カオデビ祈りの部屋 -3ページ目

カオデビ祈りの部屋

~北カリフォルニアからハレルヤ~

毎度です!

 

カオデビとして別のブログをしてるんですが、

それは6年以上してるからアクセスも多いし誰かしら見てくれているというのがあるから

発信してる意味を感じるんやけど。

 

実際こっちは始めたばかりやから見てる人もすっくないすっくない!

発信しても意味あるんかなとか実際思ってまうけど、

神様はそんな風に私に新しいブログを通して新しくやっていくんやで言うてる感じする。

 

神様の種まきと同じやな。

からっからの土地にも種まくでってやつね。

 

けど、優しい優しいカオデビの姉の旦那さん(義理兄)が

かおりさんのブログ読んだよ。凄く感動したよ。←めっちゃ字でかくしたww

と色々励ましの声をくれてめっちゃ元気でた!

 

そんな声もっとちょうだいな!←うぜっw

 

 

さて。

 

今日は、カオデビの通う教会が今月から始めるワーシップナイトの打合せの日でして。

 

カオデビ別に歌うわけでも楽器するわけでもないのに、

見たいので行ってきました。

 

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見に行って良かったわ奥さん!

感動した!

ええやんええやん!

 

この青いライトもこうたらしいで奥さん。

 

この青いライト見て、20代ずっと働いてたカラオケスナックを思い出したわww

もっとカオデビのところのはギラギラやけどな。

最近はハイテクで音を鳴らしたらライトも変わるんや。

 

カオデビはそこで7年近く働いてたんちゃうかな。

演歌も歌える20歳っていうので老人にもキャーキャー言われたもんや←話を盛る傾向にあるw

 

まぁそれはええとして。

 

このワーシップナイトは学生がメインでやってるんやけど、

若いっていいね奥さん。

 

平成産まれや奥さん。

芸能人の名前をいうても知らんと言われることも多いで。

 

カオデビが18歳の時何してたな思って考えてみたら

ゾッとする事しか浮かばんかったからすっと目を閉じたわ。

 

若いときから信仰持っとったらええなぁ。

 

苦しいときも神様と共にいれるから乗り越えられるもんな

そうやってジーザスと共に20代30代過ごしていくんやな。ええなええな。

 

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カオデビはワーシップナイトは夜ご飯担当です!

 

ご近所の方もそうでない方も是非一緒に賛美しましょう!

 

<Worship Night>

 

2月17日(土)午後5時から

ご飯はワーシップナイト後の午後6時から

Sycamore Congregational Church is located at
 1111 Navellier Street El Cerrito, CA 94530

 

日曜日の礼拝とは違って讃美が中心の礼拝です!!

 

おおきに!はれるや!

 

 

 

 

 

 

 

 

毎度です。

 

今日は朝からET -KINGのいときんさんにお祈りの時間を持ちました。

いときんさんの事、いときんさんの家族に。そしてこの訃報に悲しむ人たちのために。

 

全く面識ないですが、一ファンとして祈ってるのですが。

 

祈りというのは、心から祈ると自分まで癒される感覚が本当にあります。

 

私はいときんさんを祈っている時に本当に暖かい気持ちになりました。

それは、いときんさんの人柄を感じたような。

 

メンバーで同じ家に一緒に住んでいた時から好感しかない素敵なグループでした。

そして歌詞も関西弁の素直でストレートなメッセージで暖かいんよね。

 

いときんさんは最後のステージでも「生きる」というメッセージを沢山の人に残していました。

そして自分の体を大事にするんだよ。というメッセージも伝えていました。

自分の体調や精神状態を越えて他の人の為にメッセージをいときんさんのように

生き様やステージで見せ続けるという生き方は本当にすごい事だと思います。

 

いときんさんのメッセージは沢山の人を励まし、そしてこれからもそのメッセージは生き続ける。

肉体として目に見えなくとも生き続ける。これを凄く感じます。

 

これからもET-KINGの曲を聞いて元気を貰おうと思う。

ありがとう。いときんさん。

 

