たとえば会議などで、
新しいプロジェクトや、
業務改善などに対して、
誰も気が付かない点を見つけられる人。
さらに、その先を見据えて
プランBの必要性まで考えられる人。
そこができている人なら、
会社も任せて安心と思うし、
何かの時は必ず意見を聞きたくなる人になるよね。
でも、その改善点を見つけるってことは、
あら捜し、ダメだしを見つける
否定の目なんだよね。
そういう人の陥りやすい点は、
それが思考のくせになってしまうこと。
事業計画には有効な力なのだけど、
人を育てるときや、プライベートでも
そのジャッジの目が無意識に発動してしまう。
これは大きな落とし穴。
いるでしょ。
上層部からの評価が高くて
ポジション的には出世していくけれど、
人が育たないとか、
俺の部下はポンコツばかりとか思って
いつもイライラしている人。
会社では優秀なのに、
妻と子供にまで、あら捜しとダメ出しで、
いつの間にか会話もなくなり、
家庭内は殺伐だったりする人。
ジャッジする目は、
事業計画や改善点にとっては
必要な判断基準なのだけど、
人に対してのジャッジは
決めつけや偏見となり、悪影響しか生まない。
人は時と場合によって、
思考を使い分けるとことが
人生を楽しく生きるコツなのです。
できるとできない。
goodとbad
すべて出来事の真ん中で、
シーソーのようにバランスをとっている状態が
ベストなのですよ。
他人をジャッジして、
できないことにイライラするのは、
自分の思考ができる方に傾いていて、
あら捜しの思考でいることに
「気がつけ」というメッセージ。
ではなぜ対人関係で
そちら側に傾いてしまうのかというと、
自分の中にもできないがあることを、
認めたくないとか、
見破られたくないとか、
逆に振れるのに恐怖があるから。
あら捜しの真逆は褒める。
部下も子供も褒めて育てるとかあるけど、
褒めすぎてもよくない。
常にシーソーの真ん中にいて、
両方を見られる人になる。
その視座にいると
仕事もプライベートも子育ても
人生すべてに当てはまる
大切なポイントなのですよ。