なんだか懐かしくて、自分が別人のように思える瞬間もあった過去のブログだけど、ひとつ私はこの世の中を生きていくために覚えたことがある。

諦めること。

我を捨てること。

そうするとなぜかうまくいく。

 

ドキュメンタリーを作ることが私の生きがいくらいに思っていた過去の私。

基本的に変わっていないけど、あるときからこだわらないことにした。

あまりにも風当たりが強くて、自尊心をボロボロにされて、前すら見えなくなってしまって身に着けた術。

「自分はほんとダメで…」そういうと、なんだか丸く収まる。

 

年を取るということは何かをあきらめること。

だいぶ生きやすくなったし、仕事以外に気をそらせる術も覚えた。

けれど、やっぱり諦めきれないことだってある。

でも、そんなにうまいこといかない。

 

最近、韓国旅行の魅力にハマった。

韓国男子、めっちゃカッコイイ。

 

キャッキャ言えるようになったのも、気ままな恋愛がいいなと思うことがあったから。

たまたま飛行機のとなりに座って、目が合って、肘が触れあって、ああ、私たち恋に落ちたなって。

熱しやすく冷めやすい。

これでいいと思う。

 

一目ぼれバンザイ。

気高い「縁」なんてもういいや、という感じ。

これが私の生き方、だったんだなと思うこの頃。

 

若い子がいい。

見て、目の保養。

 

こんなんだから一生独り身なんだろうな。

それも人生。

気まぐれ、最高。

もう10年くらい経つ。

やっとこのブログにたどり着いて、というかすっかり忘れていて、探し出した。

10年くらい前の自分はどんなだったか。

私は少しは成長したか。

そんな思いで過去の自分と向き合う。

 

何も変わっていない。

モヤモヤすることがあると、ブログに逃げて、ストレスを吐き出す。

今と一寸も変わらない。

しかも、憧れという人も全然変わっていない。

ドキュメンタリー好きも変わっていない。

結婚もしていない。

恋愛すらできていない。

 

結局人間って、おぎゃーと生まれてから、本質的には何一つ変わらずに一生を終えるものなのかもしれない。

 

エディット・ピアフ~愛の讃歌~ (2枚組)/ジェラール・ドパルデュー,カトリーヌ・アレグレ,パスカル・グレゴリー
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美しい女優、マリオン・コティアール。

特殊メイクでその美貌は見事に崩れ去り、「役者」臭さが完全に消えた。

ありきたりだが、エディット・ピアフが憑依した圧巻の演技だった。

悲劇のヒロインを描いた、よくある物語。

しかし、この女優の演技がすべてを支配していた。



生きるために歌う。

愛するために歌う。

しかし、その歌の先に、残念ながら何もなかった。


名声と栄誉。

彼女にもたらされたご褒美に、皆うらやむが、しかし本人が一番ほしかったものは

本物の愛、永遠の愛、失うことのない愛。


常に付きまとう孤独。

誰もに与えられるものなのか。

いや、選ばれたものに、別格の才能の代償として、孤独という耐え難い試練を与えるのだろう。



表現者として、視聴者として、自分の生き方に重ねてみる。

重ならない時系列。

しかし、核なる部分が、悲しいかな、重なった。

気がした。



人は生きるために何かをしていなければならない。

それが歌なのか何なのか。

ひたすらそれをやり続け、そして、孤高の中で死んでゆく。


美しい物語。

この秀作で、ますますマリオン・コティアールとフランスが好きになった。



風の中のマリア/百田 尚樹
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「しかしマリアは最後までハンターでいたかった。」

オオスズメバチ、マリアの一生。

昆虫嫌いの私が上司に上手くのせられて、この本を手に取った。



だいたいスズメバチとミツバチの違いも分からなかった。

大きいほうと小さいほう。

両方とも一度刺したら抜けない針だと思っていた。


スズメバチは昆虫を狩り、その昆虫の肉を幼虫の「妹」たちに与える。

自身は食べない。

というか食べられない。

幼虫が出す唾液をエネルギー源として生きるらしい。


そんな生き物の知識もさることながら、狩りをするためだけに生まれたマリアの

擬人的な心情表現に惹きつけられた。

卵巣はあるのに子どもを産めない。

恋などできない。

マリアの寂寥感はオオスズメバチのワーカーとして生まれた宿命の重さを感じさせる。

ハチがそんなこと思ってるはずないだろ、と言ってしまえばそれきりだが、

人間的に見てみると、なんとなく親近感を抱かずにはいられない。


みんな生き残るために狩りをする。


突如溢れる恋心や仲間の死への哀愁を本能で振る払う様は、冷たい風吹き荒れるこの世の中で

もがき続ける自分たちの姿に重なる。


人間関係ストーリーから少し離れて、こんな昆虫ワールドに浸るのも悪くないと思った。


この本を推薦してくれた上司に感謝せねば・・・。



君と一緒に生きよう/森 絵都
¥1,470
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「愛がなくては始まらない。

