旅の記念品(34)-高千穂岩戸神楽-
宮崎県の北部太平洋岸に、延岡市が五ヶ瀬川河口に発展している。五ヶ瀬川は、延岡から北西の大分県境の祖母山系の向坂山(標高1684m)に端を発し、深い渓谷を形成して蛇行、岩戸川、日の蔭川などを合せ、延岡市内で大瀬川を分流、さらに祝子川、北川を合流して全長約100㎞日向灘に注いでいる。
この川に沿って、以前はJR高千穂線(延岡・高千穂間=営業総延長50㎞、1927年全線開通、台風被害を受けながらも営業したが1989年に第3セクター会社・高千穂鉄道に転換、その後2005年9月5日の台風で壊滅的被害を受け運行休止、復旧を断念して2008年12月28日に廃止された)が走っていた。その終点の高千穂は天孫降臨の候補地として多くの観光客も運ばれた。(もう一つの候補地は霧島山脈「高千穂峰山頂」)
天孫降臨とは、「古事記」と「日本書紀」に、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、神々の住む高天原から地上の日本列島に降り立つことで、記紀には日向の高千穂の峰に降り立ったとあり、以後代々日向にあって瓊瓊杵尊の曽孫が大和に進出し第一代の神武天皇として即位した。従って、日向高千穂は「建国神話の世界」日本の歴史のはじまりの聖地として注目され、また素朴な風土に実感もわいてくるものがある。
高千穂町は、周辺を1000m級の山々が囲んだ標高300m程の盆地で、中央部近くを五ヶ瀬川が流れその下流に近くに岩戸川が合流しているが、この盆地の形成は阿蘇カルデラをつくった火山活動(約12万年前と約9面年前の2回)で噴出した火砕流が流れ下り、その凝灰岩の柱状節理を生じ、五ヶ瀬川の浸食作用で再びV字状の高千穂渓谷(高さ80~100mの断崖が7㎞に及ぶ=1934年名勝・天然記念物に指定)を形成している。
また町内には神話の里として天孫降臨の滝、天眞名井、高千穂神社、天の岩戸神社、くしふる神社、国見ケ丘などの観光地があり、なんといっても「高千穂の夜神楽」は宮崎県でも代表される重要無形民俗文化財に指定された神楽である。
宮崎県では、年間延べ350ヶ所以上で神楽が奉納されているそうだが、高千穂でも20地区は、収穫への感謝と五穀豊穣を祈願、鎮魂儀礼として、毎年11月末ごろから翌年2月に33番から成る神楽が夜を徹して氏神様に奉納されている。
私が、民家を神楽宿とした高千穂の夜神楽を見たのは、かれこれ40年ばかり前になるが、座敷の四方に竹を立て、御幣をかざり注連縄に文字や絵を切り彫りした紙が張られた神庭という空間で神楽は演じられた。
神楽舞の前に、午後2時過ぎには地区の氏神様に集まって神迎えの神事があり、それから、猿田彦を先頭に鉦や太鼓の囃子でご神体を集落におつれするのだが、一行はのどかな風景の中を進む、それはいかにも人神一体となる神楽の始まりを感じる道行きだった。
神楽宿に到着して暫く休憩、あたりが暗くなったころから、夜神楽三十三番の始まりである。「彦舞」「太殿」・・と集落の方が次々と演目をこなし、太鼓の響きも心地よいが・・これが朝まで延々と、神楽宿は外の戸まで外されて高原の冷気が遠慮なく入って来る。集落の方は人神一体、祈りの世界にあるのだろう。9時を過ぎたころから面をつけた舞、曲芸的な舞、などが始まり、いよいよお目当てのイザナギとイザナミの舞、このころには神様は観客の中まで入って「浮気」エロチックと笑いと、眠くなる時間帯に賑わいが戻り、酒などもふるまわれる。やがて、天の岩戸神話、アメノウズメノミコト・タジカラオノミコトの舞、そして岩戸が開くころ、薄っすらと東の空が明るみを指すころ、獅子舞?の道行きがあった。獅子の歯を嚙合わせる音が高千穂の冷気に震撼と響くのが実に清々しい。やがて、神楽奉納の成就。一夜明けて、この時は、この空気感だけがお土産だった。
その後、団体旅行で高千穂の宿に泊まった時は、各宿屋から観光客が集まり、この夜神楽のエッセンス3番位を高千穂神社で観光用に拝観することが出来て、「岩戸神楽」の人形は、この時お土産として買い求めた。
写真は、観光用夜神楽の一場面(右)と岩戸神楽と御幣
白銀の鯉
藤原新也写真展『祈り』の会場を出たあと、小倉城の堀の中に、鯉がたくさん泳いでいる
のを見ていると、遠方から白く光った魚が来るのを見つけ「ありゃぁ何じゃ」と思っていたら、近くに来ると白い鯉だった。
泥水のような堀の中に、群れている鯉はほとんどが墨色で目立たないが、こいつは眼光鋭く胸鰭を広く拡げて近づいて来たので、ついその迫力には感じるものだった。
今まで見ていた鯉と言えば、例えば津和野の町中に流れる溝に活かされている錦鯉などだったが、流れもないこの堀、まさに泥水。何を食べ、どのように生きているんだ。
