車で移動するときには、いつも同じ風景を当たり前にして観ているために、特段に感激もなく移動する日常となっているのですが、とくに車で移動する範囲も限られていて、自分で運転する車の移動時は無意識になっていることが多くあります。

ほとんどが地元内移動ですから、見慣れた風景は大よそ理解をすることができ、そのほとんどが何回も通行をした道ですので、特段の思いをすることもなく、何気に走ることができているのですし、そんなに意識を変えることもなく日常を過ごしていれます。

慣れ親しんだわが街を当たり前のようにしていても、日常とはまったく違う姿をみせてくれるケースに、時には驚きを感じる機会があることを、改めてのように体験をすることが遭遇できました。

いわゆる、慣れ親しんだ道を走っても、視界の範囲が違うことから、とんでもなく感動をする視界が待っていてくれて、遥かな新鮮味を味わうことができる体験に、子供のような無邪気な喜びを味わうことができたのです。

お昼前の時間帯に地元のJR中央駅前から発車する高速バスを、初めて利用することになりまして、本来ならば読書をするつもりできたものが、結果的に到着駅前までを、運転手さんのすぐ後ろの席にお陣取って、子供のときと同じ気分になって、景色や運転手さんのしぐさを観察してしまいました。

ちょっとした用事があり、館山まで行くために初めて高速バスを利用することになって、慣れない行動が不安になったり、期待感も併せ持ちながら、いつもさり気無く歩いてきた一角のJR駅前から乗車をすることになったのです。

いつも乗降する高速バスの停留場がある駅前広場の歩道を、長年にわたって行き来してきたのですが、いざ、バス停を利用するための確認作業とは、結構大変な労力が必要であることが分かりました。

初めて慣れないことをする心細さが先になってしまい、特に約束を時間に到着する確実な判断をしたいために、何度もバス停駅の確信をする行動をとってしまい、乗車で順番を並んでいる方に声がけして再確認をしたほどでした。

定時に少し遅れて到着した高速バスとは、路線バスとはまったく違う設備でして、中にはトイレも設備されていて、一段と高床式なために視界が遥かに良くて、走り出した風景がまるで別世界の様子を演出してくれたのです。

いつも生活する範囲の中を走る時間でも、まったく違う景色を楽しむことを子供と同じようにしていたのですから、傍目から観られていたら、どんな老人の姿があったのでしょうか、じつに不思議な光景があったのでしょう。

ほぼ無心状態でバスの乗客になっていて、運転手さんのすぐ後ろの席に陣取ったまま、窓から観える慣れ親しんだ街の、一味違った新鮮でワイドな風景を追っていたのです。

目の中に入ってくる風景も多面的でありましたし、更には目の前で、図体が一回りも大きな高速バスを意図も簡単に操る妙齢な女性ドライバーの仕草に、終着駅までの間ほぼ釘付けに観察をさせてもらいました。

小柄な女性ドライバーさんが細心の注意をはらって、実に器用に操作をする見事さに感激をしてしまい、運転はもちろんですが、駅の案内や乗降するお客さんの支払を手際よくされていました。

ただ運転に集中をするだけではなく、いろいろな作業が煩雑にあって、それを的確に判断しながら小気味良く処理をする姿が、実に美しくさえ見て取れてしまいました。

広角な視界を楽しませてもらい、なおかつ、すばらしい魅力を発揮させてくれたドライバーさんのお陰で、ほぼバスの進行をすべてに観察しているうちに、あっという間の到着時間が経ってしまいました。

本当に久しぶりに訪ねた館山の街も、湾の風景が懐かしさを呼び戻してくれ、多くの友との出会いに恵まれた時間もあっという間に過ぎ去りましたが、訪問する機縁ごとに幸運をもたらしてくれている気がしています。

きっと深いご縁があればこそ、街も友もその出会いを待っていてくれるものでしょうし、次回はどんな交通手段が使えるものかも、新たな楽しみになってくれました。

叔父さんと呼んでくれる甥や姪が何人かいるのですが、母方の実家にはなにかと深いご縁が続いていて、ついつい沢山の世話になってしまっていますが、従兄弟の子供たちが、叔父さんと呼んでくれることに、長閑な和みや癒しを享受できているところです。

口先だけでなく、心をこめて呼んでくれることの優しさが伝わってきて、いつもお邪魔することが楽しみで、叔父さんと呼ばれる和みは最高の楽しみになっています。

台風が接近していた午前中は、強風雨で荒天であったのですが、台風一過の好天になってから、従兄弟の初彼岸に当たるために、お線香参りに行ってきました。

従兄弟の奥さんとお盆いらいの話題に、時を忘れて歓談をしていたら、従兄弟の長女一家が、お父さんのお彼岸参りに実家に戻ってきたところで、子供たちも加わって賑やかな一時になりました。

