第五章 教団の歩み~大乗仏教と上座部仏教~ | 雲をつかんだ日
2025-04-16 01:00:00

第五章 教団の歩み~大乗仏教と上座部仏教~

テーマ:仏教
仏教は大きく分けて大乗(だいじょう)仏教と上座部(じょうざぶ)仏教の二つに分類されるわけですが、われわれ日本人が触れる仏教というのは、さまざまな宗派はあれど全て大乗仏教だといっていいと思います。
私が学生のころは、修行を積んで菩薩となり衆生(しゅじょう=人間を含むすべての生き物)を救うことを目指す大乗仏教に対し、自らがブッダになることを目指す上座部仏教を侮蔑的に小乗仏教と教わりましたが、今は上座部仏教とか、声聞乗(しょうもんじょう)なんていいますね。
声聞とは、お釈迦様の教えを直接聞いたお弟子さんたちのことで、彼らの教えに従うので声聞乗です。
ですから、お釈迦様の説いた教えを実践しているのは、オレンジ色で右肩の出ている法衣(ほうえ)を身にまとっているタイやミャンマーやスリランカなどに見られる、上座部仏教のお坊さんたちということになると思います。
彼らは、お釈迦様やそのお弟子さんたちがしたように、自身が煩悩の世界から解脱し、涅槃へと通ずる悟りを開くために修行をしています。
その生活は、とても質素で厳格だと聞きます。
そして、一般の人たちからは尊敬の念を抱かれていると…。

こう言うと、大乗仏教なんかより、上座部仏教の方がいいじゃないかと思われるかも知れないし、実際にそうかも知れません。
ただ、大乗仏教の考え方が上座部仏教に劣っているのかと言うと、そうは思いません。
なぜなら、「すべての衆生を救いたい」というのが、お釈迦様の本当の願いであったという点がうなずけるからです。
自分の命が尽きようというときに、誤って自分に毒キノコ(もしくは腐った豚肉)を食べさせた鍛冶工チュンダが、のちに責められることを気にするような方ですよ、お釈迦様は。
しかし、お釈迦様でさえすべての衆生を救うという願いは叶えられなかった。
そこで、さまざまな仏様を作り出し、その力を借りると同時に、僧侶たちは菩薩(ぼさつ)となって人々の苦しみと向き合うことを目指したのが、大乗仏教ということです。

つまり、どっちの考え方が優れているとかいないとかではなく、どのように実践しているかが問題だと思います。
そう考えると、私は上座部のお坊さんに知り合いはいませんが、尊敬できるようなお坊さんは上座部の方が多いのかな、と思います。
しかし、大乗仏教にも素晴らしいお坊さんはたくさんいるし、葬式だけやってお金儲けをしているお坊さんを養っているのは、何も考えていない一般人ということになると思います。

万年最下位でも毎試合球場は満員。
打率1割、失策150でも年俸1億円もらっている野球選手が努力をすると思いますか?
日本仏教を堕落させているのは、われわれ一般人でもあるのです。
菩提寺なんてものにとらわれず、自分で信用できるお坊さんを見つけることが寛容だと思います。



(合掌)



ご参考までに…。


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