 

 

カオデビ。 

 

今日はESLのクラスに行ってきた。

 

占い師を辞めて神様の計画は分からないままに、

ずっと行ってみたかったけれど仕事があっていけなかったESLのクラスに通い始めたんですが。

 

それは私の娘の学校のカフェテリアで週2回行われる2時間のESLクラスで無料です。

息子は週二回このESLがある曜日だけプリスクールへ通っているのでちょうどいいのです。

ですが逆に言えばこの週2回の4時間くらいしか私の一人時間は無いんです。

だからいつも占いの仕事をするか自分の自由時間にしていました。

でも、占いを辞めたしESLに通ってみよう。とやっと重い腰を上げたんです。

 

アメリカ在住6年ですが英語が苦手。教会も日系教会で英語部の人ともあまり話せなくとも

なんとかやってたんですが、教会通いも1年たってちょっと限界を感じていましたwww

 

神様に祈ってたんです。

 

ずっと後回しにしていた英語をちゃんと習得したいんで

私に合ったものを神様の計画に任せるので導いてくださいねと。

 

祈ったらもうゆだねて焦らず待ってたんです。

 

無理やり今すぐと焦って自分で見つけてきたものは結局は飽きやすかったり、自分の感じに合わなかったりする事が多かったように思う。

 

でも、神様に委ねていたその英語のクラスに自然と行く時間が出来て、フラッと参加してみたら。

 

先生が凄くいい人でした。

 

フレンドリーだし、色々な国の文化や違いを楽しむ人で、あと旦那さんの皮肉を入れたりするのも親近感ww

 

教室が終わって学校を出て歩いていると先生も同じ方向で初日にして色々お話が出来たんです。

先生が私にあなたはスグに話せるようになるわ。と優しい言葉をくれて、

授業も楽しかった。

 

でも、次の週風邪をひいたり、疲れていけなかったり(サボってた)

1月あまりクラスに行けないまま今日の2月1日。

 

教室に来ている常連の人たちの顔も覚えだしたし、

タイ、中国、メキシコ、ブラジル、イスラムの人、アフリカの人、日本人、韓国人、ペルー人

色々な人種が集まっているんです。

そして90%ママたち。

 

全く英語が話せない人、ある程度話せる人レベルはそれぞれなんだけど皆優しい。

 

同じように海外からアメリカに来て、子供を育て同じように言葉の壁や環境の違いに悩んだり

同じように頑張ってる事に励まされる。

 

そしていろいろな違いがまた私にはとっても楽しいと感じる。

 

トイレはこの国ではこおいうとか、

祈りに関しても。

1日に何回祈るかでも凄く面白かった。

信仰しているものもそれぞれ違うかったり、無宗教全く祈りません。て人もいれば

一日3回は祈る人、一日1回の人。色々いるわけです。

寝る前に私たちは祈らないわ。っていう人もいれば寝る前に祈るでしょう!っていう人もいるw

私が1日に何回も祈る話をしたら先生もウォーと感心してたww

 

色々な信仰があるのも私には凄く興味深いし、リスペクトする。

 

みんなで写真を撮るときにイスラムの人は信仰の関係もあって写真を一緒に撮れないと断るのも

私には凄くいいなって思った。彼女のことグッと好きになった瞬間だった。

 

私の義理兄(アメリカ人)もイスラム教なんです。

旦那が義理兄に写真を送るの宗教的にあまりよくないみたいなんだけど(調べたみたいで)、

どうしようかなと、あーだこーだと言ってお兄さんに本間はアカン事やったらごめんねと一言書いて写真を送ってるのを

義理兄はそんな風に僕の信仰している事について調べてくれたことが嬉しいと旦那に伝えていたのを覚えています。

 

イスラム教が写真アカンのかはっきりとわからんけど、

今日の彼女が言ってたのは(といってもお互い英語が怪しいので確実にそうなのか不明ww)

家族と写真を撮るのはいいけれど、他の人たちと撮るのはダメなの。みたいな話。

でもクレイジーだよね。と私にいってたけれど、私はそれを守る彼女の姿にリスペクトを感じた。

 