たまたま今日開会した国体の話題になって、午前中の嵐が一転して好天となる奇跡が、俗に言われる天皇晴れであることを納得させられて、世代を超えて自然界の不思議な彩組を実感させられてしまっていることを語り合ってもいました。

ただの偶然であるのでしょうが、偶然にしても不思議に思ってしまうほど、荒天から好天への瞬時の変化が魔力に思えて、誰しもが台風のために屋外開催が中止されると思ってしまうのですが、結果的に最高のお天気になってしまう、魔か不思議なできごとの話題となってしまいました。

まさに国体晴れであって、全国から集まってくれたアスリート達にも、折角の開会式を精一杯楽しんで欲しいものですし、日頃の鍛錬の成果を発揮してくれることを願ってしまいます。

同じ市内で開会式が行われていても、なかなかお手伝いもすることができなく、国体の華やかさも実感できなく、37年ぶりに2回目の開催は、天皇陛下も昭和天皇から平成天皇へ世代交代がされていました。

天皇家も世代が交代されているのですが、我々国民もそれぞれのお宅では、世代交代が必然的にされるわけで、そうした意味合いの中では、2回目の国体開催がし切り直しの効果があって欲しいものです。

母方の実家でもってそれぞれにご縁がある人間関係が、まったくの他人から始まって、時々のあや組みに恵まれたり、出会いに恵まれたりしているだけで、心豊かに満足をしてしまいます。

時空を忘れて穏やかな時間が流れ、時間の経過が停まってしまったような、そんな不思議な体験をしてきたのですが、前回の国体は陸地の競技場でされたのですが、今回は東京湾を前にした新都心の野球場で開催されています。

時代背景が変化をしている中で、人間の交流がますます盛んになってくれて、家族の愛情が和やかに豊かになってくれることを、本気で願ってしまうことが、まだまだ若さを発揮できる余裕として感じてしまいます。

まさか3回目の国体までは命が持たないのでしょうが、何時までも叔父さんといわれる時間が、少しでも長くあって欲しいし、そうした人の数も増えて欲しい気がするのですが、それよりもお爺ちゃんと呼んでもらえることを期待してしまいます。

叔父さんと呼んでくれる甥や姪が何人かいるのですが、母方の実家にはなにかと深いご縁が続いていて、ついつい沢山の世話になってしまっていますが、従兄弟の子供たちが、叔父さんと呼んでくれることに、長閑な和みや癒しを享受できているところです。

口先だけでなく、心をこめて呼んでくれることの優しさが伝わってきて、いつもお邪魔することが楽しみで、叔父さんと呼ばれる和みは最高の楽しみになっています。

台風が接近していた午前中は、強風雨で荒天であったのですが、台風一過の好天になってから、従兄弟の初彼岸に当たるために、お線香参りに行ってきました。

従兄弟の奥さんとお盆いらいの話題に、時を忘れて歓談をしていたら、従兄弟の長女一家が、お父さんのお彼岸参りに実家に戻ってきたところで、子供たちも加わって賑やかな一時になりました。

たまたま今日開会した国体の話題になって、午前中の嵐が一転して好天となる奇跡が、俗に言われる天皇晴れであることを納得させられて、世代を超えて自然界の不思議な彩組を実感させられてしまっていることを語り合ってもいました。

ただの偶然であるのでしょうが、偶然にしても不思議に思ってしまうほど、荒天から好天への瞬時の変化が魔力に思えて、誰しもが台風のために屋外開催が中止されると思ってしまうのですが、結果的に最高のお天気になってしまう、魔か不思議なできごとの話題となってしまいました。

まさに国体晴れであって、全国から集まってくれたアスリート達にも、折角の開会式を精一杯楽しんで欲しいものですし、日頃の鍛錬の成果を発揮してくれることを願ってしまいます。

同じ市内で開会式が行われていても、なかなかお手伝いもすることができなく、国体の華やかさも実感できなく、37年ぶりに2回目の開催は、天皇陛下も昭和天皇から平成天皇へ世代交代がされていました。

天皇家も世代が交代されているのですが、我々国民もそれぞれのお宅では、世代交代が必然的にされるわけで、そうした意味合いの中では、2回目の国体開催がし切り直しの効果があって欲しいものです。

母方の実家でもってそれぞれにご縁がある人間関係が、まったくの他人から始まって、時々のあや組みに恵まれたり、出会いに恵まれたりしているだけで、心豊かに満足をしてしまいます。

