久しぶりに香取神宮にお参りすることができ、大自然の大きな樹木がある境内を参拝することができ、あちこちの地面に勢いよく大きな木瘤をみせているのですが、まるで大きな石が置いてあるように観えてしまいました。

広い境内には観光客がちらほらと行き来して、お祭りとか行楽季節の週末は、大賑わいするのですが、至って静かな境内に、老齢なグループが大勢散見することができました。

境内に到着をして、一段と高くなっている大地に、建立されている神宮を参拝するために、階段を昇る歩幅を進めていたら、階段の中央の位置にひな壇で並んで、記念写真を撮っているグループがいました。

おそらくは、シャッターをお願いしますと言われることを予期しながら、そのタイミングを探りながら歩を進めていたのですが、賑やかな一団からはその声がけがなくて、小さな三脚を固定する作業をしていました。

狙っているショットに上手く構図が纏まらないらしくて、昇り始めた階段を下りていき、シャッターを押しましょうと声をかけてあげました。

写真にかなり凝って居る方らしくて、アングルの注文を頂いたのですが、結局は平凡な公図にすることにして、何枚かの集合写真を撮ってあげることができました。

皆さんが持っているカメラはデジタルですから、その場で確認してもらって、シャッターの役割了解を得てから皆さんと御別れしたのですが、年配のグループらしく丁寧に低頭にしてお礼を伝えてくれました。

20人くらいの御仲間であったのでしょうか、そのあとで境内の散策でお会いしたのですが、皆さんが4人くらいの小グループになって散策していて、先方から会釈をしてくれる度に、こうした交流は心が和み喜びが湧き出てきました。

参道から両脇にある売店まで、先ほどのグループが何人かになって、別れて散策する姿とすれ違うたびに、軽い会釈をしてくれてその交流が何とも気持ちよく、適度な距離感を置いた会釈の仕方が嬉しいものでした。

気候的にも暑くもなく寒くもなく、閑散とした境内がかえって居心地がよく、参詣者からすれば大自然の大空間と静寂の恩恵とを受け止めて、静けさが最高の至宝であることを理解しているようすでした。

日常の雑踏からかけ離れた時空を味わいながら、玉砂利の音が清らかに耳に届く癒しの時間を満喫することができたのですが、こうして見ず知らずの方々と、一緒に生活をする共有地が、公共のマナーを学べる場になるのでしょう。

混雑している時期には、それなりに猥雑な環境ができてしまい、人々が慌ただしいだけで、自己の品格までも落としてしまっている様子が垣間見れましたが、今日の様な環境ですと、皆さんが優等生の参詣人になっておりました。

場の空気が感化をしてくれるのでしょうか、静かな境内が人の心を正常にさせてくれて、本性にある人格を育成させているのでしょうか、とっても素晴らしい空間を共有することができました。

昨晩の報道テレビ番組には、お二人にノーベル賞受賞者が連続して登場されていましたが、鈴木章さんも根岸英一さんも、物凄い誇らしい存在なのに、実に謙虚に奢りなく対応されている姿が、本物の陣なく者であることを知らしめてくれました。

時には浮かれることも必要ですが、根本的にはその人が本性として備わっている、人格を磨き品性を高める意識を、能動的に自らが取り入れることの、意識を高める自覚を持ちたいものです。

参詣の度に買付けの名物草団子をお土産にして、高速道路での車のスピードを落としながら、香取神宮境内で感じ得た人の交流の素晴らしさを、じっくりと心温める喜びを噛みしめることができました。


真夏が終わってもつい最近までは猛暑の中で、夜になってもそよ風は全く感じることがなく、熱帯夜の息苦しさをウンザリとして、エアコンが嫌いな人からすると、一時間も早く凌ぎやすい秋を待ちわびていました。

すっかり帳が早くなった最近になると、夕刻には窓から入る風が寒く感じてしまい、窓を確りと閉じめてはいるのですが、隙間風が寒さを感じさせてくれています。

どこから入ってくるかと思うほど、足元には冷風が感じてしまい、急激な季節の変化が心配されてきますし、厳しい寒さを受け入れる心がけも本格化させるべきかもしれませんが、寒さが苦手な身とすると猛暑の裏返しの極寒が心配になってきます。

そんな季節になった事務所でのこと、夕刻になって蛍光灯の光に照らされている中で、机に向かってパソコンを打ち込んでいるのですが、昔からの慣習としていることが、机の上には手ごろな鏡を置いていることです。