断ったらその場を乱すからとちょっと写真写っておこうとか日本人やと思う人多いと思う。

 

それでも信仰を貫くという感じ私すごく好き。

 

それで争いがおこるのじゃないか?と思う人もいるかもしれないけど、

お互いの信じる事を尊重し合って生きていく。

 

そこを感じる。

 

このESLでは英語だけじゃない、素晴らしい学びが沢山あるなぁと今日凄く思って。

その瞬間に。

 

これが神様が私に与えてくれた英語のクラスなんだなって思った。

 

これが毎日あるアダルトスクールだと、また違う層の人が多かっただろう。学生が多かったかもしれない、

アットホームでなかったかもしれない。知らんけどw

 

対面での会話のレッスンもどうだろうと思っていたし

いろいろな英語の学ぶ道があったように思うけれど

神様が私に選んでくれたのはコレだったんだなって思った瞬間凄く感謝が溢れてきて。

 

やっぱり神様に委ねて任せておけばやっぱええんやなって思った。

 

自分で無理やり探して無理やりねじ込んでたらこんな風に思えなかったんじゃないかな。

 

このESLでしっかり英語を学ぶぞって思った後の私の行動は凄く変わった。

その教室様にファイルを用意して(今までなかったw)

筆記用具をしっかり筆箱に入れて(今まではむき出しでポイッといれてた)

 

いつも使い終わったプリントはくしゃくしゃにしてたりコーヒーこぼしてたりなんなら捨ててたり・・・

それをしっかりシワをまっすぐ直しファイルに入れて。

 

ちゃんと私は”学生になるんだ”と自分に言い聞かせた。

家族にもママは学校にこれからしっかり通うんだと伝えた。

 

ちゃんとあの教室に敬意を示して感謝しながら通わせてもらわないとアカンと肝に銘じた。

今までは遅れましたーって30分以上たってから参加してたし・・・w

 

神様がちゃんと私に選んでくれた教室なんだからしっかりとそれを心にとめて通おうと誓ったのでした。

 

人間は何でもかんでも自分で決めがちだし、

今でしょ!タイミングでしょうとか、逃したらあかんとか。自分で決めつけて。

 

せっかちになりがち。

焦りがち。

でも、神様を中心に置いたら、確実に自分に必要なものを与えてくれるんや。

それを信じて委ねるんやな。

 

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はれるや

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私は今の通っている教会の牧師さんや兄弟姉妹にも話したことが無い、

ずっと抱えている重荷がありました。

 

私の「バークレーからこんにちは」ブログを見て私に占い(元占い師です)を通して

悩みを打ち明ける人がアメリカに来てから何人もいました。

 

こんな私にどうして打ち明けられるんだろうとか、私よりもずっと人生の先輩である人たちがどうして

私を選んで話をするんだろう?とかよく思ってたんですが

私のブログを見ていつもポジティブだとか、明るいイメージを持たれてる人もいるんだろうけど、

私の中に深い苦しみや重荷、そんな部分を第六感なりで?自然と感じる事が出来る人が

「この人ならわかってくれるかもしれない。」と私に自分の話を打ち明けてくれてたのかもしれないなぁという風に最近思う。

 

私自身抱えている重荷もまた自分ではどうしようもない事。

だからこそ神様を通して救われている部分なんだけれど。

 

この部分を使って同じように重荷を持つ人を励ませるんじゃないかという

事それも使命なのかもしれないとか、最近凄く考えるようになってきてた。

 

そんな時に日本行が決まって導かれるように日本へ行かせてもらったのだけど

そこで母が英語をずっと習っているブラウン牧師さんに出会う。

 

宣教師のヒューブラウンさんです。

 

元テロリストという過去をお持ちですが、服役中に神様に導かれその後宣教師さんになった方ですが

日本にはもうかれこれ30年以上いられるので日本語も堪能。最近かな?ロンブー敦の番組にも出てたんですが、

その番組はなかなかどぎつい番組なんですが、

ブラウン牧師の回と進藤牧師の回だけは私は見ましたww

あとは番組名のとおり

地上波ではダメなのが多いです。

 