時空を忘れて穏やかな時間が流れ、時間の経過が停まってしまったような、そんな不思議な体験をしてきたのですが、前回の国体は陸地の競技場でされたのですが、今回は東京湾を前にした新都心の野球場で開催されています。

時代背景が変化をしている中で、人間の交流がますます盛んになってくれて、家族の愛情が和やかに豊かになってくれることを、本気で願ってしまうことが、まだまだ若さを発揮できる余裕として感じてしまいます。

まさか3回目の国体までは命が持たないのでしょうが、何時までも叔父さんといわれる時間が、少しでも長くあって欲しいし、そうした人の数も増えて欲しい気がするのですが、それよりもお爺ちゃんと呼んでもらえることを期待してしまいます。

すっかり秋の心地よい陽気になってくれて、台風一過の従兄弟のお参りが、心地よい一服感を味わえることができたことを、心から喜んでいるところです。

国体もお天気には心配がなくなったようで、全国のアスリートの活躍を願い、立派な成績が発揮されることを、心から応援をさせてもらいましょう。


、台風一過の従兄弟のお参りが、心地よい一服感を味わえることができたことを、心から喜んでいるところです。

国体もお天気には心配がなくなったようで、全国のアスリートの活躍を願い、立派な成績が発揮されることを、心から応援をさせてもらいましょう。


人様の素性は一見しては分からないもののようでして、何回も同じような経験や体験をしてきているのですが、その素性に向き合うたびに、人間の幅の広さと深さとか、心の大きさを感じさせてもらえますが、真の人を知る難しさを味わっているところです。

傍からみるからに、様々な大きな事業を経営されていて、悠々自適な生き方をしておられる姿を拝見していますと、強欲で政略的なイメージを優先させてしまうのですが、知れば知るほど、仮面のお顔はまったく無く、いたって質素な生き方をするお方でした。

地元では旧家の素封家で、資産家の方の生き方を頭に描いてみれば、成金趣味の金満家のイメージを簡単にもってしまいますので、その方を知る人のほとんどは、つねに拝金的な生活をしているようにみてしまっているようです。

何回かお会いする機会が増えてきて、雑談的な会話をするケースが多くなるたびに、一見のイメージが変化をしてきている現実にふれて、人を見る目がなかったことに、改めて自身の疑心をもってしまいました。

傍目からは、いつも凛々しくされていて、ご自身を律している姿がみてとれるのですが、資産家のスケールを思うと、どうしても盲目的に判断をしてしまいます。

やり手な辣腕家を予想してしまっていた方が、ごくごく普通の生き方が日常であることが理解され、実に質実剛健な生き方をしていることを教わりました。

ただ我々と大きく違うことは、素封家であることや資産家であることから、生活心情は質素であっても、凡人とは大きく違って、送迎の専用車をお持ちですし、世界中をのんびりと豪遊されている事実があります。

そんな超ハイクラスな生活ぶりを微塵もみせない、ごくごく普通の質素な思考と生き様があるのですが、最初に窺ったときには、日常の生活スタイルが虚像であると思い込んでいました。

それくらいの謙虚さがある方で、よほどの人間性が確立された方でなければ、豊かで大きな懐を持つこともできなく、俗に言う人間の器や資質が違う方であるのです。

黒塗りの専用車で移動することも、実に自然に振舞って、腰を低くニコニコと接してくれる姿がありがたいのですが、どこにご本人の実像があるのか、把握できないことも器の大きさに関係しているのかもしれません。

親が子に説くように、淡々と話をされる姿があるのですが、時として辣腕の一端を垣間見せることもあり、一見の一見が見立て間違いの様相もあるようですし、時々にみせる鋭い視線はただの人でないことがわかります。

そんな実像が掴めない方の言葉から、大きな風呂敷を扱いすることができなく、畳むことができなくなるから、自分の身なりにあった大きさの風呂敷が一番であることを、説いてくれました。

番外な資産化である方が、質素な生き様を語られても、一度では呑み込むことができなく、回数を重ねてお顔を合わせることが増えるごとに、特段な肝っ玉の座ったお方であることが理解されてきました。

お付き合いが深まるほどに、素晴らしい人格者であることを受け止めているのですが、お持ちになっている器が大きくて、まだまだ本当の素性が掴みきれていない見識力があっても、それだけ大きなスケールの人ですと、一見では判断することができないほどの、法外な深さをもったお方なのかも知れないのです。