適度な配慮をして角度と向きを変化することで、ほぼ仕事中の自顔が観えるように工夫をしているのですし、その根拠は特段なく意味合いが薄れているのですが、日暮が早まって蛍光灯の輝きが増す時間になるほどに、目の前にある鏡にはテレビ画面のように自分の顔が浮かび上がって映っています。

まるで映像を観るように錯覚をするほどで、屋外が暗くなるほど陰影がハッキリとしてきて鮮明で、パソコンの画面よりも気にしてしまうほどです。

気にするでもなく毎日の習慣の中に鏡があるのですが、陰影が濃い光線を受けて、顔の輪郭も皮膚の状態も、より一層立体的に観えるようになっています。

物ごころを知ってから何年経っているのか知りませんが、毎朝毎晩の洗面の度とか、何気に街角のガラスに映る姿とか、何度自分の姿や顔を観てきても、やっぱり年齢相応の顔になってきているのです。

深い皺が何本も増えましたし、目の下には福袋が大きく垂れ下がっていますし、病気をしてからは体重が激減した分、ほほの肉が落ちてしまい、痩せこけた顔を観ることになりました。

気にすればするほど、鏡の中に映る我が顔の変容は感じていて、最近になってすっかりしょげかえっている自分を発見したり、その日の生きざまが顔に、表現されていることを感じているところです。

最近になって思いだしたことが、あえて鏡を置いている意味合いは、自分の顔に責任とその日の様子を知ることで、少しでも機嫌よく元気な自分を表現したいものとして、そんな気になる書籍を読んでから感化を受けていたことを思いだしています。

いつも仏頂面ではせっかくの幸運も、神様や仏さまの思し召しが消え去ってしまうことを心配して、少しでも機嫌良くすることから、こうした幸運を呼び寄せて、元気で明朗な家族を形成させることでした。

最近に経験している艱難辛苦が少しでも軽くなってくれて、家族が明るい生き方ができるように、先ずは笑顔を心得て豊かな表情を作り上げてみたいものです。

人さまから嫌われることでなく、好き好んでくれるように積極的な心がけをすることを、男の責任をとれる顔の表現をしてみたいです。

いかに心の鍛錬をして、何事にも動じない忍耐力をもって、修練の証ができるように、誰からでも素晴らしい表情であると、注視してもらえる自己主張から、笑顔がもつ社会貢献ができたら好いなと密かな願いを持っています。

今夜も光輝く鏡に向かって、意識的な笑顔を繰り返して観ているのですが、諸々の難事多き悩みがある現状では、願いとは裏腹な仏頂面が観え隠れています。

当の本人は至ってのんびりと悠長にかまえていて、特段の意識もなく普段通りに進行の役回りを果たしていたのでしょうが、司会者として意識の感覚のずれがあって、他の方が同じようには評価をしていないことが分かりました。

一週間前にあった当日も特段に違和感がなく、会議の達成感だけが身体中に満喫して、至宝の時間を務めることができて、心から安堵し感謝をしていたのですが、進行役を司った方が、会議中に気遣いのユーモアを連発してくれました。

ほぼ会議の時間いっぱい、事あるごとに軽いジョークを言葉にしてくれましたが、会議の始まる前には御断りとして、ジョークを和みにするから御理解してくださいと、一応の型通りに挨拶をしてくれていました。

初めて進行役を体験しますので、どのような和みを考えていらっしゃるかが、良く理解できていないままに、大きな会議がスタートされて行きました。

会議の中の和みと言うのは、会議に参加している方を紹介する際や、会議の質疑応答の時に彼流の一言を付け加えて、ジョークとしたことでした。

彼流ですから、全てに彼の価値観と良心の基準をもって実践をしたのでしょうが、会場にいる方からすれば、せっかくの格式ある会合が台無しであったと、結構なクレームがでたようです。

私は当事者の一員ですが、進行は担当が違っていましたので、まったく和みの部分が把握できていなく、直前に断りがあっても、正直なところ途中からは少々クドク感じたものでした。
この件で会場が混乱した様子が窺えなかった分、皆さんが会場を後にしてから、風評のような話題となっていたようで、今日になってから第三者を通して話題を伝えてくれました。

会議を主催してくれた責任者も、結構気を使ってくれて、せっかくの会議を進行役のジョークで持ってぶち壊し、誠に申し訳ないと謝りのメールを届けてくれたりしました。

さらには、責任者ご本人が被害妄想と自虐的な反省をしてしまい、会議に参加させて頂いた身の私を懐疑的になって見るように感じてしまっています。

どこかのボタンが掛け違っているようで、こちらとすれば、少し和み方が下手であり、くど過ぎた空気が読めていないかを懸念してしまうのですが、おそらくは責任者も外圧的な批判話が身に届きだして、新たな苦汁を噛みしめているのかもしれません。

