当の本人は至ってのんびりと悠長にかまえていて、特段の意識もなく普段通りに進行の役回りを果たしていたのでしょうが、司会者として意識の感覚のずれがあって、他の方が同じようには評価をしていないことが分かりました。

一週間前にあった当日も特段に違和感がなく、会議の達成感だけが身体中に満喫して、至宝の時間を務めることができて、心から安堵し感謝をしていたのですが、進行役を司った方が、会議中に気遣いのユーモアを連発してくれました。

ほぼ会議の時間いっぱい、事あるごとに軽いジョークを言葉にしてくれましたが、会議の始まる前には御断りとして、ジョークを和みにするから御理解してくださいと、一応の型通りに挨拶をしてくれていました。

初めて進行役を体験しますので、どのような和みを考えていらっしゃるかが、良く理解できていないままに、大きな会議がスタートされて行きました。

会議の中の和みと言うのは、会議に参加している方を紹介する際や、会議の質疑応答の時に彼流の一言を付け加えて、ジョークとしたことでした。

彼流ですから、全てに彼の価値観と良心の基準をもって実践をしたのでしょうが、会場にいる方からすれば、せっかくの格式ある会合が台無しであったと、結構なクレームがでたようです。

私は当事者の一員ですが、進行は担当が違っていましたので、まったく和みの部分が把握できていなく、直前に断りがあっても、正直なところ途中からは少々クドク感じたものでした。
この件で会場が混乱した様子が窺えなかった分、皆さんが会場を後にしてから、風評のような話題となっていたようで、今日になってから第三者を通して話題を伝えてくれました。

会議を主催してくれた責任者も、結構気を使ってくれて、せっかくの会議を進行役のジョークで持ってぶち壊し、誠に申し訳ないと謝りのメールを届けてくれたりしました。

さらには、責任者ご本人が被害妄想と自虐的な反省をしてしまい、会議に参加させて頂いた身の私を懐疑的になって見るように感じてしまっています。

どこかのボタンが掛け違っているようで、こちらとすれば、少し和み方が下手であり、くど過ぎた空気が読めていないかを懸念してしまうのですが、おそらくは責任者も外圧的な批判話が身に届きだして、新たな苦汁を噛みしめているのかもしれません。

そんな責任者の方に、ご尽力を頂いた御礼をメールで差し上げたのですが、素直に書きこんだ文章のお礼文の心算でしたが、随分と皮肉に取れると解釈をされていることを知り、人を介して聞かされてしまったことが残念でした。

そんなに夢中になってまでしても、あまり意味のない気苦労をされることに、心から心配をしてしまうのですが、ご本人からすれば物凄い意識をもって、和みの仕方に残念な執念をもったのでしょうか。

特段会議が荒れてしまったわけでなく、粛々と役目を終えることができて、一応は成功裏に終えることができたと判断をされて欲しいものです。

そのあとで、反省点が交わされるのであれば改めて問題提起をして、それでなければ個人的に話し合う中で、不適切な進行の部分を的確に反省をさせることをしてほしく願っています。

終わってしまったことは取り戻すことができなく、ある程度の人格を持った進行役ですから、彼なりの価値観をもって自覚的に発言をしたと解釈をしています。

進行役の方が悪意や傲慢な精神で言動をしたならば、責任者も辛いのでしょうが、好意としての表現がされたと理解をするほうが、何となく収まりが良いと思っています。

人それぞれの世の中ですし、色々な価値観をもった方が存在するのがこの世の中でもありますので、反面的に人から学ぶことを自分で自覚できるように、他人に迷惑をかけない人として、愚直になって自身の品格を高めていきたいものです。