プールサイドの人魚姫 -60ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-白馬童子

わたしの中のヒーローがまた一人逝ってしまった。

山城新伍さんの訃報を聞き、幼かった頃の記憶が鮮烈に蘇えったと同時に涙が出てしまった。

テレビがまだ珍しい昭和30年代の初め、子どもたちの人気を独占していたのは「白馬童子」。

少年たちは眼を輝かせ、その白馬に跨り颯爽と登場する山城さんの姿に釘付けになったものだ。

彼が、糖尿病を患い芸能界から姿を消したことは知っていたが、まさか「特別養護老人ホーム」に入所していることは知らなかった。

70歳という年齢は、俳優としてはまだまだ現役で活躍出来る年齢であり、俳優に定年はない。

身体さえ許せば、ドラマや映画に出演したかっただろうと思う。

病魔に冒されながらも、それを必死に耐えつつ48作目を完成させた名優「渥美清」。

寅さんのように、白馬童子もまた永遠のヒーローとして心の中から消えることはないだろう。

山城さん、お疲れさまでした。

どうぞ、天国でゆっくりお休み下さい。


プールサイドの人魚姫-ジシン

11日早朝、静岡県全域を巨大地震が襲った。

わたしの故郷でもあり、多くの親戚・友人・知人が住んでいるので非常に心配である。

携帯で連絡が取れる人たちは、二人を除き無事であることが確認出来たが、残る二人とそして連絡先の分からない人たちの安否が気がかりで眠れない夜を迎えることになるだろう。

気象庁の発表によれば、今回の地震が「東海地震」とは関係ないとのことだが、人間は自然の何を何処まで理解している?

相手は予測不能の生き物だ。

これらの自然災害に対処するには、自分の奥底に眠っている本能を呼び覚まし、感覚を鋭くするしか方法はないだろう。

文明の利器に押し流されて、動物的本能を失ってしまった現代人よ、サバイバルで生き残る自信はあるのか?

ペット化された現代人の生き残る道はひとつ。

野生を証明して見せろ。

幸いわたしの第6感は冴え渡っている。

東京でも震度4の地震があったばかりだ。

地震は地球の息吹、生命そのもの。

恐がってばかりいては生き残れない。

地球と一体化するべし。



PS:7日に14歳の息子が新潟から上京し、本日、台風9号の影響もなく無事に新潟へ帰った。

5ヶ月振りに父と子の会話、そして家族の絆を味わった。

離婚してもこうして子どもたちや元家内とメールや電話でやり取り出来るのは、なんと幸せなことだろう。



 

プールサイドの人魚姫-はなび

 

 
 

あなたの

花火が欲しい

心にくっきり残る

あなたの姿

見るだけじゃ いや

あなただけの

花火が欲しい

その煌きと

激しい炎で

わたしを

焼き尽くして

欲しい

 


プールサイドの人魚姫-文字


小説の執筆に専念するため、暫くブログ更新をお休み致します。

記事を楽しみにしてくれている皆さんには申し訳ありませんが、ご理解の程よろしくお願いします。

コメントを初めて受け付けないに設定いたしましたので、ご用の方はプロフィール欄の最下段にあります「メールを送る」からメールをお願い致します。

返信は必ず致します。

尚、小説の進捗状況によってブログ更新がいつ頃になるかは、不明です。

よろしくお願い致します。

PS:削除した「恋の雨」ですが、リクエストが予想以上に多かった為、再アップを予定しております。

天候が不順で体調も思わしくありませんが、皆さんも健康に留意してこの夏を乗り切って下さい。



プールサイドの人魚姫-日食

子どもの頃、太陽を観察するのに下敷きを使ったことを覚えている。

わたしの下敷きは落書きだらけであったから、既に太陽より真っ黒でまともに観察が出来なかった。

隣の女子生徒のカラフルな下敷き照れながら借りたものだ。

46年ぶりとなる今回の皆既日食を一目見ようと、全国各地で「皆既日食ツアー」が行われ、大勢の天文ファン、そして壮大な天体ショーを自分の瞳に焼き付け伝い人たちで、22日は太陽も照れるほどの視線が空に集中した。