そんな責任者の方に、ご尽力を頂いた御礼をメールで差し上げたのですが、素直に書きこんだ文章のお礼文の心算でしたが、随分と皮肉に取れると解釈をされていることを知り、人を介して聞かされてしまったことが残念でした。

そんなに夢中になってまでしても、あまり意味のない気苦労をされることに、心から心配をしてしまうのですが、ご本人からすれば物凄い意識をもって、和みの仕方に残念な執念をもったのでしょうか。

特段会議が荒れてしまったわけでなく、粛々と役目を終えることができて、一応は成功裏に終えることができたと判断をされて欲しいものです。

そのあとで、反省点が交わされるのであれば改めて問題提起をして、それでなければ個人的に話し合う中で、不適切な進行の部分を的確に反省をさせることをしてほしく願っています。

終わってしまったことは取り戻すことができなく、ある程度の人格を持った進行役ですから、彼なりの価値観をもって自覚的に発言をしたと解釈をしています。

進行役の方が悪意や傲慢な精神で言動をしたならば、責任者も辛いのでしょうが、好意としての表現がされたと理解をするほうが、何となく収まりが良いと思っています。

人それぞれの世の中ですし、色々な価値観をもった方が存在するのがこの世の中でもありますので、反面的に人から学ぶことを自分で自覚できるように、他人に迷惑をかけない人として、愚直になって自身の品格を高めていきたいものです。

豚もおだてりゃ木に登ると言われておりますが、時には機嫌よくして、普段できないことができるようになるとか、突飛もないことができる環境も結構面白いものだと思います。

子供を褒めてやったりすることが、どんなにか素晴らしい効果があることを、経験していることを自分の子供を育成する時の経験で知っています。

なぜかはハッキリと理解できませんし、上手く説明をすることができませんが、書道の筆書きに興味があり、家の中でも事務所でも、できるだけ筆書きを一手に引き受けています。

祝儀袋や無祝儀袋の表書きを始め、封書の表書きもあったり、仕事で使う大きな書類入れや、様々な機会に筆ペンを利用しています。

気ままに買い集めた筆ペンを利用するのですが、何種類かの筆ペンが偶にしか利用しないために、墨が古くなってしまい、筆の穂先が固まってしまうのが難点になっています。

常に使うものであればこうしたことがないのでしょうし、今にして思えば使用した後の手入れがあれば、結構新品の筆を維持でき、一層書きなれて使い易くなっている思いをしています。

思えば小学生のころの習字が県か市の展覧会に入選して、繁華街にあるどこかの大きな会場に展示されたことがあって、結構習字が好きでいたことは確かなことです。
その頃の習字は墨と硯でもって墨汁をつくり、書きだすまでが一種の修練になっていて、正座をした精神統一や作法としての習いごとがされていたものです。

成人してからも暇があると書額を自作してみたり、なんだかんだと遊こころをもって、掛け軸とか額縁を作成していたものです。

家内と一緒になるころは、茶道をたしなむことから、茶道入門なる小さな本を買ってきて、茶道の心得を読んだものでしたが、その本の中にあった自然法爾とか和敬清寂は好きな言葉として、色々なところに墨跡したものでした。

習字を特段に習ったのではなく、子供のころに子供塾で遊びながら習っていたのですが、そのころから自己流で書くのが好きで、当然のこと家内から言わせれば誰れにも読めないきたない癖字だそうで、言われてみれば字の大きさがとてつもなく大きくて、異様に思える字になっています。

おさらいの下地を直良えて書くことは好きでなかったので、結果的に自己流のばか大きな字を好んで描くようになってしまいました。

そんなかんなで、筆ペンも事あるごとに買ってあったのですが、どうしても使用頻度がまれですから、墨汁が乾燥して筆先を傷めてしまいがちです。

今日も思い出したようにして、郵送する封筒の表書きをしてみようと、筆ペンをとてみたら、まったくと言っていいほど、墨が乾燥していて使い物になりませんでしたが、学習効果が今になって表れて、ぬるま湯で洗えば良かったことを悔やんでいるところです。

相変わらず大きな字を書いたのですが、その字の全てが擦れてしまい、何度も上から書き足しして書かなければ意味がないほど擦れた字になってしまった始末でした。

それでも手を墨汁で真っ黒にさせながらも、子供のころの好きさ加減が引き継いでいて、なにやら自己満足をしてしまうのは、それだけ人生が枯れてきた証拠なのかもしれなくて、誰もほめてはくれる人もないものです。

