旅の記念品(27)-五島(2)-1「玉乃浦椿」
五島列島は、九州本土の西方、長崎港から約100㎞、比較的大きな中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島が、北東から南西に約80㎞に配列し、大小約150の島嶼群となっていて、全島が長崎県に属し、全域が旧松浦郡で西海国立公園に指定され豊かな自然景観にとんだ地形となっている。全面積は約640平方km、人口約7万人、主要産業は漁業ほかに水産物加工、もちろん農業もあるが観光にも力がそそがれている。
観光の一つは自然であり、海水浴や釣り、一方で多くのカトリック教会が点在しているのが魅力であろう。
全体を大きく分けて福江島を中心とした下五島(五島市)と、中通島周辺の島々を含めて上五島(南松浦郡上五島町、北松浦郡小値賀町、佐世保市)と呼ばれる。
かれこれ30年ばかり前に、その上五島に娘婿が転勤となり、五島を巡ったことがあるがその時の帰りは上五島から定員6人位の小型飛行機だった。その後も2度ばかり訪ねている。五島空港から、飛行機そして新幹線を利用したときは2時間もかからず我が家迄帰ったこともあり、この時は遠くて近いと思ったが、フェリーやジェットフォイルを利用すると、やはり近くて遠い五島を感じてしまう。
最初に訪れた上五島には、洋上石油備蓄基地(容量440万kl=前日本の消費量約一週間分と聞いた)があるのには一寸驚きだったが、下関人としては捕鯨ゆかりの場所や鯨賓館という資料館もあって嬉しかった。坂本龍馬の所縁の場所もある。
頭が島(かしらがしま)教会は、明治2年(1869)ころ迫害を逃れて移り住んだ信者たちが移住し、明治20年に初代聖堂を建設、その後明治43年から、自らが切り出した岩石で積み上げ10年を費やして大正8年(1919)に現聖堂を完成させた。日本全国でも珍しい石造りの教会堂で内部の折上げ天井に椿を模した花装飾の意匠も優れた雰囲気となって見事なものだった。重要文化財に指定され、世界遺産登録(2018年)「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会遺跡に一つになっている。
上五島といえば「五島手延べうどん」。最近は下関でも容易に入手できるが、遣唐使から中国大陸の製法が伝えられ、麺が2㎜ほどの細いもので椿油をぬって熟成された腰の強さは素晴らしく、その本場で、あごだしに生醤油、生卵のつけ麺「地獄炊き」を食べ天下一品だったのが忘れられず、当時から「五島うどん」のフアンになった。
さて、福江港に往来するフェリーの船体には「ツバキの花」が描かれている。
これは、五島市の花が「ハマユウ」で花木は「ヤブツバキ」、新上五島町は、木も花も「ツバキ」であり、五島のパンフレットを見ると、椿の原生林や群生地は数多い。
福江島には、広さ5haもある敷地の五島椿森林公園があり275品種、3000本の椿が育てられ、ここは平成22年(2010)に国際優秀椿園の認定も受けている。
この船体に描かれているのは、花弁の先が白い帯状に包まれて優しく美しい、玉乃浦で発見された「玉乃浦椿」という種類だという。下関の東行庵には、故・3代玉仙尼が、五島から取り寄せて育てた「玉乃浦椿」が大きく育っている。
私は、平成22年に訪れたとき、空港でこの「玉之浦椿」の小さな苗を買って帰ったが、育て方が悪いのかようやく50㎝ばかりに育ち、年に2~3輪の花をつけている。白い帯が少なくって見事とは言えないが、それでも春先に五島のことなどを思い出している。
写真は頭が島教会と玉乃浦椿の花
旅の記念品(26)-対馬(2)-2-「対州硯(若田硯)」