自然現象は天候に大きく左右されるため、場所によっては全く見られず涙を呑んだ人も多いかと思う。

観測出来なかったら、ツアー代金を返還する位のサービスをツアー会社は提供すべきだろう。

全額返金とは言わないまでも、やはり観測が目的なのだからリスクは会社とツアー客が負う形がよろしいかと思う。

その昔、地球がまだ丸くなかった頃、人類には他の動物と同じように「第6感」が発達していた。

自然に隙間のないほど寄り添うように生きていた時代だったから、他の動物と人類に隔たりは一切なかった。

共有と共存、これが生き抜く為のテーマであり、知恵でもあった。

古代人が最も恐れたのは暗闇。

太陽の光が充満する日中と闇に浮かぶ月明かりの夜を別の形で表現するならば「天使と悪魔」が相応しいだろう。

人類に信仰心が芽生え、宗教の原型が出来始めた頃は「太陽」が「神」のシンボルであった。

その「神」が「悪魔」の手によって汚される行為、それが「皆既日食」だったのではないだろうか。

人間は昔ら、自分たちの理解を大きく超える現象に遭遇すると、心に「畏れ」が根付く。

調和によって保たれている宇宙空間に突如として、人類が誕生した訳ではない。

人類も調和の一部であるが、それを乱すのも人類である。

地球がいつまでも青くいられるように、わたしたちは最大限の努力を続けて行かなくてはならない。

次の皆既日食をこの目で無事に見られるように。


プールサイドの人魚姫-asou

麻生太郎は漫才総理だった。

それを自ら認めたような「衆議院解散方針の表明」。

そして議事堂に「万歳」が響き渡った。

日本人は万歳の好きな人種であるが、やはりいまだに「戦争の影」を引きずっているのだろうかと、議員たちのはしゃぐ声と姿に背筋が寒くなった。

そして総選挙の結果に右往左往しながら、やはり当選者は「万歳三唱」をする。

喜びを身体で表現するにはこれしかないのだろうか?