大きな角封筒の表書きが、大きな墨で書かれていては、受け取った方がどんな反応を示すのか、いまから不安と期待感でもって楽しみになっています。

小さな字がまったくと言っていいほど苦手ですので、小学校のころもお手本の字を書いた左に、自分の名前を書くことができなくて、苦労していたことを思い出すほどです。

半紙や習字用の用紙いっぱいに大きな字を書くもので、名前を書くスペースがなくなってしまうのでしたが、今でも悪癖が直らなくて、引き続いていることが今になると誇りにするくらい自己を持っています。

これからの老後を墨跡を残すことを考えてみたりするのですが、どこまで許してくれるものやら、自由で気ままな字を書ける機縁を待ってみたい気がしています。

新しいデスクトップパソコンが入ってから、ソフト等の稼働が漸く完璧に近い使用環境が出来上がってきましたが、まだまだ思うようには全てが整っていない状況です。

丸一日かけてメールのアドレスを整理しながら、再確認をしたのですが、なんでも万能なパソコンとはなくてはならない必需品ですし、結構な貴重な存在を示すアイテム用品です。

新しいパソコンはスペックが旧型から比べれば4倍にもなって、素晴らしい働きをしてほしいのですが、基本的な動作をしてくれるまでの設定が、なかなか上手くいかないことがあって、結構なイライラもするものです。

漸くメールとインターネットが、何とか利用することができているのですが、完璧な整備はできていなくても、動作が特段に速い分だけ気分が好いものです。

昨日今日とほぼ徹夜の作業が気分良くできていて、とても嬉しいこととして、まるで子供の喜びごとのように、一日昂奮しながら気分を昂ぶらせているのですから、老齢からすると、とても不似合いだけの自分を俯瞰しているのでした。

新型のパソコンだけで、久しぶりに無心になることができ、机の上に収まった新しいデスクトップのパソコンが、まるで自分の子供のころのおもちゃになっているようでした。

ディスプレーの位置を微妙に動かせてみたり、機能のあれこれを弄りまわしたり、最新のソフトの新鮮さも嬉しく、あれこれと用事もないのに遊んでしまっています。

それでも、昨日の晩から始まった文書の作成作業や資料の構成とかが、小気味よく進捗することができ、早くに機能が落ちてしまい処理能力のスピードが極端に劣ってしまっていた旧型を新型に交換すれば良かったと、今になって少々反省をしているところです。

なにごとも、ことが起きた時や結果が出た時が、その最善時だと固く信じているのですが、こうした機縁の巡り合わせは、極々自然流なのだと一人固く信じているところです。

御縁があったからこそ、すべての出会いと巡り合わせとなることを、今一度しっかりと自覚と自認をして、その現実の時こそが最高の巡り合わせであることを確信をしています。

日頃の癖のように、ぐずぐずと反省ばかりをしているわけにもいかなくて、もっともっと愉快に能動的な生き方をする姿勢は大切ですし、その結果は別にして、兎も角もワクワクするほどの楽しい姿勢を求めていくことを、自由自在に表現をしなければいけないのです。

そうした昂奮をして、自己発揚ができる仕組みをできるような、そんな自分の環境を構築させるために、積極果敢にいきる精神を宿ってもらいたいものです。

日々の喜怒哀楽が、ごく自然な巡り合わせなのですから、安心して元気な気分を養っていき、是非とも良き人生に結びつけて見たい気がしています。

今回のデスクトップパソコンの設定がほぼ終わりましたので、モバイルノートパソコンの設定をする必要があるのですが、日常の生活で、ほぼほとんどの時間を肌身離さず持ち歩く必需品となりますので、気分好く素敵な相棒として、相思相愛の関係にさせてみたいと、今から非常にこころ浮き浮きとさせているのです。

子供心が鼓舞してしまいそうで、素直に喜びをもって、世の中に人のためになれる、素晴らしい活用ぶりを再確認しているところです。


まったく意識をしていないことが実現しますと、大きな感動と驚きをもってしまい、その相手方の個性を見抜けなかったことが、まだまだ自身の観察眼の幼さを露呈してくれて、自認をすることになってしまいます。

その方とは初めてお会いして、2時間ほど会議の下話をしてきたのですが、従業員もたくさんいる大きな会社を経営されているのですが、その大きな事業の背景を一寸も感じさせない人でした。