文房四宝の一つに硯がある。小学校の頃はお習字の時間があって、休み時間から硯に水を入れて墨を磨り始めないと、授業が始まっても濃くならないので大変な思いをしたことがある。子供たちは、墨汁で書道の習い事をしていたし、最近ではプラスチック製の硯も利用されていると聞く。年賀状くらいは墨を使って書いていだが、いつしか筆ペンに変わり、硯や筆を何処にしまい込んだか、縁遠くなってしまった。
下関では赤間硯が有名で、無形文化財の硯師・堀尾さん父子と永年、懇意にさせて頂いているし、何かのときには赤間硯を記念品に利用することもあった。
吉田松陰愛用の硯も赤間硯であり、これは松陰神社のご神体となっている。
国内では、三重県熊野の那智黒石とか宮城県の雄勝石、山梨でも有名な硯があるとか、中国の端渓などは、時々展示会などで見かけるが、特別に興味をもって鑑賞したことはない。
平成15年(2003)に、長崎県の対馬に渡ったのは、古川薫氏の小説『不逞の魂』に田中義一(第24代宰相)の書生時代の話が出ていることに触発されてのことだった。
小説の中で、「そこから見える溺れ谷の絶景に、二人は思わず嘆声を発した。様々な向きで細く長くせり出した岬は、あたかも巨人の腸のように、群青の海面をのたくっているのだった。・・」と表現していて、これを読んだ時から〝上見坂展望台からの風景をいつか見たい″と思っていたのがきっかけである。
福岡から対馬までは、飛行機で30~40分で渡れるが。対馬の厳原周辺を見学してから、「安徳帝御陵墓参考地」と称する遺跡に向かう道中に「この景色」はある。
ここで、その目的は果たしたが、その溺れ谷の印象は止そう。
対馬では、この道筋に自然石(厚みは5㎝ほどもある広いものでかなりの重量だろう)で屋根を葺いた小屋がいくつかあって驚いた。聞くところ、島には箱式石棺や築城、祭祀の祠や碑、石橋などとあらゆる場所に石の文化があることも知った。
そして、その途中には若田硯の産地があり、ふと目にした“栞“に「紫式部が‥」とあったのが目に留まり、土産用の小さな硯を購入した。
栞によれば、対馬厳原町の若田川流域から産出する若田石が原料で、江戸後期、満山俊藏によって始められ、大正年間に第3代岩坂芳秀が引き継ぎ長年の努力で高級品まで名声を高め現代に伝わった。
若田硯については正保2年(1645)に著わされた『羅山文集』に、若田硯は「端渓之秀」「羅文の美」にも決して劣らず、よって霊寿硯と称するとあり、(草創期と疑問も残るが)紫式部が源氏物語を草した時に愛用の硯もこの若田硯であったと伝えられている。
栞は、若田硯の雅趣ある形状と優秀な石質は、到底他品の追随を許さぬもので、対馬の特産品としてその名に恥じざるものである。特に若田硯の伝統である自然石の妙を十二分に生かした作風は、また現代人の感覚にも適い近時愈々その声価を高めている。などと続けている。対馬には、ほかにも豆酸石・黒瀬石・渦紋石・三根石などの硯石が産しているので、古く紫式部の時代に、対馬の石で造られた硯が愛用されたことも見当違いではないかも知れない。
対馬の名物に「石焼料理」がある。強火で加熱した5cmほどの厚みの石の上で魚介類や野菜を焼くもので、魚は新鮮で料理も豪快だったが、夕餉の酒を飲みながらならともかく、昼食にしては時間が掛り過ぎた思い出もある。これも硯石をみての旅情である。
写真は対馬の集落で見た石葺きの屋根と若田硯
黒柏鶏(くろかしわけい)
『広辞苑』で「にわとり【鶏】」を引いてみると『(庭鳥の意)キジ目キジ科の鳥。古くから最も広く飼養された家禽で、原種はインドシナ・マレーに分布する野鶏。卵用(レグホン・ミノルカなど)・肉用(シャモ・ブラマなど)・卵肉用(プリマス・ロックなど)・愛玩用(長尾鶏・東天紅・チャボなど)品種は極めて多く、色彩・形態など様々であるが、みな頭頂に鶏冠(とさか)を持つ。古名、かけ・くたかけ。』とあった。