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ブラウン牧師の事は母からずっと話を聞いていたし、写真も見た事あったので

会った時も初めましてという感じに思えなくて。

ふぁわーとスワーっと何か感じましたよww(なんだそれ)何かあるやん、たまにそおいう時ね。

 

滞在中に母が英語の授業のある日にお話をさせてもらう機会があった。

 

私は初めて自分の抱えている重荷をこの人なら同じような痛みを知っているから話せるなと

ブラウン牧師に話したんだけれど。

これからも祈っていますよ。とブラウン牧師は優しく言ってくれました。

 

そしてブラウン牧師のお話の中で2つ私は胸にファーッと突き刺さるというか

私に必要なメッセージだと凄く感じたことがあって。

 

一つは、ブラウン牧師が服役中に周りの人に刑務所伝道とかしたらいいんじゃないか。とか言われたんだけど

人からいわれる事は嫌だった。

 

人からではなくて、神様から言われたメッセージを聞こうと思ったというお話。

 

その後色々な形でブラウン牧師に神様からのメッセージとして刑務所伝道へ導かれたそうだけどその辺は

ブラウン牧師の本を読んでくださいねw

 

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今回旅の中でお気に入りの牧師さんの本を買って帰りました。

この右下がブラウン牧師の本です。

 

話は戻って。

 

人から言われたからでは無くて、神様の声に耳を傾ける事が導きだからという話をしてるときに

ファーファーーーそれそれだぁーーーーと心の中でピッカーんと感じたんです。

 

私は旦那さんにも彼はこれをしたら人々の励ましになるのにとか、

彼はこんな才能があるんだからこうしたらいいのに。とかよく思ってましたが、それをそう導くかは神様にしか出来ないというか

それは彼が神様に導かれてそれに気づいたらするもんなんだ。という事を強く感じました。

 

また私自身も周りからこの仕事向いてそうとか言われたりするけどそれに反応してしまいがちだけど、

神様はどう私を導くのか?を神様に委ねる事が出来てなかったなって。

 

もう一つブラウン牧師の言葉の中でピッカーん来たのが

奉仕活動もただ楽しいからやるのでは無くて、その先に神様の伝えたい事、自分へどうメッセージがあるのか?をしっかりと

聞く事。というようなお話。

 

これを聞いて「ただ楽しくやったらあかんのか」っていう浅瀬の話では無くて、

楽しんでやることは大事だけどその先に神様が何を伝えたいのか。常に神様の声を聞くような、感じようと心を開くように。

 

そんな関係を私はこれから神様と築いていくんだなぁと。

深いなぁ。

そうだなぁと私は心に凄く響いたのでした。

 

素晴らしい出会いをありがとうございました。

 

はれるや

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毎度です!

 

この2018年。始まったばかりですが、私は大きな決断をしました。

 

里帰りで行かせてもらった礼拝や、熱いクリスチャンの方々、牧師さんとの出会いの中で

私は本当に神様の声を聞けているのか?という疑問が大きくなっていました。

 

クリスチャンに大きな声で私は占い師なんですよ。なんて言えやしない。

 

聖書でも占いは良くないとありますし。

 

でも、私がしていることは占いではない。とよく言ってました。

貴方のやってることはまちがっていると私のセッションを受けたこともない人に書き込みされたり陰で言われると

貴方は何を知ってるというの?と逆に思ってました。

 

私のセッションを受けた人も「これは俗にいう占いとは違いますよね」と言われるたびに

私は誰かをただ励ましているんだと思ってた。

 

でも信仰が強くなってくると自分のしている事への矛盾がどんどん大きくなる。。

 

その占いで人を励ます事は神様の声をちゃんと聞けている事か?という問いで夜中眠れない日々が続いた。

3日ぐらい悪夢を見て。

 

「あなたにはサタンが憑いてるから近寄らないで。」といわれる夢を見たり・・。

 