常に平身低頭して自ら行動をするほどに、気づかいをされている様子が窺えていましたが、会社の中での立場を思えば、少しお気の毒なことを感じてしまったほどでした。

そんな気づかい上手な方との会議も順調に進んで、こちらから程度なアドバイスも提供することができ、今後の活動に向けて、お互いが信頼し合っていけることが理解していただいたようでした。

その先日訪問した方から思いがけない個性ある葉書が届き、すべて悠々しい墨跡墨書きされていて、訪問した御礼の字がとてつもなく大きく書かれておりました。

普段の風体からするととんでもなく人違いに思えてしまい、細やかな配慮ができることは理解ができていたのですが、とっても愉快になる特技を持っていらっしゃるとは、まったく知りえることができませんでした。

会議が終わって即日にこうしたユニークなお礼状を届けることができる心使いができるからこそ、事業が大きく繁栄がされてきたのでしょう。

普通であれば、ここまで成長した企業ですと、なにかと従業員に物事を命じているものですが、責任者がここまでこまめに動かれては、従業員も気苦労が大変だと思ってしまいますが、以外にもそんな風景はありませんでした。

慣れてしまっているようで、皆さんが悠々と自分の仕事に専念をされていて、その棲み分けは完ぺきなほどに認識されているのでしょうし、お互いに尊重することが自然に構築されたルールが理解されているのでしょう。

それにしても特徴ある墨跡豊かな葉書を、間髪いれずに返信させる心配りがあればこそ、その積み重ねから、こうした大きな事業に結びつかせる成功を、手にすることができた余裕を持っているのだと思ってしまいます。

成功者の心意気の一端を知ることができましたし、こうした奇抜とも言える個性を意識した元気さが大切な心づもりをしていきたいものですし、創意工夫をしていく肯定的で能動的な生き方を真似たいものです。

今も机の上にあるお礼状ですが、工夫をされて書かれてある墨跡を、改めて自己表現をしていることが伝わってくることを、力強くも心やさしいお人柄が伝わってきます。

ご本人も楽しく行動をされている方のようで、こうした特異な意思表示をさせることで、自己啓蒙が親密にできて、趣味を発揮できる一石二鳥の喜びを感じていることでしょう。

遊び心をもって仕事に専念できれば、こうした立派な事業所として成長でき、従業員も信頼しあって、和気藹藹とした社風ができることを教えてくれています。

今回はいろいろな方との接点が新しく芽生えてくれて、会議を重ねていくほどに、まったく意識をしていないことが実現しますと、大きな感動と驚きをもってしまい、その相手方の個性を見抜けなかったことが、まだまだ自身の観察眼の幼さを露呈してくれて、自認をすることになってしまいます。

その方とは初めてお会いして、2時間ほど会議の下話をしてきたのですが、従業員もたくさんいる大きな会社を経営されているのですが、その大きな事業の背景を一寸も感じさせない人でした。

常に平身低頭して自ら行動をするほどに、気づかいをされている様子が窺えていましたが、会社の中での立場を思えば、少しお気の毒なことを感じてしまったほどでした。

そんな気づかい上手な方との会議も順調に進んで、こちらから程度なアドバイスも提供することができ、今後の活動に向けて、お互いが信頼し合っていけることが理解していただいたようでした。

その先日訪問した方から思いがけない個性ある葉書が届き、すべて悠々しい墨跡墨書きされていて、訪問した御礼の字がとてつもなく大きく書かれておりました。

普段の風体からするととんでもなく人違いに思えてしまい、細やかな配慮ができることは理解ができていたのですが、とっても愉快になる特技を持っていらっしゃるとは、まったく知りえることができませんでした。

会議が終わって即日にこうしたユニークなお礼状を届けることができる心使いができるからこそ、事業が大きく繁栄がされてきたのでしょう。

普通であれば、ここまで成長した企業ですと、なにかと従業員に物事を命じているものですが、責任者がここまでこまめに動かれては、従業員も気苦労が大変だと思ってしまいますが、以外にもそんな風景はありませんでした。

慣れてしまっているようで、皆さんが悠々と自分の仕事に専念をされていて、その棲み分けは完ぺきなほどに認識されているのでしょうし、お互いに尊重することが自然に構築されたルールが理解されているのでしょう。

それにしても特徴ある墨跡豊かな葉書を、間髪いれずに返信させる心配りがあればこそ、その積み重ねから、こうした大きな事業に結びつかせる成功を、手にすることができた余裕を持っているのだと思ってしまいます。