 愛だけでは守れない。」


この本に付属する帯に綴られた言葉。


飼い主に服まで与えられ街を闊歩する犬がいる中で、

虐待を受け捨てられ殺されてゆく犬たちがいる。

死に行く彼らに、この世の中はあまりにも冷たい。


シェルターでの処分、犬たちは毒ガスによって苦しみ身悶えながら死んでゆく。

生き物として生まれたはずが、いつの間にか物質となっていた。

どれほどの犬がそれを自覚していたか。



以前テレビで犬の殺処分についての報道を見た。

シェルターに犬を捨てに来た人間は淡々と「もういらない」と言う。

唖然とする職員、すぐさま説得に入る。


「やっぱりいらない。」

その人間に連れられる犬は激しく抵抗していた。

ここに入れば死ぬしかない、動物の勘で分かるのだろう。

悲愴たる泣き声。

胸を突いた。



利己的な人間がはびこる今。

そこに異論を唱える人々がいる。

動物保護団体。

彼らは崩壊したブリーダー、虐待現場の情報が入ればすぐさま現場に急行する。


「全頭、必ず生かして、幸せにしてみせる」


生にしがみつき生き続ける動物たちを、彼らは優しく抱き上げる。

その瞬間、ぼろぼろの動物たちは「温もり」というものを知る。

人間も同じ生き物であることを知る。

自分たちは生きていいのだ。

この人間に従っていいのだ。

そして、幸せを徐々に学んでいく。


様々な動物保護の形をこの本で知った。

ペットはファミリー。

「新しい家族を迎える」ことの意味を、よく考える必要があるのかもしれない。









プラダを着た悪魔 (特別編) [DVD]
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ずっと胸に秘め続けたもの。

