春はなぜか気分が浮かれる。

気が狂ったわけではないのだろうが本棚の整理をしだした自分。

過去、大学時代の資料、ライセンススクールに通っていた頃のレジュメがどっさり出てきた。

捨てるべきか捨てざるべきか、手を止め資料等に目を通す。

そしてイメージとかなり異なる自分のかつての姿に変な気分になった。


とにかく手当たり次第に頑張っていた。

専攻もそれ以外も。

それ以外に関してはフランスのアンリエット・ピュグイ=ロジェという音楽家についての授業で、私はロジェの弟子である音楽家のインタビューの裏方として微力ながら携わっていた。

全く記憶に残っていなかったが、資料を目にし、ああ、そんなこともあったなと言う感じだ。

とにかく大学生のときは何もせずに悶々としていたという精神的な記憶しか残っていなかったが確かに動いていたようだ。

意外な自分の姿になぜか納得するものがあった。

もう身動きが取れない位動き、そして得たものが今の生活、価値観である。

やはり人間経験が物を言うのかもしれない。

とにかく血が騒いだ。

22時前にはテレビの前に正座をし前屈姿勢。

期待が姿勢に現れていた。


「あら、もうトトロの世界じゃない」

監督の仕事場はトトロの風景を思わせるような緑に満ちたところにあった。

メルヘンチックな車に乗りカメラ嫌いを微塵にも匂わせず穏やかなカントリー爺さん、といったところか。

自分の岐路に出会っただけにとにかく強烈で一体全体こんな浮世離れした世界どんな人間が作ってるんだ、と、半分盗人の眼で見ていた。

最初は気まぐれな絵描き、しかしクライマックスでクリエイターの本質を直球でぶつけてきた。


制作者は常に孤独と隣り合わせである。

みんなと仲良く、なんて甘っちょろい戯言は御法度に近い。

「個」が必要なのだ。


「僕は常に不機嫌でいたい」

自分の世界にひきこもりたい。

自分だけが知るイマジネーションの世界に浸り、作品の実像をより明確に研ぎ澄ましていく。


一人の人間の中で何万というキャラクターが問いかけ、あざ笑い、また檄を飛ばしたりする。

想像の世界に躍らされ、現実ではカメラが監視する。

それで不機嫌なのか。




「素敵なおひげね」

見ず知らずの少女なのか身内か分からないが、そう言う彼女の手をとり自分の髭を触らせた。

「ハウルを作ってありがと」

「どういたしまして」

身悶える程の感動。

この人と自分の価値観はやはり似ていた。

「子供に好かれたい」

「子供には分かる。理屈で考えないから」

もし宮崎作品をなんとなく理解できるのならば、まだ自分の中には幼き者のみに許されたファンタジーの感覚が残っていることなのか。

宮崎駿監督はテート・ブリテンでジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」に衝撃を受けたという。