成功者の心意気の一端を知ることができましたし、こうした奇抜とも言える個性を意識した元気さが大切な心づもりをしていきたいものですし、創意工夫をしていく肯定的で能動的な生き方を真似たいものです。

今も机の上にあるお礼状ですが、工夫をされて書かれてある墨跡を、改めて自己表現をしていることが伝わってくることを、力強くも心やさしいお人柄が伝わってきます。

ご本人も楽しく行動をされている方のようで、こうした特異な意思表示をさせることで、自己啓蒙が親密にできて、趣味を発揮できる一石二鳥の喜びを感じていることでしょう。

遊び心をもって仕事に専念できれば、こうした立派な事業所として成長でき、従業員も信頼しあって、和気藹藹とした社風ができることを教えてくれています。

今回はいろいろな方との接点が新しく芽生えてくれて、会議を重ねていくほどに、とてつもない学びごとが増えてくることになり、改めての感謝をしているところですし、どこまで真似することができるかが楽しみになってあります。
、改めての感謝をしているところですし、どこまで真似することができるかが楽しみになってあります。
たまに掛けたり、また掛ってくる電話の声が日によって抑揚が大きくあるのですが、年齢が90歳に近い人だからこそ、その日の体調や気分のご機嫌によって、多少の気迫が違って聞こえてくると思っているのですが、その日の声の調子でどんな健康具合かが推測できるようになりました。

この知り合いの方ですが、しばらくご無沙汰していた韓国の高齢な方なのですが、最近になってから急に手紙や電話やファックスの数が頻繁になって、季節のご挨拶や届け物や依頼される願い事があったりしています。

一か月ほど前にお願いがされていたことがあり、気にしながら時間がなくて、ちょっとばかり遅くなってしまっていたのですが、漸くにして約束を果たせる環境になって、お願いされていたものを急いで郵便局に持ちこみました。

とりあえず手紙と届ける品物だけを急いで持って行き、行きつけの郵便局で郵送する箱を買い求め、慌ただしく梱包をすることとなりました。

高齢になって皮膚がカサカサになって痒いので、クリームを買って送ってほしい旨をお願いされていたのですが、なかなか時間がなくて、しばし頭から離れていたのですが、今日は10月に入ってしまいました。

忙しなく手続きを終えてから、国際電話を入れて、まずは遅れてしまったことを詫びて、一週間以内に到着する旨を伝えたのですが、以外にも元気に滑舌も良くて、思わずお元気そうで何よりですとお伝えしたのですが、その言葉を遮って伝えてくれたことがあるのです。

たった今テレビでもって、釜山市内にある高層アパートの火事を中継しています、家からも現場が観えるのですが、大変な大きな火事になっています、と伝えてくれて、多少興奮している様子が伝わってきました。

ご自身の気が昂奮しているからでしょうか、饒舌になっていて、ご自身から普段の何倍ものおしゃべりをしてくれました。

気になった大火事ですが、インターネットのサイトでもってテレビニュースを観たのですが、37階の高層アパートが全焼で、幸いにも犠牲者がいない模様を伝えていました。

たしかにすぐ近くでの大火であれば、年齢や男女に関係なく昂奮をするものでしょうし、普段は冷静平穏な生活をされている知人には、ちょっとした刺激的な事件であったように思えるのでした。

釜山市内の街には高層のマンションがたくさん建っていますし、戸建よりも住宅としてクラスのグレードが高くて、おそらくは人口の7割くらいが、高層住宅の住人になっているのではないでしょうか。

訪問するたびに思っていたことは、万が一の被災の時には危険性が高いことを感じていて、山を削って崖に建っているノッポのビル群には、見た目の壮観さと裏腹な怖さを感じていました。

知人も目の前の高層アパートに住んでいますから、さぞかし驚かれたでしょうし、万が一の時の恐怖感が強くなって感じたことだと思います。

そんな事件のお陰で、ご自身の精神状態が高揚されてしまい、頭脳の働きが回転を増したのですから、当然に滑舌が良くなるはずですし、その事故模様を伝えてくれることに、ある種の達観心が芽生えたのでしょう。

暫らくの間でしたが、ご自分の昂奮が収まるまで、一生懸命に状況を説明されていてくれる元気さが伝わってきて、時々に刺激をえることをして、いつまでも若々しく暮らしてほしいものと願ってしまったのです。

時々言語が聞き取りできないことがあり、高齢なだけに心配をしているのですが、お世話になった恩返しを思い、できるだけのことを補ってあげようと念じているところです。

夕刻の運送会社に用事があって窺ったのですが、多くのバン型トラックが帰社して来ている途中で、会社の敷地はトラックで身動きができなく、乗用車が駐車できるスペースまで行くことができなく、しばし躊躇してしまいました。