凡人である目線の力では、計り知れないスケールの大きさは、ますます見て取ることができなくて、摩訶不思議な心情をもって、一見にお人好しの評価を信じてしまっている昨今があります。

スケールが違いすぎると、見識力の尺度まで狂ってしまうようで、暫し尺度の補正ができるまでは、自分自身の力量が試されているように思います

今日くらいには報告をすべきと思いながらも、上手く踏ん切りがつかなくて、それから一週間もたってしまったのですが、待ちくたびれた報告を受けるべき側の方から、逆に連絡を受けてしまいました。

ここのところ、何度も連絡を差し上げようと心算をしていたのですが、 何やかにやと雑用が重なってしまい、結果的には報告ができなかったと、とても失礼で無礼な様となってしまいました。

長い間にわたっていろいろと恩義を受けている方なのですが、何時かは恩返しをしなければいけないと思いつつ、世話になっていることに対して報恩がされることができなくて、自身の雅量の小ささを感じてしまっているのですが、心底切ない思いを深めているところです。

いつも平らな心をもって、こちらの身になってくれて、こころ温まる頼りがいのあるお方なのですが、何年にも亘って大きな迷惑をお掛けしてきていますし、ことあるごとに相談にのってもらい、ずいぶんと迷惑をお掛けてきた方なのです。

今回は大きな判断がされる案件があって、人生の歩む道を変えるほどに、すべてにわたって心配がつのることがあるのですが、将来を見据えて、今となっては円満に解決する方策を思考すべきと考えています。

いろいろな関係するかたがたが大勢いる中で、お互いが自己主張を進めるだけであれば、纏まることも纏まらなく、建設的な解決策を願って、八方がうまく治まってくれることを期待してしまいます。

たとえ正論であっても、我欲だけを主張すればお互いが利己的になって、すべてに自分だけが良かれと考えてしまい、相互に歩み寄って人の為に思い遣れる心に成長させることができません。

お互いが思う心は全てが正論なのですから、正論を主張すれば反省することもできませんから、いつもおおらかな心にして、一歩退いた心がけをもって、自制心を育みたいものです。

人からお世話をして頂くことだけではなく、人様にお世話をできることを積極的に心掛けて、つねに報恩をされる側を意識して生活をすべきでしょう。


たとえ相手の方が恩を感じるようなことでも、押し付けることでなく、なにごともさりげなく対処をすることが礼節に結びつくでしょうし、自分の心の豊かさのバロメーターになってくれることです。

相手の方が喜び誇れることを、陰になって嬉しく思えるような人心を、常に構築させてみたいものです。

いつでも、どんな時にでも人様のためになってくれる人の存在は、ありがたく有益に受け止めるべきですが、一方的な面倒をお掛けすることだけはご法度として心掛けるべきことでしょう。

掛けてしまった迷惑や借りには、きちっとケジメをしてこそ、恩義を弁えることができますし、つねに厳しい判断ができるように、自己管理をしていきたいものです。

いつかは、慕ってくれるかたが大勢いてくれることを期待をして、それまでは自分を律して成長をさせていくことを、心掛けていくことにしたいものです。

とにかく、今尚お世話をお掛けしてしまっている方々に、精一杯の恩返しと御礼を実行しなければいけませんことを、大きな励みにしているところです。
明日は中秋の名月と言うのに、季節はずれのじりじりする厳しい暑さは、車のガラス窓を通して運転席のハンドルを持つ腕に、いやおうなしに差し込んでくれて、その火照りがなかなか納まりません。

僅か2時間ほどの車の移動であったのですが、紫外線の強さがひりひりと感じてしまい、普段に慣れない幹線道路と支線の分かれ道を気にしながら、サポートとして利用した車のナビゲーションですが、面白いようにずれてくれました。

購入時車に備え付けられているナビゲーションですが、古い地図ソフトをそのままにしている関係で、最近富みに呆れるほどのミスをしてくれています。

必然的に信頼度が薄くなってしまい、懐疑心をもってしまう関係では、いくら案内をしてくれても、天邪鬼的に無視をしてしまうか、反対側に曲がるとかをしてしまいます。

無機質とのナビとの交流も、お互いが信用をし合えるなかであれば、たとえ間違ったとしても、大きな抱擁の精神をもってお互いを慰め合えるのですが・・・・

明日が休日とあってか、幹線道路の異常な混雑振りに巻き込まれてしまい、国道の車がまったく動かなく、ナビの到着予定時間が次々遅延されてきました。

会議の時間まで残り30分になって、漸く幹線から支線に右折することができて、普通に走行することができ、ぎりぎり会場に到着ができる見通しになり、安心して運転することができました。

