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プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-麻生本


13日夕方、第2次補正予算並びに関連法案が衆院本会議で、可決された。

その中に盛り込まれている定額給付金は、世論調査で70%が反対の意向を示しているにも関わらず、民主を代表とした野党の給付金撤回を全く無視し、十分な審議が尽くされぬまま与党の強行採決という形で終わった。

そんな混乱の中、自民党に離党届を提出した渡辺喜美元行政改革担当相と松浪健太内閣府政務官が棄権。

渡辺喜美氏に関しては、出来れば仲間を5,6人集めて離党して欲しかったのだが、それほど人望もない彼に同調する血気盛んな若い政治家がいなかったと言うことだろう。

政治家の頭の中は身の保身が80%。残り20%だけが政治(仕事)で占められているから、自分の身を守る自民党という鎧を脱ぎ捨てて裸になれる人物はいない。

民意にそぐわないとして棄権した松浪健太氏は、長いものには巻かれないタイプの人間なのだろう。

つまり、自分の信念が党の考え方と相反する時、政治に対し正直な気持ちを持つ改革派と言える。

自分を嘘で誤魔化す政治家が多い中、このような清廉潔白な人がもっと増えてくれれば、日本も大きく変わってくれると思うのだが。

結局のところ松浪健太氏は辞任ではなく、罷免という形で処分されたわけである。

昨日まで同じ釜の飯を食った仲間でも、党に反旗を翻せば首が飛ぶ。

見せしめのようなものである。
プールサイドの人魚姫-成人式

成人式を迎えた二十歳の皆さん、おめでとうございます。

読者の中に今年が成人式の人はいますでしょうか?

わたしは遥か彼方に成人式は終わっておりますが、毎年この時期になると自分が二十歳を迎えた頃のことを思い出し反省と後悔の念を抱いております。

昨今では、「荒れる成人式」と言われ成人式の会場などでは、若者の傍若無人な態度が目立ち、関係者も頭を抱えているようです。

お目出度い席でもあり、お酒なども入ったりして多少気が大きくなっていたり、多勢でやれば何も恐くないという集団心理も働いて公共の場を台無しにしてしまったり。

酔いが冷めて一人になった時に「馬鹿なことをした…」と後悔しても遅いのですが。

まあ、それも青春の内ですか?若い内に出来ることは限られているからといって、人に迷惑をかけるようなことはいけません。

二十歳は大人になるワンステップには違いないでしょうが、この「大人」が曲者。

大人とは一体何でしょう。

一般的に言えば社会的に自立している人を指す言葉ですが、近頃は自立出来ていない見かけだけの大人が多いですね。

やはり、自分の言葉や行動に最後まで責任を持つことが大切ですが、国のトップである麻生総理はとても大人に見えないですし、若者の手本となる大人が中々見つかりにくい世の中で、如何に自分を見失わず自分らしく生きて行くか、これは成人になった人、これからなる人、もうなっている人それぞれが考えなくてはならない問題であると思います。

さて、成人式は人間だけのものでしょうか?人間以外の動物でも当然、子どもから大人に成長します。

猫や犬たちにも成人式があってもよさそうですね。

成人とは善悪の判断、思慮分別のある人を言いますが、もしかすると人間より優れているのは、あなたの周りにいる犬猫かも知れません。

彼らから大人の意味を教わるとよいかも知れませんね。



プールサイドの人魚姫-戦争

圧倒的な火力で空と地上からガザを攻撃するイスラエルに対し、ロケット砲で反撃するパレスチナ・ハマス。

この両者の戦いは、数千年の時を経て今もなお憎しみの連鎖によって紅く燃え上がっている。

彼らはどちらかが倒れるまで、振りかざした拳を収めることはないようだ。

ガザでは民間人に多くの犠牲者が出ており、年寄り、幼い子どもがどんなに血を流しても、それがまるで戦争の生け贄でもあるかのように正当化する。

各国でイスラエルへの非難が高まっているにも関わらず、強硬姿勢を緩めることなく却って攻撃を激化させているようにも思える。

戦争拡大の懸念が高まる中、フランスやエジプトが平和的解決の調停に乗り出しても、耳を貸さないイスラエル。そして無差別にロケット弾が飛び交い、空では爆撃機がピンポイントと称してアメリカの真似さえする。