まったく初めて訪問する会社でしたが、トラックの運転手さんは一日の仕事を終えて、緊張感の消えた安堵の顔をして、次々と敷地の片隅にある洗車機の順番を待っていました。

満足感をもった気持ちで、一日の最後の仕事にするために、洗車の機械で車を磨いている様子を眺めていて、久しぶりで身体を動かし汗をかく仕事の意義ある様子に、人の働く有意義さを感じてしまいました。

他人のことでも健康な身体をもって、肉体的な身体をはって労働ができる喜びを、一緒に感じることができて、暫しの間ですがトラックの移動を眺めることをしたのです。

運転席の窓を開放させ、お互いが声を出し合って、和やかな語らいをしている様子は、こちらまでが心を和ますことができ、実に嬉しくなってしまう感動がありました。

じつに素直で素朴な笑顔をしているドライバーたちの様子を、じっくりと観察させてもらいながら、何故かこうした経験をしてみたかったことを、思いだしてしまいました。

車の運転が好きなことと、こうした仲間との語り合う一時が、身にあっていたのでしょうか、ふと懐かしい郷愁を感じながら会議がある二階の事務所に向かいました。

初めてお会いした責任者の方と、会議室での歓談の時にお伝えしたのですが、一日の労働の達成感が、人の働く素晴らしさを発揮させてくれることと、健康体で働ける幸福感を共有する嬉しさが伝わってくることに共鳴をしたことを話題としました。

機敏にして働ける喜びを、積極的に感じることができれば、今では羨望の眼になっている肉体労働の意義が大きな価値をもってきますし、汗をかいての労働の価値を見直してしまいます。

自分自身の肉体を駆使しての収益はものすごく価値がありますし、機械道具が主になっている時代に、人間の存在意義はますます高まって行くのだと思います。

ドライバーさんの無事故証明の額がたくさん飾られているのですが、命をかけて働いている事業所の誇らしさが伝わってきます。

会議室でいる間にも、車の窓を開け放って、無邪気に談笑をしている姿が、実に人間味あふれる心温かな情愛を受け止めることができたのでした。

きっと彼らも、一日の仕事を無事に終えることができ、ほっとした気分で家族が待つ家に向かうことを考えているのでしょう。

きっと和やかで温かな家庭では、何倍もの幸福感を味わうことができ、一家の団欒が待ちわびていることを願って、毎日の仕事の励みになっていることでしょう

事故のない人生であって欲しいことを願いながら、健康で働く素晴らしさを、何時までも実働させて欲しいものです。

君子豹変すると言われておりますが、先日来行き来をしている方が、お付き合いを深めるほどに、大きな度量の広さを見せ付けてくれて、何処まで懐が深いのか、まったく分からなくなりました。

深くお付き合いをしだしてからも、日替わり的にその評価が変わってきて、表面的に観た先入観だけでは、人様の価値はとんでもなく間違ってしまうことを教えてくれています。

正邪善悪をわきまえていて、つねに泰然自若の見地をもてる人とは、そんなには見受けることがなく、大所高所から平然として構えていられる人間性の大きさとは、決してただでは身に付かないものだと思います。

それにしても決して我流を押し付けることがなく、いつもながら笑顔でもって対処できることは、ものすごいパワーとスケールを感じてしまい、慣れ親しむ時間が深まっても、懐に飛び込んでいけない一線の厳しさをかみ締めています。

特にきちっとした礼節がある方だけに、まずは失礼があってはならないと、当然のことこちらの方が身構えてしまいますが、いたって悠然としてぶっきらぼうな方との交流もしていますし、何事にも平然といられることの平常心は、計り知れない大きさを感じてしまいます。

年齢がそうさせているものか、経験が重なっての結果なのかは分かりませんが、完全にその人の人生が出来上がってしまっているようですし、こうした見方ができること自体がオーラがあると言えるのでしょうか。

すべてを達観してすべてを理解している様子が、当然のように窺うことができるのですが、
先ずもって平然とした顔つきで、何をも恐れない気風が真の強さを感じてしまいます。

それに比べては、四方八方の顔を気にしながら、小心をもって毎日を右往左往しながらの生き様では、どんなにか貧相な姿を見せているのだろうかと、自分のスケールの小ささを嘆いてしまっています。

日々世間を生きていますと感じることは、虚勢をはって威張っている方が多く散見して、肩で風を切りたがる輩が多くいるなかで、どんなことにも動じない是々非々の心の大きさは、とんでもなく羨ましく感じてしまっています。