視力が悪いのか、太陽の光線によるのか、ナビの画面が濃淡がなくなって観ることができなく、移動する運転中には確認をすることができないままでした。

夜間ではまったく気にすることがないのですが、屋外でよくある経験ですが、携帯電話画面も同じようにナビの画面が読み取ることができないのでした。

太陽の光線を手で遮る工夫をしても、光線が強すぎてしまい、画面が観てとれないことの不安感は大きいもので、瞬時に判断をしたい時には、まったく慌てふためいてしまいます。

初めて訪問する街の案内をナビの力が応援をしてくれて、随分大きな力で助けてもらっているのですが、最新型のナビげーションの威力をじっくりと味わってみたい欲望があります。

ナビの画面の大きさとも関係がありますし、観やすい位置の関係や距離もありますし、絶えず危険と接しながら運転する身では、いかに観やすく分かりやすい情報を伝達して欲しいものです。

自分自身の欠点としてあるのは、方向感が極端に悪いことと、判断力がまことに悪いことと、先読む能力が本当に劣っていることが、自責として強く感じてしまいます。

会議を前にして遅れる本人よりも、到着して待ちわびている方のほうが遥に心配をしてくれていることを知っているだけに、申し訳ない懺悔の気持ちと、反省の気持ちが交錯する中で、漸く無事に会議場に到着することができました。

安堵のために、全身の緊張感が一気に力が抜けてしまい、半分放心状態で会場に入ったのですが、直ぐに頂いた昼食のおそばが美味で、味わって頂くことよりも実質実利的に、お腹に駆け込んでしまいました。

ただただ気にしたことは、責任者の方のお名前だけは間違いなくお呼びする心がけをして、御世話になる方のお名前をお呼びする心掛けは、お互いが理解できる最善の基本であるのです。

お陰で、ことあるごとにお名前を呼び合って、深い信用を得られたことが嬉しく、古いナビのように通用しないようにしないように、心して信頼を深める心掛けをしていこうと自戒をしたところですし、ナビの人口声に呼びかけできない戸惑いを感じてしまいました。
貧乏暇無しとはよく言ったものでして、朝から身体を豆にして動き回っていますが、確りした実績を残せないままに、慌しく動き回った一日も、秋虫の合唱に迎えられて、夕食のあとの残業が続くのですが、今夜も何時まで作業が残るのでしょうか。

昼間は相次ぐ来客があって、エアコンをいれた事務所で、結構熱の入った討議をすることができたのですが、諺にある暑さ寒さも彼岸までの、お彼岸の入りにしては残暑どころでなく、異常な猛烈な暑さが身体に応えます。

午前中の外出から帰宅すると、背中が汗でびっしょりの状態で不愉快極まりなく、喉示しをすると同時に汗が背中から吹き出てくるほどの、体温の上昇がありました。

最近気になることは、運動の後で背中だけに発汗作用があるようで、少し動き回ると背中から汗がびっしょりとかいてしまい、外出途中ですと気分を害してしまうことが、一番困ることになっています。

そんな火照った身体で来客と延々と商談をしたのですが、いくらエアコンが入ってるとは言え、急激低温な室温設定もできなく、非常に珍しく、事務所には体温を発散させる人数が多すぎたようです。

なかでも、最高に体格の素晴らしい人がいて、まるでお相撲さんのような方が大汗をかきかき、観ているだけで体温が上昇してしまいそうでした。

そんな方々と白熱をして討議を重ねていたのですから、エアコンの効きがわるくなると言うものです。

久し振りに総重量がプレハブの事務所に負担を掛けてくれ、重量オーバーだと軋まないのですが、我が家の骨柱として確りと支えてくれていたことが、家族の長としても心強く感じてしまいました。

語る会話も熱が帯びてしまい、提案する資料の山が重なるごとに、夢中で最新最適な資料を見つけ出す工夫をするほどでしたし、話題が核心に触れるようになると、ますますヒートアップしてしまいました。

お互いの主張を認識してもらうために、僅かな表現の違いに細心の注意を払って、繊細な神経を高めるのですが、結果的にはお互いが信用し信頼できる関係に、先ずは人間関係を構築させる大切な意味合いを確認したところです。

これからどんな結末になるかは、神様仏様しかご存じなく、ひたすら毎日手を合わせながら祈念して、先ずは清潔な人格を構築させて、品位を高める意識を持つことが最優先になる気がしています。