2018年1月8日の夜中の2時にまた怖くなって目覚める。

その時に神様にお祈りをしました。

 

私がセッションをしていることは神様の求めている事でない事わかってます。

でも私がやっと自分の仕事としてここでやってくものを見つけて手放すのが怖いんです。

お金もこれで貰ってるし、自分の自由になるお金はこれからしか得れてなくて。

それが無くなるのも怖いんです。

でも神様の声を聞けてなかったってわかります。だからもう辞めます。

これからは神様にすべて委ねます。

って泣きながら祈って。

 

聖書を開くとイザヤ書48でした。

 

イスラエル人は神様の声を聞かんと自由にしすぎて神様が喝を入れるシーン。

最後通告ですよ!的に。

その後イスラエル人は神様の声に耳を傾けて行動するようになるという話。

 

私は、あぁ神様に今「喝入れられてる」って思いました。

 

今まで私がすることを黙ってみててくれて、私が聞く耳を持ったと分かった時に

しっかりと叱ってそしてギュッとハグされるような感覚というか。

 

その時も何件か占いの仕事があったのと、その1月は「はっちすたじお」で満月コラムの月でもありました。

 

今入っている分をやってから辞める事も出来るだろうけど、それをすることは違うと思ったので

全て断らせていただきました。

 

私は、どこかで。

占い師である自分を誇っていたし。特別感もあったし。

私にしか出来ないこれは私のタレントだと思ってたたし。

 

 

でも、占い師としてではなく、

これからはクリスチャンとして人を励ましていきたいと思います。

 

 

神様の声を聞けてる風だったなぁ。

 

聞けてると思い込んでいただけでした。

 

これからは全てにおいて神様の声を聞きながらやりたい。

なので次は何をするのか?はまだ分からない。

 

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自分で決めないで神様に委ねて神様に任せて私を神様の計画で用いてもらおうと思ってる、

こおやって委ねることは簡単なようで難しい。

未来を全て神様に託すのだから。

 

でも、すべて委ねれたらすっごく楽になった。

 

でもその手放すまではとっても難しい。それは凄く分かる。

 

はれるや

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毎度です。

 

私は占い師をしていたこともあって元々占いが好きでした。

 

私にとって占いはあくまでも参考にするもので、良いことを言われたらうれしいし、

嫌な事は一応メモするけどあんまり気にしないように・・・とは思ってても気にするのが人間です。

 

結局は占いでは人は救えないという結論に達したので占い師を辞めたのですが。

 

占いを通して励ましてほしい人が多いように思います。

 

今の自分の身の回りで起こっていることを聞いてもらって、

今のあなたでいいのよと受け入れてほしい。結局周りが悪くて自分は今すっごく頑張っているとか

今の自分を励まして癒してほしい。結局自分は変わりたいとは思わず周りがどんな風に変ってい行くかを知りたいと思っている人も多いでしょう。

 

それでその時は癒されたとしても根本的なところは解決してない。

 

結局は自分を変えようとしないと周りは変わらないし、今の自分の弱さ欲深さやプライドの高さを受けいれ、そんな自分に対して神様の前でしっかりと今の不完全な自分について話して

私を変えてくださいと伝えていく。

 

人間は自分一人で変わっていくというのは凄く難しい。でもそこに信仰というものがあれば乗り越えていけるという事を占い師になって占いでは救えないと分かったと同時に信仰では救われるんだと気づきそこに尽きるなぁ~って思ったのです。

 

だからといって、今占いに励まされている人を否定するつもりもない。

 

ただ私自身がもう占い師としては活動できなくなっただけの事なんです。

 

でも、あの時のお客さんがまだ私と(クリスチャンの私と)話したいなぁと思ってくれる事があるのであれば私は話したいと思います。あの時の様に占いを通して話すのではなくて

その人の話を聞いて一緒に祈る。

そんな風に私が用いられるのであればそうなればいいなぁと最近思います。

 

占いを辞めた時の話もまた書くとして。

 

ボチボチでやっていきたいと思います。

 

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はれるや~