自国を守るための戦争だと言いながら、その下で恐怖に戦き、震えているのは一体誰なのか。

同じ地球上に棲む人類として、戦争の傍観者であることは許されないはず。

世界に平和の鐘を届けるのはあなたたち自身の役目である。

全ての国が平和になる権利があり、人類が調和しなければ地球の未来は存在しないだろう。

理想は実現させてこそその意義がある。

武器を捨てる勇気を持て、戦争のエネルギーを隣人のために使え。


プールサイドの人魚姫-susi

誕生日を祝ってくれる人たちがいるのは、とても幸せなことである。

そして何より誕生日は親から頂いた大切な日。

わたしたちがこの世に生まれた最も記念すべき日でもある。

親がいてもいなくても、生んでくれた親に感謝しよう。

父さん、母さん、誕生日をありがとう。

昨日の七草はわたしの誕生日でした。

ブログの皆さんからはお祝いの言葉や、プレゼントを頂きました。

ありがとうございます。

バースデーケーキはありませんでしたが、回転寿司で10皿も平らげてしまい、お腹が苦しいです。

静岡にいる息子からもお祝いの電話を貰い、心もお腹も一杯です。

誕生日を迎える度に感じるのは、生きていてよかった…。これに尽きます。

病気でもよい、苦しいこともある、それでもこの一日があることによって救われるものがある。

自分の誕生日、大切に。


プールサイドの人魚姫-サイコロ


今年は月曜日が5日となり、今日から仕事始めの会社が多いようである。

サラリーマンたちにとっては短い正月休みであるが、頭も身体も正月気分から抜け切れない時なので、会社に行っても通常の業務に戻るには少し時間がかる。

仕事始めと言っても、顔を合わせ挨拶程度で早々に切り上げて、そのまま新年会へと飲み会に移行するか或いは、家に直行し正月の顔を通常モードに切り替える。

それでも一週間あまりの休暇から、普段の生活に戻るまで頭の中身は休眠状態が続く。

そんな時はパズルでもやって、頭の体操をしてみるとよいかも知れない。

ただし、あまり難問過ぎると却って逆効果になってしまうこともあるので、あまり深く考えずに解ける問題がよいだろう。

脳に軽く刺激を与えれば、後は徐々に脳細胞が活発になり普段の冴えた頭に戻るだろう。

眠気覚ましにも丁度よいと思うので、先ずは手初めにこのサイコロの画像を凝視して、このカラクリを解いてみて欲しい。

暇つぶしに皆さん挑戦してみてくださいね。


プールサイドの人魚姫-お年玉

どんなに家が貧しくとも、お正月になれば我が子にお年玉くらいはあげたいと思うのが親心ではないだろうか。

正月を迎えるとわたしは、よそ様の子どもたちがお年玉袋を持って嬉しそうにしている姿を、恨めしそうに見つめていた。

わたしの父は酒が好きだったので、家に金があるとその殆どが父の酒代に消えて行き、幼いわたしにまで回ってきたことはなかった。

父からお年玉を直接貰った記憶はなかったが、その代わり父の友人たちが遊びに来ると、必ずと言ってよいほどわたしにお小遣いをくれる。

それは10円玉だったり、時には100円札だったりと金額はまちまちであったが、その時だけは金持ちになった気分を十分に味わえたものである。

ただしそれは友人たちが帰ってしまった後に、父に巻き上げられるのが常だった。

昨日30歳になった息子が、静岡から彼女を連れて年始の挨拶にやって来た。

8月に感激の再開を果たしてから半年あまり、その間はメールのやり取りなどをしてお互いの近況を報告しあっていた。

彼女に会うのは初めてだったので、どんな女性だろうと好奇心も手伝って内心わくわくしていたのも事実だった。

初対面の印象は、目がクリっと大きく、わりと小柄でとても可愛い女性だと思った。