ただ粛々と世の中に通じて役に立ち、人様のお役に立てることを淡々とおこなっていくことを、断固とさせて良心を初心貫徹してみたいものです。

貧困な環境を生きながら、結果は後から付いてくるものと信じて、誠心誠意尽くすことを、黙々と護る生き方を継続しているところです。

日が暮れた今夜は熱帯夜ですし、明日の天気予報も猛暑とあって、秋のお彼岸の風情がまったく感じれないのですが、十五夜くらいには陽気も定まり、我が家の艱難もめでたく収束を迎える潮目が変わることを願ってしまいます。
慣習になっているリーダーへの報告ごとでしたが、すっかりと頭から忘れ去ってしまい、思考能力が空白になっている時に、リーダーの方から慰労の電話を頂くことができました。

連続する会議が日々あって、昨月から順次場所を移動して会議を開催しているのですが、ご当地の方が主になって開催していただき、会議の準備や設定をお願しています。

そのために、事前の打ち合わせをするために会場に訪問をして、詳細な準備のアドバイスをしているのですが、担当する方にとっては、神経を使うことになってしまい、彼方此方の責任者が真剣に受け止めてくれています。

漸くにして会議の当日を迎えて、朝から会場の確認やら送迎の確認やら、細かな確認事項があって、当日の会議の運営や効果を考えてしまい、兎角気を抜くところがないようです。

そんな気苦労の塊の会議を終了できた達成感を、リーダーに無事に終えることができた報告をしてきたのですが、今日に限って連絡をすることが放念してしまいました。

JR駅で電車の待ち合わせ時間にでも、電話連絡を差上げる心算であったのですが、ご一緒したお仲間との反省間に時間を忘れるほどで、結果的に帰宅するまで完全に忘れていました。

携帯電話の着信名を見て、初めて忘れていたことに気付き、丁寧に応対をしながら今日の報告を伝えてあげることができました。

リーダーはリーダーなりの責任をもって、会議の成果の様子が気になるらしく、心底心配をしてくれているようで、慰労の意味合いを伝えてくれながら、会議の様子を窺ってくれたのでした。

今日の結果を御伝えして、自身の伝達事項の反省を伝えたのですが、いくら原稿に確りと書き込んであっても、聞き手に受け入れやすい伝達とは、なかなか安易にはできないものです。

しっかりと原稿のなかに伝達内容を記述していますので、自分なりに自己満足をしてしまい、いざ伝達をするために原稿を棒読みしては、まったく生きた情報として伝わらなくて、自分でも情けない思いをしてしまいました。

この会議は、漸くにしてスタートをしたばかりですし、人に伝達する能力は必要なのですが、伝達手法や技量は難しいものがあって、会議の回を重ねるうちに、その難しさを非常に強烈に受けとめているところです。

いかに用意をした原稿を読みながらも聞きやすくあり、聞き手の心の中に染みとおる話法の勉強にしているのですが、こんな状況を心配してくれているリーダーの本心でもありそうです。

会議の進捗は日々進化しながら会議の開催を進めていきたいのですが、回数を重ねるうちに万人が認めてくれる、価値がでてくる日を待ちわびたいものです。

リーダからの信頼を頂くことで、会議の内容に自信がつきますし、誇りにもなりますし、なによりも、自分の成長に結びつけることができることが嬉しいものです。

ただ自己満足を味わうだけでなく、報告すべきリーダーに礼節をしっかりと認識して、きちっと伝達することが、会議で成果を挙げること以上に、人間的な価値観を生むことになるのだと思ってしまいます。

目先の役目を果たす前に、心構えることが優先的に沢山あることを認識して、心改める余裕や豊かさを誇りにもつ意味を知ったところです。
世間では3連休だと言われていますが、朝からばたばたと慌しい時間を過ごすことになってしまい、何時ものことながら、落ち着きのない忙しい一日を過ごすこととなりました。

昨晩も事務所に篭って事務仕事を捗らせていたのですが、数時間の仮眠のような熟睡をして、早朝より読みかけの中村天風翁の書籍に目を通したり、書類の作成をしたり、重複仕事の連続をしていたのです。

明日には会合が予定されていて、自分の責任を果たすべき役割がありますので、その準備も気になってしまい、なかなか上手く進まない進捗状況に、ついつい苛立つのですが、まだまだ人間ができていないことを知らされます。

あっという間にお昼を迎えてしまう時間の経過が、なぜかと訝るほどに、慌しく過ぎ去る半日が、どれほどに有益に活用されているのだろうかと、反省の場になってしまいます。

遣り残した仕事を一時休みながら、昼食をとることが面倒になるほどで、簡単な昼食をかけこんで事務所に戻っていったのですが、しばらく経ってから、仕事の途中でしたが家人に呼び戻されてしまいました。