時代錯誤も甚だしい「万歳」。

「大日本帝国、万歳」が脳裏を駆け抜ける。

選挙は政治家たちにとってみれば、戦争そのもの。

選挙カーから身を乗り出し、街宣車よろしく走り回る。

右翼団体じゃあるまいし、選挙の時だけ国民に頭を深々と下げて回る。

声は枯れ果て、睡眠不足の身体に鞭を打ちながら、それでも選挙のため、自分のため、権力のため必死の形相で相手構わず握手と笑顔を振りまいて過ぎる。

総選挙と言う名の下に、踊る政治家たち。

「どうせアホなら踊りゃにゃそんそん」と国民も一緒になって踊り狂う。

より良い国作りのため、明るい未来が輝く「日本」にするため、政治家たちの熱い戦いが火蓋を切ったかどうか、疑問だけが空しく残った。


プールサイドの人魚姫-マシン

トランスフォーマー・リベンジが大ヒット中である。

この映画より一足早く公開されたのが「ターミネーター4」だった。

映画の良し悪しはともかく、進化するCGの技術に驚くばかりだ。

ただし製作の現場を見てしまうと、映画の面白さが半減?してしまうかも知れない。

或いはそれとは逆により一層興味が湧くかのどちらかだろう。

SF映画の金字塔と言える「2001年宇宙の旅」が1968年に公開されてから既に40年の時が流れた。

公開当時は、この映画の難解さに賛否両論が巻き起こり、日本国内では興味すら示す者は皆無に近い状態であった。

頭の固い日本人には理解し難い映画だったのかも知れないし、映画自体が余りにも先を走り過ぎていて、退屈極まりない作品だったのだろう。

しかしその数十年後には「文部省選定作品」となり、大ヒットしたという経緯がある。

いまだにこの映画を超える作品に出会っていないが、ターミネーターやトランスフォーマーの世界にも相通じる「精神世界」があることを付け加えておきたい。

この二つの作品に何かを求めるとするならば、このマシンとも人間とも言える両者が戦った場合、どちらが強いか…。

子ども染みた発想で申し訳ないが、ついその方向に興味が行ってしまう。

世界は今、コンピューターによる「管理社会」である。

あの「核兵器」でさえも人間の範疇から脱皮し、核自体が意志を持つ日がいつかやって来るかも知れない。

臓器移植の項目で、「人間はパーツ」だとわたしは言ったが、それがはっきりと現実になる日はもうそこまで来ている。

コンピューターの世界に矛盾はない。

それ故、人間より純粋に出来ているかも知れない。

心臓が微弱な電気信号で動いていることからも、人間は既にサイボーグなのだろう。

マシンに心(精神)を持たせる試みが、世界中で繰り広げられている昨今、機械と人間が共存しなければならない日が、遅かれ早かれやって来るのは間違いない。

さて、日本ではこの秋公開予定の映画「ウルヴァリン/X-MEN ZERO」人気シリーズの中では最高傑作と言われており、トランスフォーマーなどより数段面白いだろう。

ストーリーを話してしまうとネタバレになってしまうので、ここはぐっと堪えて黙っていよう。


プールサイドの人魚姫-臓器

臓器移植法が改正され、今国会で可決成立した。

施行は一年後であるが、これで日本も漸く臓器移植の将来に一筋の光明が射したことになる。

しかし「死の定義」について、多くの問題や疑問が解決されぬままの見切り発車であることも事実であり、一概に喜び、この法案を受け入れるには些か抵抗がある。

心臓移植ともなれば一億円近い金額が必要になり、移植でしか助からない子どもを持った親たちは、海外で移植を受けるため、その資金集めに途方もない苦労を強いられる。

人々の善意によって渡航が決まったとしても、必ずドナーが現れるという約束はない。

ドナーを待つ間にも病状は進行し続け、病気と待つストレスに晒されて過酷な状況を耐え抜かなければならない。

脳死が人の死と位置づけているアメリカは、臓器移植の最先端を走り続けているが、脳そのものが全て解明されているわけではない。

人間がこの世に誕生し、最初に作られるのが「心臓」である。

これを原点として「人の死」を考察した場合「脳死=人の死」ということにはなり難い。

つまり、始まりが心臓であり、終わりも心臓で終わる。

これが人間の生命だとも解釈出来る。

ご存知のように人間の身体は各パーツによって構成されているが、臓器移植を単純に言い換えれば「パーツ交換」である。

しかし、自分の臓器はこの世に一つしか存在せず、それ故「命」が如何に大切であるかを実感する事が出来るのだが、傷んだ部分を交換すれば「寿命」を延ばすことが出来るという「恩恵」は、ややもすると「生と死」の概念を根底から覆すことになりかねない。

臓器移植は「完全なる人工臓器」誕生までの繋ぎでしかないが、自分の或いは子どもの命欲しさに他人の死を渇望すると言うのは、余りにも傲慢で矛盾に満ち「エゴ」そのもののように思えて仕方が無い。

人の善意によって幼い命が助かり、元気になったという話題は「美談」として扱われることが多いが、口が裂けても言ってはならない事柄が非常に多いことも事実だ。

他人の心臓を頂いて生きていくことは簡単なことではない。

一生「臓器移植」と言う十字架を背負って行かなければならないのだ。

ドナーがどんな人間だったかも知らされず、果たして本当に幸せを手に入れることが出来るだろうか?

