日本遺産と言われても17 -バナナの叩き売り-
長い間、この地に住んでいると、何処で聞いたか、どこで聞き覚えたのか、あの「バナナの叩き売り」のリズミカルで調子の良い響が身体に染付いているような気がする。「男はつらいよ」の寅さんのような独特な口上で客を寄せバナナを捌くわけだが、門司港が元祖というこの「叩き売り」には、港町特有の切実な問題があった。
明治36年(1903)ころ、バナナが台湾から神戸に持ち込まれたのがきっかけで、明治41年(1908)以降大量に輸入されるようになった。
台湾の基隆(キールン)港から積み出されて、神戸港に運ばれる過程で熟成が進みすぎたり、傷ついて品質が落ちかけたものは、門司港で水揚げされ傷む前に売り捌きたいと、門司港桟橋通で始まったのが、いわゆる啖呵売りで、以前は桟橋通の旅館「群芳閣」の玄関脇に発祥の碑と説明版があったが現在は、JR九州第一庁舎の横に移設された。
もっとも、関門地域にはバナナの仲買人はいて、青いバナナを仕入れ地下室で蒸して、立派な商品として流通する地域でもあった。
さて、七五調四拍子のテンション高めに腰は低めにという「バナチャン節」(門司港駅物語)の一節は
『春よ3月春雨に、弥生のお空に桜散る、奥州仙台伊達公が、何でバナちゃんにほれなんだ。バナちゃんの因縁聞かそうか、生まれは台湾台中の、阿里山麓の片田舎、台湾娘に見初められ、ポート色気のさすうちに、国定忠治じゃないけれど、一房二房もぎとられ、唐丸籠にと詰められて、阿里山麓を後にして、ガタゴト汽車に揺すられて、着いた所が基隆(キールン)港。基隆港を船出して、金波銀波の波を超え、海原遠き船の旅。艱難辛苦の暁に、ようやく着いたが門司みなと。門司は九州の大都会、仲仕の声も勇ましく、エンヤラドッコイ掛け声で、問屋の室に入れられて、夏は氷で冷やされて、冬は電気でうむされて、八〇何度の高熱で、黄色くお色気ついた頃、バナナ市場に持ち出され、一房なんぼの叩き売り、サァサァ買ったサァ買った・・・』
『高くて良いのが富士の山、低くて良いのは人の腰』口上軽妙に客を引き寄せ、巧みにせり売り高値から徐々に値を下げる。お客さんは「高い!もっと負けて」と声が、笑い、が飛びかうと、場はますます盛り上がって来る。
下関では、戦前の山陽の浜が夜店で賑わい、明治40年(1907)7月、若山牧水が下関で旧友と会いバナナの叩き売りを見て「桃柑子芭蕉の実売る磯町の露店の油煙青海に行く」の短歌を詠んでいて、平成元年、細江町にはその歌碑が建てられた。
世界大戦で、バナナの輸入が途絶え叩き売りは姿もなくなっていたものが、戦後まもなく1970年代に門司港では地域おこしの一環として地元住民が復活に取り組み昭和51年(1976)に再開。
「バナナの叩き売り」は懐かしい響きと、若い人には新鮮な響きのも感じられて人気を呼び、門司港では「門司港バナナ塾」が開講され「門司港バナナの叩き売り連合会」によって『バナちゃん節等』を継承、お祭りなどのイベントで「バナナの叩き売り」の実演などされている。平成29年4月「バナナのたたき売り」が下関・門司の共通所在地として日本遺産となったが、現在の下関は門司に依頼して伝統芸を楽しむ状態である。
写真は下関のイベントで実演された門司港名物の「バナナの叩き売り」
愚斯光庵展
彼をどのように紹介すればいいのか戸惑ってしまうが、元下関市立美術館の副館長、元有田市教育長、画家、陶芸家などと他の役職もあるだろうが、私がお世話になってからでも40年以上になるだろう。
現在山口市に居住されている彼は、豊北町滝部の向坊にその生家があって、此処をアトリエ「遇斯光庵(ぐしこうあん)」と呼んでいる。
彼の名前は、木本信昭さん、号を「大空」という。
その豊北町には、以前各所(14ヶ所)に滝部焼窯元があり木本さんの近くにも向坊窯が有ったという。ところで、豊浦町在住の陶芸家・森野清和氏が、以前から豊北町各所の土を使用した陶芸作品を制作していたが、その仲間たちに呼びかけて豊北町の土を使った作品の展覧会を木本さんに持ち掛け、木本さんのアトリエを開放することになった。
平成28年(2016)のことである。パンフレットを作るとき、木本さんから「こうこうで、森野さんたちが展覧会を開くというが、呼びかけの応援者に名前を連ねたいが・・」と電話があった。その時は4月下旬の約1週間-豊北町の江戸と現代を歩く-というテーマで萩、長門、下関の陶芸家6人と、木工作家1名の計7名が作品を披露した。
すでに趣味を超えた作家ばかりの集団で、遇斯光庵とは「この出会いのところが輝きの場所になれば良いが」という意味?にぴったりではないかと思っていた。