「自分たちがやってきたことをすべてやっていた。」

「自分はへたくそにこの絵がやっていることをやっていただけ」と、肩を落とす。

「方向性を変えないと限界が見えている。これ以上行き様がない」

極めて感覚的なことだが、監督には確かに完成図が見えているようだ。

漫画家の浦澤直樹も到達点をしっかり描いてからつじつまを合わせるように作っていくのだという。

どこか似た制作スタンスに思わず唸った。

なんて「猛烈」な人なんだ。

茂木健一郎の質問に対し、「その質問もやばいです。」と笑う。

頭の回転が高速なのだろう。早口で捲し立てる。ただ底抜けに明るい笑顔なため圧迫感がない。

こちらも思わず笑みがこぼれる。


苦しいときほど前のめりであれ。

トップに立つ人間が一番頭がいいとは限らない。

大黒柱は抜く。


的を射た名言が次々出される。


トップに立つべき人間というのは周囲を包容する力がある。

彼女の場合「まとめる」のではなく「つつむ」。

そして「率いる」。


かわいらしいプリーツスカートのワンピースに身を包んだりして容姿は女性であるのに、どうもこの人中身は男であるよう。

なんだか応援したくなる。

自分にない「知性」を持つお転婆社長は常に理論を頭でこね回しているそうだ。

頭のいい人はどうしてこう輝いて見えるのか。自分の憧れとなってしまうのか。

生まれ変われるのであれば、どうか神様、私を誰もがうらやむ才女にして下さい。


この人、坂道を自転車で暴走。

後輪にスカートの裾が巻き込まれ死に掛けたのだとか。


南場智子DeNA代表取締役社長。

おかげで仕事に前向きになれそうです。




私が上司だったら、こいつら怒鳴り散らしてさっさとクビにしているんだろうな。

真面目、不真面目、出来る、出来ないの次元ではない。

なぜこんなに無意味にしか生きられないのか、と一緒にいて気持ちが悪い。

この子達の行きかただから、と自分をおさめてみるもののいつもまとまりきらない。

「この子達」の中には自分より年上もいる。

しっかりしろよ。


やりたくない、やりたいは仕事という次元では関係ない。

社会人には働く義務があると思う。


ふざけるな。


ああ、言葉が汚い・・・。

紙面の裏の出来事、覗いてしまったら最後、知りたいという本能が動き出す。

知ってどうする、という客観的な自分も存在する中で欲望と化した本能は暴走を始める。


参考文献の数の多さに開いた口がふさがらなかった。私は本当に甘ったるいお嬢ちゃんだ。

五冊読んでヒーヒー言うようではまだまだである。もっと貪るように本を読まねば。

表面だけを撫でて知った気になるのはよくあることで、本質を掴むには時間も気力も必要となる。

言葉にすると味気なくなるが自分の身体のエネルギーがすべて吸い取られるようなほどつぎ込まなければならないのだろう。

そうでないと「地を這う」状態まで行かない。


知ることで人間は変化する。

知れば変われるような気がする。

単純極まりない自分の考えに苦笑、といったところだが、せっかく起きた興味にしばし身を委ねてみようと思う。




今、私の中で山崎豊子ブームである。

現実に起こった出来事をもとにしているせいかありきたりな作り話にはない迫力がある。

建前の裏側がリアルに迫ってきて、無知であった自分にはいささか刺激的であった。

麻薬的な魅力に取り憑かれ「沈まぬ太陽」に手をつけた。


時代は移り行く。しかし人間の根底に潜む「本能」、「欲望」といったものは、やはり変わりえないのか。

こういったものによって歴史は繰り返されるのであろう。


自分の中で変わらぬものは何か、と問うとき、自分は没我的なところと答えるだろう。

自分で問い、解決する。小さいときからこのような思考回路だった。

なんと孤独な・・・。


「ハチ公物語」という映画で、私は始めて「感動」という感情を知った。

物語で人は泣けるのだ。

のどが締め付けられ涙腺が緩む。

頑張って泣くまいと歯を食いしばるが、涙は容赦なく流れ続ける。

この経験が再び蘇った。


突然失った肉親に対して、自分はどう受け入れていくだろうか。

正直考えられない。

家庭があることが当たり前で、異常事態に陥れられたら・・・。

想像するだけでぞくっとする。

言いようのない喪失感、そして絶望。

孤独ほど人を痛めつけるものはないと思う。


つまらぬことで親と口げんかした。

「当たり前」の家庭に感謝せねばならぬ、とこみ上げてくる自分のちゃっちなプライドをごくりと飲み込んだ。



世界一美しい馬、最後を飾る。

背中が震えた。

前屈姿勢。

もはや落ち着くことは不可能な状態であった。


最後も飛んだ伝説の名馬は10歳も年上の年度代表馬の花婿となる。

「第二の馬生」とでも言おうか、次世代にディープに勝る傑作、宝を残すため走る。


競馬は全く興味がなかった。

しかしディープインパクトの登場で180度考えが変わった。

お金はどうでも良い。

今「馬」に夢中なのだ。。



秘すれば花
¥552
株式会社 ビーケーワン

日本の美学の原点だと思う。


私が西洋芸術にげんなりしていた頃読んだ。

いままで何の疑問も抱かず西洋について勉強していたが、感覚の限界を感じていた。

理屈は分からないが自分の遺伝子に組み込まれていない未知の感覚、違うという人もいるだろうが、不自然なのだ。

自分には東洋人の作った西洋芸術しかできないとかなり悩んだ。


表に出さないから趣深い。

秘めるからこそ美しい。

消極的、地味、暗いとあざ笑う人もいる。

現にあざ笑われた。

ただ自分たちの遠い祖先はこうした美学を磨き続けていたことは紛れもない事実である。


この本から私は「能」の世界に引き込まれていった。


VOGUE NIPPONが創刊されたのは確か私が高校生の頃だ。

スーパーモデルが何者かも分からなかった。


高校三年の夏、私ははじめてVOGUE NIPPONを買った。

このときの表紙がカースティ・ヒューム、ドノヴァン・リーチ夫妻であった。

カースティの超華奢なスタイルに言葉を失い、人間離れした美しさを目の当たりにした。

美に対してこれっぽちも興味がなく、日々悶々とすごしていた中での青天の霹靂であった。


今朝美容室に行きVOGUEを読んだ。

あの頃とだいぶ内容が変わってしまい正直残念である。

凡人には近寄りがたい独特の高級感。

それに酔うのがたまらなく好きだった。


なつかしいなあ。。