この映画を観て自分の血が目まぐるしく巡る。

興奮のあまり早速ショッピングに出た。


超一流スタイリストが手がける衣装は、やはりインパクトが強い。

ただD&Gです、グッチです、というのではなく、

組み合わせの持つ力を駆使しているようだった。


川原亜矢子は「ブランドを着こなすには自身がブランドでないと」という名言を残しているが、

まさに、「田舎の町娘」臭漂う女子に一流ブランドなんぞ似合うはずもない。

服が着る人間を選ぶのだ。


モデルを思わせるプロポーション、ショウなみに美しいメイク、そして最高のコーディネイト・・・。

これでこそファッショニスタ。

「おしゃれ」を専門に生きる人種である。



メリルストリープ演じるミランダはアメリカンヴォーグ編集長、アナ・ウィンターがモデルと噂されるが、

確かに悪魔だし、こんな上司は正直御免である。

しかし、「カリスマ」と称されるにふさわしい見識、感性、孤独に打ち勝てる精神力、推進力、

人間としての「強さ」を観た気もした。


ヒロインのアンディはミランダに叱責されたあと、ファッションディレクターのナイジェルに愚痴る。

そしてナイジェルから返ってきた言葉がコレ。

「やめたければやめればいい。」

「代わりは5分で見つかる。」

「君は努力などしていない。」

「甘ったれるな。」

ナイジェル自身が地を這うような努力をして、今、ミランダの右腕とも言うべき地位を築いた。

それに比べ相変わらずのダサファッション、ぼさぼさヘアーのアンディが努力していると言えるのか。

ファッション業界に身を置きながら、ファッションに目も向けない彼女を認めるはずもない。



「甘ったれるな。」

この言葉は少し響いた。

私はリアルアンディ。

ダサダサのどうしようもない女の子で、それはそれは心が痛んだ。



この映画に私がどうしようもなく惹かれるのは、クールなファッションだけでなく、

等身大のヒロインだからなのかもしれない。。



小鳥が鳴いている。

少し肌寒いが、からっと晴れたいい日だ。



徹夜明け、3、4個連なる現場、移動中の電車に揺られながら、ああ、ここで卒倒できたなら

なんて幸せなんだろう、と思った。



私はめったに喧嘩をしない。

ただどうかしていた。

徹夜明け、連なる仕事、終電、始発の日々、神経がイカレテいた。

もうろうとして、ただ怒りだけがこみ上げ、発する声は震えていた。


大声で泣いた。

叫んだ。

すべてが崩れ去るようようだった。

いままで自分が、自分でないことを演じ続け、積み上げてきたものが。


地に帰り、悟った。

自分はいい子にはなれない。

疎ましいこの、自分と言う存在に、装飾を外す決心をした。


私はがさつで、気のきかぬ、問題児。

それでも前を見て、生きてゆくのだ。

ずうずうしく。



体勢は低く、風のように翔けて行く。

その様は、走るために生まれてきた「本能」の美しさであると感じる。

素早い身のこなし、そして驚異の跳躍力。

走り、跳ぶことを髄とする生き物の、「動」の美に浸った。


アジリティー競技会に足を運んだときのこと。

この日本にこんなにも沢山のボーダー・コリーがいるのか、と驚いた。

指導手の支持がボーダー・コリーのスピードについて行けず、失格となる場面も多々あった。

他人のことながら、手に汗を握り締め、いつのまにか立ち上がり、見知らぬ選手と犬を大声で応援していた。


ボーダー・コリーは、活発でありながらどこか品のある犬である。・・・と私は思う。

ドーベルマンやシェパードのような力強さはないが、プードルやヨーキーのような愛玩犬的なおさまりもない。

野性的であるのに思慮深い表情が、これまたdog freakを夢中にさせる。



犬の持つ能力、性質を最大限に生かしてあげることは、飼い主の義務であると思う。

「かわいいから」などと軽い気持ちで犬を迎え入れる人間に、生き物と向き合う事の重大性を問いたい。

そして、その犬が持つ遺伝病についても知る義務がある。

発症はしないが、潜在的に病の遺伝子を持つキャリアが自分の愛犬であるならば、

決して繁殖しないでほしい。

遺伝の法則で、その潜在する病が発症し、生まれて間もなく激痛に苦しみながら短い命を終わらせる悲劇が起こるからだ。

今の仔に何も異変がなくとも繁殖し続ければ、脈々と病は受け継がれる。


生まれてくる仔に罪はない。

ならばなぜ彼らが防ぎ得た病に翻弄されなければならないのか。


生き物と向き合う。

未だに自分も克服できない、大きな大きな課題である。


美しいボーダー・コリーは並ならぬ運動量が必要らしい。

己に潜むエゴに喝入れ、しばし勤勉あるのみ、、といったところか。。


ボーダー・コリーを引きつれ共に駆け抜ける日々は、もうしばらく先の話になりそうだ。。


http://www.jkc.or.jp/modules/events/index.php?content_id=1




息遣いひとつで伝わるものがある。

膨大な言葉を持ってしても伝わらないものもある。


何も言わずに、ただ自分の傍らに身を寄せる者。

彼女は淋しいのだ。

人肌恋しく、いつも、孤独を感じて家族の中にいる。


やさしく撫でてやるべきか、それとも自立を促すべきか。

強くなれ、そう願い私は後者を選んだ。



「おすわり」「伏せ」の練習で、「駄目だ」と叱った。

叱った矢先に、自分の心でハッとした。

今の彼女は、私だ。

まるで私のようだ。

不器用で、気立ての悪い、頭の痛い子供。

私に「だめ」と言われ、気を悪くする彼女の心中が、鮮やかに浮かび上がった。


不器用は不器用らしく小さくなって生きていかなければならないのか。

その道しかないのであれば、自分はあえてその道を崩し去り、

新しい道を創り出す。

例え足元がなくなろうが、自分という存在に、きちんとした色が与えられるように、

そういう道を創り出す。




夜、寝るときいつも布団の上に彼女がいる。

叱った日もいた。

私は何も言わず、ただただ彼女を撫でた。

自分の傷を癒すかのように。

自分と同じ痛みを持つ彼女を、その痛みを知るこの手で、愛情を塗った。





昨晩はネットの住人と化し、目が開かなくなるまで某サイトに没頭していた。

入浴さえせず、布団に倒れこみ、そのまま意識は消えた。


今朝目を覚ましたのは5時。

たて続く早朝ロケの賜物であろうか。

そう思いたい。

いやでも早起きしてしまう。


ただ様子がおかしかった。


眼球を締め付けるような、強烈な頭痛。

体中の筋が強張ってた。


「ダルい」


体温計を探すもなかなか見つからず、その状況が普段の強靭な体力を物語っていた。

そのうち胃がねじれるような不快感が打ち寄せてくる。

おえ。。

トイレに直行して嘔吐。

歓迎会で飲みすぎて以来の嘔吐。

これで確実となった。


風邪をひいたらしい。



先輩の皆様、本当に申しわけありません。。




ひどい顔していながらブログを更新している自分は、結構元気らしい。

なにより。