あるいは、町の人が餌など与えているのかも知れないが、考えてみるともともと鯉は雑食性で水草などの植物や虫や小魚、口に入るものは何でもという魚である。堀のふちに立った私を見つけて、誰かが餌を与えているように遠方から急いでやって来たのかも知れない。残念ながら、餌の持ち合わせもない。
一時、鶴岡市だったか「人面魚」と騒がれた金色の錦鯉がブームになったことがあるが、目前に現れた白銀の光を放つ鯉も人面に見えなくもない。世の中には、観賞用に改良された錦鯉もいて、その色どりや紋様で、鑑賞というより高値で売買されている世界もある。
こうした世界で、どれほどの寿命かは知らないが、お城の堀に生きようが、人間様に売買されて生きようが鯉は鯉、滝登りを見せることも無く、争いもなく過ごしている。
現代社会は、黄砂の自然的な空気汚染だけでなく、排ガス、雑菌、CО₂汚染或いはマイクロプラスチック汚染などと自然界の環境破壊が進んでいる。
人間社会が環境汚染を云々する以前に、地球上に生息する動植物たちは悲鳴をあげて居るかもしれない。
『メメント・ヴィーダ』『メメント・モリ』藤原新也氏が迫力のある書で『死ぬな生きろ』とメッセージを発していたイメージが、まだ身体の中に息づいている。
一目散にやって来た白銀の鯉も「餌をくれ」という前に、或いは環境汚染か何かを訴えているようにも見えた。
写真は何かを訴えているような小倉城の堀で見た白銀の鯉
ストーリーテラー・小畑乃武子さん
「小畑さんが88歳の誕生日だから、小畑さんのお話を聞く誕生祝をします」とこどもの広場からの電話だった。お祝いの会だから、みんなで何かしてあげようではなく、ご本人の語りを聞かせて頂こうという、一寸あべこべの発想である。
彼女は、下関市立図書館に勤めていたころ児童室に居て、集まってくる子供たちにお話を語るようになった。お話を語るというのは、その物語の本を見ながら読むというのではなく、すべての文章を記憶し、そこに自分の気持ちを込めてお話しするのである。
そのころ図書館では、「10時の会」(文章・古川薫)、「合歓の会」(短歌・中原雅夫)「百花の会」(詩・佐藤泰正)などと女性の文学教室が盛んで、彼女はこれらのお世話もしながら短歌と詩の勉強もされていた。
彼女が50歳になったころ「お話の会」は500回を迎えていて「今、お話に吸い込まれそうになっている、ここで詩をまとめておきたい」と初めての詩集『風を聴き風に聞く』を発行した。この詩集に、佐藤先生は「こどもと共に生き、童心の中に生きる抒情が、しかし、さらに深く熟し、さらに見事な実りを結ぶのは-中略-まさにこれからではあるまいか。処女詩集誕生に、いま心からの熱い拍手を送りたいと思う」と序文を寄せている。
彼女は、これを気に真剣にストーリーテラーに取り組み、役所だけでなく、公民館や、学校、幼保育園などそれは定年退職後も活動が続けられ、まだまだ現役、公演回数を訪ねると「3668回、日本や世界の昔話から近年の創作作品もあるよ、それに私の好きな詩などレパートリーは300位かな」。また、早くから彼女に賛同し教えられた若い人達、その数は50人を超えて各所でその活動も受け継がれているという。
その日のお話は、宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』に始まって『鳥呑爺(日本昔話)』『アナンシと五(ジャマイカの話)』の語りと吉野弘『石仏』、まどみちお『ぞうさん』などであり約1時間余り、ここで、会の開始前に彼女の詩集からコピーした『火祭り』をリクエストしていた詩の朗読があった。
全く久しぶりの自作の詩、流石にこれはコピーを見ながらだったが
「オニワヨ・ライショワヨ オニワヨ・ライショワヨ 赤鬼あらわる 黒鬼あらわる 夜をゆすって火がのびる 炎が踊る 闇が弾ける 顔顔顔が てらてらうきだす うごめくひとらの -略- ホーレンショウヨ・ソラオンニワヨ・・・」
国東半島の天念寺・岩戸寺などでの修正鬼会の様子を作品にされたものだが、時に歌うように、かれこれ40年前の聞き覚えのある拍子での朗読だった。お見事。
それから「最近は何時も終わりに、谷川俊太郎さんの『生きる』なのよ」と、しみじみとその詩を朗読され、彼女88歳の誕生日のお話会は無事に終わった。
その記憶力に感心するばかりだった。
皆さんの後ろに控えていたご主人は「最近は急に声が細くなった気がします」と言われたが、彼女のアッシーとして同行されているのであろうか。「このお年で、物語を紡ぐように感情をこめて語られるのですから、それだけでも凄いと思いますよ」と答えておいた。
皆は、ご主人と二人三脚のストーリーテラー行脚に、花束とロウソク2本を灯したケーキを贈り米寿の宵を過ごした。
写真は米寿のお祝いに集まった人たちにお話を語る小畑さん