本来なら、明日の会議の準備を終えてから、出かけたかったのですが、義母の空き時間もあってか、遣りかけのままにして出かけることにしました。

隔週に訪れている義母の施設ですが、2年も継続すると、批判をしたり文句を言っていた施設への不満があったのですが、感情的な慣れも加わったり施設への理解も変化したりして、ずいぶんと親密化してきました。

時間経過と共に訪問回数が増えて、係りの方とも顔なじみとなってきて、お互いを許し合える環境ができたことが、一番に大きな要因になってきたのでしょう。

いつも同乗している愛犬2匹も同じで、訪問回数が増すごとにすっかり慣れ親しんできて、自分のテリトリーとして認知してしまい、車の中では、余裕をもっての留守番をしてくれています。

ようやく朝晩は凌ぎ易くなってきましたが、日中はまだまだ暑くてしかたなく、義母の部屋もクーラーを効かせていましたが、それでも長い間話をしていると、半そでから出た腕には寒さを感じてしまうほどでした。

いつもながらの健康でリハビリに励んでくれている姿が嬉しくて、少々耳が遠くなっていることを除けば、いたって健常人であるので、早くに自宅でもって生活ができるようになって欲しいのですが・・・・・

ただ心配なことは、多くのお仲間を観ていますと、結構な老人性の病を持っていて、軽い痴呆の症状が見て取れるのですが、日常の生活をともにする中で同化してしまうことが、家族としては心配なことなのです。

本人の心身が健康的に保障されていても、同じ空間で同じお仲間と年中ご一緒であれば、ある程度は感化もすることは致し方なく、できるだけ義母にはしっかりと健全でいて欲しいと応援をしてしまいます。

一見しても健常的な姿があるのですが、長く話をしているうちに垣間見せる、老人特有の脱力感の顔が気になってきました。

いつも事務所のかなで、右往左往している自分のことを鏡に映してみて、気丈に頑張っている義母にも負けないように、しっかりと自己管理をさせて、健常な生活に同化させるように仕向けたいものです。

明日の会議に間に合わせることを至上主義にさせて、今夜も徹夜に近い作業になるのでしょうか、効率化と有益性を目指して、今度は自分が時間管理のカウンセリングとリハビリを受ける役回りになりそうです。

さて、準備のおかげしだいで明日の会議はどのような反応がでるのかが、非常に楽しみであり大きな心配でもありますが、もてる力を存分に発揮させることができることを期待してしまいます。

昨日の滅入る気分を引きずってしまっているのですが、気分転換に中村天風翁の手厚い本を手にしながら、組んだひざに乗せて、重い本を抱えながら流し読みをしてみました。

何年ぶりなでしょうか、久し振りに目を通したら、記述の本でなく講演されていた記録文章であるようで、直の天風翁の人間性が伝わってくるようで、語り口の一端からは明治人間の気骨を感じて、幅広い豊かさがある人柄が伝わってきます。

文字から受ける横暴な言葉遣いがある中で、こころ優しい思いやりが深くて、人を大切にする心配りが新鮮に読み取れて、当時の時代背景もあるのでしょうか、義理深く人情深く助け合う人間性の温かさが身に感じてきました。

わけ隔てなく、気さくな交流の内容が伝わってくるのですが、分厚い重さのある本の中から、大らかな時代の中で生きている生活ぶりがふつふつと伝わってきて、天風翁の飾らない口述から読み取れてくるのですが、読むほどに自然と文字のなかに溶け込んでしまいそうです。

ずいぶんと読み始めたところに、箱根山籠に乗る人担ぐ人そのまたわらじを作る人、と言う一文があって、人間は決して一人で生きていけないことを示唆した文章がみつかりました。

書籍の題名は、盛大なる人生、なのですが、自分自身がせめても盛大な人生となりえるように、少しでも為になる文字を見つけて、自分自身を鼓舞しているところです。

一時は人様にも鼓吹してきた思いでもある天風翁の言動ですし、ものごとの示唆があるのですが、ことごとく情け深い人間性を発揮していることが、実に嬉しい事実として心にのこっています。

人様の喜ぶ言葉と行動を心得ていける人間を目指し、人様が喜ぶ姿に共感と喜びを味わえる尊い人間になることを勧めているのですが、なかなかことは上手く進まないものなのですし、素直に身体のなかに染み込むことができません。

せめても気構えをもつことを心掛けているのですが、久しぶりに読み始めた文章の、大きな魔力に引きずり込まれてしまい、懐かしくも貴重な時間を味わうことができました。

天風翁の懐の深さと言い、人を大切にする大らかな慈愛が伝わってくるのですが、大きな懐をもち心強い腑を表現できる人間とは、どんなにか剛毅な心を備えた人なのでしょうか。

