のりに近づきつつあるからであろう。


どうしようもなく不安でとにかく音楽から逃げ出したかった時期に出会ったことであった。

単なる逃げ場所に過ぎなかったことが現実味帯びていき、いつの間にか自分のものになった。

不思議である。


自分は母親の才能に嫉妬していた。

それがいつしか憧れに変わり、そして夢になった。

その夢も現実となりつつある。


勉強していい点とって、いい会社に勤めて、いい成績をあげて・・・。

目の前のことをちゃんと歯を食いしばって頑張っていれば自ずと道は開けるものなのか。

その次のビジョンが浮かんできて、そして新たなるハードルが押し寄せてくる。


人生この繰り返し。


なかなか面白いではないか。

私の人生、捨てたもんじゃない。

「自暴自棄な人でうまくいった人みたことないよ。」

今どうしているだろうか。

ふと昔の友人の言葉が思い起こされた。


「結局将来何がやりたいの」

そのとき私は適当に格好つけて返答したが、何をしたいのか、全くわからなかった。

今までの自分は一体なんだったんだ。

大学の専攻で生きていける気がしない。

これは単なる逃げなのか。


高校生の頃、自我が芽生えた。

言いなりな人生にうんざりし自己を必死になって探した。

新しいものに手を出せば出すほど見えなくなり、仕舞いには何もなくなった。


人に認められて初めて身につく、自信、裏づけ。

孤独に耐えられるほど精神は強靭ではない。


仲間の言葉は今となっても時折思い出す。

持つべきものは友。

よく言ったものだ。

新しい出会いの月。新顔がちらほら見受けられ、自分も新人ではないことを改めて実感する。

社会は厳しい。

ただフェアである。

やっただけの結果が自分に返ってくる。


私には何もとりえがない。

そう自暴自棄になっていた。


やりたことはエネルギーをくれる。

二年間模索してやっとのことで掘り出したもの。


四面楚歌、自分で切り開く。

いつも周りに助言を求めていたような気がする。

もう他力本願な自分は卒業だ。

不安が多い再スタートは足取りが重い。

しかしここで歯を食いしばり説得しなければいつまでも同じであろう。


再来月、転職します。