#560 イトーヨーカドー小山店・小山駅前の国鉄遺産・貨物駅 | 関東土木保安協会

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ショッピングセンター、イトーヨーカ堂。
ドミナント出店により、その一体の民にとっては生活の歯車と言えばどこに行ってもヨーカドーという地域もあることでしょう。
私も小さいころはヨーカドーで育ちました。
そんなイトーヨーカ堂も、現在では多数の店舗で閉店が進められ、栃木県はここ小山店でもその波が押し寄せてきたのでした。
先日誇らしげに掲げられた鳩の看板を、良きかな良きかなとブログへ載せたイトーヨーカドー加須店も、時代の波には乗れずに開店後30年という年月を経て先日閉店してしまいました。

▲イトーヨーカドー小山店入口

2021年2月23日。
イトーヨーカドー小山店最後の日です。
同店は1980年1月にこの小山駅前の地へ建設され、営業を開始しました。41年も前の事です。
41年なんて期間ならほぼ半世紀ですかね。
半世紀近くも経てば、消費者の求めるものも店側の流行も変わるもので、駅前という立地でいながら、明らかに店舗面積や店構えでは時代遅れ感は否めませんでした。
それでも頑張って世紀を越えてオリンピックイヤーまで営業してきました。

▲2階建てで、中央に広い吹き抜けがあった

JR宇都宮線沿線といえば、赤羽、浦和、久喜、古河、宇都宮と、比較的駅近隣にヨーカドーが構えていましたが、古河店、宇都宮店(移転)など、郊外店に太刀打ち出来なかった地方都市の駅前にある旧来のヨーカドーは閉店へ追いやられています。
自動車社会において、郊外型の大規模ショッピングモールの影響をもろに受けているのでしょう。
ここ小山店は、70年代育ちが多いそのなかでは、どちらかといえば比較的新しい方ではないでしょうか。
店内には桜の花びらに見立てたメッセージカードが置かれ、来店客らの想いが壁一面に貼り出されていました。
古河店でもこの演出をしていたのですが、子供の頃から何十年も通っていたようなメッセージを見ると胸が熱くなりますね。
そういえば、私が定礎を撮っていると、後から来た子連れの親子もカメラを向けていました。
中毒にさせてしまいましたでしょうか。

▲nanacoのキャラクターも寂しそうだ

小山店は、旧国鉄の小山駅鉄道用地の跡地を利用して開業しました。
当時の航空写真(以降に掲載)を見ると、小山駅の駅東側には工場が広がっているのが分かります。
工場は日本製粉の小山工場で、ホッパ車と呼ばれる貨車(ホキ)が小麦を運んできて、製粉していました。
今の白鴎大学とヤマダ電機の位置する場所が日本製粉の跡地でした。
当時はイトーヨーカドーを挟んで北側にも工場があったようです。
これは、現在その位置にニップンスポーツという日本製粉の流れを汲む会社がスポーツジムを運営している点から察せます。
貴重な歴史の生き証人です。

▲鉄道用地跡に再開発として建設された

下が航空写真の変遷です。
イトーヨーカドーの建物が建つ部分にはカーブを描き線路が引き込まれているのがわかります。
その上に工場のような建屋が並んでいる区画がありますが、ここが今のニップンスポーツのが建物を構えている土地になります。
こちらは先に工場が解体され、平成初期には今の施設が建設されたようです。
イトーヨーカドーの南側の工場は、平成に入っても創業を続け、2000年まで貨車が出入りしていたようです。
それにしても上写真は74年のものですが、まだ全国では蒸気機関車が廃止される前くらいの、無煙化の過渡期で、下に写る小山機関区ではターンテーブルが確認できます。
下は86年で、さすがにターンテーブルは撤去されていますが、貨物のヤードは存在し、貨車も多数が連なっているのがわかります。
ほんの40年前まではどこにでも見られた貨物駅とその駅前の風景が、現代の再開発された駅前風景に変わっていく歴史を感じることができます。

▲1974年と1986年の小山駅前の航空写真比較(国土地理院より)