この生き様を真似をすることはとっても無理なことですが、こうしたお付き合いができている機縁だけでも、大きな励みになっていますし、自分の誇りにもすることができています。

ここ最近になって、急激に交流が深まることができているのですが、全方位的に豊かな心をもっていることを理解すると、ご縁が深まることの有意義さと、少しでも価値を同じくできる有益さに感謝をしてしまいます。

これだけスケールの大きな方との交流は、初めてといって良いほどの経験で、正直何処までが理解できている範囲かが確証ができないままですが、その人様の価値を見抜けないことの愚かさが実に切ないものがあります。

結論めいた言葉を言わせてもらえば、すべての価値観や達観心や見識力を超越した我力をお持ちだということでしょうか。

いつもニコニコ顔で持って、平身低頭している様子を拝見していますと、ただただ雲の上の存在として、清く正しい生き様の足元に近づいていくことを、少しはまじめになって考える時であり、そのご縁を分け与えてくれた生き様を見習う必要を、強く気に掛けるようにしているところです。

その方が君子なのか、天子なのか、はたまた、ただの人の子であるのかは分かりませんが、いつまでも変わりなく、平身低頭で温和な笑顔でもって、われわれを癒して欲しいものですし、できることなら同化できる専心を念じてしまいました。
国勢調査の年度ということで、調査委員お方が調査票を届けにきてくれましたが、同じ町会の顔なじみのお仲間なのですが、毎日のように夕刻になると調査票を入れた袋をもって、町内をうろうろしている様子がうかがえます。

何度か同じような仕草をした経験をもっていて、過去には4度ほどその役目を担ったことが体験しているのですが、いつの間にか指名を受けなくなったことは、同じ自治会の中の地方選挙において、候補者の支援について蟠りができたからです。

長年にわたって、初期の自治会構築からお手伝いをして、率先して自治会の活動をしてきたのですが、選挙運動は厄介でして、ご近所同士の親しい人間関係までも壊してくれます。

それまでの間は様々な自治会活動を率先していたのですが、若さもあったり同じ世代の交流が盛んであったりして、地域体育祭などは賑やかな大会でありましたが、すべては選挙の応援で人の心が離れてしまいました。

徐々に衰退する自治会活動でしたが、こうした経緯の噂が消え去った年月になってから、ようやく世代交代の時期になって、若い方々が一生懸命に励んでいてくれることが嬉しいものです。

自分が同じようにして活動をしていたころを重ねてしまい、世代交代という流れとは、自然発生的に、ものすごく的確な役回りを与えてくれるものであることを、教えてくれているようです。

そんな自治会役員であることから、国勢調査の調査員を指名されていたのですが、当時も今も調査に協力をしてくれない方が多くいたものでして、何度も何度もうかがっても拒否をされる方がおりました。

ほぼ夕食時にお邪魔する関係から、和やかに晩酌をされていて、ご機嫌のままに怒鳴られたりしたり、お説教をくらうこともあったり、さまざまに体験をすることができました。

今日もラジオから聴こえてきたことは、調査の意味とか価値とか、調査員の不満とかを放送しておりましたが、国家の価値ある統計調査も、様々な情報や個人情報の守秘義務とかが、なおさらに難しくさせてしまっているようです。

同じ立場の国民であるのに、調査をされる人とする人が、それぞれに悩んでいらっしゃる姿が、はるか昔に体験するわが身と、まったく変わりなく継承されていることが不思議になっています。

最近は国際的になって、学生も職業人も家族も外国人が、当たりまえのように居住していて、そんな皆さんが調査に協力をしてくれることを願ってしまいます。

昔でさえ、アパートの一室には、調査に行くたびに何人もの若い女性がいて、このときばかりは警察に連絡をして、同席をしてもらった記憶が戻ってきました。

お互いが貴重なお金と労力を使って調査をするのですから、気持ちよく調査をすることができるようにして、さらには効果がある調査結果を有益に活用してもらいたいものです。

調査を経験したものでなければ分からない労苦のお陰があってこそ、統計がとれることを期待しながら、しっかりと調査に協力をしたいものです。

国勢調査が回を重ねるがごとく、世代交代が確実に行われている気がしますし、ただ感傷に触れるだけでなく、積極的に生きる自身を認識して、何時までも成長を確認することができることを、大いに喜び合いたいと思っています。

今回の国勢調査結果が、国家繁栄のために素晴らしい効果を生んでくれることを、こころから祈念をしているところです。