気の強い息子だからきっと苦労しているのではないかと思ったりもしたが、包容力のある芯の強い部分もありそうだなどと、勝手に決め込んでしまった。

デリバリーの寿司を囲んで、和やかな食事が始まった時を見計らい、わたしはポケットからあらかじめ用意して置いたお年玉袋を取り出し、息子に渡した。

「父さんからの27年分のお年玉だ・・・」。

別れてから27年間、何一つ父親らしいことをしてあげることが出来なかった。

その反省も込めて、少ないけれども気持ちを受け取って欲しいと息子に渡したお年玉。

こんな機会に恵まれようとはおそらく神様でさえ考えもしなかっただろう。

お年玉が予想外のことだったらしく、息子は言葉を詰まらせ躊躇していたが、気持ちよく受け取ってくれたのである。

お正月の楽しみと言えば子どもたちにとっては一番待ち遠しいお年玉であるが、このお年玉に込められた真の意味は、お金の有り難さ、大切さを子どもたちが、そして大人がお年玉を通じて学んで欲しいと言う切なる願いが込められているのである。

現代人に失われつつあるものが、日本の古くからある風習の中には幾つも存在していることを忘れないで欲しいと思う。



プールサイドの人魚姫-猫新年


皆さん、新年明けましておめでとうございます。

わたしは予定通り、除夜の鐘が鳴り響く中近くの帝釈天まで初詣でに行ってまいりました。

元気のよい若者たちの笑い声が凍てつく夜空に木霊し、露天の光が新年を迎える人たちを温かく包み込んでいました。

昨年わたしにとって一番の収穫は何といっても27年振りに息子と出会えたこと。

奇跡のような出来事に今でも感激しております。

今年は大きな試練が待ち受けておりますが、わたしにとっては精神的自立の年。今まで、散々甘えてきた自分に決別する年でもあり、新たな人生のスタートに一歩踏み出します。

皆さんは2009年の抱負は何ですか。

不況の風が吹き荒れ、昨年以上に厳しい年になりそうな気配もしますが、必ずや希望の光が射す時は来るでしょう。

どんな苦境に立っても諦めない心を持って、笑顔を忘れずに頑張りましょう。

今年もよろしくお願い致します。



プールサイドの人魚姫-丑

今年も残すところ後2日となりました。何処かの国ではカウントダウンが始まっております。

皆さん、年賀状はもう書き終えましたか。

この一年を通し、ブログを通じて新たな出会いがあった事を嬉しく思います。

人生の内で一体人間はどれだけの人たちと出会うことが出来るでしょうか。

その意味でブログは非常に役にたつパーツではないかと思っております。

バーチャルなどという言葉はもう使い古された過去のもの。ブログをいかに活用し、役立てるかは個人の自由であり、よい意味で自分の足跡を刻むには便利な道具でもあります。

アメブロを始めた当初は会員数わずか40万人だったのが、今では400万人に達しようとしております。

会員数が増えれば、ブログの内容も多岐に渡りバラエティ豊かになりますが、その反面個性豊かなブログが減ってきたのも事実でしょう。

ブログにはそれぞれその方の性格が現れるものです。あなたの分身・顔でもあるブログ。

自分のパートナーとして大切に育てて行きたいものですね。

来年は丑年です。世間のスピードに合わせることはありません。

焦ってもよい結果が得られるわけでもないでしょう。

自分のスピードで良いのです。世情に流され、振り回されることなく、そして常に自分を失わずゆっくりと行きましょう。

皆さん、今年は応援ありがとうございました。

来年もプールサイドの人魚姫そして、管理人「神戸俊樹」をよろしくお願い致します。

それでは皆さん、よい年をお迎えくださいね。

 

プールサイドの人魚姫-労働者

 

 

せめて年越し蕎麦くらいは食べたい…。そんな悲愴感を漂わせた人たちでハローワークは溢れていた。

 