山口県と島根県の一部が原産地と言われている「黒柏鶏(くろかしわけい)」は、愛玩種に属する鶏で全身緑黒色、鶏冠は赤色、鳴き声は7、8秒。
ところで、神代紀上には「”常世の長鳴き鳥”(とこよのながなきとり)を聚めて互いに長鳴せしむ」とあるのは、『天照大神が素戔嗚尊の凶暴を避けるため天の岩戸に隠れ、天地はすべて真っ暗闇となった。この時、神々があつまって評議したのが天の安河での賑わいで、玉祖命(たまのおやのみこと)が勾玉を集めて八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作り、他に八咫鏡、大きな玉串などを飾り立て、先ず長鳴鳥をたくさん集めて一斉に鳴かせ、大声自慢の神様の祝詞に合わせて、天宇受売命(あめのうずめのみこと)の妖しくも狂るおしい踊りに、八百萬の神々が湧きたって笑い転げ高天原は大騒ぎとなった。このどよめきに大神は岩戸をそっと開けたときに、待ち構えていた天手力男命が大神の手を取り岩戸から連れだした』という神話である。
この時に天岩戸の前で鳴かせた鳥が、この種であり、玉祖命が後に中国地方を治めたとき、この鳥を連れて来られ、玉祖命はその大崎(現・防府)の地で亡くなられた。
明治以降、多くの日本鶏が姿を消した中で「黒柏鶏」の存在は貴重で、山口県と島根県の地域を定めない形で、昭和26年(1951)に国の天然記念物に指定され、防府市では玉祖神社ほか市内数か所で飼育され、神社には「黒柏発祥の地顕彰碑」がある。
10月初旬の神社を訪れたときに、社殿横に群がって餌を啄ばむ様子が見られたのには驚いたが、確かに長鳴鶏の名声も聞いた。それは、ひととき羽ばたいたのち、正面に向かって「コケッコッコー」の後が長いのである。嘴を少し開けたまま「コー」が長く続く7~8秒と書かれていたが、もっと長く感じた。お見事!と思わず感動して手をたたいた。
境内には、広い大きなケージがあり、ある時間帯にこうして放し飼い同然にされるのであろうが?どの様にしてケージに帰るのだろう?神社に人影もなく聞かずに帰って来た。
ところで、県内では「黒柏鶏」に限らず家禽として鶏は飼育されていて、江戸時代ごろから「卵を産まなくなった鶏を裏の方で子供に見せないようにつぶし(この役は男)、お客ごとやおせち料理には「とり込みで縁起が良い」と”のっぺい“や”煮込み”で食べる風習があった。
現在は、鶏料理も豊富に開発されて、揚げ物・スープ・丼・鍋もの・直火焼き・鉄板焼き・飯料理・燻製などがある。近くでは「博多の水炊き」「大分のから揚げ」「折尾の柏めし弁当」などが有名で、最近、我が「長門市のやきとり」が全国ブランドに仲間入りした。
そのきっかけとなったのは、長門市が海に近く魚介・山菜が豊富なことから、深川養鶏農業組合がこの環境を活かして、天然記念物の黒柏鶏を元に長年かけて誕生させたのが「長州黒かしわ」である。
飼育期間は、一般の約2倍もかけて約100日。よく運動しているので脂肪含量が少なく、適度な歯ごたえを残しながらも柔らかでジューシー、しかもイノシン酸が多いことで甘みがある。胸肉やささみには、脳や筋肉の疲労回復を助ける成分(イミダペプチド)が多く含まれているという。
この地元産の「黒かしわ」を、炭火でゆっくり焼き上げた「やきとり」は、長門の風土に絶品の味わいだと好評。この炭火とて地元産の良質の木炭を使用するお店もあるようで、ひととき市役所には焼き鳥課があると聞いたこともあるほど行政も本気である。
現在でも、市内の焼鳥屋の軒数は人口比率にして全国一だと聞いている。
エッセ-の2021年はこれでトリ、良い年をお迎えください。
写真は玉祖神社(防府市)の長州黒柏鶏発祥地碑と境内の黒柏鶏