自在な心の変化ができて、つねに多面的な観察眼をもって自由な表現を、身に染み込ませながら楽しむことをしたのですが、今の社会には何処にもいない、強い日本の男が存在価値を高めてくれるのでした。

雷親父ではないのですが、存在価値や頼れる存在の男に、少しでも近づいてみたいものですが、軽薄な時代背景にはなかなか貴重になって、馴染の薄い存在人間になっています。

いまの世の中は、頑固親父は似合わない時代背景になっているようで、お人よしだけでなく、伝えたいことをしっかりと直言できる自信をもてるように、せめても心して頑張ってみたいものです。

決して真似することはできませんが、心がけとしては、めりはりの利いた人生と人生観を十分に発揮させて生きたいものですし、十分に心得ているところです。

そのためにも、書棚のなかに眠っている天風翁の分厚い書籍を起こして、夜長になる季節にむけて、できるだけ天風翁の真髄に触れるためにも、もっとたくさんの読書を励んでみたいものです。

盛大な人生の前には、成功の実現があり、心に成功の炎をが第1冊目とすると、都合分厚い天風翁の書籍を3冊目に出来る幸せが、機縁としてできたことが実に嬉しいものです。
自分で信じて強い信念をもっている真実を、人様にも公平に理解をして頂くことは、それなりの裏打ちされた事実関係も必要でしょうし、納得してもらえる書類や言動が必然となってきます。

一生懸命に真実を語り伝えた心算でも、相手の方にしっかりと理解をしてくれるまでは、時間と労力が必要になってくることがありますし、その一部でも理解を得ることの難しさを感じ取りました。

第三者に判断をしてもらうにも、きっちりした証拠がなければ、約束されていたことは全てに意味なく、一人で信じる真実は、まったくの無意味な虚像になっていくようです。

ここのところ、体験した我が真実を信念をもって説いていたのですが、結果的には何の意味もなく、全てを拒否をされてしまいましたが、今になって完全な否定をされても、なんの怒りも興奮も湧き起こらなかったのは何故なのでしょうか。

第三者的にも真実を全面的に拒否されてしまえば、絶対的な対話が必要になるのでしょうが、決まりごとになっている当初の約束ごとを、粛々と果たすための励むことに専念する努力が、自分の責任を果たす上では、尊いものと判断をしたところです。

流れる勢いの水に竿をさすには、それなりの心構えと、きちっとした証拠になるものを、確りと準備をしてこそ第三者を納得させられることは、自分自身が理解をしているのですが、今回の不規則な出来事事態が、二昔前の時代のお土産であったかもしれません。

表の約束事とはまったく違った陰で交わされた事実とは、表になれる証拠もなく、口約束の範疇では、どうしようもない無力さを見せ付けられてしまいました。

想定外のことは重なるもので、善意の約束をしてくれた方も在籍していた組織も、まったく存在が無くなってしまったことが、最悪の事態として現実となりました。

どこまでも自分の意思を通していくのか、頭を切り替えてしまうのか、まだ落ち着いた整理ができていませんが、結論がされた今では大流の勢いを見極めて、自分の身を何処に置くのがベストかを考える必要があります。

自分の意地を張ることもエネルギーがいりますが、どこかで折り合う折衝をする必用がありますし、思えば余りにも大きな負担ができてしまい、どのような処理が最善なのか、実際のところ難しい判断があります。

更には、下された結論である、果たす責任の大きさを考えると、どうしたら良いのやら悩むことが大きいのですが、事実証明を出せない悔しさよりも、結論の収拾に努力を払ったほうが最善なのかと思慮してしまいます。

最悪な厳しい事態を考えると不安が大きいのですが、誠心誠意の善意をもって対処をしていくことしかなく、あくまでも自分を信じて、難事と対峙していこうと念じているところです。

もっている信念を伝達することの難しさと、理解をしてもらえる技量の難儀さも勉強させてもらいましたが、すべてに自分自身の自己責任の厳しさを、厳しく噛み締めることになりました。

人生最大の不徳となりましたが、今後の学習効果を発揮させることができるように期待をして、艱難汝を玉とさせることができるように頑張り、ひたすら正直に生きていくことが、世の中の為に成れる自分の人生に、しっかりと結びつけることができることを願ってしまいます。

人生の一つ一つが勉強であることを認識して、学べるありがたさを肝に銘じて、成長できる自分形成を確立させる必要があります。