さて、そんなイトーヨーカドー小山店を去り、小山駅に向かいました。
写真で見た通り、小山駅もかつては広大なヤードと貨物駅があった大きい駅だったのですが、ふと東西連絡通路からイトーヨーカドーを見渡すと、そんな歴史を振り返らせるような建物がぽつんと佇んでいました。
行ってみましょう。

▲ヨーカドーの駅寄りには、旧国鉄時代からのビルが残っていた

ヨーカドーの西側にあったこの建物。
庇付きのスクエアなスタイル、国鉄の詰所などに見られた建物です。
当時から建っている建物なのでしょう。

▲2階建ての庇付き、国鉄建築感ある建屋だ

小山駅信号扱所と書いてあります。
恐らく信号所として、列車の在線を表示したり、ポイントや信号を切り換えたりしていた施設なのでしょう。
2階部分は壁もなく広い会議室のようになっており、当時はヤードが見渡せるここから、並んだ制御卓に向かい、貨車の入れ換えを指示していたのでしょう。

▲小山駅信号扱所であった

独特の国鉄フォント。
懐かしさあり、見やすさあり、可愛らしさあり、の好きな字体です。
こういうアイテムを保存していくべきなんですよね、なんて思ったりします。

▲国鉄独特の字体が涙を誘う

建物は管理されているものの、中身はなにもなく、廃墟同然で建っているようでしたが、北側に回ると受電は残っていました。
テナント貸しでもしたときのために残しておいたのでしょうか。
それとも、囲いの中では設備も撤去されてしまっているのでしょうか。

▲受電はまだされているのだろうか

横並び6本の装柱が、駅構内や工場の配電線そのものです。
ここは、駅構内だったのです。
今は時間貸しの駐車場に転用されています。
運営がJR貨物のグループ会社というのも泣けます。
元貨物駅だった名残なんですね。
廃線跡は面白いですが、線路がなくともその周りの遺構が残っているだけで本当に線路が目の前に広がってくるようです。

▲いかにも駅構内な装柱の電柱

構内といえばヤード、ヤードといえばヤード灯ですね。
ここ小山駅もヤード灯が建っていました。
錆び付いた塔体には時計がありました。
時計の針は止まったままです。
今は彼の足元には車が並んでいます。
照らたとしても、自ら光を出せる者達には、きっと照らす気も起きないことでしょう。

▲ヤード塔の時計は自らの役目を示すかのように止まったままだ

東口の通路から小山駅の北を見てみます。
左端には、同じく70年代から平成まで電電公社のマイクロウェーブ通信を支えた電話局の電波塔があります。
中央にはヤード灯。そして足元には貨物駅跡に駐車場が広がります。
右奥には東京電力の小山変電所があり、同じくマイクロウェーブの電波塔が見えます。
激動の昭和を戦ってきた日本、そして日本人、彼らが産んできた遺産が目の前に広がってるんだな、と感じます。
団塊の世代と苦楽を共にした施設と遺構。
そして駅前には閉店を迎える再開発のイトーヨーカドー。
これぞ近代産業遺産の美しい雄姿の一つと言っては言い過ぎでしょうか。

▲栄枯盛衰。様々な塔が駅前に林立している

再開発された施設すら店じまいとなり、その去就がわからない時代。
ふと思うのです。
例えば江戸時代や明治の建物や街並みは、災害や戦争、その後の発展で無くなろうと、その風景を復元したりしようと試みることがよくあります。
昭和はどうか。昭和の初期のバラック小屋みたいなものは、居酒屋では流行る程度で、街としては戻ってきた例は少ないと思います。
まだ昭和が残っているので希少ではないからでしょうか。

▲工場と線路から、再開発と空き家へ、その次は何だろうか

懐古主義に浸り続けるのも、それはそれで問題なのですが、どうもこういう「いつも流しているけれども、よく見れば何かが湧き出てくる風景」をじっくりと見て浸っていると、この風景に足を止めその魅力に気づいてもらえる時代はあと何十年くらいあとに来るのかな、と思ってしまうのです。




〈参考〉


・イーグルスポーツ小山 : 会社概要・プライバシーポリシー 


・日本の鉄道貨物輸送と物流 : 日本製粉株式会社