木本さんは此処に常駐されてはいないが、ご兄弟がこのお宅もこの辺りの土地も管理されていて、確か翌年には菖蒲園が誕生し、これが拡張しつつて何時のころからか遇斯光庵展はショウブの盛りに開催されることになりショウブ園も人気の場所になった。
本年は6月4日から6日までの3日間だったが出品者は11名。木本大空、森野清和、中島大輔、アッヅオリ・エリックさん、それに木工の辻翔平さんらは初回からの常連だが、今回、田中修吾さんという漆を使用した出品があって「えっ!漆芸作家も!」と驚き、紹介パネルを見ると、昭和53年(1978)千葉県出身で、京都工芸専門学校から-中略-平成28年(2016)山口県に移住して独立とあった。山口には大内塗の文化もあるし山口からの出品かな?とおもっていた。
思えば、会場でお会いしているのにご本人と最後まで気付かなかったのは不覚、帰る間際、木本さんに挨拶に行ったとき「あの方が奥さんで下関在住ですよ・・・」と言われて、同行した弟らはすでに車に乗って待っていたので、奥さんに一言二言…、結局「期待しています。よろしくお伝えください」と言って分かれた。下関市における漆芸作家は初めてではないかと期待している。
写真は、遇斯光庵の正面と豊北町の土で試作を続ける森野清和さん
コロナ禍の選書会
昨年は、コロナ感染のこともあって学校選書会の取材は極力避けて一校だけ訪問したが、今年もその選書会が始まり昨年と同じ学校に同行して取材をさせて頂いた。
昨年は、学年ごとに数冊の本を、あらかじめ各教室のビデオ画像でブックトークがながされ少しの知識を得て、選書会当日、会場に集まった児童たちは横山真佐子さんから15分ばかり本の魅力を聞いてから本選びに入った。
ところが今回は、昨年以上にその対応が厳しく各教室でのブックトークだけで、選書会当日は横山さんの生の声が聞かれるのは、挨拶と本の扱い方の簡単な説明だけ、すぐに広い会場内に分散して20分ほどの間に本をえらぶのである。
しかし、3年生以上の子供たちは昨年も経験している選書会は慣れたもので、戸惑いもなく600冊近く並んだ本の中から、自分の好みの本を選択する。それは、連作物の新刊、釣り・料理・お菓子・スポーツなど趣味的な感覚は選びやすいかもしれない。何故か、お化けや怪獣なども人気がある。岩石・動植物・昆虫・宇宙など自然界そして迷路やクイズ・なぞなぞなどを直感で感じ取るから凄い。文学系統の本をじっくりと読んでいる児童も何人かは居た。これらを選ぶのは表紙の装丁だけでもなさそうだ。
昨年、コロナウイルスに関する本に2年生が興味を持ったのに驚いたが、その子に見覚えがあって、今年は3年生、何を見ているかな?と思ったら全く違う感じの果物の本に興味を持っていた。
今回は、可成り票が分散しているように思えたが、友達同士でこれにしようよと誘う風もなく、それだけに、個性があったと見ていいものだろうか。
それでも一寸驚いたのは、どの学年の児童たちも、引き寄せられるように「ウイルス」に関連した本の置かれている場所に向かい、中でも『はたらく細胞』の本には人気があった。近くにいた学校図書応援のPTA の方に聞いてみると「テレビで流れているようですよ」という。ウイルス社会、日々流れるニュースは見聞しているものの、イラストや漫画社会にはあまり関心がないからか、全く知らなかった。
そのコミックス『はたらく細胞』(講談社)を紹介する文章をみると「人間一人当たりの細胞の数はおよそ60兆個!そこには細胞の数だけ仕事(ドラマ)がある。ウイルスや細菌が体内に侵入したとき、白血球と赤血球を中心とした体内細胞の人知れぬ活躍がある。肺炎球菌、スギ花粉症、擦り傷、次々とこの体を襲ってくる脅威。その時、体の中ではどのような攻防が繰り広げられているのだろうか?白血球、赤血球、血小板、B細胞など、そられは24時間働いている、今世間を騒がす「新型コロナウイルス」このウイルスに感染したとき、体内では何が起こっているのか?‥‥」。
この、コミックスは「細胞擬人化漫画」で描かれているようだが、著書は清水茜さんで、医療関係者でもなく、高校生の妹さんから「細胞について知りたい」と言われたことがきっかけで漫画に描いたのが出版社の目に留まり、発表は2018年ごろから、その後連載化され、2021年1月からアニメで放映されているというのである。
今回は、マイクロプラスチックに関する本も並んでいて、2票が挟み込まれていたが、子どもたちの興味を生じる感覚は、何の情報で、どの様に閃くのか不思議な気がした。
写真は、『はたらく細胞』をそっと開いている1年生のお子さん