わたしの心臓には「人工臓器」が入っており、そのお陰で21年間、今日まで生き延びて来られた。

もちろん、それをフォローしてくれる人々や薬があってこその「命」であるが、他人の臓器を頂いてまで生きようとは思わない。

それは「運命」として受け入れ、納得した形で「死を待つ」。

自分に寿命があるように、臓器にも寿命がある。

偶然に病気になるなどということはあり得ないのだから、全ての現象は「神の意思」として受け入れることがわたしの生き方である。

この記事については、おそらく反対意見も多いことだろうと予測出来るので、遠慮せずドシドシコメントを頂きたいと思う。




7月12日、久しぶりにライブハウス「アルマナック」に行った。
江戸川レノンさんの歌を聴くのも約1年ぶり。
昨年から今年にかけて、わたしは入退院の繰り返しで音楽を聴きに行くどころの騒ぎではなかった。
それでも好きな音楽を片時も離さず聴いていたいため、入院中も病室にウォークマンを持ち込み、点滴を打ちながらビートルズの懐かしいナンバーを聴いていた。
足でリズムを取りながら気分よさそうにしていると、
「神戸さん、何を聴いているの?」
と、若い看護師が声をかけてくる。
わたしよりふた周りも若い健康体を持つ、かわいい女性に声をかけられるのは入院中でしかあり得ないだろうと思いながら、
「ビートルズだよ」と返答する。
どんなに時代が流れても、そしてどんな世代でもビートルズは知っている。
「わたしのお母さんがビートルズのファンだったの…」
「へえ、そうなんだ」
「武道館のライブに行ったと自慢してたよ」
随分と昔の話題で話しが弾んだ。
12日の午前中、あの「順ちゃん」がわたしの身体を心配して、わざわざ藤枝から車を飛ばしてやって来てくれた。
懐かしいシングル版を十数枚持ってきてくれたのだが、あいにくレコードプレーヤーがなかったので、その場で1965年の音を聴く事は出来なかったが、あの「ツイスト&シャウト」と44年ぶりの再会となった。
初回版なので赤版。350円。
B面は「ロール・オーバー・ベートーベン」。
他に「プリーズ・プリーズ・ミー」「恋する二人」「ミッシェル」「ガール」「ひとりぼっちのあいつ」「消えた恋」など。
当時のビートルズの曲は東芝「Odeon」から発売されていた。
そんなビートルズファンでありながら、わたしが最初に購入した曲は「ゲット・バック」。
そして「ヘイ・ジュード」「レボリューション」「レット・イット・ビー」など。
初期のビートルズは一枚も持っていなかったのである。
小遣い10円ではレコード盤など買える筈もなかったからそれは仕方の無いこと。
わたしの身体が更に元気になった時は、江戸川レノンさんと一緒に「ラブミードゥー」をやってみたいと思っている。



プールサイドの人魚姫-神通力

都議選の結果が政権交代を予兆させている。

慌てる自民党は早くも解散と、眼が血走っている。

投票率では最も低いとされていた「都議選」でさえ、今回は50%を上回るという数字は、国民の視線が漸く政治に向かい始めたことと、この厭世観にうんざりしているからだろう。

政治は種であり、生き物である。

最初から立派な花を咲かせているものなど存在しない。

植物のように種まきから始めて、毎日水をやり丹念に育てあげて行く。

それは子育てと同じだ。

育て方ひとつで良くも悪くもなる。

生みの親が国民、育ての親が政治家と言ったら分かり易いだろうか。

このどちらが欠けても政治は成り立たない。

どんなに頭がよく優れた政治家でも、神業などあり得ない政治の世界だから、奇跡も起きない。

努力と真摯に向き合う姿こそが、良い政治を作り上げていく。

目覚めた国民と慌てる政治家には、これまで随分と長い期間に渡り距離があったが、政治にぐっと近づいた今こそ、政治に革命を起こす時。

タイミングは大切だ、だから国民よそして若者よ君たちのパワーを試す時。

民主党が政権をとっても、国民の目が光っていれば手綱を緩める暇はない。

そして、解散を決断した麻生首相に、神通力はもう残ってはいない。