年の瀬も押し迫り年賀状すら書く暇もなく、明日の糧を求めて銀座の路上には仕事を失った若者や、ホームレスを余儀なくされた男たちがネオンの光を遮っていた。

リーマン、ビッグ3などの破綻が世界を不況の嵐に巻き込んでいく。

自動車産業界の雇用打ち切り、リストラなど、派遣社員、契約社員に限らず正社員でも安泰ではない。

肩叩きの不安を抱きながらでは安心して働けない。

バブル時期にはザルでさらう様に人材をかき集め、景気が傾けば有無も言わさず首を切る。

まさに戦国時代さながらである。

企業にとっては労働者など単なる捨て駒であり、その場凌ぎのロボット兵隊なのだろう。

ただし、景気によって企業も労働者もつい我侭になってしまう傾向があることを忘れてはいけない。

派遣社員、契約社員にはメリットとデメリットがある。選択肢がそれ以外になかったのなら別だろうが、出来るだけ会社に束縛されたくない人もおり、その意味で正社員を嫌った人たちがいたのも事実だ。

自分の時間が欲しいからと、フリーターを続ける人たちが増えた時代から、今ではそれしか仕事がないという現状に戸惑いを隠せない人。

探せば仕事はあるのに、労働条件が合わないなどの理由で職に就けない人。

特に介護職などは重労働の最たるものだが、報酬がそれにまったく見合わない。

自分に合った職探しの難しさが、選択範囲が増えた時代に何故こんなにも逆行するのだろうか。

わたしは仕事を選らばないが、病気を抱える身として選択肢は狭くなる。

一旦、職場復帰したものの鬱の再発で再び休職。そして退職。正社員でもお荷物になれば切り捨てられる。

そして半年後、日立の子会社に就職。契約社員であったためボーナスなどはなしだが、仕事内容は正社員と変わらなかった。

そしてまたしても病気の悪化により、契約は一年で終了。

とても年越し蕎麦を食べられる気分ではないのだが、どんな時でも希望を捨てないのがわたしの主義だ。

来年を笑顔で迎えるため、そして自分を奮い立たせるためにこの記事をアップする。


プールサイドの人魚姫-飯島愛


クリスマスイヴに突然届いた飯島愛さんの訃報に、言葉を失った人も多いのではないだろうか。

彼女のファンであれば、クリススマスケーキが涙で溶けてしまったかも知れない。

それほど衝撃的な知らせだった。

死因がいまだ特定出来ないため、自殺と病死の両方で調査をしているようだが、大量の薬が見つかっていることから、薬によるショック死の可能性もあるが、彼女自身が故意に服用したとすれば自殺の可能性も大きい。

何れにせよ病理解剖の結果で死因は断定されると思うが、実に残念なことである。

彼女は体調不良を理由に昨年3月芸能界を引退したが、その後も体調は思わしくなかったようだ。

元々「腎盂炎」という腎臓の病気を患っていることから、それが悪化しての精神的ストレスに悩まされていたのかも知れない。

これは単なるわたしの憶測であって真実は判らない。

腎盂炎はわたしも患っているが、治療を受けるほど悪化していないので今のところは薬も飲んではいない。体力が低下して抵抗力が落ちていたりすると危険であり、風邪を引いたりすることで悪化することもある。

飯島愛さんについてここで語らずとも殆どの皆さんはご存知のはず。

1992年に○○女優としてデビューしたが、彼女自身それを本業とする意思はなかったと思われる。

2000年に出版された自伝的小説「プラトニック・セ○○ス」の中で赤裸々な告白をしていることも有名であり、本自体もミリオンセラー、そして映画化されるまでに至った。

一見華やかに見える芸能界の舞台では、自分自身を押し殺して生きていかなくてはならない部分も相当あるだろう。

わたしたち一般人からは想像もつかない精神的、肉体的苦痛。

それを彼女は抱えきれなくなった…。芸能界引退は体調不良だけではなかったろうと思う。

彼女の死を知って、わたしが一番悲しく胸を裂かれる思いをしたのは、遺体が死後一週間を経過していたことだ。

一週間も放置されたまま、彼女の身体は冷たくクリスマスの存在すら忘れてこの世を彷徨っただろう。

人間は死を前にしてなんと無力なのだろうか。

温かい血の通う身体の尊さ、病気であろうと生きていることが大切なのに。

やがて溶けてしまう雪だるまのように、人の命が消えていくのはなんと寂しく悲しいことだろう。

飯島愛に合掌。